「おかえりなさい、イリス」
「ただいま帰りました、お母様





────7月20日、夜。
私は、自分の実家に戻っていた。





「卒業おめでとう。ホグワーツではちゃんと良い成績を残せたのね?」

二言目にはこれだ。何も変わらないお母様のその言葉は予想していたので、私は手荷物の中に入れていたNEWTの成績表を見せた。

『イリス・リヴィアは以下の成績を修めた。

天文学:O
魔法生物飼育学:O
数占い学:O
呪文学:O
闇の魔術に対する防衛術:O
古代ルーン文字:O
薬草学:O
魔法史:O
魔法薬学:O
変身術:O』


────今年、私は全ての科目において最高成績を収めた。
この成績は、同時に私が志望している魔法省にも提出されている。その返答が先程借家の方へ届いたので、私はその手紙を受け取るなり実家に足を向けていた。

内容としては…まあ、簡単に言うと『内定』だ。私は来月から魔法省務めとなり、まずは報告書のまとめやら会議資料の作成やら、家でもできる簡単な仕事を一ヶ月ほど任され、9月から正式に本部へと通うことになっていた。

だから、その前に"ここ"へ必ず立ち寄る必要があると思っていた。完全に────マグルの世界から離れる前に。

「まあ、素晴らしい成績だわ。でもこれで主席になれなかったのはどうしてなの?」
「私は既に5年生において監督生として選ばれていたからです」

答えになっていない答えを、さも最適解であるかのように口にする。
実際、監督生と主席を兼任していた生徒がいたことなら知っている。私が主席になれなかったのは、その時点までの成績においてリリーの方が私より勝っていたから、それだけだ。
でもそんなことを言えば、お母様はまた「私がやっぱりあなたを手元に置いておかなかったから」とか「お母様があなたを賢く産んであげられなかったから」とか、胃のムカムカする自責の言葉を並べ立て始めるに決まっている。私はそんな無用の争いをするためにここに来たのではないのだから、その辺りはサラッと流してしまいたかった。

「成程ね、魔法使いの世界はわからないけど────あなたは5年生の時点で既にホグワーツで最も模範的であると認められていたんですものね。確かに主席より監督生の方が余程権威のある肩書きだわ」

実際は逆なんですけどもね。

「それで────卒業後の進路は、どうなったの?」

私はここでも素早く、魔法省から届いた手紙をお母様に見せた。ついでに中身は見せられないものの、自分で既に作っっていた会議資料もかざしてみせる。

「無事、魔法省の国際魔法協力部への入省が決まりました。今は試用期間として、上官の業務を手伝っています。こちらが、私が先日作成した新しい国際法起案のための会議資料です」

お母様はまるで何かの大会のトロフィーを見るかのような目で私の手元を見ていた。
持ってるの…ただの会議資料なんだけどな…。

「あなたならきっとリヴィア家に相応しい結果を残してくると思っていたわ、イリス。それで、いつまでこちらにはいられるの? 私としては別にもう、あなたがこうして立派に就職できたところまでわかったのだから、家に帰ってきてそこから通うのでも良いと思うのだけれど────」
いいえ、お母様

違う、違うんだよ。
私は本当は、国際魔法協力部の仕事になんてそこまで興味がないの。魔法省に興味があるんじゃなくて、"魔法省に隠れ棲んでいる闇の魔法使い"を見つけ出すことを使命だと考えているの。

私が対峙しているのは、紙の報告書や会議資料なんかじゃない。
私は、闇の魔法使いと戦うために、これからの人生を生きて行くのだ。
そんな過酷な道を選んでおきながら、マグルの何も知らない家族となんて一緒に暮らせるわけがない。自分の身を自分で守れる魔法使いとなら同居の道もありえたかもしれないが(いや、それでも私がこの家に留まることはないだろうな)、私は今日、本当のお別れを告げるためにここに来ていた。

「通行の便を考えても、ロンドンの中心部にある今のアパートに住み続けた方が効率的です。それに、国際魔法協力部は非常に忙しい部署ですから────再びここへ戻って来たとしても、そうそう家に帰れるとは思えません。お母様、私も非常に寂しいのですが、私はちゃんと独り立ちをしたいのです。いち早く出世して、良い家庭を築き、お母様に早く孫の顔を見せられるように」

