考えて考える

五条さんが部屋を出て行ってしばらく、私は地図と睨めっこを続けた。
細かい地形なんて描かれていない、簡単な地図だ。
観光客向けなので立ち寄り温泉や旅館、飲食店に土産屋が載っている程度。ここから分かることなんてたかが知れているけれど…。

ふと違和感を覚えて、タクシーでもらったパンフレットをバッグから引っ張り出す。
『なんとかバエって』
運転手さんの言葉が思い出された。

SNSに載せられるようなおしゃれなスポットが紹介されているこのパンフレットと、旅館に置いてある地図…並べてみるとテイストが真逆。
カラフルで丸っこいフォントのパンフレットと、伝統ある落ち着いた雰囲気の温泉街の観光地図は一見、同じ場所のものと思えない。
地図を裏返せば、隅の方に観光協会の名前と連絡先が記載されていた。
一方でパンフレットにはそれがない。
つまり、これは観光協会が発行したのではなく、個人またはどこかの法人が作っている。もちろんターゲットは若者。

「うーん、だからなんだって言われたらそうなんだけど…」

このパンフレットの発行元はどこなのだろう。
集客が目的なのだから、それなりの広告が打たれているはずなのに…。

「ないよなぁ」

SNS映えするスポットや、若者が食いつきそうなポイントは、ほとんどが無料で利用できるところばかり。
飲食店や旅館が載っていない。

「ピンクの石がある川原。木々の隙間から見える空がハート型になっている雑木林。アーチ型の赤い橋。美容関係者が訪れる秘湯。恋人の聖地とされる混浴温泉…」

ん?
この秘湯と混浴温泉は、観光協会発行の地図に載っていない。
場所を調べてみると、今いる旅館からはかなり距離があるけれど地図に記載できないほどでもない。
温泉を売りにしている街なのに何故だろう。

スマホを開いて五条さんにメッセージを入れ、浴衣に着替えると私は一階へと向かった。








「すみません、ちょっと聞きたいことがあって」

名前がフロントで声をかければ、作務衣姿の若い男性が丁寧に頭を下げた。

「このパンフレットをタクシーで貰ったのですが…」
「あぁ、はい。これが何か?」

先程のパンフレットを見せると、従業員は驚くこともなく頷いてみせたので、これの存在は知っているようだ。

「先程こちらでいただいた地図には載っていない所ばかりで…どうしてなのかなと気になって」
「私共がお配りしている地図には、観光協会さんとの繋がりのある場所しか載せられていないんですよ。パンフレットを発行しているのが誰なのかは私もよく分かりませんが、おそらくどこかの雑誌ライターではないかと」
「雑誌ライター…その人たちがこういうのを作って、どんなメリットがあるんですかね」
「メリット…?
申し訳ありませんが、正直分かりかねますね。こういうのは言ってしまえば利益を求めるために作るものですから…ライターなら雑誌名を載せておかなければ意味ないですし」
「そうですよね…あと、このパンフレットに載っている2つの温泉はどうして地図に描かれていないのでしょう?」
「あぁ、この2つの湯は源泉ではないので…」
「源泉?」
「つまり、別のところから引いてきた普通のお湯なんです」
「…と、いうことは、こちらの旅館などとは成分が違うっていうことですか?」
「はい…つい最近出来たばかりの施設でして。新しいので綺麗ではありますしそれなりの集客はあるようですよ」
「なるほど…もちろんお金はかかりますよね?」
「ええ。でも、かなりお安いです。まぁ、本物の温泉ではないからでしょうけれどこの辺りにある他の日帰り温泉と比べるとかなりリーズナブルですね」

やはり分からない。
なぜこのパンフレットが作られ、なぜこれが配られているのか。
秘湯などで収益を得たければ、こんなに破格にする理由もない。
期間限定で安いのか?薄利多売が目的か?
じっとパンフレットを見つめて黙りこくっていると、従業員は不思議そうに首を傾けた。

