ホグワーツでの卒業式を終え、いよいよこの城で過ごす最後の夜を迎えた。
私はリリーと2人で、談話室でチェスをしながら悪戯仕掛人が戻ってくるのを待っていた。

卒業式が終わり、パーティーでたくさんのご馳走を食べた後、彼らは「最後の総仕上げをしてくる!」と言ってどこかへ消え去って行った。グリフィンドール寮に戻る途中で遠くの方から派手な爆発音がしていたので、きっとそれらが彼らの最後の悪戯であり、"自分達がいたことの証明"でもあったのだろう、とリリーと笑いながら話していた。

ちょうど私のキングがリリーのルークに取られてしまい、見事な負けっぷりを晒したところで彼らは帰ってきた。ところどころに煤がついているのは、余程派手な爆発物でもまき散らしてきたのだろうか。

「僕達、デカい花火を打ち上げてきてたんだ。見た?」
「見てないよ」
「どうせまた使われてない教室でも粉砕してきたのか、程度にしか思ってなかったわ」
「なんだ、特別すごいのをやってきたのに。1年生はビビッて逃げるわ、フィルチは息せき切って走って来るわでそりゃあもう楽しかったよ」

話を聞く限り、それが本当にいわゆる"花火"なのかどうかも疑わしかった。ただ、本当に彼らが卒業祝いの花火を打ち上げていたのだとしたら、それはちょっと見ておきたかったな、なんて思う。

「ダンブルドアの計らいで今日はお咎めなし。ただうまいこと忍びの地図を没収させることには成功したぞ」

シリウスは誇らしげに何もない両腕をばっと広げてみせた。私とリリーはその発言に揃ってぽかんとしてしまう。

「忍びの地図を────没収させたの?」
「え、でもあれはあなた達が5年もかけて一生懸命作った最大の悪戯お助けグッズじゃなかった?」

ホグワーツの地図と、そこにいる人達をリアルタイムで知らせる道具なんて、彼らのような人からしてみれば今までにも…そしてこれからも、永遠に作られることのない貴重な宝物だったんじゃなかったのか。

「何言ってるんだ、ルビーの鍵を禁じられた森に置いてきた時と一緒だよ。僕達はもうここを去るんだ。ホグワーツの地図は、もう僕達には必要ない。いつかどこかで、これを必要とする無法者が現れた時に、ちゃんとそいつの手に渡るようにしてやりたかったんだ」

────そうだった。彼らは決して、自分達の功績を独り占めするようなタイプではなかった。自分達が築いたものを然るべき後継者へと受け継いで行き、"新たなカリスマ"を喜んで仲間に入れようとする────彼らこそ、真のカリスマだった。

「地図を鍵と同じようにどこかに隠しておこうかって案も出たんだけど、あれはまさに僕らの最高傑作だったからな。もう少し人目につきやすいところにわかりやすく置いておきたかったんだ」
「その点、フィルチの没収箱なら優秀だ。あいつはスクイブだから決してあの謎を解き明かせないし、かといって没収したものを勝手に処分することもできない。少なくとも向こう50年は大事に保管され続けるだろうな」
「でも、忍びの地図って何もしなければただの羊皮紙にしか見えないでしょ? どうやって没収させたの?」

彼らが忍びの地図を安置しておくに相応しい場所を"フィルチの没収箱"と見定めた点に納得したところで、私は根本的な疑問をぶつけた。よくぞ訊いてくれたとばかりに胸を張るのはジェームズ。

「花火騒動を起こしてフィルチが駆けつけてきた時、パッドフットにわざとあいつの目の前で"いたずら完了"って唱えさせたんだ。哀れな我らが管理人はその地図が"何かをしでかすもの"とわかっていながら、"何をしでかすか"はわからないまま、"ただの羊皮紙"になったそれを血走った目で眺めてたな」

なるほどね。シリウスが手に持ってる"いたずら"に関わる物だったら十中八九ろくな代物じゃないって、誰だってわかるというもの。フィルチはそれが何なのかわからないまま、とりあえず生徒が持っているジョークグッズをひったくったんだろう。
一体それに、どれだけの秘密が隠されているかも知らずに。

