9-80
 ガラス片と亡骸が所狭しと散らばる室内で、セツは何かに取り付かれたかのように刃を振るう。青鈍色の光が一閃する度に、室内に並べられたカプセルが弾け、中から水流に押されて自分にそっくりな女が外に出る。
 女達は大概が事切れている。もしくは息をするものの動くことが出来ないような者ばかりであったが、中にはぎこちない動きで立ち上がる者もいた。
 しかし、それらも言葉を解したりする事はなく、呆然とそこに立ち尽くすか、ふらふらと徘徊するものばかりであり、この先生き残れるような者は居なかった。
「お疲れさまです」
 逃げる者はそのままにして、全てのカプセルを破壊し尽くした頃、不意に声をかけられ、即座にそちらを見る。視線の先には、いつから居たのか、室内に生えた大樹に寄り添うようにして座っている自分に似た造形の女がいた。
 少々髪色や骨格が違うものの、ここにいること。そして少なからず姿形が似ていることから彼女が自分の複製だとは理解出来た。今までの複製と同じく言いようのない嫌悪感はあるが、彼女が言葉を解したことが気になり、セツは武器は抜き身のまま、部屋の隅に鎮座する彼女の元へと歩み寄る。
「すっきりしましたか?」
「全く」
「おや、おかしいですね」
 その女は眉を潜ませながら小首を傾げる。その感情のあるような仕草は以前の自分がしていたようなものであり、セツは目の前の女に憧れと不快感が混じったような何とも言えない感情を抱いた。もっとも、以前の自分はこのような胃がもたれるような女々しい行動はしようとも思わなかったし、しなかったが。
 唇に手を当てて考え込む仕草を延々とする女に付き合いきれず、セツはこちらから質問を振ることにした。ねえ、と声をかけると、女は目を輝かせてこちらを見る。
「此処は私を作る施設で間違いない?」
「はい! このセミーリャ施設は貴女、ハクマを複製する為の施設です! もっとも成功率は未だ低く、正規の施設とは言えませんが。ちなみにここが廃棄された理由は、失敗作の処分が間に合わず、廃棄場所がパンクしたからです」
 笑顔でとんでもないことを言い放った女は、此処にあるのは全て失敗作です。と、周囲の亡骸を指さす。感情表現が豊かで、他の人間と大差ないようなこの女でも、常識を逸した場所にいるようだ。
 しかし、セツにはそれよりも気になることがあった。
「ハクマ……?」
「博士が付けた名誉ある名ですよ。ハクマが生まれたことにより、他のシキも名を持つようになったのですから。謂わば、貴女はシキの名の元祖とも言える存在です! もっとも、その名を貰えるのは成功作だけなんですけどね」
「……私はハクマじゃない。セツだ。なら、貴女の名は?」
「ある訳ないじゃないですかー!」
 ヴィヴォの手下のハクマより、貴女の方がずっと人間らしい。そう言うと、彼女は驚いたような顔をした。
「何を言っているのですか? 兵器に人間性など不要ですよ。求められるのは圧倒的な力とそれを制御する術です。それ以外はぜーんぶいらない」
 さも当たり前のように彼女はセツを指さし、幼子に言い聞かせるようにして語る。
 それはアルティフが事あるごとに口にしていたものと全く一緒であった。
 お前は兵器だ。強さだけ求めろ。
 毎日毎日言い聞かされ、それ以外に与えられるものと言えば新たな敵と、戦地だけであった。
 あれから三千年以上経ったというのに、何も変わっていない方針。進化を求めていた彼の研究が、昔の考えから一つも変わっていないというのは皮肉なものだと、セツはどこかで思った。
「それで、私に何を言いたい? わざわざ挨拶をするために此処に招いた訳じゃないだろう」
「はい! でも目的はほぼ達成しています。貴女、ここに来て思い出したでしょう? 自分が本当は何者なのかを。はは、黙っていても分かりますよ。目は口ほどに物を言うってね」
「信じる信じないは個人の自由だ」
「まーね。でも、貴女が信じなくても、真実は真実なんですけどね」
 誰かに良く似た人を食ったような口調が、セツの神経を逆なでする。それも自分と同じ姿形をしたものが言うものだから、不快感は量り得ない。
 しかし、手を出そうとは思わなかった。
「例え真実であったとしても、私が話さなければ周囲が知ることはない」
「ですよねー。でも、忘れていません? 私が知っているって事は、此方の者では公認の事実なんですよ。だから、貴女が喋らなくても別に問題はないんです。此方の誰かが言えばいいだけなんですから」
