太郎と垢なめ
 銭湯に行こう。
 雨女とすねこすりが帰った後、バイトが終わる時間を見計らってやって来た岡田のリクエストに応え、俺達は銭湯までやってきた。
 なんでも、俺がバイトをしている間にこいつは彼女とカラオケに行き、俺がすねこすりに纏わりつかれている間に彼女が歌ったPVに映っていた銭湯のモダンさに心奪われ、俺がへとへとになった頃を見計らって銭湯に誘いに来たそうだ。
 あー良かったなぁ! なんて言えるか! こちらとら嫉妬の炎でこんがりウェルダン手前じゃ!!!
 まぁ、正直風呂に誘ってもらったのは有り難かった。
 父親と二人暮らしの岡田には分からないだろうが、大家族の後半の風呂の湯量は可哀想なほど少ない。うちはシャワー厳禁だから特に。更に姉ちゃんが出た後の水深はえげつない。今から小型犬を洗うんですか? と言う位の水位しかない。一人で湯の半分を使っているんじゃないかと思う。
 なので、俺の中で姉ちゃんは超絶着痩せ体質で、脱いだらお相撲さん顔負け。そのせいで湯が大量に溢れ出る。という設定になっている。そうとでも思わなければ、何とか体を折って水深十数センチの風呂で湯に浸かろうとしている俺が報われない。
 要するにバイト帰りの湯量は無いに等しいからだ!
 ただ一つ問題がある。それは、
「太郎、ここは何じゃ?」
「風呂だよ。でっかい風呂」
 荷台から疑問を投げかける千代。この女児を、風呂入っている間どうしてくれようかということだ。

 ・

「おー、一郎君久しぶりだねぇ。今日はお友達も一緒か? 毎度ありー」
「太郎な、おっちゃん。相変わらず商売根性変わってないな」
「どうも、岡田誠也です。今日はお世話になります」
「わざわざご丁寧にありがとうね。良いんだよ、良いんだよ。お金さえ払ってくれればさ!」
 番台で扇子を煽ぐ坂口のおっちゃんを後に銭湯の中へと進む。
 と、途中で岡田が千代はどうするんだと聞いてきた。そうなんです、そこが問題なんです。
 例え人間で無くとも、ストライクゾーン圏外の幼女であろうと、千代が女であることに変わりはない。しかも実年齢はかなりの婆……もといお年を食ってらっしゃるし、大人のお姉さんに化けることも出来る。
 千代はこっちの素っ裸なんて鹿の糞程も気に掛けないだろうが、こっちは気になる。だって入浴中に大きくなられたらこっちだって冷静にいられない。
 かと言ってここではいさようなら。と言うのも酷だろう。例え大年増でも姿は幼女だ。置き去りにしては気が悪いし、何より後が怖い。
 脱衣場ののれんを前にして悩んでいると、番台の方から毎度ー。と坂口のおっちゃんの間延びした声がする。
「あれ、太郎? 久しぶりー!」
 馬鹿みたいにやたら元気な声に振り返ると、そこにはショートカットの女が狭い店内でぶんぶん手を振っていた。手が顔に当たりまくっているおっちゃんは気の毒だが、この瞬間、千代をどうするかの突破口が見つかった。
「スー、元気そうだな!」
「げ、まだそのあだ名で呼ぶか。そろそろ止めようや……って、何この次元が違うイケメン」
「保育園から一緒だった太郎ですけど?」
「耳大丈夫か? 次元が違うイケメンっつってんだろ!」
「どうも、太郎と同じクラスの岡田です」
「奥山翼でっす! 太郎とは保育園から中学まで学校が一緒だった幼馴染! イケメン君は岡田君ね、下の名前は?」
「誠也」
「あ、じゃあ誠也君でいいかな? よろしく! 私のことは奥山でも翼でも好きな呼び方で良いよ!」
 コミュ力の塊は人見知りどころか初対面で岡田の名を下で呼ぶことを決め、そのままケータイの番号交換を行っている。
 しかしまぁ、面と向かってイケメンと公言出来るスーのメンタルは底知れない。単に馬鹿なだけかもしれんけど。今までの女子達がひそひそとイケメンだと言うタイプだったから、余計にそう感じるのかも知れない。
 おっと、二人が談笑している間にこっちも手続きを済ませないと。周囲にバレないように千代を手招きし、靴下を脱いでいるふりをしながらそっと耳打ちをする。
「千代。今からスーについて行け。さすがにお前を連れて風呂は気まずい」
「私は気にせんぞ?」
「俺が気にすんだよ! とりあえずそいつすっげー馬鹿だけど、悪いやつじゃないから。億が一そいつが千代を見る事が出来ても認識しないから! なにせ馬鹿だから!」
「初心な奴よの。ふむ、そこまで言うなら仕方ない。そのおなごに付いていこう」
 ムカつく笑みを浮かべて千代はスーの足下に移動する。
 案の定千代が足を触っているというのにスーは全く気付かない。よしよし、いい感じだぞ。
