見つけた


登校途中。
いつものように及川と肩を並べて歩いていると、後ろから来た自転車がカラカラと音を立てて俺たちを追い抜いた。
そして、俺たちの前を歩いていた同じ学校の女子生徒の横をすり抜けながら、左手に持っていたものを放るのが見えた。

ふわりと風に浮いたそれはどうやらコンビニのおにぎりの袋のようだ。片手で食べながら自転車を漕ぎ、食べ終わったのでゴミを捨てたのだろう。
当然のようにそのまま去って行くスーツを着た男の後ろ姿を、呆れながら眺めた。
及川は小さな声で「あんな大人になりたくないねぇ」と苦笑いしたので無言で頷いていると、前を歩いていた女子生徒が足を止めた。

そしてゆっくり地面にしゃがむと、転がっているゴミを拾って、何事もなかったかのように歩き始めた。
右手にゴミを握ったまま校門をくぐっていく。

反対側からやってきた別の女子生徒に声をかけられ、振り向いた横顔は、見覚えのないものだったけど爽やかで、その笑顔が脳に貼り付いてしまった。

「岩ちゃん?」
「…あ?」
「さっきの子のこと、見過ぎだよ」
「!」

及川に横腹を肘で突かれ我に帰ると、悔し紛れに奴の尻に回し蹴りを喰らわせた。
そのまま昇降口に入って行く後ろ姿を見ていると、同じ学年のようだ。
いや、分かったからどうだということもないのだけど…。

「あ、まっつん」
「おー、ハヨー。何見てんの?」
「いや、あの子をちょっとね」
「ん?名字さん?」
「えっ知ってるの!?」
「同じクラスですけど」
「あ、本当だ」
「名字名前ちゃん。なんかあった?」

名字名前。
名前を知っただけなのにこの胸の高鳴りはなんだ。
及川と松川が何か話しかけてきていたが、俺はその後ろ姿から目を離せなかった。











駅前で友達と遊んだ帰り道。
あー明日は月曜日か…と少し憂鬱になりながら電車に揺られる。
車内は休日だというのにそれなりに混雑していて、吊革にぶら下がるようにしてヒールを履いた足を休ませた。

途中に止まった駅でたくさんの人が乗ってきたので少し場所を移動する。
隣にやってきたおばあさんの肩にバッグがぶつかってしまい、慌てて謝ると微笑んでくれた。
華奢なおばあさんは吊革を掴むのがやっとのようだから、ふらつきが心配になる。
すると、身動ぎした私のヒールを履いた爪先が、横並びに座っている人のスニーカーに当たった。腕を組んで首部を垂れて眠っていたその人は、足に感じた衝撃で目が覚めたようで私の横にいたおばあさんを視界に捉えた。

「あっ、すんません…どうぞ」
「え…いいんですか?」
「ハイ。気付かなくてすいません」
「まぁ、ありがとう」

おばあさんに気付いたその人は慌ててエナメルバッグを背負って立ち上がって席を譲った。
嬉しそうにおばあさんは座席につくと、もう一度お礼を言うように頭を下げた。

隣に並んだその人のバッグには、私と同じ学校名が書かれていた。あ、知ってる。バレー部は強いって有名だ。
白いジャージのその男の子は私よりもだいぶ背が大きくてガタイもいい。
窮屈な車内で顔を見上げることは難しいので、知っている人なのかどうかは確認できないけれど、うちのバレー部にこんなにいい人がいたなんて知らなかった。

おばあさんを見た途端、当たり前のように席を譲った彼は、一体どんな人なのだろう。
周りの人は気付かないふりをしていたのに、彼はそんなことを考えたこともなかったように席を立った。
きっと部活帰りで疲れて寝ていたのだろうに。

そんなことを考えていると、私の肩にかけていたバッグはまたしても人にぶつかってしまった。
謝ろうと斜め後ろに首を回すけど、相手がわからない。私の後ろに並ぶ人たちは当たり前だけどみんな反対側を向いている。
並んだ背中たちから視線を戻そうとしたとき、違和感に気付いた。
私の斜め後ろ、ジャージの男の子と背中合わせに立っている女の人の背中が小刻みに震えている。
薄暗くなった窓に映った女の人の表情は強張っていて、嫌な予感がした。
そして、その女の人の横で不自然に動く肩。男物のスーツの生地が、モゾモゾと電車の揺れとは違った動き方をしていて嫌な予感は確信へと変わる。

どうしよう。助けなきゃ。
でも、どうやって?私1人で証言してもダメかもしれない。
確かな証拠がないと難しいのかな。
難しい法律のことは分からないけど、逆に訴えられたりしたらどうしよう。

初めての経験に、臆病な私が顔を出してあれこれ心配するのでなかなか口を開くことができない。
あぁ、私にも当たり前に人に手を差し伸べられる勇気があれば。
さっきの彼みたいに、正しいことを自然とできたら。
そう、今隣にいる、彼のように…?