「あの、それが何か?」
「あ、いえ…。このパンフレットに載っている場所へ行きたくて、でもこちらの地図と違って行き方がよく分からなかったので」
「あぁ、それでしたらこちらの地図に印を付けますよ。行きたいところはどこでしょうか?」
「えっと、すみません…全部…」
「ぜ、全部。なかなかハードですね」
「遠いですか?」
「場所がバラバラですからね。この雑木林は特にここから離れていますし。あと川原も広いので、もしこういった石を探すとなるとかなり時間がかかるかと」
「そうなんですか…」

話しながらも、男性はカウンターから取り出した地図にサラサラとマークを付けていく。
すると名前はそれを見てあることに気がついた。

「すみません、地図に載っているこの神社ってどんな場所ですか?」
「ここは昔からこの地の氏神様が祀られています。温泉が出たのもこちらの神社が始まりとされていて、温泉街を守ってくださっていますよ」
「なるほど…ありがとうございました」










部屋に戻ったが五条さんはまだのようだ。
フロントに行っていると送ったメッセージには『りょーかーい』とお気楽な返事が届いていた。

バッグからノートを取り出して、先ほどの地図とパンフレットを合わせて並べる。
頭の中を整理するのに、とにかく書き出したい。

気になったことを箇条書きにしていき、さらにそこへ自身の推測をプラスしていく。
熱中してペンを動かしていると、いつの間にか隣で五条さんが覗き込んでいた。

「…おかえりなさい」
「ただいま。寝ててって言ったのに随分熱心だね。あと
ちゃんと戸締りしてよ」
「なんか、頭に色々浮かんでくるのに繋がらなくて…」
「名前のその書きまくる癖、昔からだよね」
「はい。高専の授業でもノートに書き殴ってました」
「書いてる時は頭に虫の玩具乗せても気付かれなかったよなぁ」
「…最低な先輩ですよね。勉強中の後輩を邪魔するとか」
「ごめーん」

全然謝る気のない謝罪は無視して、またノートへアウトプットする作業に戻る。

「パンフレットの発行元は不明。目的も不明。
対象は若者…縁結び系だから特にカップル?」

「パンフレットが気になるの?」
「はい…なんか引っかかって。明確な理由があるわけじゃないんですけど」
「じゃあそのパンフレットを中心に調べてみようか」
「え、でも何も根拠とかないんですよ?」
「名前は昔から勘が鋭いから。引っかかるなら何かあるかもしれないよ」
「五条さん…」

2級に上がったばかりの私の意見を尊重してくれるの?
しかもただの勘なのに。
それでも五条さんがそう言ってくれるなら、何だか見つけられそうな気がしてくるから不思議だ。

「さぁ、それじゃあそろそろ布団に入っ」
「あ、五条さんはどこを見てきたんですか?」
「…。えーと、この神社付近」

一度立ち上がりかけた五条さんが再び腰を下ろして、ペンを持ち地図の神社をマークした。
先程フロントで訊いた神社のことを思い出し、どのようなところだったかと質問する。

「普通の神社だよ。まぁ人が多く来るのもあるからか、だいぶ手入れはされていたけど。呪いが寄り付きにくそうな雰囲気はあったかな」
「なるほど…この時間じゃ神主さんとか逢えませんでしたよね?」
「そうだね。明日また行ってみよう」
「はい」
「じゃあ今度こそ寝ますよー」

五条さんはバスルームへ向かい、あっという間に着替えを済ませて戻ってくると布団に滑り込んだ。
早く電気を消せとせがむので、渋々立ち上がり豆電球にすれば、部屋が薄暗いオレンジの光で包まれる。

「じゃ、おやすみ〜ちゃんと寝てね」
「おやすみなさい…」


くるりと私の方に背を向けた五条さんの後頭部を見つめる。
お情け程度にずらされた布団がなんだか虚しい。
隣で寝たところで何もないけど、疑われたくないから離しましたよ、そんな風に言われてる気がして。
それとも本当に、私に夜這いされるのではとか考えてる?
先ほど「信用していない」と言っていた五条さんを思い出すとなんとなく胸がむかむかと嫌な気持ちになった。











