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「ココーさん、あいつらの内、どっちが生き残ると思います?」
 樹上から火柱が立つ景色を眺めていると、不意に暗がりから声を掛けられた。が、ココーはそちらに顔を向けることは無く、また答えることもなく黙って炎を眺めている。
「オレ、圧倒的にあの軍人だと思いますよ。あっちの担当であるココーさんには悪いですけどね」
 そんなココーに気を悪くするでもなく、暗がりから出てきた男は隣の枝に腰を下ろす。
 男のつり上がった狐目もまた火柱が上がった場所に注がれている。彼もココーと同じく、反乱分子のシキを担当に持つ者であり、今暴れている炎のシキを担当している一人であった。
「あいつ強いですよ。軍人上がりで身体能力ただでさえ高いのに、あの能力でしょう? 正直オレ一人じゃ押さえるのは難しいっすよ」
「おい、ココーさんに失礼だ」
 軽口を叩く男を諫め、もう一人男が暗がりから出てくる。今度の男は金色の髪をした、酷く整った顔をした男であった。金髪の男はココーに一礼し、座ったままの男を引き起こす。
「しかし、俺もこいつと同意見です。並のシキでも、あれには勝てませんよ」
 金色の、どこか猛禽を思わせるような目で燃えさかる山を見つめ、男も狐目の男に同意する発言をする。男達の発言は至って冷静なものであったが、暗闇でも見通しの利く目を持っているココーには、彼らの体のあちこちに残された火傷の痕が見えていた。どうやら、彼らの確信した意見の裏側には、自分たちの苦い体験があるようだ。
 確かに、彼らの担当している炎のシキは一筋縄ではいかない強さがある。実際、純粋な戦闘力だけで見れば、コユキは足下はおろか、土俵に上がることすら出来ない。
 しかし、ココーはコユキの扱い辛さ。そして底意地の悪さを知っている。コユキもまた、一筋縄ではいかない部類だ。
『ふふ、君たちはまだ青いねえ』
 不意に聞こえてきた聞き慣れた声は、ココーの持っているモニターからしていた。ぼうと青白い光を放つ液晶には、爆発したような白髪の老人、アルティフが映っている。
『生物はね、追い込まれると急激に成長するのだよ。特に、あの聞かん坊はその気が強い。ろくな戦闘経験もない者が、今まで生き抜くにはそれなりの理由がある。それを、君たちには今宵見せてあげよう』
 そう言うと、アルティフは心底愉快そうに笑った。

 ・

 ーー何だこれ、容赦ないにも程があるだろ……!
 暴れ狂う火の海から賢明に逃げつつ、コユキは容赦なく周囲を焼き払った女に怒り混じりの恐怖を抱いた。
 助太刀をしたつもりだった。が、女は一切の迷い無く魔物ごと周囲を焼いた。コユキの存在に気付いていないかのように。否、コユキの存在を知っていたからこそ、周囲ごと焼いたのかもしれない。
 焦げ付く靴の臭いを嗅ぎながら、びりびりと痺れた痛みが走る右手に触れる。
 持っていた槍は既に燃えカスと化し、掴んでいた右手は炎に炙られて赤く爛れ、風が触れるだけで飛び上がりたくなるような痛みが生じる。恐らく、今炎に追われていなかったらひいひい情けない声を上げて跳ねていただろう。
 腕を庇うようにして走っていると、首筋が妙にざわついた。
 手の痛みよりもそちらの方に気を取られたコユキはその場で立ち止まって首に触れる。と、そのまま走っていたらコユキの頭があったであろう場所に火の海を裂いて剣が振り下ろされた。
「ちょろちょろと、鬱陶しい……」
 火の海から現れたのは、炎と同じ色の髪をした女。
 愚痴を吐きながら立ち上がった女は、髪と同じく炎と同じ色の目でコユキを睨む。
 尻尾を巻いて逃げるつもりであったが、炎に照らされた紅蓮の目に見据えられ、息を呑んでその場に立ち尽くす。それ程までに彼女の目は覇気に満ちており、そして美しかった。
 我に返った時には女の剣が目前に迫っていた。何とかそれを避けようと身を捩らすも、炎を纏った女の剣はコユキの頬を裂いてゆく。ケーガンに貼ってもらった貼り薬が剣の流れに沿って血と共に宙に舞い、そして周囲の炎に巻かれて消えゆく様を目の端で捉えながら、コユキは震える手で頬に触れる。
 乾いた感触だった貼り薬は当然そこには無く、代わりになま暖かい血液がどろりと手に触れた。
 ーー貼り薬が邪魔をしよったな……!
 出血の割りに浅い手応えに、女は心中で舌打ちをし、今度こそトドメを刺そうと構え直す。が、正面にいる手負いのコユキを再度視界に入れた途端、彼女の動きは凍り付いたように止まる。
 それまで粟を食ったように逃げ回っていた筈の少女。今も彼女は血に塗れた手を見つめながら呆然と立っており、女がその気になれば即座に躯に変えることが出来る。が、女にはそれが出来なかった。体中から見たこともない真珠色の光を放つコユキに少しの恐れを抱いたからだ。
「よくも……」
 血濡れの手を強く握り、コユキが呟く。
 その呟きには明らかな怒気が含まれていた。
 あくまで推測だが、顔を切られたことを怒っているのだろう。
「よくもケーガンがくれた貴重な薬を燃やしてくれたな……っ!」
 が、推測はあくまで推測の域を越えず。自分の顔など何のその。友がくれた物を燃やされたことに激怒したコユキの周囲に真珠色の結晶が霜柱のように生じる。
 咄嗟に飛び退いて逃れる女だが、結晶は水面に広がる波紋のようにコユキを中心として見る見る内に広がり、焼け落ちた大地はまだ燃えさかる炎と共に結晶の中に閉じこめられてゆく。女の、退路と共に。
 やがて結晶が女の足を捕らえた。一度捕らえられた女の足はもがけど払えど真珠色の結晶に覆われてゆく。
「ふざけるな……!」
 窮地に立たされた女は低い怒声と共に己の体に炎を纏う。すると結晶は氷が溶けるように消え去る。それに止まらず、女は剣を地面に突き立てて周囲の結晶を燃やし尽くす。
 炎と共に、真珠色の光が宙に舞う。その合間を縫うようにして、女とコユキ。赤と黒の視線が交差する。色は違うがその二つの目には共通するものがあった。
「ふざけるなはこっちの台詞だ!!」
「じゃかあしいわ!!」
 憤怒という共通点を持った二人はお互い怒りの声で威嚇をしながらそれぞれ光を纏う。
 すっかり頭に血が昇ったコユキは怒りのままに光を身に纏う。いつもならば奇々怪々なこの現象に騒ぐところだが、幸い今は怒りに燃えるあまりそれに気を払う余裕もない。
 光が身を包んだ直後、コユキの手は真珠色の結晶に包まれた。そして直後に結晶が砕けたときには、つい先ほどまで焼けただれていた手は傷一つない状態に戻っていた。
 それに本人が気付くより先に、女が一っ飛びでコユキの間合いに飛び込み、猛火を纏った剣を払う。が、その剣はコユキの首を落とすことなく、地面から盾のように延びた結晶によって阻まれた。
 剣を防いだ結晶はそれに飽きたらず、先ほど地面に浸食したように剣と触れているところから結晶を延ばし、女をも食らおうとする。が、二度も同じ手を食らう女ではない。
 女は剣が囚われたと分かると否や、剣をまるで道ばたで拾った棒きれの如く放り投げると、拳を握ってコユキへと殴りかかる。
「そうこなくっちゃなあ!」
 と、コユキもまた待ってましたとばかりに拳を握ってそれに応戦した。
 武器を持たず、能力も使わず。二人はただ己の肉体のみで戦い合う。
 その姿は先ほどまでの人智を越えた戦いとは違い、酷く原始的で、短絡的な様であった。
 とはいえ、元軍人である女は一通りの武術を嗜んでいる。いくら丸腰になったとは言え、村娘のコユキに勝ち目などないように思えた。

 ・

「ところで、君は女軍人とあの娘。どちらが勝者になると思うかね?」
 岩がむき出しの施設内の中で、唯一人の住む環境となっているアルティフの自室で、老人はモニターに映し出された燃えさかる山を眺めながら興味深げに尋ねる。
 片手で飲み干したグラスを揺らすと、部屋の隅にいる褐色の肌の少女が静かにそれを下げる。少女は微笑みながらグラスを下げると、じっとモニターを見つめる。紫水晶の目にも燃えさかる山が映ったが、彼女が求める光景はそれでは無いようであった。
「ああ、失礼。君には見えているのだったね」
 返答が返ってこないことに謝罪すると、それは静かに頭を振った。
 ふわり、と、舞う羽毛がモニターの前に落ちる。褐色の少女がそれを拾い上げると、それはくつくつと嘴を鳴らし、
「言うのは簡単だけれど、それでは面白くないでしょう。暫し観覧致しましょうぞ。ただ、一つ言うならば、答えはどちらでも無い。ということだね」
 そこにいたのは囚われているはずのケーガンだった。
 彼女は静かにグラスを持つと、アルティフに軽く掲げる。彼女の目にもまた、燃えさかる炎が映っていた。ただ、彼女には他の者には見えない光景が見えていた。この先に待ち受ける、コユキ達の未来、が。

 ・

 コユキが女と拳を交えてはや半時間。
 先ほどまで猛威を振るっていた火の勢いは衰え、勢力は火から煙に変わりつつあった。
 元軍人と村娘の一騎打ち。その勝負は既についていたと思われた。が、意に反して、充満する煙の中では未だにもつれ合う二つの影があった。
「く、この糞餓鬼が……!」
 そしてどういう訳か、苦言を漏らしているのはコユキではなく、女の方であった。
 女は汚れた顔をしかめつつ、コユキを蹴り飛ばすと、コユキの拳を叩き込まれた頬を押さえる。
「卑怯じゃと思わんのか!」
 怒気を含んだ問いかけに、受け身を取って立ち上がったコユキは同じく汚れた顔を拭い、にたりと笑う。
「べっつにー! 勝てば官軍。負ければ賊軍ってね。卑怯でもなんでも、勝った方が正しいんだよ!」
 言うや否やコユキは勢いよく女に向かう。そして女の間合いに入ると、地面の灰をすくって女の顔面に投げつける。女の顔がやけに汚れていたのは、コユキが灰で目潰しをしているからであった。
 女が灰で目が眩むと、コユキは続けて彼女の足下に石や木の燃えカスを投げる。それらに足を取られ、女は転けるまではいかずとも、大きくバランスを崩す。
 すかさずコユキは女の元に駆け寄り、無防備になった女の体を叩く。全力ではなく、八分の力で。そして女が反撃しようとするとすぐに間合いを取り、再び目潰しの準備をする。それをコユキは延々と繰り返していた。
 武術で真っ向から勝負すれば負けるであろうことは理解していた。しかし、それはルール下に置かれた状態。での話だ。
 実際の勝負はルールなど存在しない。ただ勝てばいいのだ。ルール無用のアルティメット。昔から山で過ごし、半弱肉強食の世界で育ったコユキにとっては当たり前で、最も得意とする事柄であった。
「この……卑怯者が!」
「何とでもどうぞ! 大体、先に手を出したのはあんただからな! こっちは魔物処分手伝おうとしただけなのにさ!」
 武術三級ゲリラ八段。あまりに節操のない戦いへの姿勢からそのようなあだ名が知らずに付いたコユキは、女が罵倒する間もせっせと灰をかけ、魔物の死骸を投げつけたりと嫌がらせに近い攻撃の手を止めない。
「……手伝いじゃと? 馬鹿なことを。きさんらが手を貸す訳が……」
「はあ!? 馬鹿って言った方が馬鹿だろうが! このばーか!!」
 見ず知らずの他人に馬鹿呼ばわりされたことに激高し、コユキは永久期間の如く動かしていた嫌がらせの手を止め、真っ向から女に殴りかかる。が、それが悪かった。
 女が今まで防戦一方だったのは、四方八方から目潰しを交えての攻撃で足止めされていたからである。予測不可能な攻撃だからこそコユキが有利だったわけで、短絡的な戦法に出ればどちらが有利かは火を見るよりも明らか。
 案の定直線上を飛びかかったコユキは襟首を捕まれ、そのまま投げ飛ばされる。
 ゲと、背中を叩きつけられて声を上げると同時に、女の足がコユキの腹部を押さえつける。不味いと思った頃にはもう手遅れ。動きを封じられた上に、いつの間に拾い上げたのか剣を首に当てられており、コユキは完全に手詰まりとなっていた。
「負けたー……」
 くすぶった大地に大の字に横たわり、コユキは降参の意を口にする。
 先ほどまでの往生際の悪い行動とは打って変わって、やけに素直な態度に不信感を抱きつつも、女は首に添えた剣に力を入れる。が、剣が肉に食い込んでも、コユキは暴れたりしなかった。
「また何か企んでおるんじゃろ……」
「企む? 冗談。何が悲しくてまだ火のくすぶる地面に横たわらなきゃなんないんだよ! 髪の毛が痛むってのに!!」
 目をくわっと見開いて怒鳴るコユキに、女は思わず閉口する。それ程までの気迫が、今のコユキにはあった。
「ああ、でも困ったな。ここで死ぬとケーガンが助からない。それはやだな」
「ケーガン?」
 今すぐにでも殺せるからだろうか? 女はそれまでの聞く耳持たずではなく、コユキの話を聞く気があった。
「うん。友達。この山の魔物を一掃しなきゃ殺すって言われた」
 そこまで言って、コユキは何かに気付いたのか、急に表情を輝かせた。
 横たわり、首に剣をあてがわれながら目を輝かす様は、どう考えても正気ではない。
「あのさ、ここから帰ったらケーガン助けてくれるように進言してくれないかな? 頼むよ。ほら、命やるから!」
 ーー馬鹿なのか。
 さも価値のある取引のように持ちかけるコユキに、女は素直に呆れた。
「そんなもん知らん。大体、ここできさんを殺せばそのような約束なんぞ……」
「いいや、あんたは守ってくれるさ」
「根拠は?」
「拳を交えたら分かる! あんた真っ直ぐな人でしょ? ココー達と違って、拳に淀みが無い」
 かっかっかと笑い、何の根拠もない確信を口にするコユキを前に、それまで真一文字に結ばれていた女の口端が僅かに緩む。
 分かった。
 小さく呟き、女はコユキの首に当てていた剣と足をそっと離し、両手に持ち替えると、その切っ先をコユキの胸の上に向ける。
「約束は、守ろう」
 うれしそうに目を細めるコユキを眺めながら、女は構えた両手にぐっと力を入れ、大きく深呼吸をする。
 直後、女の視界は暗転した。

