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 殴っては駄目だ。暴力を振るっては、駄目だ。あいつの手の上で転がされているような気がするから。
 そう思っていた筈なのに、ケミの手はセツの襟を掴んでいた。
「貴女がしますか?」
 襟を掴まれ、持ち上げられているにも関わらず、セツは相変わらずの無表情で質問を投げてくる。ピクリとも動かぬその表情が、冷え切った目が、ケミの荒ぶる心を更に逆なでする。
「その方が、妹さんも喜ぶと思いますが。それとも封印を解くのを止め、ヒワを放っておきますか?」
 黙ってろ。そう言いかけてほんの一瞬冷静になる。
 そう言えば、クサカが以前言っていたような気がする。セツは許されるのを恐れていると。憎み、恨まれることを自分の戒めとし、それを自分の生きる意味だと考えているだとか何とか。
 だとすれば、ここでセツを殴るのは得策ではない。セツの求めているものを与えていることになるのだから。それだけは避けるべきだ。
 ふ、と薄い笑みを浮かべ、ケミはそれまで掴み上げていたセツの襟を離す。セツの表情は一切変わらなかったが、ケミは彼女がどこか不満げな表情を浮かべている気がした。勿論、そんなことはないのだが、そう考えないとやってられなかった。
 ざまあみろ。お前の望む通りになんかやってやるもんか。
 大人げない毒を吐きつつ、セツと距離を取ったケミは深呼吸を一つし、念入りに心を落ち着ける。
「喜ぶってどういうことよ?」
「それは行けば分かります」
「言えや……ああ、そう。分かったわ。で、あの子はどこにいるの?」
「フェリース地底湖。と彼女は言っていました」
 それはケミとミズチが良く通っていた地底湖の名であり、久方ぶりにその名を耳にしたケミはひきつった笑みを浮かべたまま固まる。
 人の妹を封印にした上に、ミズチとケミだけが知っている場所を封印場所にされるとは。思い出の場所を踏み荒らされたような気がして、ケミの拳はわなわなと震えていた。
 今すぐにでもセツの首根っこを掴んでぶん投げてやりたい気持ちと懸命に戦いながら、残力の少ない冷静を使い切って出来るだけの笑みを浮かべる。
「そう。ならもうすぐそこだわ。教えてくれてありがとう。……封印は解くわ。一昨日いきやが……じゃあ、私もう寝るから。おやすみ」
 うっかり口を滑らせそうになりながらも、何とか紙一重で踏みとどまったケミは出来るだけ爽やかな笑みを浮かべ、今度こそセツの前から去っていった。
 彼女の姿がウロの中に消えていくのを見届けたセツは、巨大な枝に腰掛けて眼前に広がる雄大な自然を眺める。
「ヒワ、本当にこれで良いのですか?」
 まだ動いている大蛇の胴体を目の端に納めながら、この場に存在しない仲間に問いかける。
 返事は当然返ってこず、ただ森のざわめきだけが耳に届く。
 その後、セツは仲間達が起きてくるまで一言も発さず、ただ黙って目には映らない何かを眺めていた。

 ・

 その日の昼下がり。一刻も早く封印を解きたいケミは、まだのんびりしようというクロハエの提案に聞く耳を持たず、黙々と森林の中を突き進んでいた。
 鬱蒼とした茂みに覆われた洞穴が姿を現すと、ケミは仲間達に下がっているように声を掛け、何かを探るように苔蒸した地面を触る。その行為の意図は分からないが、彼女が足を止めた理由は目的地が近いからと見て間違い無いだろう。
「この先がフェリース地下湖」
「では、足を止めずに進めば良いんじゃないでしょうか?」
「この洞窟、結構入り組んでいて歩くと時間食うのよ。だから、ちょっと待ってて」
 言うや否やケミの周囲を紅色の光が舞う。
 その様子に嫌な予感がしたクロハエがおいと声を掛けるも、既にケミは能力を発動させ、自分の真下に強力な磁場を生み出していた。
 ケミの能力は重力操作。
 彼女の組み込まれた遺伝子の大蛇ーーグランデが持っている能力である。と言っても、彼らはその巨体故に、能力を使わずとも生き延びることが出来るため、ほとんどが退化してしまっているのだが。
