小鳥たちの囀ずり。
窓越しに伝わる暖かい木漏れ日。
煎れ立てのコーヒーの香ばしい匂い。
今日は本当に素晴らしい日だ。いや、今日だけでなく昨日も一昨日も、一ヶ月前も、こんな素晴らしく平和な日であった。
窓の外で木々の間を飛び回る小鳥たちを優しげな眼差しで見つめる女は、コーヒーを口に含み、それはそれは優しい声色で呟いた。
「すっげー暇」
声色とは正反対の粗暴な言葉を口にし、彼女は電話とパソコンが置かれた机の前の椅子に腰かける。
仕事用のこの電話が鳴ったのは、いったい何時の事であったか。存在意義が曖昧になりつつある受話器に手を添えて、彼女――リサは満面の笑顔で「暇だ」とまた呟いた。
一向に鳴らない電話だが、リサはオペレーターを職業としている。何のオペレーターかと言うと、全てのオペレーターだ。
何を言っているのか分からないだろうから、まずは彼女の生い立ちから説明するとしよう。
彼女は一流企業の社長を両親とする令嬢だ。父親はさる外資系の社長。母親は美容系の社長。業績は右肩上がり。金回りは左うちわも良いところ。要するにとんでもない金持ちなのである。
しかし、儲けがガッポガッポとなると、どうしても税金を取られてしまう。
リサの両親は、金持ちだが非常にケチでもあり、税をがっぽり取られる事に悩んでいた。
そこでこう思いついたのである。
――儲けにならない職をして、会社の総利益を下げよう。
そんなこんなで白羽の矢がリサに立てられ、彼女はしたことも無いオペレーター。それも、資格は無いけど何事にも対処します! 報酬は一円〜! と言う、悪徳業者も出さないような広告を掲げる会社のオペレーターになった訳であった。
と言っても、そんな怪しさしか伝わらない広告を掲げていれば、当然依頼が来るわけもなく。そもそも赤字にするのが目的である為、宣伝すら満足にしていない彼女の電話が鳴ることもなかった。
ルルルルル
電話の音すら聞いたことが無かったリサは、最初その音が何なのか分かっていなかった。
自分の携帯を確認し、ゲーム機を確認した彼女は、パソコンの音量を調節しようとして漸く気付いた。これが電話の呼び出し音だと言うことに。
「お電話あ……」
「助けて!」
はやる胸を抑えながら、受話器を取ったリサは電話越しの緊迫した声に思わず固まる。
初めての仕事だと言うのに、第一声が「助けて!」とは如何なものか。いささか、否、かなり荷が重い気がする。
「もしもし! ねぇ聞いてる!? お願い助けて!」
「失礼ですが、お電話番号をお間違いでは?」
「間違えてなんかないよ! ネシンキイゼって会社だよね!?」
淡い期待を抱くものの、それは直後に飛び出した会社の名に、リサは目眩を覚えた。
ネシンキイゼ。逆から読めばゼイキンシネ。それは両親が悪意でしか付けていないであろう、彼女の会社の名前であった。
「失礼しました。それで、本日はどのようなご用件でしょうか?」
「だから助けて欲しいの!」
「失礼ですが、何からでしょうか?」
「迷っちゃったの! 迷子になっちゃったのー!」
ああ、それならば何とかなるだろう。
発信元の番号は携帯の物だ。相当古い機種で無ければGPSが付いている筈。それを調べれば、位置情報は簡単に手に入る。
安堵したリサは電話主の女を宥めつつ、周囲の情報を聞き出すことにした。
「周囲に何か建物はありますか?」
「ショッピングモール。あとビデオレンタル屋に、東に三百メートル歩けば駅」
おい待て。情報把握しすぎているだろう。
その後も南にカフェがあって、そこはケーキが美味しいけど、店員の愛想が悪い。駅前の公園の裏には川が流れていて、ザリガニが良く取れる。等、本当にどうでも良い周囲の詳細情報を報告してくる女に、リサは思わず心中で突っ込んだ。
「ええと、お客様」
「それでそこのおじいちゃんは入れ歯が……何!?」
「道に迷われた訳ではないのですか?」
「道に迷ってないよ。だって今家だもん」
訳が分からなかった。
「私が迷ったのは人生!」
受話器を叩き付けて、そのまま窓から放り捨てたい気持ちになったのは、生まれて初めてであった。
「私、今まで自分はモデルになれるって思ってたんだけど、読モにも全然受かんないし、町でスカウト待っても全然来ないの。やっぱり私が綺麗すぎるから遠慮しちゃうのかな? ここだけの話なんだけど、私100、95、105のセクシー体型なのね! でもね、遠慮ばかりされちゃ、困るじゃん。女の旬は短いんだから。で、このままモデル続けるべきか、別の仕事に就くべきか……人生に迷っているの。ねぇ、どうしたら良い?」
「痩せろや」
「え?」
「ああ、そうですね。私でしたら、鉄の心と体型を持つ貴女お勧めするのは……」
……数ヶ月後
相変わらず鳴らない電話を前に、リサはテレビを見ていた。
テレビには今世間で大人気の女優が出ている。
「まさか、ここまでヒットするとは思わなかったなぁ」
リサの視線の先には美しいドレスを着た女優と、その傍らで女優と全く同じドレスを着、仕草をしている、丸々太った女芸人がいた。
ドレスが肉ではち切れそうになり、まるでボンレスハムのようになっている彼女こそ、先日の呆れた電話と頭の女性であった。
持ち前の勘違いとポジティブさ、そして底抜けの平和な性格の彼女は今や、自分を世界で一番綺麗だと言ってはばからない「勘違い芸人」として一世を風靡している。
ネタとしてではなく、本気でそう思っている彼女の言葉には一切隙がなく、また嫌みも少ないため一部で熱狂的なファンがいるそうだ。また、そんなファンの存在が「大勢の人を虜にする私の小悪魔さん」と、より一層彼女のポジティブ度数を上げていた。
「良かったけど、もう関わりたくないな」
満面の笑みでそう呟いたリサは、ウインクをする彼女のアップが映った瞬間にテレビを切った。
小鳥たちの囀ずり。
窓越しに伝わる暖かい木漏れ日。
煎れ立てのコーヒーの香ばしい匂い。
今日は本当に素晴らしい日だ。