スロウスタート


在来線に乗り換えてしばらく。
ビルから山へと景色が移り変わってゆき、駅からさらにタクシーを拾い目的の旅館名を告げた。
気の良さそうな運転手のおじさんは、観光客相手の仕事だからか話が弾む。

「東京ですかぁ。するとこっちは寒いでしょう?」
「はい、駅についてびっくりしちゃいました!」
「明日なんて雪の予報ですからね」
「えっそうなんですか」
「雪の中の露天風呂もいいもんですよ〜」
「おおお…」

任務そっちのけでまた温泉に期待が膨らんでしまう。
いけないいけない、この緩んだ空気をなんとかせねば。
自分を律するため、術師らしく調査の役に立ちそうなことを質問してみよう。

「観光客は多いんですか?」
「もちろん。特にこの時期はねぇ〜どこも宿がいっぱいですよ」
「若い人に人気なんですよね」
「そうそう、最近はね。なんとかバエっていう場所ができたらしくて…」

これこれとタクシーに備え付けられたいくつかのパンフレットの中から三つ折りにされたものを後ろ手に差し出してくれたので広げてみる。
五条さんも先ほどまで黙って窓の向こうを見ていた視線を、パンフレットに移して覗き込んだ。
フォトスポットと書かれた場所がいくつか紹介されている。さらに下の方には、

「恋人の聖地…」
「そう!少し街から離れたところの混浴温泉にカップルで訪れると良いことがあるとかなんとか」
「良いこと?」
「結婚とか子授けとか〜ね?」
「あっ…な、なるほど」

ついパンフレットを握る手に力が入ってしまう。
混浴…。
そうだ、私たちもそういうのを期待している体でいかないと。

「じゃあ、僕たちもあやかれるように行ってみようか」

やっと口を開いたかと思えば、さらりとそんな台詞を吐くので、頑張って作った私の笑顔が硬直しそうになる。
組んだ脚に頬杖をつき、にっこりと綺麗な笑顔を向けてくる五条さんはあまりにも様になっていて眩しいくらいだ。
運転手さんはチラリとこちらをミラーで覗き見て、クスクス笑った。

「新婚さんです?」
「あっ、いえ!」
「結婚か子供か、どっちが先でも僕は嬉しいかな」
「ごじょっさ…!」
「いいですねぇ、若い人たちは自由だ。この前も似たようなことを話してるカップル乗せましたよ」

動揺する私とは真逆で、運転手さんは楽しそうに笑っている。本当に慣れているんだな、と感心してしまうが問題はそこじゃない。










「五条さん、心臓に悪いのでもう少しソフトな設定でお願いします!」
「なんのこと?」




名前らを乗せたタクシーが旅館のロータリーに到着すると、すぐに和服や作務衣を着た従業員たちが出てきて荷物を運んだ。
受付でチェックインを済ませば、温泉手形と筆書きされた木の板が2枚渡され、そのまま1人の女性が部屋へと案内する。
ごゆっくり、と笑顔で客室の襖を閉じ、外の扉も閉められた音がしたところで、名前は腰に手を当てて五条を睨み付けた。
対する五条は何もなかったかのように荷物を隅に寄せ、部屋のあちこちを確認すべく見て回る。

「うん、この部屋は何もないね」
「そうですね。ここまで来る間も特に何も感じませんでした。って、はぐらかした!」
「お、ちょっと鋭くなったね」


偉い偉いと心の籠っていない褒め言葉を繰り返し、五条はさっさと自身のバッグを開きゴソゴソすると、今度は棚から備え付けの浴衣とタオルを取り出した。

「何してるんですか?」
「夕飯までまだ時間あるから温泉」
「え!?」

名前の驚愕する表情に、五条が首を傾げた。
大浴場の方も調べないと…と言えば、彼女はそうじゃないと首を振る。

「旅館に着いたらまずは!お茶とお菓子の時間でしょ!?」
「…あ、うん」

ほらほら座って!と名前の指示に従い部屋の真ん中に鎮座していた座布団に腰掛ければ、目の前に置かれた饅頭が目に入ってきた。
彼女は入室してまずこの甘味をチェックしていたのか…
それに気付くと可笑しくて口許が緩んでしまう。
ポットから急須にお湯を注ぐ名前は、笑われていることに全く気付かなかった。