 己の肉体こそが全てと考えるケミもまた、能力を使うことを邪道と考え、力を使うことは滅多にない。その為、彼女は能力のコントロールが仲間随一で下手くそであった。
 案の定、ケミは力の調整を間違え、重力の磁場は彼女を中心として凄まじい勢いで広がり、周囲の草木を押し潰していく。結果、彼女のすぐ後ろで待機していた仲間達もまた、草木と同じく潰されることになった。
「お前、こういう時に役に立たねえのか?」
「はい。流石に重力を防ぐ術はありません」
「だってよ、良かったなケミ。お前の能力だとこいつ殺せるらしいぞ」
「そんなこと言ってる場合か! ココー、お前も何か言え!」
「……重い」
「んなこと分かってるよ!! もう、役立たず! ち、ちょっと……ケミ……」
「ああ、ごめん。くっそ、面倒くさい能力! いい加減言うこと聞け!」
 直後、彼女は自信の拳に力を集中させ、すっかり地面が凹み、露わになった岩盤に拳を叩き込む。苛立ちも混ざっていたからだろうか。岩盤は彼女の拳を受け、巨大な穴を作った。
 そしてその穴から、見る見る内に蜘蛛の巣状の亀裂が走っていく。
「ああ、忘れてた。皆受け身取れるようにしておいてね」
 その言葉の説明を求めるより早く、ケミはとどめとばかりに、再び重力を重ねに重ね、莫大な重さと威力を誇る拳を岩盤へと叩き込んだ。
 直後、地震のような揺れが周囲を襲い、不気味な静けさが周囲を覆う。まるで嵐の前の静けさだ。そう思ったクロハエが思わず後ずさった途端、彼らの足下から卵の殻を砕くような、やや甲高い音が聞こえ始めた。そしてその音を認識したと同時に、彼らの体は、否、彼らを中心とした物全てが宙に投げ出された。
 ケミの能力により地盤崩落を招かれた地面は、見る見る内に地下へと吸い込まれていく。それは突然の事に声を失ったシキ一行も同じで、彼らもまた周囲の木や岩と同じく、重力にひかれるまま果ての無い地下へと吸い込まれていく。
 慣れない浮遊感に思わず意識を手放しそうになるクロハエであったが、頭が真っ白になる前に全身に強い衝撃を感じて我に返る。
 状況が状況なだけに、とうとう地面に叩きつけられたのか。と思ったが、目に映る自分の体は特に目立った傷もなく、また他の仲間達も状況が把握しかねているようで、各奇妙な格好で宙に浮いていた。
 どう言うことなのだろう? 解決できぬ疑問に顔を上げる。と、ここで彼は自分の体の下にある、目に見えぬ床の存在に気付いた。何となく、お拳を付くってコンコンと叩いてみる。途端、目に見えぬ床から淡い真珠色の光が現れ、彼はこの見えない床がセツの結界であると気付いた。
「セツ、あんた何よこれ?」
「地面ごと落とすとは考えもしませんでしたので、説明が間に合いませんでした。妹さんの元へ行くには、私が施した結界を破らなければいけないのです」
「はあ? 何それ面倒臭い」
「封印が簡単に破られては困るので。では解きます」
 言うや否やセツは床に触れ、何かを小さく呟いた。
 その言葉が何なのか、理解する間もなく、足下にあった結界はものの見事に消え失せ、一同は再び宙を舞う羽目となった。

 幸いにも、底は湖となっていたため、一同は体を岩に叩きつけられて死ぬことも無く無事に地底湖へとたどり着いた。
 頭上から落ちてくる瓦礫を避けながら、立ち泳ぎで合流した一同は皆の無事を確認すると共に、目当ての物ーーケミの妹であるミズチの姿を探す。
 地底湖は思っていたよりずっと広く、そして深かった。
 こんな場所で本当に見つかるのかと誰もが疑問を抱いたが、その疑問は洞窟の奥で儚げに輝く紅色の光を見た途端、解決された。
 誰が口に出すこともなく、ケミを先頭にした一行は吸い寄せられるようにその光に近づいていく。彼らはその光を知っていた。自分たちが息絶えそうになった時、彼らの体は防衛本能に基づき結晶によって包まれる。その光に、洞窟の奥の輝きはとても良く似ていた。
