それは、クリスマス休暇に入る前日のことだった。
わたしはちょうど、地下牢で最後の魔法薬学の授業を終え、談話室に戻ろうとしたところで────教室に忘れ物をしていたことを思い出し、リリーと別れひとりで来た道をもう一往復していたところだった。

寒い寒い廊下を歩いていると、向こう側から土気色の顔をした男の子が来るのを見かけたのだ。たったひとりぼっちで、緑色の紋章がついたローブをまといながら、まるで何かに追われているかのようにチラチラ周りの様子を窺いつつ歩いている。

「あ、セ…スネイプ」

知り合いだと気づいたわたしが声を掛けてみたけど、無視される。聞こえないほど遠くも小さくもないはずなのに、やっぱり愛想のない人だ。あるいはわたしのことなんかもう忘れてるのかも。

スネイプとは、魔法薬学の授業(スリザリンと合同で受けている)で毎度顔を合わせていた。でも、こうして誰もいないところで彼に話しかけるのは今日が初めて。授業の時、彼はいつもこちらの方を見ていたけど、その視線は決してわたしではなく、リリーの方を見ていた。

わたしが積極的に彼に近づこうとしなかったことには、理由がある。
これは入学してようやく思い知ったんだけど────グリフィンドールとスリザリンは、予想以上に仲が悪かったのだ。シリウスとジェームズだけが特別スリザリンを嫌っているのかと思いきや、学校の四分の三…まあつまり、スリザリン以外の寮生がほとんどスリザリンの生徒を敵視していた。それはスリザリンが(わたしはマグルの出だからあんまり実感がないんだけど)多くの闇の魔法使いを出してきたから、とかなんとからしい。誰も名前を口にしようとしないからわたしも正確な発音は覚えてないんだけど、ヴォルドモト? とかいう世界で一番ひどいと言われた魔法使いも、スリザリン出身なんだって。
そのせいで、スリザリンの人は闇の魔術に惚れやすいって言われてたし、まあ…実際特に上級生を見てると、あんまり治安が良いようには見えなかった(まあ治安の悪さで言えばうちのシリウス&ジェームズも負けてないけど)。

だから、スネイプとリリーが公衆の面前で"友人"として振る舞うと────あー…これが、結構な注目の的になる。もちろん、悪い意味で。
スネイプがリリーを気にしているのは知ってたし、なんならリリーからたまに「物陰でセブルスとこんな話をした」って聞く機会もあった。

リリーは相変わらずスネイプを特別な友達として大事に思っているらしい。それは全くもって問題ないんだけど(リリーが、わたしがシリウスたちと仲良くしてても機嫌を損ねないのといっしょ)、スネイプとリリーの当事者2人が人目を避けている中で、わたしが意気揚々とスネイプに話しかけるわけにはいかない。そんなわけで、わたしがスネイプと会うのは、実質的に今日が2回目のようなものだった。

一瞬特急の中ですれ違っただけのわたしのことなんて、彼は覚えてないかも。それか、リリーといつも一緒にいるブス、くらいにしか思ってないかも。そう思いながら、スネイプがこちらを恨めしそうにジロリと睨みつけて去っていくのを、振り返ってまでずっと見送っていた。

「あんまあいつに構ってると根暗が移るぞ」

スネイプの姿が完全に見えなくなったところで上げた手を仕方なく下ろすと、後ろから不機嫌そうな声がかかった。振り返った先には、声と同じくらい不機嫌そうな顔をしたシリウスがいる。

「シリウス────あれ、今日はジェームズと一緒じゃないの?」
「プリングルに捕まった。これから別々に罰則だ」
「また?」

この間箒小屋で危うく退校処分になるところだった、と言われてからまだ1週間も経ってないのに。
本当に、この人たちほど恐れ知らずな人間がこの世に存在するなんて思ってもみなかった。しかもまだ、同い年なのに。

「そろそろ僕たちも本格的に学ばないといけないな、法の抜け穴を」
「あー…うん…そう…」

あのリーマスですら手を焼いているこの人に、今更わたしが何か言えることがあるだろうか(ちなみにリーマスはいつぞやかの宣言通り、空いた時間でわたしの呪文学と引き換えに防衛術を教えてくれていた)。いさめることも容認することもできず、わたしはどっちともつかないあいまいな音を出す。