「────現れると良いね、後継者が」
「きっと現れるさ。僕の見立てじゃ、あと20年くらいってとこかな」

まさかとは思うけど、ジェームズは自分の子供にでも後を継がせる気なんだろうか。
なんとなくリリーの方を見ると、彼女はジェームズの言葉をどう解釈したのか、素知らぬ顔でチェス盤を片付けていた。

「さて、じゃあ行こうか、イリス」

私達はシリウス"達"が戻ってくるのを待っていたので、チェス盤を片付けると近くの空いているソファを引き寄せて4人が一緒に座れるように準備していた。そんな中でシリウスがおもむろに私に手を差し伸べるものだから、私はつい手を止めて「どこに?」と間抜けな問いを返してしまった。

「外で散歩でもしよう。ホグワーツの最後の夜を、君と過ごしたいんだ」
「あっ、抜け駆けしたな、パッドフット! リリー、僕らも外へ行こう!」

スマートに私を誘ってきたシリウスを見て、ジェームズが慌ててリリーに同じように手を差し出す。私達はといえば、揃って目を見合わせて彼らの手を訝しげに見るばかりだった。

「でも────良いの? せっかく最後の夜なのに、みんなで一緒にいなくて」
「良いんだ」

答えたのはリーマスだった。隣でピーターも、誘われていないのにまるで自分がこれからデートに行くかのような顔でウキウキと笑っている。

「"みんなの時間"なら、明日ホグワーツ特急で。僕らの見回りが終わった後、本当の最後の時間を一緒に過ごそう」
「だから今晩は、2人とも好きな人と楽しんで!」

そう言うリーマスとピーターは、心から喜んで私達を送り出そうとしてくれているようだった。本当は彼らにだって、まだまだ積もる話があるのだろう。何も私達6人で集まらなくたって、それこそ悪戯仕掛人という名を馳せた4人でだからこそできる話だって、たくさんあるはずだった。

でも、この時ばかりはと、彼らは私達に"恋人との時間"を作ってくれた。
もちろん私とシリウスだって、そして遅ればせながらリリーとジェームズだって、2人きりの時間を取ってこなかったわけじゃない。ただ、確かに私達は女子2人でいる時間と男子4人でいる時間、あるいは6人一緒にいる時間ばかりを割いてきた。

良いんだろうか。この手を取って。
彼らの友情より、自分の愛情を優先させて。

「起きていられるようだったら、君達が帰って来るのを待ってるよ」

リーマスが、最後に私の背を押してくれた。
私はおずおずとシリウスの手を取る。リリーも、リーマスとピーターに「ありがとう」と言ってからジェームズの隣に並んだ。

そして、私達は寮を出て、それぞれ別の道から校舎の外へと忍び出た(シリウス曰く、「腑抜けた顔の自分をプロングズに見られたくない」のだとか)。
時間はもう21時を回っているはずだったが、外はどこか明るいように見えた。月が輝いているお陰だろうか、それとも星が地上を照らしてくれているからだろうか、それとも────隣に、シリウスがいるからだろうか。

私達はこの7年間の思い出をぽつぽつと話しながら、校庭をぐるりと回った。1年生の時の最悪な出会いのことから、ついこの間禁じられた森でピクニックをしたことまで────全てを語るには、ホグワーツの敷地はあまりにも狭かった。

「────初めてプロングズの家でおばさんのサンドイッチを食べた時のイリスの顔、本当に面白かったな」
「だって、あんなにおいしいご飯を食べたのなんて初めてだったんだから!」
「おばさんが聞いたら喜ぶ」

私達の話には、いつも親友達の名前が挙がっていた。

「シリウスがさ、私がリーマスの正体を暴きに必要の部屋に行った時、本気で怒って杖を向けてきたこと、まだ覚えてるよ。ほんっとに怖かったなあ、久々にリヴィア、なんて呼ばれちゃってさ」
「あれは悪かったって思ってるよ。でも君だってすぐにブラック、ってよそよそしい態度で僕に杖を向けたじゃないか。君って意外とすぐ挑発に乗るタイプだよな」
「誰かさんに似たんでしょうね」

