彼は、人当たりが良くて人望があり、人の間に入っては仲を取り持つこともありながら、さりとて押し付けがましくなくただたたずんでいる。
 ものすごくできるひと、と評価されるほどではないけれど、なんとなく皆が良いイメージを持っていて話題にのぼる。
 彼は、私にとってある種憧れの人間だった。世の中をうまく渡っていけるひと。
 けれど、彼にとっては違ったらしい。
 終業後にたまたま会議室で片づけをしながら二人きりになったとき、持っているイメージを込めて「いつもすごいですね」と褒め言葉を口にしたら彼からは予想外の言葉が返った。

「俺は、人にとってはあまり価値のない人間なんだよ」

 彼が、ふんわりと笑いながら言った言葉に、私は何も返せなくて俯くことしかできなかった。
 彼の言葉が間違っていることは事実だったのに、彼の言葉を覆して説得するには私の語彙が足りなかったのだ。だから、違うと伝えたくて首だけを懸命に振った。
 ふ、と俯けた頭に吐息がかかったのがわかった。呆れているのかもしれない。情けない様だと思ったのと、髪が揺れる感触に頬が熱く赤くなるのがわかった。

「なんでそんなに、俺のことを買いかぶってくれるのかな?」

 柔らかな声は、譲歩だとわかった。
 “君の言葉を信用する気はないけれど、話は聞いてやってもいい”
 そんな、諦めと早く話しを切り上げるためだけの、方便。優しい気づかい。
 ああ、だからこそ。言わなくちゃいけないことがある。あなたが言う言葉が、全く違っていると証明するために。
 けれど唇は突如水に打ち上げられた魚のように、ぱくぱくと呼吸だけを繰り返す。根気強く待っていてくれる彼のために、早く言わなければいけないのに。

「……あなたが、茄子みたいな人だから、です」
「は?」

 彼は、目を見開いた。長い沈黙の後に絞りだした言葉は、再度の沈黙を呼んだだけだった。しかも、悪い方向で。
 ああ、我ながらなんて言葉だ。今度は俯くどころか土下座までしてしまいたくなる。
 もじもじと指を組み合わせて、もうあと数秒で何も起こらなかったら謝って帰ろう。そう決意した時。
 ぶは、と彼は笑いだした。思わず彼を見やると大口を開けて、両腕で腹を抱えて笑っている。

「ちょ、待って、意味、わからな……でもなんか褒めてくれてることはわかるけど。茄子って、茄子って、なんで……」

 私だって聞きたい。なんでとっさに「あなたは茄子のような人だ」なんて言ってしまったのか。
 ただ、言えることは。

「私、茄子好きなんです」

 ……何か、またおかしなことを口走ってしまった気がしたが、もう後の祭りだった。
 笑っていた彼はまた黙ってしまったし、先程よりもおかしな空気になっている気がする。
 ああ、私が最初に変な褒め言葉を口にしなければこんな事態にならなかったのに。今更悔いても本当に、遅いのだけれど。

「え、えと。あのですね。うまく説明できないんですけど、その前になんで“人にとって価値がない”って思うのか、お聞きしてもいいですか?」
「先に茄子の話しが聞きたいんだけど」
「時間がかかるので、整理する時間ください」

 面白半分、とわかる顔で質問に切り返されたけれど、気になっていることと自分の脳内を整理する時間が欲しいと心底思っていたため、すっぱりと彼の言葉を突き放す。
 後悔からの思い切り、というかやけっぱちになっている自信はあった。
 話自体が切り上げられる可能性もあったが、彼は興味が残っているのか「ま、いいか」なんて言いながら片づけかけだった会議椅子に腰かけた。君も座りなよと促され、素直に従う。
 彼はゆらゆらと椅子で身体を揺らしながら、膝の上で頬杖をついた。子供みたいなしぐさだ。

「単純に言うと、俺は自分が毒にも薬にもならない人種だと思ってるってこと」

 私が放った褒め言葉への返事と同じく、理由も単純明快だった。補足として、何かに対して彼が動こうが動くまいと、そんなに大きな影響がない、という内容を仕事や人間関係について簡単な具体例をもって説明された。
 確かにと頷けるところもあったが、私はなんとなく、はじめの印象通り「なんとなく違う」という印象だった。
 彼の説明が終わって、じゃあ君もどうぞと促されて、私は唇を開いた。

「茄子って、あんまり栄養価高くないんですよ」
「……褒め言葉じゃなかったんだ」
「いえ、褒めてます」

 話の内容からすれば、説明の切り出しは確かにおかしいだろう。でも、違うのだ。

「茄子って、基本なんでも料理の中に入れるのに使えるじゃないですか。油でいためても、漬物にしても、煮込むにしても。夏にはたくさん成るし」

 割と万能で、でしゃばりすぎず、美味しい。相性が悪いものがあまりないイメージ。私自身が茄子の漬物が大好きだというのも理由になってしまうが、それは言わずにおいた。
 ゆっくりと私が茄子を好きな理由と、茄子の良いところをあげるうちに、彼に対しての良いイメージも伝わるよう、話をする。

「確かに、茄子の良いところはわかったけど、俺が茄子みたいなって言われる理由に納得できるかと言うと難しいかな」

 おしまいです、と私が話を終えて、彼は笑いながらそう返した。伝わらなかったかな、と少しだけ悲しくなる。
 でも、と気付くと口走っていた。

「でも、少なくとも私はあなたが良いひとだと思ってますけど。茄子にたくさん良いところがあるみたいに」
「野菜にたとえられて喜んでいいものかわかんないけど、ひとまずありがとう」

 彼は椅子から立ち上がり、ぐん、と伸びをした。

「嬉しい言葉、もらったし。今日は美味い酒が飲めそう。よければ一緒にどう? 野菜談義、もう少し聞いてみたいんだけど」
「……茄子のお漬物が出てくるお店なら、付き合います」

 からかい半分の言葉だとわかっていたから、私はそう返した。
 もちろん、と彼は笑った。
 夏の日差しに、少年めいた笑顔が私に向けられて、夕方の薄暗い時間で良かった、と小さく鳴った胸を押さえた。




執筆野菜:茄子
『当たり障りなく、それでも』 ―おりか

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