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 捕まってこの方施設の中に閉じこめられ続けていたコユキにとって、久々の外出は心を躍らせるものであった。
 忌々しい命令はあるけれど、制限なしに動く足は羽根のように軽く、どこまでも走ることが出来たし、どこかで大嫌いなココーが見ていると分かっていてもだらしなく緩んだ頬は戻らない。
 ーーああ、自由って素晴らしい。
 思わず乗っていた岩の上でステップを踏んでしまう始末だ。
 が、踊ってばかりもいられない。何せこの自由と引き替えにケーガンの命がかかっているのだから。
 一曲踊ったコユキは額に滲んだ汗を拭い、やっと自分に課せられた命令を思い出す。
 アルティフはコユキにこの山に放たれた魔物を始末しろと命じた。あまりに失敗が多かったために処分が追いつかないのだと。
「馬鹿だろ」
 計画性の無さに怒りが湧き、腹立たし気に呟く。
 いつもならアルティフの考えを批判する言葉を言おうものならすぐさま暴力を振るわれるが、今日は何も無い。それが何だか嬉しくて、コユキはにまりと笑むと、
「アルティフとココーは救いようのない馬鹿だ!」
 木霊する自分の声に再度にんまりと笑う。
 ーー自由って、素晴らしい!
 思いの丈を叫んでも咎められない状況に緩む頬が止められない。
 叫び出したくなるほど喜んだコユキの頭からは再度命令内容が飛んでいた。すっかり有頂天になったコユキはその後も普段の鬱憤を叫び続ける。
 どれほど叫んだだろうか。少し喉が痛みだした頃、茂みをかき分けてココーがやってきた。彼は延々と続く自分たちの罵倒に苛立ちを覚え、わざわざコユキを探してやってきたのだった。
 無言でにじり寄るココーの姿を目に治めた途端、コユキの動きが止まる。いつも受けている折檻を思い出して血の気が引いたが、直ぐにその顔には余裕が戻る。普段ならば一方的に殴られるが、今日は違う。今日の自分は自由なのだ。
「あまり調子に……」
「乗るよ、山は私の縄張りだ!」
 手を伸ばしたココーがコユキの間合いに踏み込んだ途端、彼女は弾かれたように岩から飛び降りる。岩の高さは六メートルほど。常人ならば飛び降りれば一溜まりもない高さだが、コユキは躊躇いも無く飛び降り、静かに地面に着地し、飛び降りた際の衝撃を前進に変え、凄まじい早さで山の中に消える。
 あり得ない身体能力は忌むべき魔物の力の賜であった。魔物になったものは人とは比にならぬ程の力を手に入れる。更にコユキは元より身体能力が高かったため、魔物の中でも実力は群を抜いていた。
 同じ魔物ということもあり、ココーも岩から難なく飛び降りてコユキの後を追いかける。しかし山中は、絡み合う木の根や石、岩、倒木。そして地盤の緩い場所が不規則にそこらかしこにあるため、身体能力が高くても走り抜けるのは至難の業である。しかし、物心付いた頃から山の中で暮らし続けていたコユキは経験と感覚である程度それらを読み、体勢を崩しても持ちこたえる方法を熟知しており、転倒したとしても慣れから直ぐに立ち上がって走り出すことが出来る。
 身体能力の差はあれど、圧倒的な経験の差で二人の距離は徐々に離れていった。
「勘違いするなよ。お前は自由になった訳ではない。自由など、永遠に来ない」
 ココーの言葉を背に受けながら、コユキはただ前を見て走った。
 それはよそ見をしては転倒してしまうというのもあるが、今の自分は前を見るしかないと思っていたからだった。
「……煩いよ」
 珍しく真剣な声色で呟かれたその言葉はココーの耳にも、もしかするとコユキ自身にも届かない程の小さいものであった。

 ・

 宛もなく山中を走り回り、日が頭上に高く昇った頃には、高揚した気分もすっかり落ち着いてきた。
 そこでようやく頭が回るようになったコユキは、丸腰ではまずいとようやく気づき、手頃なもので武器を作り始める。
 まず石同士を叩き合わせて簡易ナイフを幾つか作り、それを用いて枝や蔓を切る。準備したそれらの素材を組み合わせ、慣れた手つきで小振りの槍と弓、そして弓矢を作成する。幸か不幸か昔から準備を怠り入山することが多かったため、一時間以内にはそれなりの数の武器が完成していた。