話す度、まるで当時に戻ったかのような気持ちを味わう。7年もの歳月が経っているのに、ここで過ごした時間は永遠に形までもを残しているかのようだった。

「4年生の時にレギュラスと私が厨房で話してた時のことなんだけど、ジェームズはあの時シリウスが怒ったのは私のことを心配してただけじゃなくて、レギュラスに嫉妬してたのもあったって言うんだよね。あれほんと?」
「…まあ、全くの嘘ではないな」
「シリウスも嫉妬するんだ」
「そりゃあ、するさ! 君、自分が一体どれだけ魅力的な女の子なのかわかってないのか?」
「待って待って、シリウスをちょっと揶揄おうと思ってただけなのに逆に私が恥ずかしい」

湖のほとりで、当たり前のように吠えるシリウスの言葉を聞いた私はぼっと顔が熱くなるのを感じた。月光に反射して、辺りが殊更に明るくなっていたからだろう、私の顔が赤くなっていることにシリウスはすぐに気づいた。

「君は素敵な女性だよ。賢くて、ユーモアがあって、強くて、何より美人だ」
「そんなことないよ。私なんてまだまだ全然幼いし、あなた達ほど派手なこともできないし、まだ杖を抜くことには躊躇っちゃうし────」
「なあ、もうそんな昔の話はいい加減忘れちまえよ」

シリウスは真剣な眼差しで私を見た。

「君は自分の魅力をわかってない。そりゃ、いつも君の傍には僕やプロングズがいたから虫除け効果で誰も君に言い寄ろうなんて────あ、スリザリンのあの監督生を除けばだけど────とにかくほとんどの奴は君に近づこうとしてなかったけどさ。知ってるか? 君はもうすっかり、"ホグワーツいちの憧れの女性"になってたんだぞ」
「リリーがいるじゃん」
「まあ、エバンズの人気も確かに高かったな、ウン。でもよく思い出せよ、自分がしてきたことを。寮の垣根を越えて誰にでも友好的に接して、でも自分の許せないラインを越えてきた奴には毅然とした態度を取って、監督生になったり校内で大戦争を起こしたり────。君は僕達こそが有名人だって思ってるみたいだけど、君もこの7年で誰もが存在を認知し、そして大抵の敵意のない奴らからは好かれる素晴らしいカリスマになってたんだ」

そんなこと、考えたこともなかった。
だって私は、いつだって自分の周りを整理するので精一杯だったから。ホグワーツのためだとか、世界のためだとか、いくら大きなことを言っていたって、結局私は私のために奔走しているだけだった。私は私のやりたいように生きているだけだった。

それが周りの生徒からどう映っているかなんて────あ、でも────。

「あの────ハリエット?」
「なに?」
「あの、足を止めるつもりじゃないんだけど────どうしてこんなにすぐに信じてくれたの?」
「そんなの、あなたがグリフィンドールの監督生だからに決まってるでしょ!」


そういえば、私が関わりのない他の生徒からどう見られているのか、一度だけそれを知る機会があった。

「お忘れ? うちの寮には、才媛と名高いマゴット姉妹がいたのよ」
「あっ…」
「姉からも妹からも、あなたの話は聞いてるわ。公平で、些か自主性には欠けるけど"監督生"という名に相応しい品格を持ってる生徒だってね。レイブンクローの生徒が信じるものは、自分の力で得た知識と経験のみ。そして自らが信じたものを、私達は疑わない。レイブンクローの体現者のようだった彼女達が"監督生として相応しい"とあなたを評価したのなら、その言葉がどれだけ現実離れしたものでも聞き入れる価値はあるのよ」


マグル生まれだからっていう理由だけで嫌悪されたこともあった。
スリザリンの生徒と大胆に戦い続けてしまったせいで、自分の仲間を大切にする傾向が特に強いだいたいのスリザリン生からは、それだけでもう嫌われてるには十分だったと思う。

