王様の島
 ある島に、一人の王様が住んでいた。
 正式には王様ではなかったかもしれない。けれど、その島には長年王様以外、動物や虫しか住んでいなかった。だから、王様は必然的に王様になった。
 自分と同じ存在はいなかったけれど、王様は、寂しいとも、辛いとも思わなかった。
 毎日花を愛で、風に謳うこの生活がたまらなく幸せだと感じていたし、話し相手ならすぐ側にいつもいたからだ。
 ある日、王様はいつものように森で実り過ぎた果実を穫り、川で顔を洗って、海に散歩に出た。
 ずっとずっと繰り返してきた当たり前の行為。けれど、その日は一つだけ違うことがあった。浜辺に人が倒れていたのだ。
 随分久しぶりに見る人。王様はしばらくその場で硬直したが、遥か昔一緒に住んでいた人を思い出し、少し懐かしくなってその場で飛び跳ねた。
 跳ねている場合じゃない。ふと冷静になった王様は、両手に抱えていた実を落とさないように注意しながらその人に駆け寄る。
 死んではいないと分かっていたので、うつ伏せになっているその人をやや乱暴によいしょと仰向けにした王様は、そこでまた人に会ったことを実感してにんまりと笑った。
「ここは?」
 程なくして目が覚めたその人に、水分補給にと、割った実を差し出した王様は、王様の島だよ。と告げた。
「王様?」
 状況が把握できず、瑞々しい果汁を一息で飲んだその人は首を傾げた。
 もう一つ実を差し出した王様は、その人の手をひいて森の方へと歩き出す。何が何だか分からないその人は説明を求めたが、王様は問い掛けには答えず、ただようこそと笑うだけだった。
 その人はまだ不安そうな顔をしたものの、その島がとても美しかったこと。頼れる相手が他にいないこと。そして王様が余りに嬉しそうだったから、そう時間が経たないうちにすっかり笑顔になっていた。
 その日から、王様とその人の短くて長い共同生活が始まった。

 王様は一日のほとんどをその人と一緒に過ごし、この島での暮らし方、森の管理、動植物との共存方法を伝えた。
 初めこそ、もう家には帰れないのかと悲観していたその人も、時間が経つ内にこの島と王様に魅了され、前向きに事を考えるようになった。
 出来ることが増えると、王様はまるで自分の事のように喜んだ。そんな王様が愛おしく思え、やがてその人は進んで事を覚えるようになった。
 王様は不思議な人だった。
 王様はいつもにこにこと笑みを絶やさず、そしてとても口数が少なかった。まるで言葉を必要としていないように無口な王様だが、笑顔を絶やさないせいか素っ気ない感じはしなかったし、王様が伝えたいことは言葉にせずとも理解する事が出来た。
 何より不思議なのは、王様は時折誰かと楽しそうに笑い合っている事だった。
 誰もいない場所で、嬉そうに笑う王様は、いつもの穏やかな笑顔ではなく、心底楽しくて仕方無いと言うようにキラキラと輝いていた。
 普段自分には見せない笑顔に、その人は少し悔しい思いをした。
「いつも笑っているけれど、相手は誰?」
 気になって睡眠不足になった頃、その人は思い切って相手の正体を聞いてみた。
 けれど王様は、いずれ分かるよ。とはぐらかし、優しく笑うだけだった。
 答えてくれないことにその人は少しむっとしたが、きっと王様が教えてくれないのは、自分がまだまだ未熟だからだ。と考えて、より一層島の管理を覚えるようになった。

 その人がほとんどの管理を出来るようになった頃。王様は舟に乗って島から出た。何でも、王様同士の話し合いがあるそうだ。
 初めて島に一人ぼっちになったその人は、少し寂しいなと思ったが、帰ってきた王様を驚かせてやろうと、なるべく早く島の管理を終わらせようとした。
 雑だね。せっせと管理作業をしていたその人は、そう言われた気がして顔を上げた。しかし、当然周囲には誰もいない。
 気のせいか。そう考えてまた作業に戻ると、また、雑だ。と言われたような気がした。当然、誰もいない。
 何だって言うんだ。そう思って視線を戻す。途端、その人は言葉の意味を理解した。
 急ぐあまり、作業が雑になって何本もの木を折ってしまっていたのだ。取り急ぎ、木の修復を行ったその人は、身勝手な行動を反省し、丁寧に行うことを心がけた。
 そしてその日以降、その人は度々不思議な声を耳にするようになった。