────ここで、お母様に余計な夢を抱かせてしまうのは残酷なことかもしれない、と思った。私は出世するつもりもなければ、そんなに早く子供を産むつもりもなかった。
でも────これから私がやろうとしていることの残酷さに比べたら、最後にこのくらいの希望は抱かせてあげたかった。

私が────私が、彼女達にこれから何をしようとしているのか。
そのことを考えたら、最後くらいはリヴィア家に相応しい娘として、まるで立派なご令嬢になったかのような言動を見せたかった。
これまでの発言とは矛盾が生じないように。でも、彼女達を安心させてあげられるように。

願った通り、お母様は4年生の時と同じように────私がどれだけ家のことを考えているかに感動したようだった。少し皺のできた目尻を細め、笑っている。

「そう、そうなのね。あなたがここまでの孝行者だったなんて────お母様は幸せだわ。あなたがいないことは寂しいけど、ここまで優秀な成績を収めてきたあなたなんですもの。きっと魔法省でも、順調に出世できることでしょうね」
「はい、そのつもりで精進します。なので、連絡などもこれまで以上に難しくなるかと思いますが────」
「構わないわ、あなたが初孫を見せに帰って来てくれる喜びを糧に待っているもの」

流石に、良心が痛んだ。
こんなことになるなら、最初からシリウスみたいに真っ向から反抗しておけば良かったかなとチラリと思う。

でも、私は────別にこの家を憎んでいるわけではなかった。

そう、そこが私にジレンマを抱えさせるのだ。
この家は息苦しい。お母様と話しているとどんどん胃が重くなっていく。だから一刻も早く、評価や肩書きばかりを気にするようなこの人とはお別れをしたかった。それは確かに事実だ。
ただ、私はこの人に悪い感情ばかりを抱いているわけじゃない。リヴィア家の教えには確かに救われることも多かったし、私の今の生き方を確立させたことに、確実にあの空白と思われた11年間は寄与している。

この人は、ただ"こういう考え方"をする人だった。それだけのこと。
そしてその考え方は、私とは相容れなかった。それだけのこと。

それがわかった今、「一緒に生きてはいけない」とは思っても、彼女の人格や生き方を否定する気になんてとてもなれなかった。この家の考え方を全て否定して、この家の恥晒しとして(もちろん私自身はシリウスのことを恥晒しだなんて思っていないけど、あくまで"家"側の評価として)家の敷居を飛び出して行きたくはなかったのだ。

だからこそ、私は"この方法"を選んだ。最後までお母様の目には"リヴィア家の可愛いイリスちゃん"として映るように。そして────その姿が、最後に見た愛しの娘の姿になるように。

「今晩はここに泊まります。私の部屋は────そのまま残っていますか?」
「もちろんよ。荷物も家具も全部そのまま置いてあるわ。お父様もじきに帰るでしょうから、久々に4人でお食事をしましょうね」
「はい、お母様」

私はそう言って、手荷物を全部抱えたまま居間を出た。
そこには、私達の話に割り入ってはいけないと気を利かせてくれていたパトリシアが、ハラハラとした表情で私を見ている。

「お嬢様────ご卒業、おめでとうございます。魔法省への入省も、奥様は大変お喜びになっておりましたよ。ですが────」

パトリシアは、私の表情から何かを察していたようだった。
皮肉なものだ。お母様は手塩にかけて育てた娘の"覚悟"を何も知らずに笑っていたのに、夜と週末にはいつも家に帰って、私と"お手伝いさんと勤め先の娘"という関係でしかなかったパトリシアが私の異変に気づくなんて。

「────お嬢様、本当に奥様の望まれた通りに生きていかれるおつもりですか? 魔法省で早期出世して、良いお家柄の方と結婚してお子様をお産みになるなるなんて────…そんな、決められた生き方をお嬢様が自らお選びになるとは…パトリシアは、どうもそれが疑問に思えてならないのです」