でも、確かにいたのだ。
私の行いを見て、私の在り方を見て、"受け入れる"と言ってくれる人が。
私が相手を知らなくても、直接話したことがなくても、私のことを知って、そして好意的に見てくれている人が。

「そりゃ大人から見りゃ、イリスは素晴らしい生徒だろうさ。言うことは聞くし、成績も優秀だし、規則は破らない。でも────僕から見たら、お前は誰よりもつまんないやつだ、イリス。同じ境遇だったからこそわかる。そんなんじゃお前はきっと、一生誰からも理解されないよ。自由を手にしない限りな」

いつか────まだここに来たばかりの頃、他ならないシリウスにそう言われたことを思い出す。

「ねえ、シリウス」
「ん?」
「私、本当に自由になれたのかな。私は────誰かからの理解を得られるような、ちゃんと"自分"を持った自分になれたかな」

私は、ちゃんと"好きな私"に変われたかな。

自分の中で日を重ねる毎にどんどん心境が変わっていることには気づいていた。多分、この7年は私を大きく成長させてくれたとも思う。
でも私は、"彼"からの評価が欲しかった。一番最初、誰よりも"私"を嫌っていた私の姿に目敏く気づいて、あまつさえそれを見逃してすらくれなかったこの人に、自分の変化を認めてほしかった。

「────大人から見たイリスは、何も変わらない素晴らしい生徒のままだろうな。言うことは聞くし、成績も優秀だし、規則は破らない。でも────僕から見たら、君は誰よりも最高な奴だよ、イリス。同じ境遇で幼少期を過ごして、そして同じ環境で育ってきたから誰よりもわかる。君はもう、誰よりも自由で、君が理解する人からは同じだけの理解を得られる、"イリスらしいイリス"なんだ」

月明りに反射する水面の光で、表情がよく見えるようになったのは私だけじゃなかった。
青い湖面に照らされて白く輝くシリウスの顔は、今まで見たどんな表情よりも一番優しいものだった。

「出会い方も距離の詰め方も最悪だったけど────それでもやっぱり僕はあの日、君と出会えて良かったと思う。君と何度も喧嘩をしたことさえ良い思い出だ。それで────君と、恋人になれたことが…今は本当に幸せなんだ」

静かに、それでも朗々と、彼は私に心の内を打ち明けてくれた。
シリウス、私の目の前にいつも輝くたったひとつの一等星。

私こそ、あなたと出会えて本当に良かった。
あなたと何度もぶつかって、その度に自分のことを見つめ直して、そしてあなたの変わらないその強い意志に憧れ続けてきた。

今の私がいるのはあなたのお陰。

私が"私"を手に入れられたのは、あなたがそうやっていつだって、まっすぐに私を見つめて素直な言葉を伝えてくれたからなんだよ。

「────ありがとう、シリウス。私もあなたとこうしていられることが、何よりの幸せだって思ってる」

シリウスは切なげに笑って私を抱きしめた。
どうしてそんな泣きそうな顔をしてるんだろう、と思って、私は彼の孤独だった半生を思った。

自分の意見と合わない価値観ばかりを押し付けられて、反抗しては"要らない子"と言われ続けてきたシリウス。ホグワーツに入って、ジェームズという無二の親友を得てからも、どうしたってスリザリンの呪いからは逃れられなかったシリウス。
そこにどれだけの葛藤があったのだろう。誰からも愛されないことこそが当たり前で、誰に対しても疑いの目を持つことこそが正しいのだと信じてきた彼が、ようやく手に入れた"私という愛"は、どれだけ彼の心に強く響いたんだろう。

────だって、私だって同じだからよくわかる。

私が彼に対して初めて抱いた"愛"という感情は、あまりに脆くて、儚くて、そして尊いものだった。
キラキラ光っていて眩しい。ワクワクと心を躍らせるのが楽しい。
愛を知らずに生きてきた私達にとって、いや、押し付けられた愛を"愛"と思えなかった私達にとって、初めて得た本物の"愛"とは、まるで子供心を擽るような────そして同時に一気に自分を大人にさせてくれるような、そんな不思議な魔法だった。

