太郎と雨女
 バイト先まで付いてきた岡田を追い返し、カウンター上を走り回る毛玉木っ端をとっ捕まえてナイロン紐で繋ぎ、やっと静かな環境が戻ってきた。
「いらっしゃ……」
「うーっす、太郎ちゃん。元気ー?」
 ……ことも無かった。
 コンビニの自動ドアから入ってきたのは、同じ学校の岡澤。通称、万年発情期の猿。略して猿。
 通称の通り、年がら年中下ネタばかり口にする残念な男。そしてうるさい。とにかくうるさい。お陰で女子の評判はすこぶる悪いが、男子からは伝導大師として崇められている。勿論、おかずの提供元として。
 悪い奴ではないのだけど、いかんせんゲスい発言と、ムクドリに優るほどの騒がしさ故、バイト等の真剣にしなければならない時に来られたら物凄く厄介。
「いやー、参ったよ。いきなり雨降ってくんだもん」
「お客さん、カウンターに寄りかかって話されると他のお客様の迷惑になります」
「え? 客居ないからいいじゃん。来たらやめるって」
「そういう問題じゃねえって。こっち働いてんだよ、あほ」
「いやー、恐い言葉遣い。ちょっと松崎さん、仮にもお客に向かってこの暴言どう思いますー?」
「まぁ、岡澤君だからいいんじゃないの。あ、岡澤君、暇だったらPOP作るの手伝ってくんない?」
 先輩クルーの松崎さんに振るも、あっさりと流され、挙句の果てに雑用を押し付けられた岡澤は、えー。と口を尖らせたものの、その碁は文句一つ言わず慣れた手付きでPOPを作っていく。馴染みの客に手伝わせるなんて、中途半端な田舎だからこそ可能なんだろうな。
 在庫整理するから。と、松崎さんはバックヤードに消えて行き、俺と岡澤だけが残される。千代とすねこすりは他の人には見えないらしいので、カウントしない。
「なぁな……」
「エロ本なら売らんぞ」
「え、マジで!? って、ちげーよ!」
 いや、今のトーンは本気だったろ。それにお前、昔売ってくれと松崎さんに懇願したことあったじゃねえか!
 まぁ、若気の至りって奴よ。鬱陶しい勘違い爽やかフェイスで流す岡澤は、鼻の穴が広がっていて非常に気色悪い。
 自動ドアが開き、激しい雨の音とともに一人の浴衣を着た女の人が入って来た。千代とすねこすりが外を見ると同時に、岡澤も外を見て首を傾げる。ああ、これは傘購入コースだな。毎度あり。
「雨すげーな。っと、そうじゃなくて。お前、姉ちゃんと岡田と海行くんだろ?」
「は!? 何で知ってんの?」
「さっき岡田に聞いた」
 おい岡田。
 何故こんな面倒臭い奴に言うんだ。お前は本当に馬鹿だな。頭はいいけど、馬鹿だな。
「勿論、俺も行く!」
「誘ってねえ!!」
「大丈夫、誘われなくても行くから!」
「何でだよ!」
「逆に何で誘わんのさ!? お前の姉ちゃんめっちゃ美人じゃん! 俺のはちきれんばかりの性欲に留守番しろと!? 鬼だなお前は!」
「だから嫌なんだよ。お前絶対姉ちゃんに絡むじゃん!!」
「女がいれば絡む。男として生まれ落ちたからには当たり前だろ!」
 客が来たというのに、岡澤はカウンターに齧り付いて離れない。と言うか、海の話題から離れない。
 もうヤダ。
「とりあえず、俺行くから! お前がどんだけ拒否しようと、意地でも情報集めて行くからな! よっ太郎遅かったな! って言いながら現地で待ってやる! ははは! すげー楽しみ!」
 一人で勝手に盛り上がり、一人で約束を漕ぎ着けた岡澤は、待ってろよ! の言葉と共に土砂降りの外へと出て行った。
 営業妨害され、何も買われず、挙句の果てに不安しかない約束を勝手にされ、俺のモチベーションはリーマンショックどころか、世界恐慌並の暴落を見せる。
 姉ちゃんと海ってだけで胃潰瘍になりそうな位ストレス感じてるのに、岡澤まで来るとなると、尿結石になるんじゃないかな。大きすぎる不安に胃を痛めていると、騒がしいのがいなくなった事に気付いた松崎さんが顔を覗かせる。
「あ、岡澤君帰ったの? お客さんいないんだし、もっといてくれて良かったのに」
 あんたそれで良いのか。心の中で突っ込んでいると、じゃあ俺まだ在庫整理するから。と言って、松崎さんはバックヤードに引っ込む。
 ……ん?