「それよりきみ、スネイプと何を話してたんだ?」
「うーん、いや。見かけたから声をかけただけ。あいさつすら無視されたよ」
「やめといた方が良い」

シリウスは大きな溜息をついた。自分がこれから規則に違反して罰則を受けに行くところだということを忘れてるんじゃないかと思うほど、もったいぶった溜息のつきかただった。

「イリス、あいつはスリザリンだ」

またこれ。
シリウスへの苦手意識は箒小屋の一件でかなり薄れたと思ってるけど、相変わらずその"寮の名前"だけで判断するクセにはどう対応したら良いかわからなかった。だってわたし、まだスリザリンの生徒に攻撃されたことないし。怖そうだけど、スリザリンだからってだけで憎む理由が、わたしにはない。

「わかってるけど…スネイプはリリーの入学前からの友達だし…」
「今エバンズは関係ないだろ」

ド正論でぶち抜かれてしまった。

「というか、僕はずっとそこが気になってる」
「そこ、って?」
「きみがどう思ってるかだよ、イリス。スリザリンを嫌ってるようには見えない…なのに、スリザリンを嫌う僕たちを怒るわけでもない。それこそエバンズみたいにな。────ホグワーツ特急でもそうだっただろ、エバンズはずっとあのことを根に持ってるが、きみは全然気にしてる様子がない。なんでだ? きみは一体何を考えてる?」

それを言われると難しい。気にしてないというか、良いことだとは思わないんだけど、一方的に悪いとも決めつけられないというか…。

……ん、でもちょっと待ってよ。

「……なんでそんなことを訊くの?」

そんなことにわざわざ理由があると思われている、それがまずわからない。
だって、中立派の生徒ならグリフィンドールにもそれなりにいる。スリザリンを明確に嫌ってるわけじゃないけど、スリザリンを嫌う人たちを咎めることもしない────まさにわたしと同じ立場の人が。そういう人は大抵、面倒な争いを避けたいと思ってるだけ。
普通に考えれば、いくら"勇敢"な寮だからって、正義を盾にふりかざして他の寮の生徒を理由もなく攻撃しようなんて思わない。それはもう、ただの"利己主義的で傲慢な行為"だと思う(もちろんそんなこと、誰にも言ったことはないけど)。

でもシリウスは、その人たちを飛び越えて、わざわざわたしにそんな質問をしてきた。
まるで「わたしはわたしで思うことがいろいろあるのに、それを全部黙っているだけなんだ」と決めつけられているような────。

そう、まるで…全部見透かされてるような。
…思えば、シリウスはいつもそうだった。
今でこそ"シリウス"なんて呼んでるけど、わたしはまだ彼の探るような視線に完全に慣れたとは思っていない。苦手意識も、薄れただけで、消えたわけじゃない。

彼はいつもわたしの言葉を鼻で笑っていた。まあそれが彼のクセだと言われたらそれまでなんだけど、なんかこう…いつも語尾に「またごまかしやがって」と聞こえてきそうな気がするのだ。

でも…だからこそ、わたしは自分の発言に細心の注意を払ってきた。なんでもかんでも頭の中で言うだけで、絶対口にはしてない。いくら心の中で「ごまかしてる」と思われていても、"ごまかしてる"ことがハッキリするようなことは、決して言ってない。

だから"グリフィンドールとスリザリン"、それか"リリーとジェームズ"のどちらか片方に味方するような発言を、わたしがするはずがない。いくら疑われても、ポケットからは何も出てこない。

びくびくしながらシリウスの答えを待つ。でもシリウスはただ、片方の眉を吊り上げて笑った。

「別に。きみはエバンズの友達で、当然味方をするんじゃないのかなって思っただけさ」
「………リリーは大事な友達だよ」

それは間違いない。

「────でも、わたしが干渉しきれない事情があるかもしれない…から」

とも、思ってる。

なんとかそれだけ言って、またシリウスの顔を見た。

「…ふうん」

それ以上シリウスは何も言う様子を見せなかったから、もうつっこまれたりしないように「……寮に戻るなら一緒に行く?」と聞いてみる。シリウスはちょっとだけ考えてから「そうだな」って言って、並んで歩き出した。