お母様に聞こえないように、小声で私を案じるパトリシア。
────パトリシアになら、全てを話しても良いかな。

「パトリシア────私の部屋に、来てくれる? 話したいことがあるんだ」

私はそのまま彼女を自室へと連れて行った。

私の部屋は、お母様が言った通り出て行った時のそのままの状態になっていた。ベッドシーツは定期的にお洗濯してくれていたらしい。きちんと整えられたベッドに、埃のついていない家具。でも、お気に入りだったぬいぐるみも、クリスマスに買ってもらったスノードームも、全部そのままの位置に置かれていた。

「────私が望んで国際魔法協力部に入ったのは本当だよ。でも、パトリシアの言う通り、それはお母様のためじゃない。私は、私の生き方をするために、あそこへ入ることにしたの。それで────今日は、お母様とお父様に、お別れをするために帰って来たんだ」
「お別れ…ですか?」

会話は漏れ聞こえていただろうか。まだそれが単なる"独り立ち"でしかないと思っている様子のパトリシアは、あえて私が"お別れ"と強調したことを不思議がっていた。

「ねえ、パトリシア。今魔法界がどうなってるかって、知ってる?」
「いえ────私は、夫と結婚した時に魔法界から離れ、マグルとして暮らすことを決めましたので。魔法はまだ使えますが、使おうと思ったことも、そして魔法界に関わろうと思ったこともあの日以来ありません」

パトリシアには、パトリシアの生き方があった。
どんな気持ちで魔法界から離れる決断をしたんだろう。どんな言葉を交わして、旦那さんとその話をしたんだろう。

いつか────いつか、平和な世界が訪れたら、それも聞いてみたいと思った。

「今、魔法界は脅威に晒されてるの。ヴォルデモートっていう悪の魔法使いが────」
「そっ、その名前なら存じております。はい、例のあの人が魔法界を恐怖に陥れていることだけなら…ええ…」

ヴォルデモートと声に出した瞬間、パトリシアの顔がさっと青ざめた。わかってる、普通の魔法使いがその名を口にすることさえ恐れ、憚っていることなんて。そういえばいつだったか、パトリシアも「例のあの人」がこの世界を脅威に晒していることを口にしていたっけ。やはり彼は、魔法界だろうがマグルの世界だろうが所かまわずその手を広げているらしい。

「ヴォルデモートのせいで、魔法界は恐怖と混乱に陥れられてる。ホグワーツにいた私でさえ、外の世界がどれだけ危険に満ちているか思い知らされてきたんだ。隣人ですら信じられない、いつどこで誰が死ぬとも知れない、そんなおちおち眠ってもいられないような環境の中で、魔法使い達はその闇の帝王を恐れてる。────心配をかけると思ったから手紙では報せなかったけど、実はホグワーツの内部でも、死喰い人っていうヴォルデモートの配下が生まれ始めてるんだ」

パトリシアは驚きと恐怖のあまり、声も出せていないようだった。
彼女がホグワーツにいた頃は、ヴォルデモートの名はまだそこまで広まっていないようだった。歴史書によればその頃は、えーと…グリンデルバルド…だったかな、またこれも強力かつ邪悪な魔法使いが、魔法史にその名を残していたらしいから。

歴史書を読む限り、敵がこのイギリスを拠点にしているという観点から、今の方が余程私達にとって身近で切迫した状況だと考えていた。グリンデルバルトがのさばっていた頃もかなり人々を恐怖の底に陥れたようだったが、彼は一時イギリスで暴れた後、これまたダンブルドア先生を恐れてこの地を去ったという。
そして、残虐性で言えば比較しがたい問題ではあるのだが────こと対人における決闘の腕前としては、ヴォルデモートの方が格上だとも記されていた。だから過去は過去で同じく悪のカリスマが存在していたものの、今の悪のカリスマは到底手に負えない史上最悪の魔法使いだという評価が、どの本の著者にとっても共通の結論だった。

そして私は今、そんな史上最悪の魔法使いに、真っ向から反抗しようとしている。

「パトリシア、私はね────ホグワーツで色んなことを学んだよ。魔法だけじゃない、自分の望んだ在り方も見つけることができた。そしてその生き方が────」
「やめてください、お嬢様」

