太郎と龍
 もやもやする気持ちは夜が明けても治らず、悪夢と共に早朝に目が覚めた俺はせめて気持ちを紛らわそうと散歩に出掛けることにした。
 隣で寝ている亮ちゃんと岡田を起こさないようにそっと布団を退け、アクロバットな寝相を披露する亮ちゃんを踏み付けないよう注意しながら廊下に出る。
 第一段階クリア。ほっとしながら慎重に障子を閉め、ふと千代がいない事に気付く。
 四六時中ほぼべったり付いている千代がいないのは少し気になったが、まぁその辺で遊んでいるんだろ。この前帰った時に友達見付けたとか言っていたし。そう結論付けてとっとと廊下を進む。
 今は一人でいたい気分だった。
「あれ、太郎。おはよう。こんな早うにどこ行くん?」
 が、ここで問題発生。居間で寝間着から服に着替え、外に出た所で婆ちゃんに遭遇してしまう。
 老人の朝、早すぎるだろ!
「あんた、寝れんだろ?」
「……うん。ちょっと散歩してくるわ」
 そそくさと逃げようとするとむんずと襟を掴まれる。こういう時の老人の素早さは物理法則を無視していると思う。
「太郎、変な気をおこしなや」
「大丈夫、大丈夫。本当に散歩に行くだけだから」
「そうけ? まあ水辺には近付いたらイカンよ。あと、これ持ってけ」
 採れたてのトマトを渡され、気を付けてなー。と見送られる。
 鋭いのか鈍いのか。その辺良く分からん婆ちゃんではあるが、多分、俺が落ち込んでいるのを見抜いて追求はしなかったんだろう。多分。

 ふらふらと宛もなく歩いていると、轟々と響く川の音が聞こえてきた。
 何となく昨日の一件が蘇り、踵を返して山の方へと入る。川が悪い訳でないというのは分かっている。分かっているけど、やっぱり何だかもやもやする。
 それに昨日の水難事故の死体はまだあがっていない。下手すれば土左衛門とご対面するかもしれないし、何より婆ちゃんに川に近付くなと言われた。そうそう。婆ちゃんとの約束だ。別に川が怖いとか、後味悪いとかそういうもんじゃない。
 そうだそうだと擦り込むように呟きながら歩いていると、苔生した祠の前に出た。そう言えば、昨日この祠に願掛けしたっけ?
 じいと祠を眺めていると、ふと先日千代に言われたことを思い出す。願掛けした後はお礼の気持ちを返さなければいけない。と。
 叶ってはいないけど、俺達は無事で済んだ。なら、ちゃんと返さないとな。
 が、祠の前に立って気付く。手ぶらで来たから、賽銭が無い。
 え、どうしよう。賽銭無しでお礼とか、ただの嫌がらせでしか無いんじゃないか!? 
 代わりにその辺の花でも摘んで供えようか。最終手段に至ろうとした正にその時、手に握られているトマトに気付く。
 婆ちゃん、神っ!!
 そそくさと祠の前にトマトを置き、手を合わせる。誰かがちょくちょく掃除をしているのか、古びている割に汚れはそれ程無かった。
「えーと、先日はどうもありがとうございました。お陰で皆は何にもなく無事に帰れました」
 ぶつぶつと礼を言い、再度深々と頭を下げる。こんなもんで良いかと顔を上げた時、トマトの横で座っている、ダックスフンド程の大きさのトカゲが目に入る。
 トカゲにしてはでかくないか!?
 そう思いつつ、なるべく刺激しないよう冷静にトカゲを見る。
 トマトの横で鎮座するそれは、深緑色の鱗に覆われた長細い体に、頭には二対の鹿のような角が生えて……角!?
 トカゲには無いはずのパーツに思考が固まる。
 良く良く見れば、トカゲには角のほか、立派なたてがみに、凛々しい眉、そして四肢にはトカゲには似つかわしくない強靭な爪が生えていた。
 そんな特徴が当て嵌まる生物はたった一匹しかいない。古今東西問わず、少年達の心を鷲掴みにする存在。そう、龍だ。
 憧れの生物を目にすることが出来、俺の心は感動に打ちひしがれる。が、同時に言い表せることの出来ない虚脱感が襲う。
 龍というのは、巨大で何者も太刀打ちできない圧倒的なイメージがあった。が、今目の前にいる龍らしきものは、どう見積もっても五十センチ未満。リードに繋がれて歩いていても何ら違和感ないサイズである。
 要するに、ちっさい。
 想像と現実のギャップに呆然としていると、自分が見えていると分かっているのかいないのか、龍は少し首を上げてフンと鼻を鳴らす。少し伏し目勝ちに行うその動作は、非常に高貴であった。
 が、いかんせんサイズはダックスフンド! 何とも言えない物悲しさがある。
 小さい龍は確かにショックだ。が、例え小さくてもせっかく憧れの生物に会えたのだから、もう少し姿を拝んでいたい。かと言って、下手に話しかければ逃げられるかもしれない。何て言ったって相手は高貴な龍だ。そう思い、もう少し見えていない振りをする事にする。
 が、何もせずただ突っ立っていても怪しい。しばらく考えた後、お悩み相談でもすることにしてみた。
「友達が今凄く落ち込んでいるのですが、ちゃんと立ち直れるでしょうか?」
 チラッと薄目で龍を見ると、龍はコクコクと何度も頷いていた。おお、話が伝わるんだな!
 ともかく、亮ちゃんは問題ないみたいだな。まあ、割竹みたいな性格だし、毎年のことだし大丈夫か。
「水難事故は今後減りますか?」
 これに対しては、少し間が空いてから首を横に振る。確かに、毎年懲りずに流されているところを見るに、無くなりはしないだろうな。
 亮ちゃん、また来年も落ち込まないといけないのか。昨日の寂しそうに笑う亮ちゃんの姿を思い出し、少し胸が痛む。
「ありがとうございました。……また、来ます」
 特に聞きたいことも無いし、これ以上質問攻めにしても怪しまれるだろうからこの辺で切り上げる。すると、龍は再度顔を上げて鼻を鳴らす。ああ、やっぱり小さくても龍だな。
 役目が終わったと考えたのか、龍はカサカサと祠をよじ登り、裏手へと消えて行く。その姿はトカゲと言うよりヤモリで、先ほど認識し直した龍の印象がまた揺らぐ。
 祠の前の石段に座り、ぼんやりと空を眺める。霧の奥に見える空は今日も真っ青で、少し気分が軽くなったような気がした。
「よし、そろそろ帰るか」
 十分程空を眺めて毒気を抜き、六時半のチャイムを聞いた俺は家路につくべく立ち上がる。
 直後、隣を緑色の何かがかすめていく。
 何となく想像は付いていたが、それはやはり龍だった。
 トマトを口にくわえた龍は、トトトと数歩進んでから不意にこちらを向く。気付いていることを悟られないよう注意しながら、極々自然体を取り繕ってその様子を見ていると、龍は暫く俺の顔を見た後、悠々と道路脇の茂みへと消えて行った。徒歩で。
「……龍って、飛ばんのか」
 風に乗るでもなく、雲に乗るでもなく、それこそダックスフンドのようにヨチヨチ歩いて行くその姿に、龍に対する幻想が少し破れたような気がした。


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