嗅ぎ回る


「僕、名前のこと好きなんだよね」


畳張りの大広間で夕食をとり、デザートのわらび餅に竹で作られた楊枝を突き刺そうとしたところで投げかけられた言葉。
力の抜けた指先から楊枝が滑り落ちるのにも気づかず、目の前で爆弾を投下した五条さんを見つめるしかなかった。

好き?私のことを?
好きって、恋愛の好き?
なんで今?いつから?

「食べないならもらうねー」

ひょいっとわらび餅が目の前から掻っ攫われたことで、やっと硬直が解けた。
目の前で満足げに口を動かしている五条さんは、もう自分の言葉を忘れたかのように普通だ。
聞き間違い?
それとももしかして…

「あっ、わらび餅…!」
「んー、高級旅館のわらび餅は違うねぇ」

デザートを奪うための作戦だ。
こんなひどい手を使うなんて…!









「ほらほら〜、温泉まんじゅう買ってあげたんだからもうその顔やめてよね」
「…」

口を一文字に結び、大股で歩く名前の隣で五条はへらへらしながら売店で購入したまんじゅうの入った袋をチラつかせている。
わらび餅を奪われたことに顔を赤くして怒った彼女の機嫌を取るためだ。

「知りません」
「明日以降のデザートはあげるからさ」
「…本当ですか?」
「本当本当!これもぜーんぶ食べていいよ!」
「…帰りの新幹線の分も買ってくれます?」
「…もちろん!」

俯きながら小さく、けれども嬉しそうに微笑む名前の横顔に、五条もひっそりと笑う。
部屋に到着し、鍵を開けて中に入れば食事の間に布団が敷かれていた。

「…くっついてるね」
「ですね」

旅館側としては当然の計らいである。
並んだ布団を眺めて、名前はため息をついた。
こんなことはよくある。これまでの任務でも男性術師と同室で寝泊りしたこともあるし、こんな立派な旅館ではなく掘建て小屋のような現場も経験した。

「一緒に寝る?」
「まさか。それより温泉街の見回りしますよね?」
「どうしようか、僕としてはこのまま2人で布団に入っちゃいたいんだけど」
「…じゃあ五条さん寝ててください。私は旅館周りを調べるので」
「なんか、名前ちゃん急に冷たくなった」

不満そうな顔を隠さない五条に名前はぷんぷんと肩を怒らせる。

「五条さんが呑気すぎるんです!さっきからずっとふざけてるし」
「僕はいつでも真面目だよ?」
「嘘ばっかり」
「ひっどいなぁ」

名前は自身の服をクローゼットから取り出し、五条を振り返った。

「じゃ、私着替えて外行きますね」
「布団、このままでいいの?」
「もちろんですよ。私、賢くはないけど自意識過剰女でもないので」
「ん?」
「五条さんはこんなところで私相手にしなくても、たくさんのお相手がいるんでしょうから」

ふんと偉そうに胸を張った名前はバスルームに向かおうと襖に手をかける。
しかし反対側の腕を後ろから引かれてバランスを崩し、背中からひっくり返った。
その背中は柔らかい布団に着地し、反射的に閉じていた瞳をゆっくり開く。

「ご、五条さん?」
「名前さぁ、さっき僕が言ったことちゃんと聞いてた?」
「さっき…?」

自分に覆いかぶさるようにして至近距離から話しかけてくる五条の目をサングラス越しに見上げた。
夕食の最後に言われた台詞を思い出しながら五条の表情を観察すると、口は笑っているのに目つきが鋭い気がして、ごくりと唾を呑む。
どくどくと心臓のあたりの血流が激しくなってきたようだ。