パトリシアは私の言葉の先を察していた。泣きそうな声で、震えながら私を止める。

「ううん。これはやめられない。私が生まれて初めて、自分から"こうしたい"って思えたことなの。私はこの後、ヴォルデモートと戦うための組織に秘密裏に入団しようと思ってる

ごめんね、パトリシア。
お母様と同じくらい私を大切に思ってくれていて、そしてお母様以上に私のことを理解してくれた大切な友達。彼女を泣かせてしまうのは辛かったけど────でも、だからこそ私は、彼女には伝えておきたかった。

「国際魔法協力部に入るのは、国を越えてあらゆる人と関わって、闇の魔法使いを見つけ出すため。私の本当の目的は、罪のない人を恐怖に陥れる大罪人を、仲間を協力して打ち倒すことなの」

私の頭の中には、リリーの言葉が蘇っていた。
6年生の時、ジェームズに許されざる呪文を使ったスネイプに、泣きながら攻撃をしたリリー。

「私の怒りはホグワーツの怒り。私の憎しみはホグワーツの憎しみ。────あなたなら、きっと戻って来てくれると信じていたのに! 例のあの人さえいなければ、闇の魔法があなたを誘うことだってきっとなかったのに!!!」

ヴォルデモートさえいなければ、起こらない争いはたくさんあったはずだった。
私達の小競り合いを全て誰かの責任にするなんて、それこそ子供のやることみたいだけど────でも、私は彼女の言葉は真理をついていると思った。

「私がこれから身を投じようとしてる世界は、きっと他のどこよりも危険な世界だと思う。今日笑い合っていた友人が明日死んでるかもしれない、そんなことが当たり前に起きる世界に────私は、自分の意志で行こうとしてる」
「もう、もうたくさんです────! お嬢様、私は確かにお嬢様がお嬢様らしくあれる生き方をしてほしいと願っていました。でもまさか、そんな────自らの命を危険に晒すようなことを、選んでほしくはありません!」
「ごめん。でも、ダメだった。私、耐えられなかった。自分の安全だけ確保して、毎日誰かが死んでいく話を呑気になんて聞いていられなかった。ホグワーツは────グリフィンドールは、私に勇気を与えてくれたんだ。私は何も、死にに行くわけじゃないんだ。ただ、私は────私は、せっかく生まれてきたのなら、その命を"誰かを救う"ために使いたい。"私が望んだ世界"を取り返すために、私は戦わなきゃいけないんだ」

それは、いつかシリウスが星空の下で私に語ってくれたことだった。
自分が生きた意味を見出したい。自分が誰かのために戦える勇敢で優しい人間であることを、他ならない自分に証明してみせたい。

「お嬢様はまだお若いんです。世界のためだなんてそんなことを言わずに、もっともっと自分に我儘になって好きなように生きてほしいんです。年頃の女の子らしく、可愛いものに胸をときめかせて、世界の"光"を一身に受けて生きてほしいんです…」

パトリシアの、心から私を案じる言葉が痛いほどに刺さる。
でもね、パトリシア。私は別に"世界"のために生きるわけじゃないんだよ。"光"の中にいながら"闇"を知ってしまった私は、他ならない"私"のために、その闇を駆逐したいんだ。心から光を受け入れられるその日が来るまで、私は戦いたいと────そう思ってしまったんだ。

「ありがとう。パトリシアの気持ち、すっごくよくわかる。でも────もう決めたんだ。大事な友達と、心から愛する人と一緒に、私は戦うって。仲間と一緒に、見えてしまった"闇"を駆逐するって、そう約束したんだ」
「だから────だから、お別れなんて言い出したんですか? もう二度とここには戻らないと────そう仰りたいんですか?」

そうだよ。
そしてそのために、私はこの一晩で、大きな仕事をしなきゃいけないんだ。

「エバネスコ」

私はパトリシアの問いには答えず、杖を振って呪文を唱えた。
私のかけた消失呪文は、ぬいぐるみも洋服も一瞬にして掻き消してしまった。それだけじゃない。ベッドや箪笥のような家具はそのままに、私は私の持ち物を全てこの一言で消し去った。