 ・

 夢と現実の狭間で意識を漂わせていた女は、徐々に鮮明になる視界の中で目の前で寝転けている見知らぬ寝顔を確認して固まった。
 数秒遅れて先ほどまでやり合っていた娘だと把握し、顔の横まで出た拳を引っ込める。見れば見るほどその顔は緊張感に欠けており、とてもじゃないが今すぐ寝首をかく気にはなれなかった。
 とりあえずこの無防備な娘は後にしようと、今度は周囲の状況を探る。
 どうやら自分たちは洞穴の中に草を敷いて横になっているようだった。洞穴の入り口から僅かに見える空はまだ真っ暗で、小石を撒いたような細々とした星が散らばっている。
 腹具合からするに、気を失ってからそれほど時間は経っていないだろう。
 体を起こそうとして、シュロの葉を編んで作った掛け布団の下では肌着一枚になっていることに気付く。そして目の前の娘も同じく肌着一枚だと気付く。
 何かされたのだろうか。と怪しんだが、娘に殴られた場所と頭の鈍痛以外は特に痛みもなかったため、その疑惑はすぐに解消された。
 続いて焼けただれた指先に包帯が巻かれていることに気付く。今日は炎を使いすぎたため、手袋諸共女の手は爛れてしまっていたのだが、皮膚にへばりついているはずの手袋も綺麗に除去されており、代わりに独特な臭いがする包帯が巻かれている。恐らく、この臭いからするに、軟膏も塗られているのだろう。
 会って間もない。それも自分を殺そうとした相手にどうしてここまで手を焼くのか。行きすぎた親切心に疑心すら抱く。が、その疑心はすやすやと気持ちよさそうに眠る娘の姿を見て晴らされた。
「……ああ、おはようございます」
 それにしても間抜けな顔だ。思わず呟いていると、涎を垂らして眠っていた娘の目が開かれる。娘は夜空のような真っ黒な目をしばたかせ、平凡な挨拶をした。
 どこまで馬鹿なのだ。女は心中で呟いた。
「一体何があった?」
 前もって汲んでおいたのであろう、水の入った竹筒を差し出されたが、さすがに口にする気にはなれなかった女は声に威嚇を含みつつ尋ねる。が、問いかけられた本人は、倒れた。と、竹筒を再度勧めながら答えた。
 火が出るかと思うほど喉は渇いていたが、水の中に毒が入っている可能性もある。生唾を飲みながら水を断ると、目の前の娘は残念そうに眉を下げながら竹筒を引っ込める。
「多分ね、酸欠だと思うよ。あの時煙充満していたからさ。頭痛くないの?」
 言われてみれば頭に鈍痛が走っていた。ぶつけたのではと思っていたが、どうやら違うようだ。
 だが、それにしては辻褄が合わない。女が酸欠で倒れたのは頭痛とそれまでの記憶が正しいとしても、そのような状況で、どうやってこの娘は脱出したのか。手負いで、自身より大きい自分を運んで。
 やはり、こいつはアルティフ達と繋がっていて、彼らの協力の下自分を運んだのでは。
 晴れた疑惑が再び濃くなる中、がぶがぶと水を飲んでいた娘は女のいぶかしげな表情に気付いたのか、私が倒れなかった理由? と聞き、ある言葉を口にする。
 それは、女が自分が人体実験を受けたと聞かされた以来の衝撃的な言葉であった。
「私、植物人間だからだよ」


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