なんだ今の間は、と思ったんだけど。
…どうもわたしは、最初から今日までずっと、あんまり好かれていないらしいなぁ。
わたしも好きじゃない…というかちょっと怖いから、おあいこといえばそうなんだけど。

「シリウスはなんでスリザリンを嫌ってるの?」
「…僕の家のことは知ってるだろ」
「ああ、スリザリンの名家だってウワサは聞くよ」

スラグホーン先生だけじゃない、何人かの…特に上級生が、シリウスを指差してひそひそ言っているのは知っていた。ブラック家はスリザリン生ばかりを出してきた純血の家で、グリフィンドールに入ったシリウスは異端児なんだそうだ。

ここでいう純血思想みたいな、出自による差別はまあどこにでもあるから良いとして(良くないけど)、異端児ってなんなんだ。シリウス個人は責められる必要ないじゃん、組み分けしたのは帽子なんだし。
────というのがわたしの意見なんだけど、言った所で何も状況が変わらないような話は、言わないのが正しい。だから誰かに言うつもりなんてないわたしは、また考えるだけ。ここでも、その態度は変わらない。

ただ、そういう思想のもとで育てられたなら、当然シリウスも同じように闇の魔術を尊敬の眼差しで見るんじゃないかな、と思ったことなら何度かあった。スリザリンの名家の出の子が、スリザリンを嫌う理由がよくわからなかった。

「でも…こう、気分を害したらごめんね。そういうお家の子って、血筋こそ第一って教えこまれそうなイメージがあったから」

リヴィア家が良い例だ。うちは何代も続く名家ってわけじゃないけど、ことあるごとに"リヴィア家として恥じぬ行動を"と教えられ、"リヴィア家独自の思想"こそが善だと刻まれていた。

「僕はブラック家の考え方が嫌いだ。間違ってると思ってる」
「ふぅん…なるほどね」

あいづちだけ打って、また無言で考える。
異端児というより、これじゃ反逆児だ…とかそういうことを。

"スリザリン名家の出の子がスリザリンを嫌う理由"って考えちゃうとわからないけど、"自分の家の教え方が気に入らない"っていう簡単な感覚なら結構わかりやすい、気がする。
わたしも今になって、"リヴィア家のなんたるか"ということに疑問を持ち始めている。わたしにはまだお母さまやお父さまに反抗する力なんてないけど、同じように「リヴィア家の考え方こそ最も素晴らしい!」という人がいたらちょっと…うん、その時点であまり関わりたくないと思うことは間違いない。

自分のスケールにまで縮めて考えてようやく、シリウスがスリザリンという大きい概念に対してどんな感情を持っているのか、少しだけ理解できたような気がした。この相手がジェームズだともう一度考え直さなければならないところだったけど、"自分の家に反感を持っている"シリウスの考えなら、わたしにもなんとなくわかる。

「…それについてもコメントはなしか」
「……何か言ってほしいことはある?」

さっきから言ってる事ではあるんだけど、そもそもわたしは物を考えずに発言するのが好きじゃない。後々それがどう影響するか解らないし、こういう…誰の味方だとか、純血とか家がどうとか、根深い話は本当にどこへどうつながるか見えないから。

そういうわけで、何か言っても(言わなくても)何も変わらないような話は、最初から言わないのが正しい…なんて考え方に行き着いたわたしは、自分なりの意見を持っていても口には出さない────そんな生き方を選んだ。

「…いや、何も。ただお前にはいつも自分の意見がないんだなって思っただけ」

ひどい言い方をする人だ。

今ほんの少しだけ、わかりあえるような気がしたのに────やっぱり最初から抵抗力のないわたしと、反発してグリフィンドールに入ってみせたシリウスとじゃ、根本的に合わないのかもしれない。

「…そう育てられてきたからね」

そう思ってしまったせいで、ちょっとヤケになってしまった。家庭について話すのはあんまり得なことじゃないと思ってこれまで黙ってたけど────まあ、この程度の"イヤミ"ならシリウスはなんとも思わないだろう。