「お嬢様────?」

パトリシアが呆然として、私の行動に目を見張る。
なんて簡単なことなんだろう。エバネスコ、とただ一言唱えただけで────私の部屋は、必要最低限の家具しかない"何もない"場所に様変わりしてしまった。そこにもう、私の面影はない。私がいた痕跡は、もう何もない。

まるでそこは、お客様を泊める時に使う客間のようになっていた。あちこちに置いていた私物が全て消えたことで、部屋が一気に広くなったような気がする。そこはもはや、"私の部屋"ではなかった。誰も使っていない、ただの"空き室"になってしまったのだ。

「ヴォルデモートと戦うと決めた以上────どうしても、その対抗勢力には徹底的な攻撃が下されると思う。私がどれだけヴォルデモートの目に留まる存在になるかはわからないけど、死喰い人と一戦でも交えれば、すぐに私の存在は明るみになる。史上最悪の魔法使いの前に、イリス・リヴィアという名が知らされることになるんだ。だからね、これは必要なことなの」

まずは、部屋に残っていた私の痕跡を全て消し去った。

そして、次に私がしなければならないことは────。

「当然、闇の魔法使いは手段を選ばずに私達を殲滅しにかかると思う。どういうことかわかる、パトリシア? 私が私の生き方を選んだことで、罪のないお母様やお父様、妹にまで危険が及ぶことになるんだ。だから────」
「やめてください!」

無意味なことだとわかっているはずなのに、パトリシアは声を掠れさせながら叫んだ。
彼女の目からは、留まることを知らない涙が流れ続けている。

ああ、私は────こんなにも、大切にされていたんだなあ。
彼女を泣かせてしまったことに罪悪感を覚えないわけではなかった。
でも、その涙は私を心から愛してくれているからこそ流れた涙。"自分"がないことを誰よりも嫌っていた私を、それでもずっと慈しんでくれていたこの人に、私は申し訳ないと思うより先に感謝の念を覚えてしまった。

────きっともうその時点で、私の気持ちは誰に何を言われても揺るがないほど強固なものになっていたんだろう。

「ごめん。酷いことをしようとしてるのはわかってる。でも、こうするしかないんだ。────私は今晩、家族全員に私に関する全ての記憶を忘却させる魔法をかけるよ

それが、私の出した結論だった。

どれだけ距離を取ってみたって、どれだけ無関係を装ったって、どうしてもきっと、死喰い人やヴォルデモートと戦う私の家族の存在は明るみに出てしまう。そうしたら、今度危険に晒されるのは彼女達の方だ。
魔法も知らない、そこで何が起こっているかも知らない彼女達に、私の我儘でそんな重荷を背負わせたくなかった。死の気配の全くないところから緑の閃光が飛んでくる様なんて、見たくなかった。

もちろん、記憶を消さなくたって、こちらからの連絡を絶ってしまえば、家族がわざわざ危険に晒されることはなくなるだろう。あるいは────自分の今後の話を正直に打ち明けて、「私が守るよ」と────仮にそこまでの強固な絆を結ぶことができれば、危険に晒されても私が駆けつけて言葉通り守ることができると思う。
でも、私と両親にはそのどちらもできなかった。私が連絡を途絶えさせれば、途端にお母様からの雨のような手紙が降り注ぐことだろう。キャリアはどうなっているの、良い人はまだ見つからないの────そんな、日和見な内容の"危険な手紙"が。
それを考えると、「キャリアも家庭も望まず、闇の魔法使いと戦います」と話すことなんて、到底できない。私と両親の間に今更対等な絆を築くことなんて、もう無理なのだ。

だから、こうするしかなかった。
両親に怪しまれず、自分の生き方を突き進むためには、もう私という存在丸ごとを家族から切り離さなければならなかった。

それに私は────結局、両親に感謝の念を捨てきれなかった。
私が私であるために。私という形を作るために。リヴィア家で教えられた厳しすぎる規律は、少なからず私の役に立っていた。

