それは紙一重だった

一瞬、瞼の裏が真っ白になったような気がした。
それと同時に、掴んでいた呪霊の舌の感覚がなくなったので驚いて目を開く。

暗さに慣れた目は光の調節がうまくいかず、ピントが合わない。
だけれどぼやけた視界の先に見えたガラス玉のような青と、私の身体を包む温かさの正体を理解して、ぞくりと背筋が震えて涙が溢れた。

「大丈夫。この子、愛される悦びはこれから嫌と言うほど思い知る予定だから」










「五条さん、遅い…」
「メンゴメンゴ。風呂上がりはやっぱり牛乳だよね」
「最低だこの人」

名前の身体を抱いたまま地面に足を付けた五条は、自身のコートを脱いで彼女に羽織らせた。

「うん、タオル1枚もいいけど…僕のコート着てるのもグッとくるね!」
「こんなときにセクハラ発言はやめてください」
「僕はね、もっと正直になるってついさっき決めたところなんだ」
「正直?」

コートの前側を両手で掴み、埋まるようになった名前の顔に自身の顔を近づける。
そしてサングラスや目隠しのない、青い瞳でしっかりと見つめた。

「うん。愛してるよ名前。呪っちゃいたいくらい」
「!?」

五条はふわりと名前の頭を撫でて離れる。
そして呆然と立ち尽くしている呪詛師に向き直った。

「な、なに…彼は…どこへ?」
「彼?」
「五条さん、呪霊のことです」
「あぁ、祓っちゃった」
「祓った…!?」

唇を震わせた呪詛師は、真っ青になった顔を酷く歪めて五条に銃口を向けた。

「こんな一瞬で!祓っただと!?」
「うん、弱かったね。ところで」
「…!?」

周りの空気まで凍るのではないかと思うくらいの鋭く冷たい眼差しで射られ、呪詛師は引き金を引こうとする指を硬直させた。

「名前の脚、やったの…オマエだよね?」

五条は人差し指と中指を組んだ。
そして後ろで戸惑う名前に声をかける。

「名前、一瞬で終わらせるから。ちょっと頭ぼんやりしちゃうかもしれないけど頑張って耐えてね」
「うそ、えぇ!?」
「大丈夫。ここまで持ち堪えたんだから名前なら耐えられるよ」
「いや!ちょっそんな無茶な!一般人もいて」
「領域展開」
「うそでしょ…」













ー後はもう、よく覚えていません。

がくりと旅館の客室にある低いテーブルに額をくっつけた。
その側にあったタブレットがひょいと宙に浮く。

「こーらー。報告書は真面目に書きなさいっていつも言われてるでしょ?」

コツコツとタブレットで頭を小突かれ、眉間に皺が寄ってしまう。
そのまま顔を上げずに低い声を出した。

「こんな報告しかできなくなったのは、誰のせいですか」

どすん、と五条さんが畳に座ったのが分かる。
今度は温かい手が頭を優しく撫でるので思わず目を閉じた。

「丸1日寝たら意識もまともになったんだし良かったじゃん!一般人も都合よく領域内にいたときのこと忘れてるし〜僕ってやっぱり最強だよね」
「はいはいサイキョーサイキョー」

無駄にご機嫌な五条さんに苛立つ感情を隠さず返事をした。
しかしそれを全然気にしていない五条さんに更に苛立ってしまう。
なんと言って噛みつこうかと考えたところで、部屋の外扉がノックされた。






「伊地知くん!遅い!」
「すみません…これでも最速で来たのですが」
「七海たちの方はいいの?」
「ハイ、七海さんのお陰ですぐに片付きました」
「相変わらず可愛げのない男だねーナナミンてば」

冬だというのに汗をかいた伊地知くんが「ごめんね」と小さく謝りながら私の横に正座した。

「名字さん、具合は?」
「回復したよ。五条さんの領域展開一瞬だったから」

五条さんの無量空処の影響を一瞬だけど受けてしまった私は、そのまま丸一日寝込んだ。
こちらへ来て今日で3日目、伊地知くんが東京から新幹線でわざわざ駆けつけてくれたのはその後の処理のため。