それなのに、シリウスは黙ってわたしの横顔を見ていた。灰色の薄い目が、わたしの心の奥を見ようとしているみたいで、どうにも居心地が悪い。今のどこに、そんな風に見られる要素があったんだろう。ああ、やっぱり一言でも自分の育ちの話なんてするんじゃなかったかな。一瞬で自分の意見をひっくり返しながら(こういうところが嫌なんだ)、わたしも黙って寮までの道を歩いた。

最終的に、「シリウスに一緒に戻ろうかなんて声をかけなければ良かった」と思うところまできて、彼は一言、

かわいそうなやつ

と吐き捨てた。

それは同情みたいな優しい言葉じゃなかった。冷たい、軽蔑するような言い方だった。

「っ────」

思わずシリウスの顔を見て、その灰色の目と視線がぶつかる。

────何も言えなかった。わたしたちはどちらもそれきり黙って、談話室への穴をのぼり、黙って寝室へと別れた。

かわいそうなやつ。

ベッドに潜ると、シリウスの声が何度も何度も繰り返し再生された。
ああ、その通りだ。わかってる。
だってシリウスは、"望まない育て方"をされてもなお、"自分の力"で道を選んだのだから。
対してわたしはどうだろう。せっかくひとりでここへ来て、せっかく自由になれたというのに、まだ"リヴィア家"に縛りつけられてる。
シリウスの方がよっぽど辛いはずだ。嫌いな家を思い起こさせるシンボルが目の前にあって、何も事情を知らない(わたしも知らないけど)生徒から指を差されてるんだから。それでもシリウスは顔を上げて、毎日ジェームズと楽しそうに"グリフィンドール生"として生きてる。

そんな眩しい人に比べたら、そりゃわたしはとってもみじめに見えることでしょうね。
何もしがらみなんてないはずなのに、その"何もないところ"でジタバタともがいてるんだから。いつでも立ち上がれるのに、いつまでも床に這いつくばってるんだから。

「イリス、どうしたの?」

図書室から戻ってきたんだろう、両手に数冊の本を抱えてリリーが寝室に上がってきた。

「…シリウスともめた」
「えっ…あの人、何かあなたにまで嫌なこと言ったの?」
「ううん、違う……どっちも悪くない。ただ、ちょっと意見が対立しただけ」

詳しいことを話す気にはなれなかった。シリウスが言った言葉のどこまでをリリーに話して良いのかわからなかったし、わたしもわたしで、リリーにでさえあまり自分の家庭の話はしたくなかった。

リリーは都合良く、また"グリフィンドール対スリザリン"の図式でもめたと思ったみたいだった。まあ発端はそうなので間違いじゃないんだけど…実際はもう少し個人的な理由があることは、やっぱり伏せておくことにする。
何よりリリーは、そこでわたしとシリウスがもめたことによって、わたしがリリーとの約束をちゃんと守っているのだと思ってくれたらしい。つまり、彼らがスリザリンやスネイプを罵倒してもそれに乗っからないでほしいという、11月に交わした約束を。相変わらずそれは守ってるから嘘にはならない────けど、やっぱり問題の根本はそこじゃない。
そこじゃないけど、そういうことにしておいた。

「あなたが何を言ったのかはわからないけど、わたし、あなたが間違ったことを言うとは思ってないわ」

リリーはそう言ってくれた。

「…少なくとも、わたしにとってはね。まあ向こうさんはあのポッターがブラックに同じ言葉をかけてることでしょうけど」

それは…とてもよく想像できる。
シリウスは、「意見を言えない子に育てられた」というそれだけの言葉で、わたしの事情をどこまで汲み取ったんだろう。そして彼はそれを、どこまでジェームズに話すんだろう。

今更になって、全てを後悔した。
家の話なんてしなければ良かった。やっぱりまだわたしには、「家が嫌いだ」と言えるだけの勇気なんてない。シリウスがあんまりにもキッパリと自分の意見を言ってのけるものだからつい感化されたけど、わたしはどこまでいっても結局リヴィア家の呪いからは逃れられないのだ。

何が勇敢だ。組み分け帽子は間違えてわたしをグリフィンドールに入れたんだ。

…じゃあどの寮なら似合うの? と尋ねてきた頭の中の自分に、わたしは答えを返してやれなかった。



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