一緒には生きられない。彼女達の思想は私には受け入れられない。
それでも、私はせめてここまで生かし、"優等生"として賢く立ち回る術を教えてくれた彼女達に、そのことに対してだけでも恩返しがしたかった。

これは何も、互いの保身のためだけじゃない。損得勘定だけで選んだ道じゃない。
私は、その損得勘定にちょっとの愛情を込めて、両親に全てを忘れてもらうことにしたのだ。

彼女達にはイリスという名の娘なんて最初からいなかった。彼女達にいるのは、妹だけ。いや、もはや妹ではなく、その子がリヴィア家唯一の子供となる。両親はきっと、今度は妹をリヴィア家を継がせるための人形に育て上げようとすることだろう。

「夕食後、家族が揃ったタイミングで、私は2人に最大限の威力でオブリビエイトを掛ける。リヴィアっていう名前は、別に世界に一つしかないわけじゃないから────きっとそれだけで、お母様達の安全はちゃんと確保されると思う。パトリシア、ごめんね、あなたにだけ真実を話してしまうことがどれだけ残酷なことかはわかってる。でも────」
「いいえ、いいえ、本当にお辛いのはお嬢様のはずです。私は存じておりました。お嬢様がこの家に息苦しさを感じていながらも、ご両親に育てられたその恩を決して忘れていない、誰よりも孝行者なご息女であったことを。たとえ共に生きることができない相手だとしても────決して、楽にできた決断ではなかったでしょう。ましてやその上であなたはひとりで闇の魔法使いと戦わなければならないなんて────私は、考えただけで胸が張り裂けそうなのです…」
「大丈夫だよ。私、ひとりじゃないから」

私には、心強い仲間がいるから。

どうせ、お母様達とは完全に縁を切るつもりだった。先程も言った通り、ここで記憶を消さなかったところで、私がいつまでも昇進しないことや、権威のある人と結婚しないことがバレてしまえば、たちどころに私は"リヴィア家に相応しくない劣等生"と見なされてしまう。
結局、私が両親にどんな感情を抱いていたところで、両親にとって私はその程度の人間でしかなかったのだ。いや、それが彼女達なりの愛情表現であることはわかっているのだが────私はそれを、"愛"だとは思えなかった。

だから、これが一番誰にとっても幸せな結論だと思っていた。
資金援助をしてもらっていた恩をまだ返せていないけど、これはどこかのタイミングで「懸賞に当たった」とでも言って適当に銀行にお金を振り込んでおけば良いだろう。国際魔法協力部に勤めるなら、そこそこのお給料は貰えるはずだし。

「パトリシア、あなたはいつも私の味方でいてくれたよね。だから今回も、あなたにだけこのことを話したんだ。あなたがいつまでもそうやって私を心配して泣いてしまうというのなら、私はあなたにも忘却魔法をかけることだって厭わないよ。私の存在を消すことは、私をそれぞれの方法で愛してくれた人に私が唯一恩返しできる、最後の加護の魔法なんだから

しかしパトリシアは激しく首を振った。

「いいえ。私はお嬢様のことを決して忘れません。私は────お嬢様に、そんな危険なところへ行ってほしくないのです、それはきっと、いつまでも変わらず私の胸に傷痕を残すと思います」

そして彼女は、涙を拭うと毅然とした態度で、まっすぐに私を見つめた。

「────でも、私は7年前に自分が言ったことをよく覚えています。奥様に言えないことは私が墓場まで持っていくと。イリスお嬢様、私は────いつだってあなたを心配しています。でも同時に、あなたがあなたらしく生きていけるようになったそのことを────心から、喜べるようになりたいのです」

その声は、まだ震えていた。
きっと彼女は、まだ子供同然の私が戦地に自ら赴こうとしていることを、まだ心から受け入れられているわけではないのだろうと思う。

────それでも、彼女は最後まで私の味方でいてくれた。
理解できずとも、"それが私の考え方である"と受け入れてくれた。

ああ、そういえばパトリシアはハッフルパフの出身だったっけ。
あの寮には、とても他人を受容し、包容することに長けている人が多かったなあ。

パトリシアもまた、そんなハッフルパフの精神を受け継いだ魔女だった。
魔法界における戦争に直接関わっていなくとも、魔法という本来なら人智を越えた力を行使して行われる戦争がどれだけ凄惨なものかは、きっと理解しているのだろう。────そして、私がそれをまた同様に理解していることも、彼女はきっと"受け入れよう"としてくれている。