「おはよー可愛い僕の名前。いい朝だね!」
「……誰ですか」
「コラコラこんなグッドルッキングガイを誰ですかなんて失礼でしょ」
「もー、朝からそのテンションは重いです。あと今は私たちだけなのでカップル設定続けなくていいです」
「つれないねぇ。名前って低血圧?朝弱い?」
「まだ朝じゃなきゃいいのにとは思います」
「うん、眠いんだね」

半分しか開いていない目をゆっくりと動かして自分がどこにいて何をしなければならないかを確認した名前は、着崩れた浴衣をそのままにだるそうにバスルームへ向かう。
一方で既に着替えを済ませていた五条は、完全に目が覚め切っておらず無防備な名前に内心で胸を高鳴らせながらズズと温かいお茶を飲んだ。

「五条さーん、ちょっとバスルーム占拠していいですか?」
「ごゆっくりどーぞ」
「ありがとうございます」

そんな会話の後暫く、お待たせしましたと現れた名前は、私服姿ではあるがいつものように仕事用にセットされた見た目に変わっていた。
女性の身嗜みには時間がかかるが、名前は割と早い方だった。おそらく顔や髪にかける時間が一般女性より短いのだろう。
後ろでひとつに束ねられた髪の毛は、少しうねりが見られた。










「旅館の朝食ってなんでこんなに食べられるんだろうね」
「確かに…普段ならこんなに食べないですもんね」

昨晩と同じ場所に用意された朝食を摂り、部屋に戻るためのエレベーターに乗り込んだ。
今日はこれから調査だからしっかり準備しないと。
朝食のおかげでやっと働き出した脳を回転させながら必要な物をスマホに打ち込んでいく。

扉が閉まる直前に、外からボタンが押されたと思ったら一組のカップルが謝罪しながら乗ってきた。
五条さんが「どーぞ」と微笑みながらボタンを押したので、私たちより幾分か若そうな男女はにっこりと微笑んでくれる。


「今日の温泉楽しみだね」
「昨日あんなに入ったのにまだ楽しみなのか?」
「当たり前でしょ?お陰で肌の調子いいんだもん」
「えー?…本当だ。すご!」
「ふふふ」

うん、目の前でナチュラルにいちゃつかれている。
五条さんは先ほどと変わらない笑顔で腕を組んで立っているし、私はどうしたら良いかわからず天井を見つめた。

やっと気まずい密室から解放され、大きく深呼吸した。
それを後ろから歩いてくる五条さんが笑っているのがわかる。

「なんか、エレベーター内の酸素が薄くて」
「カップルのいちゃいちゃが空気湿らせてたもんね」
「五条さんは平気そうでしたけど」
「最強術師はそれくらいで動じないんだなぁ」
「絶対に術師は関係ない」

やっぱり慣れてるんだ。
きっと一緒にいるのが私じゃなくて恋人だったら五条さんもあんな感じで人目も憚らずいちゃついているに違いない。
あーやだやだ。これだから五条さんって。
…なんて、必死に五条さんを悪く思おうとしてしまうのはどうしてだろう。







「とりあえず、一番近いこの橋から見てみよう」
「はい」

2人で連れ立ってまず向かったのはアーチ型になった赤い橋だ。
下は温泉なのだろうか、もくもくと湯気が上がっていて、数組の若者たちが器用に自身らのカメラで撮影会を行なっている。

「何もいなさそうですね」
「残穢も無しか」

怪しまれぬよう自然な様子で橋の下を覗き込んでみたり手すりを触ってみても違和感がない。
橋から飛び降りてみたら領域があったりして…とも考えたが、術師ならまだしも普通のカップルがそんなことしないだろう。
いきなり当たりポイントは無いかと気持ちを切り替えていた名前に後ろから声がかかった。

「すみません、写真撮ってもらえますか?」

明るく溌剌とした雰囲気の大学生くらいの女性がスマホを差し出していたので快く引き受ける。
そのまま少し仏頂面をした彼氏らしき男性と並ぶ彼女の正面で屈んでシャッターを押す。
横向き縦向きとで撮影して、スマホを返したところで嬉しそうに確認した女性は、手のひらを上にして差し出し「お2人も撮りますよ」と微笑んだ。