彼は悲しくて泣きそうになっているわけじゃない。
彼は────きっと、愛による幸せという、あまりに鮮やかな色彩に心を震わせているんだ。私が、今そうであるように。

だったら、この時ばかりは私も感傷に浸ってみても良いだろうか。

ずっと届かないと諦めていた星を、この貧弱な両腕で抱きしめていることを全身に感じて────私の目頭は、つい熱くなってしまっていた。

「これからもずっと一緒にいてほしい、イリス」
「うん」
「明日ここを出たら、もうお互いにいつ死ぬともわからない身になってしまうけど────」
「約束する、私の帰る場所はいつだってあなたのいるところだってことを」
「ああ、僕もだ」

まだ18歳の私達が永遠を誓うなんて、子供の戯言と笑われてしまうんだろう。
それでも良かった。たとえこれが一瞬しかない青春の一コマなのだと言われたって、私が今抱いている気持ちは誰にも消させやしない。

だから自信を持って言うよ。

「好きだよ、シリウス」
「僕も、君のことが大好きだ」










翌日、私達は他学年の生徒と一緒に修了式の席についていた。
3人ずつ、向かい合って悪戯仕掛人とリリーと一緒に最後の日を迎える私。

いつも通り、ダンブルドア先生の短い演説があって、テーブルにはこの年一番のご馳走が溢れる。これも最後、あれも最後、全部最後。

「起きて待ってるって言ってたじゃないか!」
「だってまさか朝になってから戻ってくるなんて思ってなかったんだよ! 徹夜なんてしたらそれこそ汽車の中で寝ちゃうだろ!」

ジェームズとリーマスが元気良く喧嘩をしている。シリウスは眠たげで、ピーターはそんな2人をオロオロと心配そうに見ていた。リリーはそんな4人の茶番など見飽きたというように、私に「これおいしいわよ」だの「あっちのパイ、食べてみない?」だの、尽きない食欲を見せてくる。

きっとこの人達とは、これからもこんな風に一緒に過ごしていけるんだろう。
いつどこで誰が欠けるかわからない、それを理解していても、私達はきっとどれだけ悲惨な世界に投げ出されたところで笑っていられる。何もないところからでも、笑いを生み出せる。

────有事の時こそ笑顔を忘るるなかれ。

これをシリウスが言ったのはいつのことだったっけな。何か大変なことがあった時というのは覚えているし、呑気にそう言うその言葉を聞いてやきもきしたこともよく記憶している。
でも今の私は、その言葉はもしかすると世界中のあらゆる人に必要な言葉なのかもしれない、と思っていた。

変わりゆく世界の中で、変わるべきでないものを守り続けられるように。
変わりゆく自分の中で、変えたくない自分を貫き通せるように。

昼食を食べ終えた後、私達は順次ホグワーツ特急へ乗るように促された。
先生方が、私達卒業生を見送ってくれているのが見える。

女子用の寝室、深紅の談話室、喋る絵画、騙し階段、何度も走っては怒られた廊下、毎日通った教室、誰も使っていない隠し部屋────。

私は最後になるその景色を、ひとつでも強く記憶に焼きつけようと、入学した時よりずっとよく見えるようになったこの目で校舎を眺めながら出口へと向かった。

「ご機嫌よう、勇敢な卒業生達。ぜひ末永く、楽しい人生を送ってください」

グリフィンドール寮のゴースト、首なしニックまでもが出口で私達グリフィンドール生を見送ってくれた。

もうこの敷地に足を踏み入れることがないと思うと、どうしても寂しくなってしまう。
校舎を出て、校庭に出てからも私は辺りをずっと観察し続けていた。

湖、禁じられた森、ハグリッドの小屋、クィディッチの競技場────。

どこを見ても、思い出ばかりだ。私はここで生まれ、ここで育ってきた。
実家を出る時なんかより、ずっと寂しい。私にとっては、こここそが自分の家だった。7年間という短い時間だったけど、それでもそれ以前の11年を遥かに超える厚みで、私はここにいる時間を重ねてきた。