ハッと思い立ち、私はバッグからスマホを取り出し、メモ帳のアプリを起動した。
急いで画面をタップして文章を作ると、ジャージの彼の視界に入るようにそっとスマホを差し出す。
お願い、気付いて。そして一緒に戦ってください。









電車の窓から暗くなりつつある外をぼうっと眺めた。
用があるという及川と別れて1人で電車に揺られる。
練習試合で費やした体力は、先ほどまで少し眠ったことでだいぶ回復したようだ。
明日はオフだから、たまにはゆっくり漫画でも読むかと考えていると、不意に腹の前あたりにスマホが現れた。

どうやら隣に立っている人が差し出してきたみたいだ。
画面を見ろということか?
少し首を下げて低い位置にあるスマホの文字を心の中で読み上げる。


『私たちの後ろにいる女性が、右隣の人から痴漢されているみたいです。
助けたいので協力してもらえませんか?』


先ほどまでの眠気は完全に吹き飛んだ。
反射している窓を確認すると、たしかに俺らの後ろには女性の後頭部がある。

また一度そのスマホに視線をやると、差し出してきている手は少し震えていた。
なるほど、1人で捕まえるには難しいのだろう。
その手の小ささがそれを物語っている。

とりあえず、もうすぐ次の駅に停車する。
このタイミングで大丈夫だ。









「次の駅で降りましょう」


低いけれどよく通る声が車内に響いた。
はっきりとしたその言葉に、わずかな話し声すら消えてしまう。
たくさんの人たちの視線が急に集まってきて、思わず肩を竦めてしまうけれど、隣に立つ彼は全く気にしていないようだった。


「な、なんだ…急に」
「ここで言っていいんすか」
「はっ…?」

腕を掴まれたサラリーマン風のおじさんが、顔を青くして慌てている。
その横で、それよりもずっと青白い顔をした女性の目から、ぽろりと涙が溢れた。

その涙が何よりの証拠だろう。
周りの人達も今ここで何が起きているのかを察したようでざわめき始めた。
けれどおじさんは抵抗しようと大きな声を出す。

「言い掛かりだ!お前みたいなガキ1人が言うことなんて通用しないぞ!」

一瞬静寂した車内。今しかない。

「私は見ましたっ」

震えてしまった声が、思ったよりも大きく響いて恥ずかしくなる。
でもここで怯んではいけないと、振り返って向き合ったおじさんを強く睨みつけた。

さすがに2人から指摘されては逃げにくいのか、おじさんはぐっと押し黙る。
そして到着した駅で、おじさんは他の乗客の大人の人達に連れ出された。
当然のように一緒に降りて行くジャージの彼を見て、私も慌ててホームへ降り立つ。

自分の身体を抱き締めるようにして震える女性はおそらく私より年上だろうけれど、その恐怖がひしひしと伝わってきて、私は彼女に近付くとその冷え切った手を両手で包んだ。

女性の手がやっと本来の温かさを取り戻し、震えなくなったころ、私たちは駅の内部にある駅長室から解放された。
すぐに現れた駅員さんたちと、それからやってきた警察と少し話をして、これから詳しい事情を署で聞かれる女性とお別れするまで、私と彼女はずっと手を繋いでいた。

何度もありがとうと頭を下げる女性に会釈で答えて、駅長室を出たところで私と、先程の彼は自然と足を止めた。










信じられない偶然だった。
協力を求めてきたスマホの持ち主は、まさかの同じ学校の同じ学年の生徒で、さらに、ついこの間目を奪われた女子だった。

駅長室で隣に座って「青葉城西高校の名字名前です」と警察に答えたときは私服姿だったしよく見ていなくて驚いた。

「あの…」
「名字…さんだよな?」
「あ、うん。岩泉くん…電車では顔見てなくて分からなかったけど、有名だから知ってたよ」
「そ、そうか。俺も実はちょっと前から名字さんのこと知ってて…」
「え!?な、なんで?」

ゴミを拾ったところを見ていたこと、そして名前は松川から聞いたことを伝えると、少し照れ臭そうに笑っていて、その顔がすごく可愛く見えた。

お互いに予定外の駅で降りてしまったので、もう一度電車に乗ることになり、流れでそのまま隣り合わせに座った。
大して話すこともないから緊張し、どうやら向こうもそうらしい。









「遅くなっちゃったね、もう真っ暗」
「そうだな」
「あ、岩泉くんの駅って次だっけ?」
「あー、うん。けど送るわ」
「え!?いいよ!申し訳ないから!」
「や、そっちの駅と家、そんな遠くないし。暗いから危ないだろ?」

岩泉くんが隣の駅を利用していたことを知ったところでまさかの送ってくれる宣言。
わざわざ乗越し料金まで払ってくれて申し訳ない。
でも、一緒にいられる時間が少し増えたことがなぜだかすごく嬉しかった。

強豪バレー部のエースとなれば私でも岩泉くんのことは知っていて、彼といつも一緒にいる及川くんという有名人のこともあって密かに憧れていたのは事実だ。
でもまさかまさか、こんな風に出会って、しかも私のことを知っていたなんて…。

地元の駅を出て家までの数分間、岩泉くんが隣にいる。
なんだか夢みたいで足元が覚束ない。
なんとか話題を探さないと。

「岩泉くん、おばあさんに席譲ってたね」
「ん?あ、そうだったな」
「なんかあまりにもスマートでびっくりしたよ」
「そうか?名字こそ、普通にゴミ拾ってるから驚いた」

いつの間にか呼び捨てになっている私の名字が、とても愛おしいものに思えてしまうのはどうして?
ただの憧れの人に、こんなに胸がときめくものだとは思えない。
一方的に見ていただけの学校のエースが、岩泉一くんという1人の男の子として私を視界に入れてくれたことで、私の憧れという気持ちは別の形に変わってしまったみたいだ。



「今日は本当にありがとう。協力してくれて、送ってくれて…」
「こっちこそ、痴漢のこと教えてくれてありがとな」
「ううん!捕まえられてよかったね?」
「あぁ」

家の前まで送ってくれた岩泉くんとの別れが惜しい。
会話が終わってしまったから家に入らないといけないけど、なかなか「さよなら」が言い出せなかった。
すると岩泉くんが頭をガシガシと掻いて、少し吃りながら口を開いた。

「あの、よ」
「うん?」
「もし嫌じゃなければ、明日とか…また送らせてくれねーか?」
「えっ…」
「あ、彼氏いるか?だったら」
「ううん!いないよ!けど、どうして…部活は?」
「明日オフなんだ。せっかく知り合えたし、もうちょい名字と話したい」

まっすぐにこちらを射抜く瞳に腰が抜けそうになる。
でも、岩泉くんの顔は真っ赤で…彼の緊張が伝わってきた。
私もきっと負けず劣らず赤い顔をしているけど、しっかりと岩泉くんの目を見返す。

「わ、私ももっと話したい!仲良く…なりたいな」

語尾は少しすぼんでしまったけど、ちゃんと届いたようだ。
岩泉くんは恥ずかしそうに笑って、

「じゃあまた明日。教室まで迎えに行くな」

なんて言ってくれるから、もう…。

「うんっ…ま、待ってるね」

両手とも拳を作って、目だけで彼を見上げる。
嬉しくて、ちょっとにやけてしまったかもしれない。
岩泉くんは一瞬びっくりしたような表情になって、それから目を反らした。
どうしたのかな?と思ったら、すぐにまた私と目を合わせて「おう」とだけ答えてくれた。
月曜日が待ち遠しいなんて、初めてかも?










「待ってるね」

なんてはにかみながら上目遣いに言われたら、不整脈が起きたかと思うくらいおかしな鼓動になって思わず目を反らしてしまった。
明日一緒に帰ろうと名字を誘うことができて、自分でもかなり驚いている。

明日、どうやって及川を撒くかが問題だが、それすらも楽しみに思えてしまう。
部活のオフをこんなに嬉しく思ったのは、初めてかもしれないな。







「岩泉がうちの教室に名字さん迎えに来て一緒に帰ってったんだけど」
「え!?どういうこと?」
「んー?誰それ?」
「なんか朝から機嫌がいいと思ったら…そういうことか岩ちゃん…!」
「そういや名字さんやたら浮かれてて、毎授業先生に怒られてたな」
「え?誰なの?」
「岩ちゃんのくせにっ内緒にするなんて!」
「結構お似合いだったよ、並んで歩いてるとこ」
「おい、だから誰なんだよ!!」


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