「え、や…私たちは…」
「わーあ、ありがとう。お願いします」

名前の握っていたスマホを簡単に女性の手に移動させた五条は、名前の肩をするりと抱き寄せてピースサインを作っている。
呆れて言葉は出なかったものの、ぎこちない笑みを浮かべて名前もカメラを見た。こんなの七海さんあたりに見られたらものすごい軽蔑されそうで嫌だ…!と心の中で絶望しながら。







「とりあえず橋は問題なし。次はこの神社ですね」
「うん。昨晩と同じだね、雰囲気も変わらない」

境内を歩く2人の間をスッと北風が通り過ぎた。
12月になったばかりとは言え、やはり東北地方は寒すぎる。
集められた落ち葉の山を横目に社務所を訪ねれば、人のよさそうな男性が防寒のために閉じていたガラス戸を開いた。

「すみません、ちょっとお尋ねしたいことがあるのですが」
「はい、なんでしょう?」

名前が男性と話している間、五条はぐるりと辺りを見回しながら呪いの気配を探る。
しかし昨晩と同じように何も感じなかった。
それどころか、呪いとは真逆でクリーンな空気である。
呪いと神はある意味で紙一重だ。
おそらくここに祀られる神は位が高く、その社は清廉された場となったのだろう。
そこで、はたと何かを思い付いたように首の動きを止めた五条は名前の隣に並び、背中を曲げて社務所の中を覗き込んだ。

「あの、こちらの神様って、今…います?」
「五条さん?何言ってるんですか」

突然現れたサングラスに、男性は肩を揺らして瞬きをする。

「え、あ…まだ、お帰りにはなっていません」
「そうですよね〜ありがとう」

五条はにっこりと微笑み、名前が持っていた地図の方を滑らかな手つきで奪い取ると、踵を返して歩き出してしまった。
名前も慌てて頭を下げ、残されたパンフレットをバッグにしまい込んでその後を追う。
神社の境内は広く、もっと奥まで見てみなければと声をかけた。

「五条さん、待って。まだ神社、全然見れてなくて…」
「んーん。もうここは見なくていいよ。何もいないから」
「えっどうして?」
「パンフレットと地図を照らし合わせてみると、何か違和感があったでしょ?」
「はい…」

五条は鳥居をくぐると歩くのをやめて、先程名前から取った地図を片手で突きつけた。
首を傾げながら「その違和感が分からなくて」と困った顔をする名前を可笑しそうに見つめ、咳払いをする。

「じゃあ、先輩から可愛い後輩へ問題です」
「え」
「10月のことを、別の呼び方で何と言ういう?」
「えっと…October」
「そういう抜けたところが可愛いよね。だけど残念、日本語でお願いしまーす」
「え、あ!神無月」
「そう!でもその神無月は旧暦です。現代では何月に当たる?」
「え、えーっと…11〜12月…」
「せいかーい」
「…あ、それで神様が今いるのか聞いたんですか!?」
「うん。案の定、ここの氏神様も今は出雲にいるみたいだね」
「なるほど…でも、この地図とは何の関係が?」
「ほらよく見て、地図に印をつけてもらったパンフレットの名所」

ぴらぴらと地図を動かす五条の手から引ったくるように奪った地図をじっと覗き込む。
そして息を呑んだ。

「このパンフレットに書かれてる場所、全部神社から離れたところにあります!」

ガバッと顔を上げて五条を見上げる名前の頭にそっと大きな手を乗せて何度かその髪を撫でた五条が「さすが」と微笑んだ。
名前は頬を染めつつ、何度か頷く。

パンフレットに載っていた名所は、地図と照らし合わせればこの神社から一定以上の距離を置いた場所に点在していた。


「神様のいないときを狙ってますね?それでも神社には近づけない」
「うん。このパンフレットに記載されてる場所のどこかに…いるね」

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