「鍵ひとつしかないから、上がったらそこのベンチで待ち合わせしよう」
「分かりました」

浴衣とタオルを抱えた名前がペコリと頭を下げてから女湯と書かれた暖簾を潜っていく。五条もそれを見届けると男湯へ向かった。


「うわぁ…温泉!」

思ったより声が響いてしまい、先客たちの視線を集めた名前は、俯きながら身体を流して大きな浴槽に浸かる。
畳張りになった床も、お湯の湧き出る岩も、シャワーブースも清潔感があった。
ぐるりと見渡せば、1人で浸かっている客ばかりだったのでおそらくカップルで来ているのだろうと予想する。



脱衣所ですれ違ったOLのような2人組が「露天風呂最高だったね」と盛り上がっていたことを思い出し、そちらも確認せねばと外へ出た。
びゅうと冷たい風が濡れた身体を撫でたので、先ほどの反省を生かすことも忘れてまた大きな声を出してしまう。

「さっっっむ!!」

今度は外なのでそれ程響かなかったが、誰もいない露天風呂に自分の声が木霊するのも虚しい。
静かに岩風呂へ向かうと、竹で組まれた仕切りの向こうから声がした。

「名前、風邪ひかないようにね」

笑いを含んだその音に、思わず勢いよく湯に飛び込む。

「ごっ五条さん!?聞いてたんですか!?」
「聞こえたの」
「うわ、恥ずかし…っていうか、視てます!?」

彼の能力を思い出した名前は、自身を抱きしめるようにしてさらに湯に沈んだ。
すると不満そうな色で「そんなわけないでしょ」と否定の言葉が返ってきたので胸を撫で下ろす。

「そっち、どうですか?」
「んー、何もないね」
「そうですか」
「まぁ宿はいくつもあるからね、もともと残穢は確認されてないみたいだし温泉街を歩き回るほかなさそうだな」
「はい、虱潰しに回りましょう」






待ち合わせ場所には意外にも名前が先に到着していた。すぐ横にある売店をちらちらと覗けば、先ほど部屋で食べた温泉まんじゅうが売られている。

「これ七海さんに買っていこ。昨日のお詫びに」
「へぇー。七海喜ぶよ」
「わ!」

ひとりごとにリアクションされて軽く飛び上がる。
五条は相変わらずサングラスをしているものの、LLサイズの浴衣を着こなして名前の真後ろに立っていた。
そして驚いて振り返った名前の髪がまだ湿っているのに気づいて指摘する。

「あ、脱衣所でドライヤーしてたら待たせちゃうかと思って。お部屋にもあったので戻ってから乾かそうかと」
「気を使わなくていいのに」
「そんなわけには!」

ぶんぶん両手を振った名前が追い立てるようにして、2人で部屋へ戻る。
五条は名前に促されるように先に入室すると、そのまま洗面所へ向かってドライヤーを持って戻ってきた。

「ほら、ここ。あっち向いて座って」
「え?」
「はやく。風邪ひくから」

畳の上に胡座をかいた五条が、自分の前をポンポンと叩くので、名前は戸惑いながらも彼に背を向けて腰を下ろした。
同時に後頭部に温かい風が吹きかけられ、ふわりと浮いた毛先の方からタオルで軽く押さえられる。

「え、五条さん!自分でできます!」
「いーのいーの。たまにはね」

落ち着かずモゾモゾと身体を動かしていたのに、五条の指さばきがあまりに気持ち良くて名前は次第に身体の力が抜けていった。

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210321


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