「お嬢様────お嬢様の身の危険のためにも、きっと私にはご連絡をお送りにならない方が良いでしょう。私もまた、お嬢様にこれまでのようにお手紙をお送りすることは控えるようにいたします」
「うん、ありがとう」
「ですが、決してお忘れにならないでくださいね。パトリシアは、生涯ずっと、あなたの味方であることを。あなたの身を案じ、"あなたが掴んだ幸せ"が成就するよう、ずっとずっと願っていることを」

私は、パトリシアの手を握った。

「忘れない。パトリシアが私の最初のお友達でいてくれたこと。パトリシアは、いつも私のことを第一に考えてくれていたこと。だから────守ってみせるよ、そんな優しいパトリシアが、笑って暮らせる世界を」
「お嬢様────本当に、お強くなられましたね」

パトリシアはようやくそこで笑ってくれた。7年もの間離れていたから、彼女からしてみれば私の成長は本当に唐突で、まるで別人が帰ってきたかのようにさえ思えていたかもしれない。
それでも彼女は変わらず、ずっと私の傍にいてくれた。リリーや悪戯仕掛人とはまた違った付き合い方だったけど────彼女は確かに、私の友人であり続けてくれたのだ。





その後、私は素知らぬ顔をして、お母様以上に久々に顔を合わせたお父様にも礼儀正しく挨拶をした。お父様もお母様と同じように、「卒業おめでとう」の後に「成績と進路はどうなった」と訊いてきたので、お母様に見せたものと同じものを見せ、お母様に聞かせた話と同じことを語ってみせた。

「────そうか。くれぐれも、リヴィア家の名に恥じぬよう精進なさい」

────お父様は、お母様以上に淡泊だった。元々私の行動についても、基本的にはお母様の基準に委ねており、自分はリヴィア家の名を汚さないかどうかだけを気にしてきていた人だ。私がどこで何をしていようとも、それが"人々にとって尊敬される行い"であるのならば、お父様が私に対してあれこれ言うことはなかった。

妹は夕食時に自室から降りてきた。どうやら部屋で家庭教師の先生に出された宿題をやっていたらしい。

「ご無沙汰しております、お姉様。お変わりありませんか?」
「お陰様で。今年はもう7歳になるんだね、元気にしてた?」
「はい。立派なリヴィア家の娘として相応しい振舞いを心がけております」

──── 一体そのどれだけが本心なのだろうと思いながら、私は笑みを返した。

夕食後、早々に自室に戻った妹を追って、私は2階へと上がった。
全員が揃っていてくれれば楽だったのだが、妹はどうにも私以上に勤勉だったようなので、仕方なく彼女から忘却呪文をかけることにする。

ドアをノックすると、「どうぞ」とすぐ答えが帰って来たので、私はそっと開けて中で机に向かっている妹の様子を窺った。

「お姉様? いかがなさいましたか?」
「────少し、目を閉じてくれる?」

素直な妹は、私に言われた通り目を閉じた。これから私に杖を向けられることも、私に関する記憶を一切消されることも予想せず、言われたままのことをしている。…まるで、機械式の人形のように。

────それを見た私は、つい要らない質問を掛けてしまった。

「────ねえ、今の生活、楽しい?」

それはずっと、私が────ホグワーツに行く前、ちょうど妹と同じくらいの年になった辺りから考え出したこと。
幸せって辛いものなのかな。お母様に褒められると嬉しいはずなのに、お腹が痛くなるのはどうしてなのかな。

妹は、今の生活をどう思っているんだろう。少しだけ、今の彼女にあの頃の自分を重ねてしまった。

もし、妹が今の生活を望んでいなかったとしたら────彼女は、私の我儘のせいでリヴィア家の望まれる姿を一身に背負わなければならなくなってしまう。だからといって私に何ができるというわけではないのだが、それでも────訊かずにはいられなかった。