馬のいない馬車に乗り込んで、ホグズミードにある駅へと向かう。
キングズクロス駅行きの特急は、最後の乗客となる私達を変わらぬ姿で待っていた。

「みんな、3年間ありがとう」

例によって最初に集まった監督生用のコンパーメントで、メイリアが口火を切った。

「寮が違う以上、対抗することも多々あったけど────でも私、自分の代の監督生がこのメンバーで良かったと思ってるわ」
「君が湿っぽいことを言うとなんだか悲しくなってくるからやめてくれよ」

もう1人のレイブンクローの監督生、レイがメイリアを窘める。メイリアは誰よりも監督生として立派にあろうと務めた生徒だった。それだけに思い入れも深かったのか、目尻に涙を浮かべながら「ごめんなさい、そうよね」と言う。

「じゃあ、いつも通りリーマスとイリスから巡回をお願い」
「わかったよ」
「行ってきます」

私とリーマスは、いつも通り規則が曖昧なままに汽車の中を巡回する。

「────楽しかったね、7年」

噛みつきフリスビーを取り出そうとしている生徒を見過ごしながら、リーマスがぽつりと言う。

「すっごく楽しかった。メイリアが泣きそうになってるの見て、私ももらい泣きするかと思ったもん」

ペットをびゅんびゅん飛ばし合っているコンパーメントも素通りして、私は涙声になりそうなのを誤魔化すように笑った。

「もうホグワーツには戻れないけど────でも、僕らは何も変わらないよね?」
「うん、変わらないよ。みんな一緒。みんな一緒に、今度は新しい場所で派手にやらかしてくれる…でしょ?」
「ははは、僕はそこまで目立ちたくないんだけど。プロングズ達はきっと許してくれないだろうな」
「毎日法律スレスレのところで暴れ回るんだろうね。それで、"もののついで"で色んな人を救っちゃうんだ、きっと」
「敵わないなあ、本当に」
「あなたも大概だと思うけどね、ムーニー?」
「君には言われたくないよ、フォクシー」

ただ通路をうろうろするだけの名ばかりな巡回を終え、私達が何一つ取り締まっていないことをとっくに悟っているメイリアとレイに引き継ぐ。

「リーマス、イリス、卒業しても元気でね」
「2人もね」

そんな挨拶を交わして、私達は"悪戯仕掛人とリリー"が待つコンパーメントへ向かった。
こうして6人で車両を占領するのは────驚くべきことに、この7年でこれが初めてだった。

今までそれぞれと別々に仲良くしていたせいで麻痺していた。なんだか、この6人はずっと昔から一緒にいたような気がしてならないのだ。
もちろん、リリーとジェームズ達の確執をなかったことにしているわけじゃない。許されない過去の上に今があることを、私は決して忘れてはいけない。

でも────。

「ちょっと、何なのコレ」
「うわ、バレた」
「このクッション、グリフィンドールの備品でしょう。ジェームズ、あなたがしていることは立派な窃盗よ、後でマクゴナガル先生に連絡するわ!」
「だってこれ、お気に入りだったんだぞ! それにあれだけクッションにまみれた談話室なんだから、1つくらいなくなったってわかりゃしないさ!」

消せない過去を噛みしめながら今を生きることで────果てない未来を自由に思い描いていきたい、と思う。
あの過去があったからこそ、今ここに私の大好きな人達が顔を揃えて笑い合っている。傷ついた人もたくさんいたけど、傷つきながら私達は結局それぞれ、"自分の道"を選んだ。
だったら、その道を────今度は共に歩こうと言ってくれるこの人達と、私は進んでいきたかった。

「まったく…卒業してさえも何かやらかさないと気が済まないんだな」
「もう学期は終わってるから減点はできないぞ、ムーニー」
「わかってるよ、そんなこと。端から君達が減点なんて全く気にしてないってこともね」

