73
 妹の唯一の置き土産の口と目を覆っていた布を持ち、心は呆然としているものの、しっかりとした足取りで来た道を戻る。皮肉にも鍛え抜かれた体は妹との和解、そして別れを挟んでも通常通り動いてくれた。
 何度目かの角を曲がったところで慣れた気配を感じて少し姿勢を正す。案の定、その角の先にはココーが壁に背を預けて立っていた。何故か、先程まで一緒にいたセツの姿はない。
「お世話をおかけしました」
「別にいい。……満足したか?」
 相変わらずの言葉選びの下手さに思わず脱力する。
 遊んできたわけではないのだから、満足もくそも無いだろう。が、それが彼の精一杯の気遣いだと理解しているケミは、それなりに。と、曖昧に言葉を濁らせる。
 それに対し、ココーはそうか。と言うだけで言及しようとしない。本気で話したくないことは触れようとしない彼の優しさが、妙に心地よかった。同時に、あれだけ癖の強い仲間達がこの人に素直に従っている理由を再認識する。
「セツはどうしたんです?」
「ああ、調子が悪そうだったから戻るように言った」
 あのセツが不調を態度に示すなど想像も出来ないため、それが真実かどうかは定かではないが、ココーがそう言いきるならそう言うことにしておこう。問い質してもまともには取り合ってくれないことを重々承知しているケミはそれ以上言及せずにココーと共に仲間達の元へ向かう。
 セツが今この場にいないことはケミにとって幸いであった。
 今までケミはセツに憎しみを持っていた。が、妹がセツに感謝していることを知った今、どのような顔をして会えばいいのか分からなかった。
「普通で良いだろう」
「また勝手に人の頭の中を……」
「覗いて等いない。見て見ろ。能力は発動していないだろう」
 確かに、ココーはケミの目を見ていなかった。しかし、目を見れば今度こそ覗かれそうな気がして、とてもではないが顔を合わす気にはなれなかった。
 普通普通。呪文のように繰り返しながら歩いていると、普通とは何か。という疑問が湧いてくる。そもそも、昔のセツと自分はどのようにして接していたか。皆を裏切る前ならば、それなりに自然な態度で接していたのではないだろうか?
 そう思い、記憶の糸を頼るも、皆の輪から外れた所で一人居た記憶しかない。どうやらセツは自分の中で取るに足らない存在だったようだ。と、ここまで考えてありえないだろ。と突っ込む。
 いくら人格的に合わず、ほったらかしにしていたとしても最高の失敗作と名高い彼女を取るに足らない枠に置いて置くわけがない。実際セツは希少な能力を備え、その能力で自分たちの邪魔を散々してきた。
 こうなれば、意地でも思い出してやる。半ば躍起になりながらセツの情報を思い出す。そうだ。自分が接していなければ、セツと仲良く接していた人物から聞けばいい。しかし、あのとりつく島もない偏屈な女と仲良くしていた者がいただろうか?
 悶々と悩んでいると、脳裏に燃えるような赤毛の人物が浮かび上がる。
 そうだ、ワクラバだ!
 そこまで思い出した所で、ケミとココーは仲間達を待たせている広場までたどり着いた。
 またクサカがいらぬふっかけをしたのか、その空気は中々重苦しく、一人おろおろとしているクロハエの姿が中々に滑稽であった。
「おかえりなさい」
「ただいま。ねえ、セツ。あんたワクラバと仲良かったわよね。あいつどこにいるの?」
 普通に接するという心がけはどこへやら。半ば食い気味にセツに詰め寄ったケミに、クロハエはまたもやおろおろと狼狽する。
 一方でセツはケミの行動に驚いたのか、黙ったまま固まっている。それに対し業を煮やしたケミはセツの襟首を掴んでさらに詰め寄る。完全に、普通の態度とやらはどこかへ消えていた。
「あのさ、ケミ。言いにくいんだけど、セツとケミは仲良くなかったと思うよ。丁度今のケミとセツみたいにさ」
 がくがくと頭蓋骨を揺さぶられるケミを心配したクロハエが助け船を出し、ようやくセツは解放される。
「はあ? 何でよ。ワクラバとセツはいつも一緒に私たちの邪魔してきたじゃない」
 そうだ。出陣の度にセツとワクラバは二人で味方である自分たちに攻撃を仕掛けてきたり、嘘の情報を回したりしていた。
「まあ、邪魔って言えば邪魔か。そいつら、作戦中にいきなり喧嘩し出してたもんな」