「今の生活、ですか…?」
「うん。あなたは今、幸せ?」

妹は少し考えているようだった。目を瞑ったまま首を捻り、そして────。

「はい。幸せです」

きっぱりとした口調で、そう言った。

「…本当に?」
「はい。私はリヴィア家の次女ですが…それでも、リヴィアという名字を背負うに相応しいレディになりたいと思っています。そのために教養を惜しまず与えてくださるお母様には感謝しています」

────そう、なのか────。

それなら、妹は私とは違う人間だったのだ。彼女は、本当にリヴィア家に相応しい人間だったのだ。なんだ、それなら最初から逆転して、この子の方が早く生まれてくれていれば良かったのに。

それとも、これからこの子も学校に通うにつれてまた違った意見を持ち始めるようになるのだろうか。

「────もし、何か私の助けが必要なことがあったら、なんでもするからね」

きっと、もう"家族"として出会うことはないけど。
それでもこの子は、短い時間しか会えない姉のことを心から慕ってくれた、リヴィア家の子でありながら優しい人の心を持った子だった。もしこの子が今後、リヴィア家の名に悩まされることがあったとしたら、どうにかして────何らかの形で新たな道を照らしてあげたいと思う。

だから────そんな"もしも"の未来を守るためにも────今だけ、ごめんね。

「オブリビエイト」

私は妹が何かを言うより先に、忘却呪文をかけた。彼女は目を瞑ったまま机に突っ伏し、眠っているかのような姿勢をとる。

あまり一緒にはいられなかったけど、大事な妹だった。
少しの寂寥感を帯びながら、私は階下に戻る。お母様とお父様は揃ってソファに座ってテレビを見ていた。私はこっそり手荷物をまとめ、すっからかんになった元自室をそっと出ると、今に忍び込んで2人の背後に回る。

思えば、この家にこれといった思い出はなかった。いつだって私は、マナーや世間での立ち回り、そして何より学校の成績ばかりを気にされてきたから、一般的な────例えば物語に出てくるような、家族の団欒を知らずに育ってきた。
でも、やっぱり11年間私の傍に居続けたこの2人から、私という存在を完全に消し去ることには一瞬だけ躊躇ってしまう。妹に魔法をかけた時とは少し違った感情が、私の胸をちくりと刺す。

思い出がないとしても。そこに温かい家族の愛が少しばかり欠けていたとしても。
────彼女らが、私のたったひとつの家族であることに違いはなかったのだから。

でも、だからこそ、一度決めたことは変えてはならないと思う。
私は家族として、この人達を守ると決めたのだから。11年、私に狡猾に生きる術を教えてくれたその恩を、返さなければならないのだから。

────オブリビエイト

それは、ほんの囁きでも十分だった。だって私は、呪文学ではいつだってクラスで、いや学校中でトップの成績を誇ってきたのだから。

両親の中から、"イリス"という娘の存在を消す。
彼女らにはもう、もう1人の娘などいなかったことになっていた。彼女らは、たったひとりの理想的な子供に恵まれ、3人で慎ましやかに暮らしながらリヴィア家の伝統を守り続けてきたただの理想主義な一子の両親になっていた。

背後からかけた魔法は、2人に目が眩むような閃光を直撃させた。とろんと2人の頭が傾ぎ、こつんとお互いの肩にもたれあう後ろ姿が見えた。

────正気を取り戻した時、見知らぬ女の子がそこにいてはすぐさま問題になってしまうことだろう。私は2人にしっかり呪文が効いたことを確信して、そのまま何も告げず、物音も立てず、家を出た。

さようなら、お父様、お母様。
私を産み育ててくれて、ありがとうございました。
可愛い妹も、私のことを慕ってくれて、ありがとう。

私はきっと、リヴィアという名を背負い続け、そして"優等生"として────本当になすべきことを、きっと実現させてみせます。たとえあなた達にとってその行動が理解できないものだとしても、私のしようとしていることがあなた達にとって"模範的"でないとしても────私は、私が自分で確立させた"模範的"な行動を取るつもりですから、どうか安心して────安心して、余生を────末永く、幸せに楽しんでください。



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