 ただの魔物ならば特に異変もなく死ぬのだが、シキやサイなど、人の部分を多く残した存在は結晶に包まれることがある。話を聞いたところ、ケミの妹は不適合と言うことであったが、人である部分が多かったと言う。ならば、瀕死の状態で生きながらえている彼女の妹が結晶に覆われている可能性は高い。
 光を頼りに湖から陸地に上がると同時に、ケミの足が止まる。
 まだ妹の姿を確認した訳ではない。けれど、彼女はこの先に妹が居ると確信に近い予想をしていた。
 ーーお姉ちゃん……。
「……呼んでる」
 普段ならば幻聴だとあざ笑うだろう空耳も、今のケミは現実だと受け止めていた。
 彼女には確実にミズチの声が聞こえていた。
 忘れるものか、忘れられるものか。弱者だと思いこもうとした。弱いから仕方ないのだと毎晩呪文のように呟いた。けれど、どれだけ思いこもうとしても、誤魔化そうとしても忘れることなど出来なかった。たった、唯一の肉親を忘れるなど。
「すみません。ここからは私一人で行かせてください」
 自分でもよく分からない激情が胸に込み上げ、気付けばケミは自分らしくない頼みごとをしていた。
「いえ。妹さんは私が管理しているので私が行かなければ満足に話すことも出来ないでしょう」
「あんたと二人なら、殴り殺す自信あるわ……」
「……俺も行こう。お前達はここで待っていろ」
 さらりとミズチを物扱いされ、殺意をあからさまにするケミを危惧してかココーが名乗りを上げる。このまま行けば、恐らく五秒もしない内にケミがセツに手を出すと考えたからだ。
 少々不服そうなケミを筆頭に、三人は光の元へと歩き出す。まとめ役のココーがいるのだから安心して良いはずなのだが、彼の無神経な発言の数々を知っているクロハエ達は、彼らの身の危険を案じずにはいられなかった。

 肉親との久しぶりの再開というのは、心が躍るものだとばかり思っていた。
 けれど、実際は心は全く踊らなかった。
「これが、貴女の妹さんです」
 いつの間に先に進んでいたセツが指す先。そこにミズチはあった。
 いるのではなく、ある。何故物のように感じ取ってしまうのか。それはミズチが濁った紅色の結晶の中で、目と口を布のような物で覆われ、上肢を縛られるという、人らしからぬ状態であったからだろう。
 再開よりも妹をこんな目に遭わせたセツに言いようのない怒りが湧き、ケミは何も言わずに鬼の形相でセツの胸ぐらを掴み上げる。しかし、上げた拳は同伴のココーによって止められる。
「止めておけ」
「でも……っ!」
「聞こえなかったのか? 止めろと言ったんだ」
 ーーそう。お姉ちゃん、止めて。
 ミズチの制止の声に、ケミはセツの胸ぐらを離し、慌てて結晶の中のミズチを見る。
 が、辛うじて見える妹は痛々しい姿で固まっており、口元の動きは当然、その体が動いている様子すらない。しかし、それでもミズチの声は尚もケミに語りかける。
 ーーその人を殺しては……。
「ミズチ、本当にあんたなの……?」
 怪訝な表情のココーに手を離され、ケミは目を見開いて目の前の結晶に話しかける。
 ミズチの声が聞こえない彼からすると、ケミの言動は不思議でしかない。どうしたんだ? 声に出さず、目を見ることでセツに疑問を伝えると、彼女は最近すっかり板に付いた無表情で「妹さんが話しかけているのです」と答える。どうやらセツにもミズチの声とやらは聞こえているようだ。
 一人だけ蚊帳の外で、おもしろくないとややむくれるココーの前でセツは止せばいいのにケミに、もといミズチがいる結晶に近付く。
 案の定、近付くなと威嚇され、一色触発の空気になるのだが、それはココーには聞こえぬミズチの声によって緩和される。
 ーーお姉ちゃん、お願いだから止めて。
「どうしてあんたが止めるの!? あんたがこんな風になっているのも、元はと言えば……!」
 ーーこうしてお姉ちゃんと話が出来るのは誰のおかげ? それに私は無理矢理こうなった訳じゃないの。私は……。
「妹さん、本題以外の事は言わなくて結構です」
「あんた何よその言い草……!」
 ーーお姉ちゃん!