「懐かしいですね。クロハエさんのアフロが燃えた件ですね」
「そうそう、ワクラバ、周りのこと考えずに燃やすから参っちゃったよ」
 きゃっきゃと盛り上がる仲間達を余所に、ケミは一人焦りを感じていた。
 彼らが言っていることは違う。確かに、そんなこともあった。だが、ケミが言っているのはそう言うことではなく、セツとワクラバの仲が良かった時の話だ。
「違うじゃない! だから、セツとワクラバが仲良かった時だって!」
「……大丈夫か?」
 ココーに押さえられ、はっと我に返る。
 周囲から注がれるのは戸惑いの視線。そこでようやく自分と仲間達の認識が大きく違っていることに気づく。
「なあ、ケミ。セツとワクラバが水と油の関係だっていうのは周知の事実だよ? 嫌よ嫌よも好きの内って言うんなら話は別だけどさ。それにしても仲が良かったとは到底思えないよ。ワクラバのセツ嫌いは仲間随一だもん。それこそ、クサカやウリハリも足下に及ばない程にね」
「私は別に……」
「認めとけよ」
 そう言えば、ワクラバは事あるごとにセツに突っかかっていた。挨拶しろ、規律を乱すな、等の元軍人らしい発言。そして、息をするな。等の無茶難題まで。確かに、あの異常な終着具合からは、仲が良かったなどとは一切思えない。
 けれど、ケミは確かに仲の良い二人を見ていた。魔物になってからの初めての敗北があの二人との戦闘だったから間違いない。
 燃えさかる炎。大きく裂けた大地。攻撃しようにもセツの結界が全てを阻み、隙を突いてワクラバの炎が全てを焼き尽くした。ワクラバの炎により酸素を奪われた地で、ケミはハイタッチする二人を憎らしげに睨みつけることしか出来なかった。
「ケミ、混乱してるんじゃないの?」
 違う。息のあった二人の連携を、ケミは確かに見ていた。
 混乱ではない。これはきっと、忘れていた記憶を思い出しているだけなのだ。そう、今までの自分は余りに多くの物を忘れていた。何を忘れているのか疑問に思わない程に。
 そう言えば、今まで聖戦以前のことを思い出そうとすると、その行為自体が泡のようにはじけて次の瞬間には何も覚えていないことがあった。しかし、今はまるで頭の中の靄が晴れたように疑問を抱くことが出来る。恐らくだが、セツの封印と深く関わっているのだろう。
 そこまでして隠したい秘密。きっと、聖戦以前の記憶にはセツにとって、そして自分たちにとって重要な真実が隠されている。その予想はほぼ確信に近かった。
「セツ、あんたが私たちに何をしたかは知らない。けど、いつまでも隠し通せると思わないでよ」
「隠し通せるなんて思っていませんし、そもそも隠してなどいません。気づいていないだけでしょう」
「相変わらずムカつくわね」
 ついうっかり胸まで上がった拳を押さえ、ケミは出来るだけ笑顔を作るように勤める。が、できあがった表情は般若にしか見えない。
『あの人は嘘を吐かないよ。それが、あの人の約束だから』
 ミズチが語ったセツの特徴。
 確かに、セツは今のところ嘘を吐いていない。本当かは分からないがもし真実であれば、彼女が嘘をつけないのならば、ケミが真実に近付くのは格段に早くなる。
 何故セツはそんな約束を交わしたのか、何故ミズチはそれを知っていたのか、誰と約束を交わしたのか、破ればどうなるのか……。分からないことは山とある。が、焦ることは無い。もう、自分はセツの尻尾を掴んでいるようなものなのだから。あとは時間をたっぷりかけて崩していけばいい。
 自分たちには、気が遠くなるほどの時間があるのだから。
「まあ良いわ。その内全部吐かせてやるから。覚悟しとけ!」
 セツに人差し指を突きつけ、ケミはセツ攻略を声高々に宣言する。
 聞こえは物騒だが、その目には、声には今までのような憎悪は見られない。
 すっかりと毒気が抜けたケミを、セツは相変わらずの無表情で見つめる。一見普段と何ら変わらぬ二人のやりとりに、他の仲間達は怪訝そうに首を傾げる。
 それに対し、彼女は余裕の表情を作って見せ、ミズチの形見とも言える布を頭に巻く。
 今までの薄緑のバンダナの代わりに深い深い藍色の布がケミの頭部を覆う。新しいケミのバンダナは、彼女の臙脂色に近い紅の髪の毛に非常に良く似合っていた。
「さあ、行きましょう」
 キリと顔を上げ、ケミは仲間達を追い立てるようにして洞窟を去る。