「じゃ、俺らぼちぼち行くわ」」
 はいよー。と、ぶんぶんと手を振って、スーは千代を引き連れて女湯ののれんの奥へと消えていく。
「なぁ、何で奥山さん、スーってあだ名なんだ? 名前被ってないよな?」
「ああ、すね毛だよ」
 二人を見送った後、俺達も脱衣場に入る。脱衣場では名前が分からない南国風の椅子に半裸で座って、扇風機に煽られている赤ら顔の爺ちゃん達がひしめき合っている。
 映像の通りだと呟く岡田の横で、変わらないなぁと眺めていると、その内の数人から太郎ちゃんじゃないかと声をかけられた。五年程来ていないのに良く分かるもんだなぁ。
 ともあれ素っ裸になって浴室の扉に立つ。
「心の準……」
「早く行こう!」
 ちょっとラスダンに行く前みたいに雰囲気出そうと思ったのに、空気詠み人知らずの岡田は問答無用で引戸を開け、さっさと中に入って行く。
 違うだろ! 行きたくて仕方ない場所に行く時って、もっと感慨深さとか、気後れする感じとか……。そう言うのがあるだろ!? ばーか。岡田のばーか。
 そのばーか岡田は浴槽の上に描かれた絵を前にして首を捻っていた。残念だったな。それはお前が求めていた富士山じゃなくて、名も分からんどっかの山だ。
 とりあえず体流すぞと洗い場に連れて行くと、今度は対面式の洗い場に興奮し出す。これ、向かいの人に湯かかるじゃん!? と何故か嬉しそう話しているが、シャワー無いのにどうやって掛けるというのか。
 カランから湯を出して、それを風呂桶に汲んでだなと説明していると、隣の女湯から勢い良く扉を開ける音と、馬鹿みたいにでかい声がしてきた。
「あー! おばちゃんこんばんは!」
「こんばんは。翼ちゃん、今日も来たのかい?」
「部活終わったら汗だくだからさ、家まで我慢できないんだー! おばちゃん背中流すよ!」
「……太郎これって翼ちゃんの?」
「ああ、隣が女湯だからな。天井の下空間空いてるだろ? だからお互い音は筒抜けなんだよ」
 日本の昔の文化はプライバシーポリシーなんか無い。近すぎる近隣住民でひしめき合う合同社会だ。カルチャーショックを受けて固まる岡田を放置し、タオルを泡立てて手早く体を洗う。
 ついでに頭と体もそのまま洗うと、シャンプー使わないのか? と不思議そうに聞かれる。石鹸ありゃあ全身それ一つで済むっての!
 全て終わり、桶を裏向けにして置くと、カポーンとあの有名で間の抜けた音が浴室内に響く。それを聞いた岡田は、本当に鳴るんだとまた訳のわからん感動に浸っている。
 宇宙人は放っておいて湯船に入るか。そう思って腰を上げた直後、浴室の隅でこちらに背を向けてしゃがんでいる、あからさまな不審者を見付けて固まる。何故不審者と思ったか。それは奴の肌がえ? アルコール飲みまくった上に、400メートル全力疾走して来たの? と思うくらい赤く、しかもぴちゃぴちゃと何かを舐める音がしていたからだ。
「お、岡田君。あれは何かね?」
「え? 何が?」
「ばっかお前あからさまに振り向くなよ! 気付かれたらどうすんだ!? もっとソフトに! そっと! 静かに! 慎重に!!」
「意味合い全部一緒じゃん」
 桶の湯を頭から掛ける。ちょっと辞めろよと異議申し立てされたが、知ったこっちゃねぇ!
 この際あれが人か妖怪かどうかはどうでもいい。むしろ人の方が怖いから妖怪で良い! あの鬼みたいなエイリアンみたいな奴が無害か否かだけ知れたらそれで良い。
「あれ、垢舐めだよ。脱衣場にもいただろ? 垢を舐めるだけだから害はない」
 が、俺の不安を他所に岡田はさも当たり前のように答え、さっさと洗身に戻る。
 岡田クン物知リネー。
 そして何故驚かない。何だ、イケメンにとって妖怪は驚くに値しない存在なのか? それとも電波にとってか?
 平凡代表としては色々と言いたいことがあるが、ぐっと堪えて湯船に向かう。ともかくあれだ。害がないなら、まあ、うん。
 少し熱めの湯に息を漏らしながら入る。肩まで浸かると口からオートで出たのは「極楽極楽」という定型文。仕組みは分からないが、出るもんは仕方ない。
 ふうと一息吐き、これまたオートで両手で湯をすくって顔を洗う。もうここまでの一連の動作は遺伝子にプログラミングされているんだろう。
 極楽だよなぁと振ってきた爺さんに相槌を打ちつつ、尚も隅でしゃがんでいる垢舐めとやらを観察する。
 斜めから見ると、奴がアリクイも土下座する位の長い舌を持っており、それを伸ばして床をペロペロと舐めているのが見えた。
 気持ち悪い。只々気持ち悪いが、……あれ、顎外れてんじゃねぇかな?