「冗談ですよね?」
「冗談?」
「今までみたいにからかおうとして…」
「……」

沈黙が生まれ、名前は視線をキョロキョロと動かした。
ゆっくりと五条が彼女の上から退き、小さく息をついてそのままあぐらをかく。

「五条さん?」
「んー、名前はやっぱり手強いな」

わざとらしいほど大きな動きで頭を抱え項垂れる五条を見て、名前はまたしてもこの人に乗せられそうになったと顔を赤くした。

「…なっ慣れたんです!伊達に高専時代からいじめられてないので!」
「…だからいじめてないのになぁー」

あーあ、と立ち上がった五条は自分の布団をずりずりと引っ張り名前の布団から距離をとった。
それを見た名前が首を傾げる。

「別に離さなくてもいいのに。私、五条さんは意地悪だから苦手だけど一応信用してますよ?」
「僕が信用してないの」
「え…」

ぽかんと固まった名前が何度か瞬きをする。
それを黙って見つめていた五条と目が合うと、じわじわと頬に熱が集まった。

「わ、私…」
「うん?」
「私、五条さんのこと襲ったりしませんよ!失礼な!」
「へ」

間抜けな声を出した五条を無視し、名前は襖を勢いよく開くとバスルームに駆け込んだ。
そして着替えを済ますと何も言わずに部屋から出て行ってしまった。








「本当、そそっかしいなぁ名前は」

僕が信用していないのは自分のことなのに。
すぐ隣で眠る彼女に、何をしでかすか分かったもんじゃない。
だから布団をわざわざ離したというのに…勝手に何かを勘違いしてぷりぷりと怒りながら出て行った名前は、愛すべきおバカさんと言うべきか。




好きだと言ったのは本心だ。
名前は高専時代からずっと変わらない。

いつも一生懸命で、それなのにどこか抜けている。
今朝、慌てて車に乗り込んできた名前の寝癖で跳ねた髪の毛が不意に思い出された。
新幹線では自分が起きていると張り切ったと思えば、数分後には爆睡している。
温泉という言葉に目を輝かせたり、タクシーの運転手と楽しそうに話したり、側から見ていれば普通の女の子なのに実は任務に懸命に取り組もうと必死だ。
揶揄うと見せる戸惑った顔や、怒った声が昔から可愛くてついちょっかいを出したくなる。

「あーあ、なんで伝わらないんだろうな」

呟いた言葉は誰にも拾われず、だだっ広い客室にぽとりと落ちた。
自嘲気味にぼやいたものの、実は伝わらない理由なんて分かっている。

自分が肝心なところで引いてしまうから。
拒絶されるのが怖くて、冗談めいたことしか言えない僕こそ、昔から成長していないんだ。




「戻りました。やっぱり外寒いです」

1時間ほどするとぷるぷると震えた名前が戻ってきた。鼻の頭が真っ赤になっているのさえ愛おしい。

「おかえり。その様子だと特に収穫は無かった?」
「はい…温泉巡りに行く人で賑わってたんですけど、この辺でおかしなところはありませんでした」
「そっか。明日は範囲を広げて調べたいね」
「あ、これさっきフロントでもらいました」

コートのポケットから取り出したのは折り畳まれた観光マップ。
それを畳の上に広げて2人で覗き込む。

「私たちがいるのがここです。この辺りまでは調べました」

そう言って名前がマーカーで印をつけていく。
近隣の旅館にも足を運んだのかと訊ねると、怪しまれそうで少しだけしか入れなかったと。
けれど名前は人一倍鼻が効く。
強い気配があれば建物に入ったところで気づくこともできるだろう。

「…となると、この辺りにはいないのか、それともかなり隠れるのが上手い呪霊なのか…」
「出現する条件が限られている…とか?」
「ありそうだね」

時計を見ればまだそこまで遅くはなっていない。
旅館が施錠されるまでに外をぶらつく時間はありそうだ。
まぁ、施錠されたところで術式を使えば出入りなんて簡単だけれど…今回はとにかく目立たないようにする必要があるから行動は慎重にしなければ。

「僕も少し見てくるよ。先に寝てて」
「あ、はい。私はもう少し地図から分かることがないか考えてみます」
「よろしく〜」

その場で着替えようとすると怒られたので、仕方なく先ほどの名前と同じようにバスルームで浴衣を脱いだ。
怒るということは、少しは意識してくれていると思っていいのかと胸が躍る。

呪いは見つけさえすればあとは祓うだけ。
勘のいい名前と、最強の僕がいればすぐに片付くだろう。
そうしたらこの温泉街を楽しもう。そして今度こそちゃんと気持ちを伝えなければ。


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