「なら、言われるより早く潰せばいいだろう」
「良いですね〜。なら、早く潰してくださいよ。彼らは荒野の研究所で待っています。ああ、ちなみに貴女がこう言うのは予想の範囲内。むしろ願ってもないことです。ふふ、貴女は所詮私達の手の上で踊らされる存在なのですよ」
 自分達が優位である。それを強調して伝え、彼女は残念でしたねと微笑む。
 ちらと頭に殴ってやろうかという考えが浮かんだが、彼女の姿を見るとそんな気も失せた。この態度が、生意気な物言い全てが此処から動くことが出来ない代償なのだと考えると、ここで手を出すこと自体が彼女の思う壺だと思えた。
「他は?」
「うーん。特にないですけど。貴女は?」
「無い」
「まー、そりゃそうでしょうね。全て捨てるつもりなんですから、今更要らないですよね。おっと失礼。くっちゃべっているのも何ですし、最後に本音だけ言わせて貰いますね」
 そう言うと、彼女はコホンと咳払いを一つし、
「正直貴女が憎くて仕方ありません。貴女の遺伝子がこんなに不安定でなければ、私達は失敗作になることはなかった。第二、第三のハクマが生み出されることもなかった。どれだけ博士の自信作と言われようと、私達からすれば貴女は失敗作です。最高の失敗作」
 それは、今までの演技がかった物言いではなく、真剣な、彼女自身の本意の言葉であった。
 彼女の体は後ろの大樹に癒着していた。もし仮に彼女の戦闘力が低いとしても、今まで出会った複製全てが言葉を介せなかったことからすれば、彼女は十分成功の部類に入るのではないだろうか。それでも彼女が失敗作であると言うのなら、原因は体の樹木化であろう。
「お気の毒様」
「喧嘩売ってます?」
 恨み辛みを言われたところで、セツは何もすることが出来ないし、謝るのも筋違いだ。元よりセツが複製を望んだわけでなく、こちらも不快な思いをしているのだから、どちらかと言えばセツも被害者の内に入る。
「だからどうしろって言うわけでも無い。だったら何を言っても同じ」
「あーあー、そうですね。そうですよ。仮に貴女の死を望んだとしても、複製作りは困難になるだけですから。はあ、面白くない」
「話がそれだけならもう行く。どうせ急いだ方が良いんだろうから。最後に斬っていこうか?」
 彼女は此処から動けない。
 道を示してくれたせめてもの礼に引導を渡そうかと提案する。しかし、彼女は嫌です。と即答した。
「私は別に此処に居るのが苦ではありませんから。むしろ貴女にだけは絶対に斬られたくないですね」
「そう、分かった」
 最後の最後まで皮肉を貫く彼女を置き、セツは帯刀して踵を返す。
 次の行き先を見つけたセツの足取りは、どこか重いものの今までで一番早かった。
「……何が、ハクマじゃない、だ」
 扉の奥に消えていくセツを見つめ、彼女は苦々しく吐き捨てた。
 樹木に浸食され、動かなくなった左腕には2277という印字が施されている。それは彼女の製造番号であり、背中の樹木化の為成功の証であるハクマの名を貰えなかった彼女にとっては名そのものであった。
 喉から手が出るほど欲しいハクマの名を一蹴にしたセツへの呪詛の言葉を一通り挙げ連ねた彼女は、残りの時間を黙って過ごすことにした。二番目に欲しい、自分の命の終わりが来るまで。

 ・

 一体何体のセツを手に掛けただろうか。
 クサカは何も発さず、何も考えず、ただ目の前の虚ろな目のセツをなぶり殺す行為を繰り返す。
 あれほど殺したいと願っていた相手だった筈なのに、いかに残酷な殺し方をしようか考えていた筈なのに、いざそれが叶うとなると、達成感や喜びなどの感情は一切抱けず、虚しさと怒りが募るばかりであった。
 結局クサカは複製のセツの頭部を砕くことにより、一撃でセツ達を殺していた。
 廊下にひしめいていたセツ達の数と共に、針のストックも残り僅かになった頃、ごろりと眼孔から漏れた黒い眼球と目が合う。魂の抜けているはずのそれに、これで満足か? と問われているような気がした。
「おい、何か音がしないか?」
「音ならさっきからしている」
「そうじゃなくて、頭がキーンとなるような……」
「疲れているんだろう」
「ああ、疲れもするさ……。何せこんな状況だもの」
 夢なら覚めて欲しい。そう言ってクロハエは目の前に立つ片目だけが異常に発達したセツの喉笛を掻き切った。