 弦の張りを確かめていると、前方の茂みに魔物の姿が見えた。こちらに気付いていないのか、魔物は中途半端に人の面影を感じさせる顔で一心不乱に地面を掘っている。
 嫌悪感を抱かずには居られない醜悪な姿に顔をしかめつつ、そろそろと魔物の死角に入る。
 コユキはシキになる前に魔物を狩っていた事がある。施設から脱げだした魔物が畑や住人を襲いだした頃、メギドの民は山に入って彼らを狩っていたからだ。それは当時メギドに住んでいたコユキも例外ではなく、その時に彼女は周囲の大人達から山で過ごすための色々な知識を教授されていた。
 初めて魔物を狩ったときのことはよく覚えている。
 雨で視界が悪い中、仲間だと思って声を掛けた相手が仲間だった。何かと世話を焼いてくれた猟師のおじさんの頭部をくわえてこちらを見た、血走った目の魔物の姿は今でも夢に見る。
 その記憶を消すようにして頭を左右に振り、コユキは作ったばかりの弓を構え、歪な鏃がつけられた矢を添える。
 魔物は、人間だった。
 その事実を知り、今まで自分が人を殺していたのでは。と罪の意識に苛まされたことが無かったとは言えない。けれど、メギドのため、家族のために魔物達を狩った事を悔いることも無かった。
 例え魔物が生前の姿をしていたとしても、自分がすることは変わらなかっただろうと自覚しているからだ。
 キリキリと、弦が張る音が耳元でする。が、指を離せば直ぐに目標を貫けるであろう弓を、コユキは何を思ったか後方へと放り投げ、足下にあった小振りの槍を摘むと、助走をつけて勢いよく魔物へと放った。
 助走により加速し、更に柔軟性に富んだ、しなる筋肉によって放たれた槍は周囲の空気を巻き込みながら魔物へと真っ直ぐに飛んでいく。哀れな魔物が風を切って向かう槍に気付いた時には、その胸部には深々と槍が刺さっていた。
 槍を受けた魔物はその勢いに負け、もんどり打って地面に転がる。が、貫く箇所が一点。かつ小振りな槍であるため、負傷箇所が少なく、衝撃の割に痛手をそう受けていない魔物は、すぐさま立ち上がり逃走を図る。
 てっきりそのまま倒れてくれるとばかり思っていたコユキはこの行動に慌てふためいた。
「ま、待って!」
 殺されかけているのに、待てと言われて待つものが居るはずもなく、魔物は槍を刺したまま奥へ奥へと走っていく。
 せっかく作った武器をそのままに、慌てて魔物を追いかける。獲物は一撃でしとめるとこを信条にしているコユキにとって、負傷した魔物を野放しにするのはあまりに酷だと考えたからだ。
 走って、走ってやっと手負いの魔物に追いつき、その胸に刺さった槍を引き抜くと、返しで心臓を引き裂かれた魔物は、今度こそ息を止めた。
「何が一撃でしとめるだ……。下手くそ」
 返って苦しむ時間を長引かせてしまった事に苛立ちを覚える。が、そうのんびりと自省にいそしむ時間は無かった。忌々しげに呟いた彼女は、周囲に漂う腐臭に顔を上げ、そして固まる。
 コユキは、十数匹の魔物の群の真ん中に突っ込んでしまっていた。
「あー……。失礼しました」
 じりじりと後退するも、下がると同じように魔物達はこちらににじり寄る。その中の数匹は息絶えたかつての仲間の躯をむさぼり食う為付いてこなかったが、それでも間に合わせの武器で太刀打ちできる相手ではない。
 相手は本能しかない。それもシキである自分に憎悪を募らせている魔物の集団。こちらはつい最近まで多少は活動的な女生徒。しかも装備は耐久性など持ち合わせていない間に合わせの武器。
 コユキが勝つと予想するものなど、余程の穴馬狙いの賭師しかいないだろう。
 後退していると、踵が木の枝を踏みつけた。パキリと甲高い音が周囲に響く。
 途端、それまで張りつめた緊張を保っていた魔物の一体がコユキへと飛びかかり、それを皮切りとして次々に魔物達が躍り掛かる。
 最初の一体こそ槍で殴り飛ばす事ができたが、その一撃で槍は破損し、迎撃するにはあまりにお粗末なサイズになってしまう。
 結果、コユキは掛かってくる魔物達を跳んでは避け、かい潜っては避け、そして薄皮一枚犠牲にしながら大木によじ登る事で魔物の猛攻を避けた。