「何で、何であんたがこいつを庇うの……!?」
「……良く分からんが、ケミの妹がセツに理解あるという考えで良いのか?」
「ええ」
 ーーあなたは……!
 蚊帳の外状態が気に召さないココーが乱入した途端、ミズチの声に緊張感が走る。
 そう言えば、ミズチにとってのココーは自分たちを浚った敵でしかない。そのことを思い出し、彼が自分たちのリーダーであることを説明する。ミズチは分かっています。と告げた後、セツに聞いたという旨の言葉を口にする。
 何となく、面白くなかった。
 膨れる姉の心境を知ってか知らずか、ミズチはセツに喋れるよう封印を解くように頼む。それに対し、セツは何故か良いんですね? と確認する。
「してって言ってんだから、つべこべ言わずに解きな」
「本当にそれを望むのならば」
「はあ? 何勿体ぶってんのよ」
 ーーお姉ちゃん!! ……良いんですよ。では、お願いします。
 黙ってミズチが入っている結晶に近付いたセツは、そっと濁った光沢の結晶の表面に手を添える。
 触るな! と言いたかったが、ミズチにまた窘められるだろうと考え、ぐっとこらえる。
 ミズチの結晶に触れたセツが何かをまた唱えると同時に、濁った紅色の結晶に亀裂が走り、巨大な結晶はあっという間に粉々に割れて崩れ去り、中からは培養液の役割を果たしていた液体が流れ出る。
 視界の端でセツが目頭を押さえているのが見えたが、そんなことよりもミズチが気になるケミはただ真っ直ぐに鎖で繋がれているミズチを見る。本来ならば駆け寄ってやるべきなのだろうが、ケミの足はまるで地面に吸いついているかのように動かなかった。
「……お姉……ちゃん」
 かすれた声で呼ばれ、思わず目頭が熱くなった。
 そこでようやく動くようになった足を動かし、ミズチの元へ寄ろうとする。が、その足はミズチの体を改めて見ると同時に止まってしまう。
 ミズチの、妹の下半身は適合に失敗したあの日と同じ蛇のままであった。
「醜いでしょう? 私。相変わらず、嘘、つけないんだね」
 ミズチは答えを返せないケミに力なく笑う。
 言葉を失い立ち尽くすケミを流し目で見、セツは突っ立っているココーの腕を引き、その場から立ち去った。
「目もね、口もね。あの時のままなの。だから隠して貰った。やっぱり、見られたくないもの。お姉ちゃん、あの時はごめんね。憎いだなんて、死ねばいいだなんて言って。ううん。あの時だけじゃない。昔からお姉ちゃんに酷い態度を取っていたこと、どうしても謝りたかったの。だから、こうして封印にしてもらった」
「止めて! そんなの聞きたくない! 私は、私はあんたがそんなことを思っていただなんて何も知らなかった……! なんであんたが謝らなきゃいけないのよ!!」
「私、お姉ちゃんのこと、大好きだったんだよ。素直になれなくて、意地悪な態度ばかり取っていたけど、本当に、大好きだった。強くて、格好良くて、真っ直ぐに生きるお姉ちゃんが……」
「止めろって言っているでしょ!!」
 怒りの衣を被ったケミの悲痛な叫びが響く。
 肩で息をし、目を見開いた彼女へ、妹は布の奥で困ったように微笑む。
「私はあんたに憎まれていると、嫌われているとずっと思っていた。すっと、あんたが人間だった頃から、今の今まで。それが違っただなんて、全部私の勘違いだったなんて……私、私……!」
 今まで散々言ってきた。「妹は私を嫌っていた」と。それが間違いであったと知り、ケミは自責の念に駆られて膝から地面に崩れ落ちる。
 妹は、ミズチは自分を嫌っていなかった。それどころか、自分自身を封印とし、不完全な体ながら悠久の時を一人で生きていた。自分に、謝るために。
「ミズチ、ごめん……。あんたのこと何も分かろうともせずにいて。あんたが苦しんでいたことを何も知らずにいて……」
 ごめん。消え入るように呟き、ケミは天を仰ぐ。その目に、頬に、彼女が弱者の象徴だと最も嫌う涙が伝う。