 洞窟を抜けても、彼女は振り返ろうとしなかった。ミズチがあの場所で命尽きたとしても、彼女の躯は、形跡は何もない。今、ミズチはケミと共にいるのだから。

 ・

 ケミの新しいバンダナの色に良く似た夜空が広がり、再び森に静かで獰猛な夜が訪れる。
 木の虚に住み着いていた大蜘を始末し、今日の寝床を確保した一同は各食料や道具調達に向かっていた。
「ケミ、吹っ切れたみたいだな」
 ココーと共に回っていたクロハエは、枯れ木に生えているキノコを採取しながら嬉しそうに話す。ちなみに、ココーはその加減を知らない性格から周囲の生態系に多大な影響を及ぼすとクロハエが判断し、薪をする際に木が燃えてしまわないようにするために火の下にひく土を集めている。
「今まで妹の話をする度苦虫を噛み潰すような表情をしていたから、心配だったんだよなー。気にしていないって言っていたけど、そんな訳無いもんな。……だって、家族だもん」
 ぽつりと呟き。手が止まる。
 クロハエが仲間で随一の家族馬鹿だと知っているココーは彼の異変に気づいて顔を上げる。
 魔物になったばかりの頃、クロハエは家族の元に帰ると大暴れをした。今の彼ののんびりした気性とはかけ離れたその暴れっぷりは凄まじく、施設内の魔物のほぼ全てが彼の制圧に派遣され、そしてその半数が事切れた。
 まだケミが存在せず、生来の恵まれた体格に獅子の遺伝子を組み込まれたこともあり、既存の魔物では彼の暴走を止めることは不可能かと思われた。が、皮肉にも彼の暴走を止めたのは、彼の暴走自体にあった。
 一瞬にして相手を肉片に変える自分の力を前にした彼は、誰の攻撃を受けるでもなくその場に座り込み、そして降伏した。そのまま突っ走れば脱出はおろか、魔物全てを無くし、地獄のような歴史を止められたかもしれないのに、彼はそれを選ばなかった。
 降伏するよ。と呟いた後のクロハエの言葉を、ココーは今でも覚えている。
 俺はもう、家族に触れられない。
 鋭い爪が生えた血濡れの手を呆然と見つめ、家族の元へ帰ることを諦めた彼の心中にはどんな思いがあったのか。当時のココーにはそれが分からず。また、今でも真意までは理解しきれずにいた。
「家族って、そんなに良いものか?」
 不意に漏れた疑問に、クロハエは目を丸くする。が、すぐにココーの背景を思い出し、困ったように笑う。
「最高だよ。でも、俺もお前も、もう家族がいるだろう? シキの皆は家族だよ。皆が笑えばお前も嬉しいし、困っていたら無償で助けてあげたいって思うだろ? そういうもんさ」
「そうなのか? だが、それが本当としたら、俺たちは家族を一人殺そうとしているんだな」
 その言葉にクロハエは口を閉ざす。
 今のところ、自分たちの不死を解くためにはセツの死が必要となっている。回避できるならば、他の方法を取る。だが、手だてがない今の現状ではどうにも出来ない。
 何と答えればいいのか。言葉を失う前で、偶然食料の調達に徘徊していたセツが通りがかる。
 こちらに気づいていないのか、セツは両手に大量の魚をぶら下げた状態でスタスタと歩いている。
 セツは自分の死を皆が望んでいることを知っている。その上で封印を解き、魔物と戦いながら旅を続けている。自分の死へと繋がる旅を。
 果たして自分ならばそんなことが出来るだろうか? 疎ましがられ、裏切り者と後ろ指を指され、自身の死を望む相手と旅を、共に戦うなど。そんなことを考えていると、視界の中で魚が飛んだ。
 跳ねた。ではなく、飛んだ。
 何故か? 答えは単純明快。セツが勢いよくすっ転んだのだ。
 唖然としてその光景を眺めていると、セツはすぐに起きあがり、しばし自身の足を見つめていた。そしてひとしきり足を眺めた後、散らばった魚を集めると、再び何事もなかったように立ち去っていく。
「なんか意外な一面を見た気がする……」
「少し前は当たり前だったんだがな」
「……なあ、ココー。俺さ、別の方法を探してみるよ。このままセツがいなくなるのは、やっぱり嫌だ」
「珍しいな。意見が合うのは。だが、早く見つけなければ、あいつは待たないぞ」
「分かってるよ。だからさ、お前も協力しろよ。手がかりになりそうな物は掴んでいる。実は砂漠の研究施設でこんなの見つけたんだ」
 そこでクロハエは胸元から小さく折り畳まれた紙を渡す。
 手渡されたココーはおもむろに紙を広げ、そこに書いてある文字の羅列を読み取る。たった数文字を読んだ途端、彼の目の瞳孔が開く。

 コメンサール聖戦で我々サイに、そして反逆者であるシキに刃向かった一体の魔物、通称、箱、最高の失敗作。結界を固形、液状、気体と自在に操り、毒ガス等の形状のない物ですらとらえることの出来るその能力を越える魔物は未だに作られていない。
 失敗作と言われる由縁は反逆ばかりしていたベースの遺体から採取された細胞を元に作られたため、作られた直後から調教を施し、完全なる生物兵器となっても無意識下に反逆する性質があったと推測されるが、手元にサンプルがないため推測の域を出ない。
 あれから何体もの人間に結界樹の遺伝子を組み込んだが、どれも拒絶反応を示し、結界樹の細胞が人体を覆い、ただの木になるケースが相次いでいる。創始者、アルティフ・シアルの研究資料があれば拒絶反応を減らす情報が記されている可能性があるが、シキが残存する施設を破壊して回っているため、資料が残っている可能性は極めて低いだろう。
 相次ぐ拒絶反応、先の見えない研究に辟易していたが、先日ボルヴィンと名乗る男が一人の女を連れてやってきた。男は失敗作の遺伝子を持っていると言い、一束の黒髪を差し出した。
 三千年以上昔に存在した失敗作のものが残っているわけがない。馬鹿げた話に怒りがこみ上げたが、男は一切怯むことなく本物です。と話し、隣にいる女を……。

 次に書いてある一文を読んだ途端、ココーの褐色の目が見開かれる。
「信じられないだろ? でも、俺らの敵はそういうことを平気でしでかす奴らなんだよ。それに、あの名前にはお前も引っかかるものがあっただろ」
 黙って首を縦に振り、ココーは紙をクロハエに返す。
 クサカ達にも話すか? と聞かれ、ココーは首を横に振る。秘密を知っているものが増えれば、それが漏れる危険性も増す。彼らを信じていないわけではない。だが、もしものことを考えるとおいそれと伝える気にはならなかった。
 それ程までにその情報は高い機密性と危険性を伴っていた。
「だが、調べてみる価値はあるな。間違いなくセツの情報はここに集まっている。……嫌なものを見る羽目にはなりそうだがな」
「間違いないね。本当、頭おかしい奴の考えは分かんないよ。何を思ってこんなことを始めたんだろうね。……じゃあ、次はここに行く?」
「ここにいましたか」
 不意にかけられた抑揚のない声にびくりと肩が上がる。
 そこには魚を両手にぶら下げたセツが立っており、いつもの無表情で二人を見ていた。
「次の目的地を伝えさせていただいても?」
「ああ、それなら……」
「良いぞ、言え」
 口を開いたクロハエを制し、ココーはセツの発言を促す。
 不服そうなクロハエであったが、本来セツの封印解除が先決であり、いきなりこちらから行き場所を指定するとかえって不信感を与えてしまう。と説明を受けると、大人しく引き下がった。
「メギドです」
 随分久方ぶりに耳にする地名に、心臓を鷲掴みにされたような錯覚を感じる。
 全てが始まり、そして終わった地、メギド。
 しかし、セツがアルティフと相打ちになって死んでから、メギドは大陸から切り離され、どこを漂っているとも分からない浮遊大陸となったと聞く。
「どこにあるかも分からないのに、どうやって行くの? 流石にクサカとウリハリも果てのない飛行は辛いと思うよ」
「場所なら分かっています。メギドは移動などしていません。あれは、ただ目に映らないだけで、今も昔も同じ場所にあります」
 そう、メギドは浮遊大陸になどなっていなかった。
 セツとヒワの封印により、その姿を捉えられないようにしてあるだけなのだ。そしてメギドとノシドは陸繋がりであった。つまり、メギドの所在地は……。
「次の目的地はメギド……つまりはノシドです」
 セツが魔物として生まれ死んだ土地は、何の因果か名を変えて彼女をユキとして育て、そしてセツへと生まれ変わらせた場所であった。
 生、死、人、魔物。全ての思惑が交差し、そして消えていったその地で何が起こるのか。男二人は口を閉ざして、見通すことの出来ない未来をただただ危惧した。


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