 樹上に避難しても尚、魔物達は木に体当たりをすることによりコユキを引きずり降ろそうと躍起になる。落とされてたまるかと木にしがみつきながら目下の魔物達を眺めつつ、コユキは自分の不甲斐無さに少し泣いた。
 作った武器もさほど役に立たず、腕は血が出ないとはいえどぱっくりと裂け、下では自分を喰殺そうと魔物の群がひしめいている。思い返せば思い返すほど自分の情けない失敗が浮き彫りにされ、目がどんどん熱くなる。
 今すぐにでも穴を掘って入りたいが、足下には魔物。静かな場所で考えたいが、今は魔物に木を揺らされている。ちっとも落ち着ける環境ではない。
「私自身にも腹立つけど、お前等も何なんだ! 馬鹿野郎めが!」
 腹立ち紛れに木の実を下の魔物達に投げつけると、魔物は少し後ずさるが、すぐにまた向かってくる。涙と鼻水を垂らしながら何度もその行為を繰り返し、周囲に木の実が無くなったコユキは埒があかないと枝を伝って場所を変えることにした。
 といっても単に枝を伝うだけではそれを追って魔物も一緒に着いてくる。一度姿を眩ませるべく、彼女は一度木の天辺まで登り、地上からは姿が見えない場所での移動を行うことにした。
 以前ならば足が竦んでいた高さも、今では難なく進むことができる。恐らく、身体能力が異様に底上げされているのだろう。現にほんの小さな凹凸に手を掛けることで、自分の身体は垂直の木を登ることができている。
 頂上まで登り、あって無いような僅かな枝に足を掛けながら、コユキは眼前に広がる、何一つ遮る物がない広大な景色を目に焼き付ける。
 息を呑むような美しい景色が「お前はもうこちらの存在なのだよ」と告げているような気がした。
「もう、どうあっても戻れないんだよなあ」
 この景色を見ることが出来る身体と引き替えに、自分は今までの暮らしを犠牲にした。望まずして手に入れた、引き返すことの出来ない未来は絶望的とも取れる。
「でもそっちの方が気が楽かもしれない。うん、そうだな」
 しかし、戻れないとすれば進むしかない。
 変に過去に戻れる期待を持ち、ずるずると割り切れない気持ちで居るよりはずっと楽だ。
 そう思えばずっと心が楽になった。
 そして何としてでも薄暗い施設から抜け出し、この美しい世界に戻るのだという覚悟が生まれる。そのためにこの身体はあるのだ。得体の知れない能力はあるのだ。そう思えば、気持ち悪いと感じていた自分の身体能力も好きになれるような気がした。
 昔の暮らしを偲ぶ最後の涙を流し、コユキは両頬を叩いて顔を上げる。涙で赤くなった目には、以前よりずっと強い光が宿っていた。
「うん、じゃあまず自分の身体について理解しないと。今のところ、すっごい動けることと怪我を治すくらいしか分かってないもんな」
 そう言うや否やコユキは少し木から降りて適当な股に腰を掛けてどうすれば自分の能力が分かるのかと考える。が、考えたところで切っ掛けもなにも無いのだから分からない。
 以前ケーガンに能力の使い方を聞いたが、彼女は「頭に浮かぶのだよ」となんとも抽象的な答えをしてくれただけであった。
 ケーガンとは違い、何も浮かばないコユキは八方塞がりな状況に頭を抱えた。そう言えば能力らしい物を見たことがないと今更ながら気づいたからである。しかし、ふと先日の自分の髪を焼いた猛火を思い出し、顔を上げた。
 おそらくあれが「能力」というものなのだろう。
 髪を焦がされたことに腐ってないで聞けば良かったと後悔しつつ、せっかく得た光明を無駄にしてはならないと両手を前に突き出す。そして、
「出ろー!」
 ドスの利いたかけ声と共に強く念じるも、周囲はおろか手にも何の変化も出ない。しかしコユキはめげずにその行為を何時間も続けたのだった。

 ・

「能力とかさ、ガセだろ」
 日が傾くまで一人念じ続けたコユキは、すっかり掠れてしまった声で小さく愚痴りながら樹上で夕日を見ながら水を飲んでいた。
 竹で拵えた水筒から飲む水は甘く、施設で出されている腐りかけの水とは比にならないほど美味しい。
 自棄酒ならぬ自棄水を煽りながら、つまみの如く木の実を食べ、小さくため息を吐く。
 あれから能力を出す練習の合間に下に降りて魔物を駆除していたが、それも奇襲を掛けて倒したもので、お世辞にも正々堂々倒したとは言えない。これで百数体の残り全てを倒せるようには毛頭思えなかった。