 水が詰まるような音を響かせ、セツの形をした異形の人形はどうと床に崩れ落ちる。彼女たちが生物として機能を果たしていないこと、そして彼女たちの存在があってはならないということは重々承知している。だが、それでもやはり良く知った仲間を切り捨てているという罪悪感は否めない。
「躊躇するな」
 心中を読みとられたような気がして、クロハエはギクリと肩を竦ませる。
 どうせ甘いだとか、油断に繋がるとか、失敗作に気を遣うなと言うのだろうな。そう思いながら扉から出てきたセツを切る。切り口が甘かったのか、そのセツは口を開閉しながら地面を這いずり回る。
「これはただの模造品だ。セツではない」
「分かっているさ。でも、そう簡単に割り切れない」
「そのような気持ちでこいつらを切るのは失礼に値するのではないか? 例え模造品でも、失敗作でも、俺たちはこいつらの命を奪っているんだ。そこに迷いなどあっては、こいつらに申し訳が立たん」
 予想外の言葉に、目を丸くする。
 すると、彼は虫の息であったセツの首筋を一刀両断し、あいつの受け売りだ。と呟く。
 あいつ。がセツを指しているのは直ぐに理解できた。彼女は魔物を殺すようになってから、その言葉を事あるごとに呟いていた。相手の命を奪うのだから、こちらも命を懸ける。生半可な気持ちでは相手に失礼だ、と。
 そして同時に、そんなことを言っても所詮こちらの都合の良い捉え方だ。と悲しそうに笑っていた。命を奪われた時点で、向こうが此方を恨むのは仕方ない、と。だが、もし自分が相手の立場であれば躊躇なく掛かってきて欲しい。中途半端に迷いや謝罪の気持ちがあるのなら、最初からするなと思うよ、と。彼女は晴れやかに笑って言っていた。
 そして、そう思わなければ、気が狂ってしまう。とも。
 それは戦場でのセツの最後の希望、そしてかつての自分の行いへのささやかな抵抗であった。
「覚えていたのか?」
「ああ。忘れはしないさ。……待て、クサカの様子がおかしい。あれは確か……」
 廊下の先で立っているクサカの足下には無数のセツの亡骸が転がっている。
 常識的に考えれば十分おかしい光景だが、この状況下では別段おかしいことはない。ただ、彼を包む光の色が異常であった。
 クサカは能力を発動させるとき、金色の光を身に纏う。しかし、今クサカを覆っているのはどす黒い光だった。見る見る内にその光はクサカを包む。否、飲み込んでいく。初見でもそれがまずいという事は把握できる。
 ココーは以前にもこの光景を見たことがあった。
「確か何!?」
「少し待てよ。確か、いつだったか……」
「早くしろって! おい、クサカ! しっかりしろ!」
 そうこうする内にもクサカはやや脱力したような動きで床に倒れるセツ。そして後僅かになった生き残りに向かって指を伸ばし、払うような仕草をする。途端、セツの体が指の動きの通りに切断される。
 緊急時においてふざけた発言をするココーを一旦放っておき、クロハエは既にほとんど黒い光に包まれてしまったクサカの肩を掴む。
 彼が今使っているのは、空気を圧縮することで身の近くに空気の刃を生み出す力である。それは目に見えず、避けようのない刃であるため殺傷能力は非常に高い。が、空気を刃にするためには、普段の風を操る時と段違いに力を消費する上、本来後方支援であるクサカにとっては相性の悪い能力であった。力を消費すれば、再構築への時間も短くなる。このままではクサカの力が底を尽きてしまうのではないかと、クロハエは恐れていた。
 しかし、そんな心配を余所にクサカは次々とセツを切り刻んでいく。切り刻まれることを覚悟で彼の腕を掴む。すると、意外にもクサカはクロハエを傷つけず、彼の手を振り払うだけだった。
 その行動から彼の執着心がセツのみに向けられていること。そして自分たちには全く危害を加える気が無い事が分かったクロハエは、少しの安堵感を抱いた。
 黒い光の浸食は安堵できるようなものではないが、彼を沈静化させるのに時間は十分あると分かったからだ。
「クサカ、セツを幾ら殺しても現実は変わらないよ」
「うるさい。俺はあいつを殺す。殺さないとあいつに申し訳が立たない」
「あいつ? ウリハリかい?」
 クサカの親友の名を出すと、彼はそれまで一心不乱に動かしていた指を止める。同時に、光の浸食が収まったような気がした。
 半分黒く染まった顔で、クサカは虚空を眺めながら、違うと呟く。
「……ツミナか」
「ああ、そうだ。あいつはセツに殺された。あいつの無念を晴らすにはセツを殺す。それしかない」