「とりあえず、名字さんの報告書はこれで通しておきますね」

五条さんから受け取ったタブレットにざっと目を通し、後半部分は「覚えていない」で切り上げた私の報告書を高専の方に送信してくれる。


「何か分かったことある?」

五条さんが偉そうにあぐらをかいていつの間に買ったのか温泉まんじゅうを頬張りながら問うと、伊地知くんはタブレットを片付けてから姿勢を正して今回の呪いについて説明してくれた。


「呪詛師は一級術師として登録されていましたが、かなり前から行方が分からなくなっていました。呪霊となっていた恋人の方も同じく行方不明。名字さんが聞いた通り、呪詛師に殺された後に呪いとなったようです。
呪詛師は恋人を殺害してしまい、それを生き返らせようと領域に人を呼び込んでは食べさせていました。
彼らはあの場所で若者を待ち、条件に見合う者が来たら領域に引き込んでいたようです」


「条件って?」

伊地知くんが私の問いに、眼鏡の位置をずらしてため息をつく。

「なんでも、深く愛されている者…とのこと」

あぁ、愛がどうのってやたらと言っていたな。
完璧に動き出していない脳を回転させ、ぼうっとした記憶を辿る。

「そういや、愛される悦びを思い出させるみたいなこと言ってた気がする」

「覚えてるなら報告書に追記してね」

伊地知くんは一度片付けたタブレットをまた突き出して来るので、ついげんなりとした表情を晒してしまった。
五条さんがクスクスと笑っているのを横目に、タブレットを開いて思い出した箇所を修正する。

「伊地知、ちょっと」
「はい?」

2人はタブレットと睨み合う私から離れ、広い客室の隅で何やら話している。
私に聞かれたらまずいことなのか。特級は抱える秘密も多そうだと思いながら追加の文言を入力した。








「じゃ、私は現場や関係箇所へ行ってきます」

タブレットを改めて鞄に仕舞うと伊地知くんは頭を下げて扉へ向かったので引き止める。

「帰りはどうしたらいいの?」
「行きと同じように帰ってきてくれればいいよ?」
「また長距離移動かぁー」

車で寝てて気付いたら高専でしたってパターンが良かった。
その気持ちが伝わったのか伊地知くんは苦笑いをする。
そしてあぁそうだと思い出したかのように私の左脚に視線を落とした。

「脚のことだけど…」
「あ、うん。なんか思ったより傷浅くて…あんなに痛かったのに」
「呪力が込められてたから衝撃が強かったみたいだよ。傷口の感じ見てもそんなに慌てなくて大丈夫だって家入さんが」
「え?どうして硝子さんが傷口分かるの?」

え?と伊地知くんが眼鏡の向こうで目を丸くし、私も首を傾げると五条さんが割って入ってきた。

「僕が写真撮ってすぐに硝子に送ったんだよ」
「写真!?」
「五条さん、本人に許可取らずですか?」
「いやいや、ヘロヘロになってる名前に聞いたらハイって答えてくれたよ!」
「そんな状態でまともな答え出来るわけないでしょ!脚の写真撮られるとか恥ずかしすぎます!ちゃんと消してくれましたよね!?」
「消すわけないじゃーん。大体脚くらいで騒がないでよ、もっとセクシーな姿ばっちり見られちゃってるくせに」
「んな!!!」


ぎゅん!と顔に熱が集まったのが自分でも分かった。
皆まで言われなくても、それが呪詛師の領域内でタオル1枚姿だったことだと分かる。
緊急事態だったんだからそこは普通スルーでしょ。
デリカシー無さすぎだ五条悟!


「あの…私はそろそろ行きますね」

伊地知くんは一刻も早くこの気まずい場を離れたいとばかりに部屋から出て行こうとしていた。
それを見た五条さんは

「あ、待って僕も出るから」

とバスタオルと浴衣を持って扉へ向かう。

「え、五条さんもしかして」
「うん、温泉〜。名前は脚怪我してるから入っちゃダメだよ」
「ひどい!ずるい!」
「せっかく温泉旅館にいるんだから堪能しておかないとね。ま、怪我人はもう少し寝てなよ」

ぐぎぎ…!と拳を震わす私を見て嫌な笑みを浮かべた五条さんは、伊地知くんの背中を押して部屋を出て行った。
結局、温泉巡りできなかった…とがっくり肩を落とし、目の前に高く積まれた温泉まんじゅうの箱を開ける。
五条さんが大量に買った物だ、やけ食いしてやる。






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