「王様、王様のやっている事、全部出来るようになりましたよ!」
 時間は多少かかるものの、島の管理を一人で出来るようになったその人は、話し合いから帰り、海岸で日向ぼっこをしていた王様に喜びを隠さずに告げた。
 少し疲れたような表情をしていた王様は、その報告に歓喜し、まるで自分の事のように手を叩いて喜んだ。けれど、次の瞬間、王様は何故か酷く悲しそうな顔で俯いた。
 王様が笑っているところ以外を見た事が無いその人は、思いがけない王様の姿にすっかり驚き、言葉を掛けることすら出来ずただ王様を見つめることしか出来なかった。
 その後、王様はすぐに笑顔に戻ったのだが、その日から王様は一人でぼんやりすることが多くなり、どことなく存在が薄くなった。

「話したいことがあるんだ」
 ある日、その人は王様に話しかけられた。
 初めて王様に話しかけられたその人は、二つ返事でそれを了承し、いつもより早く、けれど丁寧に島の管理を終わらせ、王様の待つ海岸へと向かった。
 その人が海岸に着いた時、既に日は落ち、空には満点の星空が広がっていた。王様はその星空の下で、その人が打ち上げられた場所で腰掛けていた。その日は、いつもより王様が薄く感じた。
「君は立派になったね」
 隣に腰を下ろすと、王様は目を細めてその人の成長を褒めた。王様の手解きを受けたその人は、今や島の全ての管理を 一人で行えるようになっていた。
 そんなこと無いですよ。照れながら返すと、王様は本当さ。とまた目を細めて笑う。
「そんな事無い。君は立派な王様さ。もう、私は必要無いもの」
 その言葉に、体が凍り付く。
「黙っていてごめんね。この島は、必ず王様が一人必要な島なんだ。島は時を見て次の王様を誘う。それが君だったんだ」
 王様が二人でも良いじゃないか。そう言うと、王様は笑いながら首を振る。
「それがね、駄目なんだ。ほら、私の体を見てご覧よ。もう、ほとんど透けて見えないだろう? 島には王様が一人必要だ。けれど、二人は要らないんだ。私も、前の王様からこうして王様になったんだから」
 どうして今まで黙っていていたのですか? 裏切られたような気がして、涙を流しながらそう尋ねると、王様は、水平線の星が見える位透けてしまった顔に困ったような笑みを浮かべ、
「君と過ごした日々が楽し過ぎて言えなかったんだ。何度も言おうとしたけど、怖くて出来なかった。黙っていて、ごめんね」
 ただ黙って涙を流すその人に、王様は静かに謝る。王様が悪い訳じゃないのに。と、その人は余計に悲しくなった。
「実はね、私は君を消してしまおうかと考えた事があるんだ。私はこの島を心から愛している。島の行く末は王様によって決まる。だからもし、君が島を駄目にしてしまうような人であれば、いらないと思っていた」
 物騒なことを言われ、涙が止まる。そんなその人を見て、王様は愉快そうに笑った。
「けれど、君はこの島を私と同じように愛してくれたし、共に過ごして君がとても素晴しい人だと分かった。だから私は安心してこの島を預けられると思ったのだよ。私の次に、王様になってはくれないかい?」
 手を差し出し、柔らかに微笑む王様は、もはや目を凝らさないと見えない程に薄くなっていた。
 断れる訳が無いじゃないですか。涙を乱暴に拭い、その人は、ゆっくりと王様へと手を伸ばす。
 初めて握った王様の手は、ほとんど感触が無く、空気を握っているようだった。それがとても悲しく思えて、またその人の目からぼたぼたと涙が溢れる。
「王様は次の王様へ役を渡すと、島になるんだ。今は分らないだろうけど、君も、王様になれば分かるよ。だから泣くのは止めなさい。王様は、笑っていないと」
 そこで、王様はにっこりと笑い、感触のない手で強く強くその人の手を握った。
 そして、その人もすっかり充血してしまった目を細め、不自然ではあるがにっこりと笑う。
「楽しかったよ、王様」
 ありがとう、王様。
 感謝の言葉を土産にして、島から王様は消え、そして島に新しい王様が生まれた。

 王様になったその人は、今日もいつものように森で実り過ぎた果実を穫り、川で顔を洗って、海に散歩に出ている。
 その人が王様になってから、変わったことが二つある。
 一つは、この島に来てから、心待ちにしていた人の漂流を望まなくなったこと。
 自分が王様との別れで辛い思いをしたからというのも理由の一つだが、一番の理由はまだ島にいたいから。と言うのが大きいようだ。理由がどちらにせよ、新しい王様が人を望むのは、まだまだ先になりそうだ。
 そして、二つ目は島を更に好きになったこと。
 王様は、森で、川で、海で。島の至る所で懐かしい気配を感じるようになった。
 それは時折王様に語り掛け、時には他愛のない話しを。時には王様に助言をくれた。
 それが一体誰なのか。その質問に答えてくれる人はいない。けれど、王様は分かっていた。何故なら、前の王様が消えてしまう前に言った言葉を覚えていたから。

 今日も王様は笑顔で花を愛で、風に謳いながら、緑豊かな島の管理をする。
 歴代の王様に守られた島で。
 王様の、島で。

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