 子どものように嗚咽を上げる姉の姿を前にし、ミズチは布の奥で驚きから大きく目を見開く。
 強さこそ全ての世界で、ましてや男社会の中で戦い続けていたケミは、己の弱さを決して見せることはなかった。
 そんな姉が、今子どものように泣いている。その姿に、今まで感じることのなかった絆を感じ、ミズチは嬉しさから静かに涙を流す。
「良いの。私もお姉ちゃんを傷つけたから。お互い様、だよ。ふふ。私たち、姉妹だね。不器用なところがそっくり」
「……煩いな。まあ、そうかもね。やっぱり家族ってのは似るものなのかな」
「かもね」
 そこで二人は声を揃えて笑う。
 その姿は仲の良い姉妹そのもので、彼女たちがほんの数分前まで数千年物間気持ちが食い違っていた等、誰も想像できないだろう。
 共にいたときよりも、離れ、誤解をしていた時の方が長い二人は、今までの時間を埋めるように仲睦まじく他愛のない話を続ける。不思議と次々に話題が溢れ、沈黙などほんの一瞬も無かった為、二人の会話は永遠に続くかと思われた。だが、そんな訳もなく、姉妹の幸せな時間の終わりはゆっくりとだが、着実に近付いていた。
「……ねえ、キラズお姉ちゃん」
 旧名で懇願するように呼ばれ、ケミはミズチが何を言わんとしているのかを理解した。
 ミズチの体には再び侵食現象が起こっており、徐々に鱗の範囲が広がりつつあった。その状況でミズチが何を求めているのか。そんなことは考えなくとも把握できる。
「良いよ。私があんたを……楽にしてあげる」
「ごめんね。……ありがとう」
 セツの封印が破られ、再び体を蝕み始めた侵食はもう止めることが出来ない。あの時セツが言った意味深な言葉は、ミズチの侵食を進めて良いのか。という問いかけであった。
 体を蝕まれ、魔物に成り下がるしかないミズチが望む最期の希望は、実の姉の手で人である内に命を散らすことであった。
 天井から繋がる鎖を引きちぎり、ミズチの頭部を膝の上に置いて柔らかい髪を撫でる。くすぐったい。と、既に意識の侵食も進んでいるであろうに、ミズチは楽しそうに笑った。
「膝枕なんて……初めてされた」
「当たり前でしょ。生まれて初めてしたんだから。どう? 気持ち良い?」
「ううん。堅い」
 鍛えているからね。と胸を張ると、褒めてないよ。と冷静に返された。
 ほんの少しのやりとりがたまらなく愛おしく思え、頭のどこかで、もしかしたら侵食は止まるのでは。という迷いが生まれる。
 が、現実はそう甘くなく、そんなことを考える内にミズチの体を覆う鱗の数は増え、縛られた両手は時折痙攣するように震え、ミズチの呼吸は荒くなっていく。もう彼女が正気を保っていられる時間は限られていた。
「じゃあ行くよ」
「うん。ごめんね、最期まで迷惑かけて」
「何謝ってんの。私は姉だから良いの」
「そっか、そうだね。じゃあ、言葉に甘えるね」
 直後、ミズチの体が大きく痙攣する。
 最早ここまでかと判断し、ケミはミズチの額にそっと手を添える。
「お姉ちゃん……私のこと、嫌いじゃない?」
 首の骨を折ろうと、額に添えた手に力を入れた途端、絞り出すような声でミズチが最期の問いかけをする。
 胸に熱い物が込み上げ、嗚咽が漏れそうになる。それを懸命にこらえ、ケミは空いた手でほとんど鱗で覆われたミズチの頬を撫で、
「……大好きよ。強くなくても、気が強くても、ミズチは大切な、大切な私の妹」
「ありがとう。私もだよ。じゃあ、キラズお姉ちゃん。私疲れたから寝るね。おやすみなさい」
「ええ。おやすみなさい」
 ありふれた挨拶を交わした後、何かを折るような鈍い音が周囲に響く。それと同時にケミの膝に乗ったミズチの躯は、淡い紅色の光へと姿を変え、空気中に消えていく。
 自分以外誰もいない空間で、ただケミのすすり泣く音だけが響いていた。


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