「大体槍とか私の性格に合わないんだよなあ。もっとこう、広範囲でズバーっと、バシャーと倒せるようなそんなのがさ! なんて、無い物ねだりだけどさ」
 自嘲気味に嗤い、木の実を口に放り込む。
 今日水以外に口にしたのはこの小振りの木の実数粒だけだが、不思議と空腹感は無かった。施設で居るときからそれほど食料を欲したことはないが、今日の活動量を考えると摂取量の少なさは些か不安点がある。
 しかし当の本人は腹持ちが良くなったのだと軽く捕らえており、それを重要視することは無かった。むしろ今は自分の使え無さに嘆くことで精一杯であった。
「こう、バーンと……」
 再度コユキが両手を前に翳し、擬音語で自分の理想とする戦い方を表現した時、彼女の手の先。数キロ離れた場所で火柱が上がった。
 薄墨色に染まりつつある中で突如現れた紅蓮の炎。
 当初これが自分の力なのかと呆気にとられていたコユキだが、相変わらず何も変化が無い自分の身体を認識した途端、あの炎が先日自分の後頭部を焼いたものと同じなのだと気付く。
「来てたのか……。っと、こうしちゃ居られない!」
 すぐさま支度を整えたコユキは木の幹を蹴ると地上へと降下を始める。
 今になって気づいたが、この目は夜でも見通しが利き、薄暗い中でも僅かな光を拾って昼間のように物を捕らえることが出来る。その目と高い身体能力を駆使し、コユキは枝から枝へ、幹から幹に飛び移り、僅かな間に地面へとたどり着いた。
 着地するとまだしぶとく残っていた魔物がこれ幸いと躍り掛かる。
「邪魔をするな!」
 樹上から彼らの様子を見ていたコユキは背負っていた槍でそれらを薙払い、倒れた魔物の心臓を一突きすると火の手の方へと走り出す。
 駆けつけることで頭がいっぱいになっているコユキは気付いていなかった。槍の表面を真珠色の結晶が覆っていることに。

 ようやく火柱が上がった場所にたどり着いたとき、緑豊かな木々で覆われていたであろう山肌は僅かに残る火種と焦げた倒木が転がる荒野へと姿を変えていた。
「酷いな……」
 進むにつれて火が強くなり、息をするのも辛い状況に、服の裾を切って水に浸し簡易のマスクを作成して火が比較的少ない場所を選んで進む。
 ブーツの底が焦げて嫌な臭いがするが、それよりも酷い臭いが周囲には充満していた。
 進む内に道に目立つようになった、火を纏いながら転がる残骸。それらは黒こげになって息絶えた魔物だった。そのどれもが助けを求めるように手を突きだした状態で転がっており、臭いとその様相も相まってコユキは顔をしかめた。
 やがてけたたましい魔物の悲鳴が響き、同時に蒸すような空気から肌を焦がすような熱風に変わった頃、騒ぎの正体が姿を現した。
 すっかり日が落ち、暗闇が世の中を支配する時間帯。けれど、それは煌々と燃える太陽のような光の中、灯籠の光に群がる虫のような魔物達と対峙していた。
 炎とは相対する松葉色の服に身を纏い、剣を手に炎の中で舞うのは、燃えさかる炎の色にも劣らない紅蓮の髪をした女であった。戦いの邪魔にならないよう配慮して居るであろう、後頭部に纏められた髪は彼女の動きに合わせて演舞の竜の如く激しく動く。
 一つも無駄のない彼女の動きは全て魔物の息の根を止める為だけに稼働している。野蛮な動作ではあるが、卓越されたその動きはもはや芸術と言っても過言ではなく、コユキは自分が火の中にいることも忘れて見惚れてしまう。
 そんな折り、背後に衝撃を感じて体勢を取り直す。すると、そこには女が戦っている群の一部であろう魔物の姿があった。
 女の戦いの観戦を邪魔されたことに怒りを覚えつつも、背から槍を取って構える。構えるとすぐに魔物が飛びかかって来る。火と煙に囲まれていることから、自然と姿勢は低くなり魔物と視線が真っ直ぐに合わさる。
 全身に寒気が走るのは真っ直ぐに敵意を受けているからか、はたまた女戦士を前にして気が高ぶっているのか。未だかつて無い高揚感に身を委ねるコユキの身体が仄白く輝き、時を同じくして女の身体も赤く輝く。
 直後、周囲は猛火と爆風によって包まれた。


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