 お客さん、いないんだし?
 慌てて店内を見る。雑誌コーナーには女性客が一人いる。はてはてはてはて?
 どういうこっちゃ? ふと足元に目をやると、ナイロン紐で繋がれたすねこすりが、散歩に行く犬。もしくは組み立て体操のサボテンの上の人並に身体を乗り出している。え、何でこんなテンション上がってんの?
「千代」
「ああ、妖かし物じゃの」
 やっぱりですかー。
 そうですかー。
「食われるとかそんな危険性は?」
「大丈夫じゃ。雨降らすだけじゃからの。お主が子どもなら危ない事もあるが、その図体ならば問題無い」
「あのう……」
 何となく千代の発言にカチンと来て頬を抓っていると、いつの間にここまで来たのか、雨女とやらがおずおずと声を掛けて来た。
「……見えてますよね?」
「ええ! 不本意ながら!」
「こらこら、当たるでない。すまんの。こやつ少しばかりいじけておっての。噛み付いたりはせんから安心せい。用があるならば、聞くぞ?」
 おいこら、誰のせいだ。
「ええと、この町に行きたいのですけど……」
「どれどれ? うーむ、見たものの、地名はさっぱり分からんのう……」
「ああ、これなら店出てずーっと北に歩いたら着く。でっかい銀杏の木が見えたら着いてるよ」
 千代に見かねて口を挟むと、雨女は驚いたようにこっちを見た。
 どうも、手助けされるとは思ってなかったようだ。
「ありがとうございます……。こうして人と関わるのは久しぶりで、少し照れますね」
 そう言うと、雨女ははにかんで笑う。
 その笑顔が妙に眩しくて、少し。いや、かなり雨女が人間でないことを口惜しく思った。
「あら、すねこすりではありませんか。どうしてこんなところに?」
 なおもビニール紐を引っ張り続けるすねこすりに気付き、雨女が軽く手を振る。すると、すねこすりは更に紐を激しく引き、あわやキャスターがひっくり返りそうになる。
 どうしようもないなと、紐を離してやると、すねこすりは弾丸よろしく勢い良く雨女の元に飛んで行き、その足元に纏わり付く。
「ああ、私の雨につられて付いてきたのですか。でしたら、あなたも共に行きましょう。ええと……」
「私は千代。これは太郎じゃ」
「素敵なお名前ですね。太郎さん、すねこすりを連れて行っても?」
「何なら熨斗つけます」
 熨斗はちょっと。と苦笑し、雨女はすねこすりを胸に抱く。胸に抱く。胸に抱く……羨ましい。
「雨女、主はどうしてその町へ?」
「雨乞いです。暫く雨が降らなかったので、作物に影響が出ているようですね。昔は良くありましたが、ここ最近は少なくなったので、少し張り切ってしまいました」
 窓の外の豪雨を見ながら納得する。
 確かにこれは気合入ってるな。
「忘れられる。必要とされない。分かっていたけれど、やはり辛いものですね」
 そう呟いた雨女の表情はどこか寂しげで、俺はどう声を掛ければ良いのか分からず、彼女の顔を黙って見ることしか出来なかった。
 長居してすみませんでした。一礼して店から出て行く雨女へと、彼女が呼んだ雨が降り注ぐ。
 雨女は少し進んでから空を見上げた。その顔にはきっとあのはにかんだ笑顔が浮かんでいるだろう。誰にも気付かれることない、見える事もない、あの眩しい笑顔を。
 雨女が去ってから暫くして雨は止んだ。
 人々は思うだろう。いきなりの夕立だったと。そこに、人ならざる女の存在があっただなんて、一切考えることもなく。

 夏のうだるような暑さが収まり始めた夏の終わり。
 俺は人ならざるモノの寂しさを少し知った。


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