私とリーマスはそれぞれリリーとピーターにスペースを詰めてもらい、空いた席に腰掛けた。
ジェームズはどうやらグリフィンドール寮からクッションを一つくすねてきたらしい。リリーのお説教を受けてしゅんとしている様は、さながら母親に怒られて拗ねている子供のようだ。

彼のことはリリーに任せることにして、私達はお菓子をつまみながらこの夏の過ごし方について話し合っていた。
まずはジェームズの家に集合しようとか、その後で揃ってダンブルドア先生のところに行って正式に騎士団に入れてもらえるよう頼もうとか、そんなことを。

────私達は、未来に向かって着実に歩を進めていた。

「────イリス、リーマス、巡回交代お願いできるかい?」

1時間ほど経ったところで、ヘンリーが顔を出した。スリザリン生に過剰反応するシリウスとジェームズも、彼に対してはそこまでの嫌悪感を抱いていないらしい。残念ながら私と彼だけではグリフィンドールとスリザリンの架け橋を繋ぐことはできなかったけど────でも、今の差別や対立が蔓延る世の中にこういった公平な人がいるとわかっただけでも、希望が持てる。もしかしたらもっとずっと時間が経ったら、また創設された頃のようにグリフィンドールとスリザリンが手を取り合える日が来るかもしれない、と。

「お疲れ様、ヘンリー」

そう言って私とリーマスが腰を上げた時だった。

「イリス」

ヘンリーが私の名前だけを呼ぶ。

「なに?」
「────僕は5年生の時に君に伝えた時から、ずっと君のことが好きだよ。今もそれは変わらない」

突然、何度目かの告白をされてしまった。後ろでガタンと誰かが立ち上がる音が聞こえたが(多分シリウスだ)、「でも」とヘンリーがすぐに言葉を続け、その動きを止める。

「好きだからこそ、君が笑っていてくれることが僕は一番嬉しい。僕は僕で、いつまでもスリザリンらしく自分の気持ちに正直に、そして気高くあってみせるから────だから君も、いつまでもグリフィンドールの君らしく、ブラックとお幸せにね

ちょっと大仰で、でも気品に溢れた声で、ヘンリーは私達の幸せを願ってくれた。
スリザリンらしく────どうしてもネガティブなイメージで捉えられがちなその言葉だったが、彼はそれを心から誇りに思っているようだった。気高くて、仲間への愛に溢れ、"強さ"を求め上手に世を立ちまわる────スリザリンの本来の姿を、彼は体現していたのだ。

「────ありがとう、ヘンリー」

彼の気持ちに応えられる日はきっと来ない。
でも、私は心からの感謝を込めて笑顔を返した。彼も、満足そうに笑ってくれた。

「二度目の巡回が終わったらまた戻ってくるから、くれぐれも────」
「粗相はしないように、だろ? わかってるって、バレないようにやるさ
「なあ、やっぱり僕、ヘンリーが気に食わないんだが」

着々と、汽車はキングズクロス駅へと近づいていく。
私達が二度目の(意味のない)巡回を終え、そしてまた何かしらの悪事がバレたらしいジェームズが懲りずにリリーに怒られているうちに────ああ、遂に着いてしまった。"外の世界"に。

「────じゃあ、少しの間だけ全員自宅待機、だな」
「8月1日で良いんだよね? 集まるの」
「ああ、両親と一緒に待ってるよ」

私達は駅に降り立ち、"次"の約束をしっかりと確認してからそれぞれの家へと帰って行った。ある者は地下鉄を使って、ある者は姿くらましを使って────私は、バスに乗って。

一度家に帰る。そして、ジェームズの家に集まって、それからダンブルドア先生に面会しに行って。

────ああ、でも私は何よりまず、"あそこ"に行かなくちゃ。

ホグワーツを卒業し、箱庭から解き放たれた私達は"自由で果てのない"世界へと突入しようとしている。その旅がどこに行き着くのか、そしてその旅路にどんなものが待ち受けているのかはわからないが────。

少しの寂寥感と郷愁感と、それから大きな期待と希望。

今、私の胸はそんな感情で満ちていた。



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