「何でそうなるんだよ! ツミナはそんなことを望んでいない!」
「分かるさ、だって……」
「……何をしているのですか?」
 クサカらしからぬ歪んだ笑みが浮かんだと同時に、今最もこの場に現れてはならない者の声がした。
「出たな、最高の失敗作!!」
 セツの複製が歩いてきた扉には、今日既に何回見たかも分からぬ見慣れたセツの顔があった。ふと複製ではないのかと思ったが、それは服を着ていたため、セツであるという事が分かる。
 その姿を目にした途端、クサカの口が大きくつり上がり、益々歪んだ笑みを助長させる。
 ああ、不味い。咄嗟にクロハエはクサカの腕を掴もうとするが、時既に遅し。クサカは残り僅かになった武器を手に取り、足に風を集めてセツへと瞬時に距離を詰める。
「待て、クサカ」
 長考に入っていたココーが即座に二人の間に割って入り、落ち着けと宥める。普段のクサカならば渋々でもその命令に従っただろう。だが、今の彼は首を横に振るばかりだ。
 受け止められていた短剣を弾き、一旦距離を取った後に再度セツに詰め寄る。風の力を使った突進は並々ならぬ威力を持っている。しかし、細身の彼が接近戦を得意とし、それなりに鍛えられた肉体を持つココーを押し負かすことは出来なかった。 
「崖の集落でもお前はそうなっていたな」
「退けてください……」
「断る。お前……」
「退けてください」
 二度目の願いの言葉は、クサカではなく守られている筈のセツから発された。
 何故狙われているセツが自分を止めるのか。その意図が分からずに固まっていると、退けとばかりにそっとわき腹を横に押される。
 しかし、ここで退ければセツがクサカに手を出されるのは明らかである。その為、ココーは無言で体でセツの手を押し返す。が、セツはどういうことか諦めなかった。
「お願いです」
 足が強ばる感覚に目だけを下に向けると、床と足がセツの結界によって癒着しつつあった。剣で結界を砕こうにも、今剣はクサカの攻撃を受けているため動かすことが出来ない。
 どうしようもない状況にただ今の体勢を維持することしか出来ないココーの横を、セツは静かに通り過ぎる。同時に剣に伝わる負荷が軽くなる。不味い。そう思い、クロハエに援護を依頼する。が、彼もまたセツの結界によって動きを封じられていた。
「ようやく覚悟を決めたか、失敗作……!」
「覚悟も何も、最初から承知の上です。ただ、今はその時ではない。それに、私は貴方に殺されるつもりは毛頭無い」
「よく言う。オレに殺されるのなら構わないと言ったのはどこのどいつ?」
 クククと喉の奥で笑い、クサカはセツを挑発する。
 二人の会話がいまいち噛み合っておらず、セツの結界から逃れようと躍起になっていた二人はどういうことかと顔を見合わせる。セツが前に出てからクサカが妙に落ち着きだし、そして彼とは違う口調で話すのが妙に気になったからだ。
 そのような口調で話す者に二人は心当たりがあった。しかし、この場に現れるとは到底考えられない。
 ともかくこのままじっとしていても埒があかない。そこでクロハエは目である合図を送る。それに対し、ココーは少々驚いた顔をしたが、静かに頷き、口の動きである人物の名を伝える。
「元より、誰に殺されても構いません。ただ、敢えて殺されるならばクサカが良いと考えただけです」
「なら、問題ない」
「ええ、クサカの気が収まるならば」
 その言葉にクサカは嬉しそうに笑い、今までとは比較にならないほどの風を手に集めて風の刃を作る。それは目で確認できる程の質量を兼ね備えており、触れればただでは済まないことは明白である。それにも関わらず、セツは切り刻めと言わんが如く両手を軽く広げた状態で突っ立っている。
「クサカの、気が収まるのならば」
 もう一度セツは同じ言葉を呟く。
 風の刃は既に剣と化していた。それは恐ろしい質量を備えているのか、主であるクサカの手をも切り刻んでゆく。だが、彼はそれを一切気にしていないようで、静かに構えると力強く地を蹴ってセツの懐へと潜り込む。
 小さな暴風の剣は空を、布を、そしてセツの皮膚を裂く。
 肉を裂く感覚に奇妙な興奮に支配される中、クサカは酷く霞んだ視界の中で優しく微笑むセツを見た。


80/ 91

prev next

bkm

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -