ハローカワイ子ちゃん

 ラクスドの砦から帰還した翌日。ゼン達と共に砦を早朝に出立し、その日の昼頃には王宮へ戻った白雪はガラク薬室長から半日の休みを貰った事で、この日は久しぶりとなる薬室への出勤だった。
 見習いの身としてやるべき仕事は薬の調合だけではなく、薬草園の調整、薬草庫の整理、薬室長へのお茶出しなど多岐に渡り、並みの忙しさではない。けれどこのような困難を乗り越えてこそ一人前の薬剤師となる。そして、自分をクラリネスへ導いてくれたゼンのために。
 白雪の気合は十分だった。ラクスドの砦での経験を経て、もっと頑張りたい、もっと勉強したいという気持ちが逸り、自然と早くなった足は薬室へとぐんぐん伸びていた。

「おはようございます!」

 間を置けど、元気よく笑顔で放った挨拶への返事は返ってこない。それもそのはず。仕事の開始予定時刻はまだ先で、上司であるリュウの姿はまだなかった。やっぱりと思いつつ、自分の荷物を置いてすぐリュウが使うであろう真新しい用紙を棚から取り出し、整頓されていない書きかけのメモ用紙とペンを整え、簡単な掃除を始める。これも見習いとしての仕事のひとつだ。
 取り敢えず綺麗になった薬室を見渡し、白雪が仁王立ちで満足げに頷いたところでようやくリュウが出勤してきた。開始時刻5分前である。

「リュウ!おはようございます!」
「おはよう白雪さん。体調はどう?」
「すごく元気です!今日もよろしくお願いします!」
「うん。よかった。午前中の白雪さんは、」
「はい!」

 普段よりアドレナリンが多く分泌されていた白雪は、目をきらきら輝かせてリュウの指示を待つ。相変わらずローテンションのリュウは、そんな白雪を「元気だね」の一言で纏めて、窓際にある身の丈に合わない椅子を登り座った。そして、先ほど薬室に来る前に薬室長から託かった言葉を復唱する。

「『医務室見学』だって」
「医務室、ですか?」
「うん。薬室長から言われた。場所分かる?」

 正直、拍子抜けした部分もある。薬室内の仕事なら未だしも、まさか薬室外に出て他分野の見学とは想像もしていなかった。白雪が王城に出入りするようになって暫く経つが、大きな怪我をしていないため医務室の存在は知っていたが利用した事はなかった。白雪は医務室の場所を問うリュウへ「知りません」と素直に答えた。

「では、薬室と医務室の関係は知ってますか?」
「あまり…、っ?!」

 リュウが位置情報を伝えるために口を開きかけたその時、知らない女性の声が耳に届いた。声の出どころを探ると、空気の入れ替えのために開けたままにしていた窓から、こちらに向かって笑顔でヒラヒラ手を振る女性がいた。

「あ、ジーン先生。おはよう」
「おはよう、リュウ」

 仲良さげに挨拶を交わす2人は既知の間柄であるらしい。キリッとした細長の目とはっきりとした鼻筋、優しげに弧を描く唇は理想的な配置にあり、それらを囲む肌も健康的な色をしている。リュウが「ジーン先生」と呼ぶこの人を、白雪は綺麗な人だと印象付けられた。同時に、木々やガラクだけでなくこの国の人は、なぜこうもみんな美しいのかとクラリネスが眩しく思えた。
 それにしても、この人は誰なんだろう。頭にハテナを浮かべる白雪は「ジーン先生」を遠慮がちに見ながらも、リュウへ紹介を求めた。

「あの…、リュウのお知り合いでしょうか?」
「そっか、まだ知らないのか」
「そうなの。私達初対面だから、こういう時両者を知ってるリュウが紹介しないと。お願いできる?」
「うん」

 「ジーン先生」はまるで弟に言い聞かせるように、丁寧にリュウへ紹介を求めていた。

「白雪さん、この人は医務官のジーン先生。あと俺とは…何だっけ?」
「最年少仲間でしょ?」
「それ。最年少仲間」
「私達、それぞれ医務官と薬剤師の最年少なんです。付け足せば、私はリュウを弟みたいに思ってる」
「そうだったんだ。知らなかった」
「うん。それで、そちらの方は?」

 本当に姉弟のようだった。人付き合いを不得手とする弟にお互いを紹介させる事で発言の機会を与えて、言葉の言い回しの練習をさせ、時折フォローをする姉。そんな姉弟像を見た気分だった。
 今度は白雪をジーンに紹介する番になり、リュウは「えっと」と言い出しに時間をかけつつもきちんと白雪の紹介をする。

「この人は白雪さん。今は薬剤師見習いで、俺の手伝いをしてくれてる。あとゼン王子の友達で、…優しい、人」

 最後の単語の声が小さくなれど、すぐ傍にいた白雪とジーンの耳にははっきりと届いたその言葉。白雪の顔は照れによりまるで髪色と同じくほんのり赤く染まり、ジーンは嬉し気にリュウの頭をくしゃくしゃに撫で回していた。リュウが名前や肩書きなど既存の情報だけではなく、自分の思った事や感情を言葉として表した事が余程嬉しかったらしい。「こんなに成長して…!」と姉を超えて母のような発言をしていた。
 暫く感動の余韻に浸り、ジーンの気分とリュウの髪型が落ち着くと、ジーンは僅か乱れた白衣を整え、室外から白雪を正面に見つめ手を伸ばした。

「改めまして、私はジーン。よろしくお願いします」
「白雪と言います!こちらこそよろしくお願いします、ジーン先生」

 伸ばされたジーンの手を慌てて白雪が掴み、2人は握手を交わした。ジーンの掌は、女性にしては厚い皮で覆われていた。白雪も薬草を採取したり土の管理をしたりするため一般的な女性達より逞しい手をしていると自負していたが、ジーンの掌は一見目立たないものの、白雪よりも厚い。このようになるほど医務官も重労働なのかと白雪は大変さを察した。

「ジーン先生はどうしたの?処方箋依頼の時間にはまだ早いけど」
「白雪さんのお迎え。午前中に医務室を見学させたいって、ガラク薬室長から聞いてるよ」
「そうなんだ。午後から薬草採取に行くから、それまでには戻って来れるようにね」
「りょーかい。じゃあ早速だけど、白雪さん行こうか」
「あ、はい!リュウ、行ってきます!」
「いってらっしゃい」

 「出口のところで待ってます」と再び手をひらりと振って窓からフレイムアウトしたジーンを追って、リュウへの挨拶は忘れず、慌てて薬室を飛び出した。
 宣言通り、出口前にある柱の傍で待っていたジーンは笑顔で白雪を迎えた。先ほどは窓枠内でしか見られなかったが、ジーンの背丈は木々よりも若干高く、膝まである白衣をさらりと着こなしている。ジーンへの第二印象は「格好良くて優しい」だった。

「ではご案内します。医務室と薬室は意外と近くにあるんだ。少し説明しながら行こうか」
「はい!よろしくお願いします!」

 説明を受けるためにジーンの横へ並んだ白雪は、説明を聞き漏らすまいとジーンへ耳を傾ける。仕事柄、医務官と薬剤師の接触は頻回にあるだろうと、白雪はリュウとジーンのやり取りから察していた。先ほど、「処方箋依頼」という仕事関連であるらしい言葉もリュウの口から聞いている。

「ふふ。じゃあ医務官の仕事から、と言いたいところだけど、まずはじめに忠告をひとつ」
「忠告?」

 なぜか小さいながらも笑い声を上げたジーンに疑問を抱くも「忠告」という言葉で不穏な影が落ち、白雪に肩の力が篭った。

「先日のラクスドの件、医務室でも聞いたよ。非常に的確かつ迅速な処置だと白雪さんを評価している先生もいらっしゃる。けれど、良しとしない先生もいらっしゃって、医務室で何か不快な事を言われるかもしれない。それを念頭に置いてて欲しい」
「え…、もしかして私は間違った処置をしてしまったのですか?だとしたら急いでまたラクスドに!」
「違う違う、白雪さんの処置は良かった。私もそうすると思う。…まぁ、せっかくの医務室見学だから、なんでグチグチ言われるのか考えてみて。私からは、『白雪さんだけの責任ではない』とだけ」

 焦る白雪は「え、え?」と自分の何が駄目だったのかと思考を巡らせ混乱していた。
 ジーンは学びにおいては体験に重きを置く。ひよっ子見習いがこの道百戦錬磨な爺達を相手にするには心身ともに大変なストレスがかかるだろうが、ただ言葉で言うより強い印象として記憶に残るだろう。
 白雪がこれから医務室へ見学に行く事は、ただ医務官との関わりや場所を知るためだけではない。人の命を最も身近に感じられるこの場所で、白雪がラクスドでただひとつ犯した失敗に気付き、次に活かして欲しいとジーンは願った。

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