 腹壊すんじゃないかとか、小便混じってたらどうすんだとか、色々と見ず知らずの垢舐めの心配をしていると、洗身を終えた岡田が入って来た。
「あー、極楽極楽」
「お前もか」
「仕方ないじゃん。垢舐め気になる? でもあまりジロジロ見たら失礼だぞ。向こうにもプライバシーあるんだからさ」
「あ、ああそうだよな。でもあいつ大丈夫か? あんな舌垂らしてベロベロ舐め回して……。どっか身体悪いのか?」
「悪いも何もそう言う種族だからなぁ。糖尿病なるから米食べるの辞めろって言われても無理だろ? それと一緒。あと舌は元から長いから。立ってても床に届くと思う」
 ああ、なるほど。
 と言うか、立ったまま床に舌が届くって、ホラーどころじゃない絵面だな。
 なるべく正面からは拝みたくないなと思っていると、垢舐めは不意に立ち上がって回れ右をする。嫌だって言ってんのに、何してくれちゃってんの?
 幸いなことに口元と顔は長い髪で覆われているから見えなかった。無害だとわかっていても、わざわざトラウマを植え付けるほどマゾでは無いため、後頭部を壁に付けて顔の角度を上げ、頭の上に置いていたタオルを目の上に置く。よし、これで見えん!
「あ、なんかこっち来てるな。かけ湯しているから、風呂に入る気みたいだぞ」
 何してくれちゃってんの!?
 タオルをそっと上げると、なるほど確かにかけ湯をしてついでにうがいをしている垢舐めの姿が見えた。
 さすがに未知の生物と混浴する程の肝はない。どうするかと悩んでいると、片足をつけた垢舐めがううーっと唸っているのが見えた。
 熱いだろ!? 無理言わんから止めとけ!
 が、人の個人的な心配を他所に垢舐めはそろりそろりと湯船に入り始める。
「おー、兄ちゃん元気だな! 俺ら流石に水風呂にゃあ入れんわ。入ったらそれこそ冷たくなってまうからな!」
 冥土ジョークを口にするおっちゃんに愛想笑いを浮かべながら、水風呂に入る。温まった体が冷水に浸かった途端、毛穴に針を刺されるような感覚に見舞われる。
 そこまでして避けたいかと呆れたように岡田が呟く。当たり前だろ。人生初混浴が妖怪とか悔やんでも悔やみきれん。
 と、ここで女湯の方からヒーッヒヒという不気味な笑い声と、良く水風呂入れるねぇというおばちゃんの声がしてきた。どうやらスーも水風呂に入っているようだ。
「湯加減はどうだ?」
「丁度いい塩梅で」
「そりゃあ結構!」
 ガハハと笑うおっちゃんと、おっちゃんと肩を組んで笑う垢舐め。おい、何笑ってんだ。お前のせいでこうなってんだぞ! と言うか、何しれっと肩組んでんだよ!
 ピリピリ痺れる皮膚をさすりながら引きつった笑みを浮かべて対応する。
 結局垢舐めはこの後も風呂から出ようとせず、俺はのぼせかけた岡田に連れられて風呂を出ることになった。
 ほとんど水風呂にいたからか、身体の芯から温まることは無かった。ただ、肌が無駄にしまってツルツルになった。
 それは一足先に上がって牛乳を飲んでいたスーが嫉妬する位だから間違いないと思う。
「そういやさ、ここで洗うと凄く体が綺麗になるって有名なんだよ。垢すり行ったみたいにツルッツルになんだって」
 キュポンと小気味良い音を立てて空いた牛乳瓶の蓋をメンコだと千代に渡していると、二本目の牛乳に取り掛かったスーが何気なしに言う。
 嫌な予感がして横目で岡田を見ると、奴はコーヒー牛乳を飲みながら想像の通りだと頷いた。
 ふと背中から垢舐めの長い舌でペロペロと甜められている想像をする。中々内蔵に来て、ちんたら飲んでいたら不味いと牛乳を一気飲みする。
「太郎がツルツルになったのもそのおかげなんじゃない?」
「無い。それだけは無い!」
「何で言い切れんの?」
「うっせー、そういうもんなんだよ! すね毛!!」
「それは昔の話だろうが!!!」
「商売繁盛、商売繁盛。いやー、有り難いもんだねぇ」
 スーの綺麗な右フックがみぞおちにクリティカルヒットした時、坂口のおっちゃんと垢舐めの笑い声が聞こえたような気がした。


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