花村
 夕闇の中、軽やかな囃子が山間に響き渡る。
 小さな山間の集落には沢山の提灯がこうこうと光り、赤い幻想的な光景が広がっている。その様は、きっと空からならば、暗闇の中に沢山の赤い花が咲いているように見える事だろう。

 捧げよ捧げよ赤い花
 花村には花がない
 有るには有るが捧げるにゃ惜しい
 ならば他所から摘んでこい
 捧げよ捧げよ赤い花

 どこかでこの村、花村の子どもが童歌を唄っていた。
 この村に滞在して三週間、あの童謡は覚える程に耳にした筈なのに、私は何故か童謡を耳にした途端、悪寒を感じて身を震わせた。すると、隣で共に石段を登っていた彩さんは心配そうに私の顔を覗き込む。
 大丈夫。
 口だけを動かしてそう言うと、彩さんは安心したような穏やかな笑みを浮かべる。顔を前に向けて、私は石段を一段一段上がってゆく。余所見をして、躓いたりしたら一大事だ。
 何故ならば、花村に古来より伝わる“赤花祭”。私はその主役として抜擢されたからだ。


 私がこの村に訪れたのは三週間前、10月の半ばだった。
 訳あって自暴自棄になっていた私はふとインターネットで目についた“花村”に興味を持ち、インターネットで手に入れた情報を頼りに、バスと電車を何度も乗り継いだ。そして、とうとう花村に辿り着いたのだ。
 村の人は余所者の私を驚く程暖かく迎えてくれ、あろう事か食事と住まいを無料で提供してくれた。
 村人達は何故か私を“花”と呼び、まるで私が昔から住んでいたかのように親しく接してくれた。
 淡白な近所付き合いに慣れていた私にとって、それは何だかこそばゆい物だったが、とても嬉しかった。
 また、一人っ子だった私にとって、姉のような存在もできた。それが今隣にいる、彩さんだ。
 彩さんは私が住まわせてもらっている庄屋さんの娘で、年は私より二つ上らしい。花のように可憐な彩さんは村で一番の美人だ。
 この村は人も環境もとても素晴らしくて、自暴自棄になっていた私は、今ではすっかり元気になった。

 だけど、村人が全員私を迎えてくれた訳ではなかった。一人だけ、私に憎悪を向ける女性がいたのだ。
 その人の名前は分からない。一度も名乗った事が無かったから。
 ただ、私が一人でいる時に急に現れ「村から出ていけ、さっさと立ち去れ」と、敵意を剥き出しにして追い出すような内容を口にした。
 理由を尋ねると、その女性は貴女の為だと訳の分からぬ返事をし、再度出ていけと口にする。
 好かれていないからだろうが、私はその女性があまり好きではない。昨日もその女性は私の元に現れ……。
 うん、……嫌な事を思い出してしまった。
 祭りの最中だというのに、私は一体何を考えているのだろう。
 余計な事を考える頭の叱り飛ばして、ふと隣にいる彩さんの表情を窺う。
「……っ!」
 途端、私は声にならぬ短い叫びを上げた。
 一瞬垣間見えた彩さんの顔が、醜く歪んで見えたのだ。ニヤリと不気味に上がった口角、提灯に照らされてギラギラと光る目……。そこに私の知っている彩さんはいなかった。
 すぐに視線を前に戻し、乱れた呼吸を整える。見てはいけない物を見たような気がしたのだ。
「ねぇ」
 いきなり声をかけられ、私は肩をびくつかせて恐る恐る彩さんの方を見る。彩さんの表情はいつもの穏やかなものになっていた。
「あなたはこの村が好きだった?」
「はい、好きです……けど」
 唐突に出された質問に、私は何故過去形なのだろうと思いながらも、素直に答える。
 答えを聞いた彩さんは輝かんばかりの笑みを浮かべる。何故か、今まで見た彩さんの笑顔の中で今のものが一番美しく見えた。
「良かった! 村人も皆あなたの事が好きよ。だから……」
「えっと、彩さん。皆私の事を好きではないですよ」
「……どうして?」
 村人皆に好かれている。それが間違っていると思った私は、悪いと思ったが口を挟んだ。
 一足先に石段を上がりきった彩さんを見上げながら、私は憎まれている人の事を口にする。
「私、村の女の人に嫌われていますから……」
「女? どんな?」
「長いウェーブがかった黒髪で、前髪を中央で分けている……」
「またか……っ!」
 女性の特徴を口にすると、彩さんは今まで聞いたことも無いような恐ろしい声で毒づき、穏やかな表情を鬼のような物に変貌させる。
 あまりの形相と気迫に圧され、私はあの女、あの女と何度も忌まわしげに呟く彩さんから距離を取った。が、彩さんは私の袖をがっちりと掴んで離さない。
「……花の色は?」
「えっ……、あ、赤?」
 赤花祭の事を言っているのだと思い、私は赤色だと口にする。
 途端、彩さんは気持ちの悪い程の笑みを浮かべ、ぐいぐいと私の袖を引っ張って頂上にある社の境内に連れて行く。嫌な予感がした。
 戸惑う私を境内の中央にまで引きずった時、彩さんは狂ったように笑いながら、いきなり投げ飛ばしてきた。
 突然の事に受け身も何も取れずに膝から崩れ落ちると、膝頭が固いもので削られる感覚と共に、水しぶきが顔にかかった。何故か私は水を張った浅い水場に放り込まれたのだ。
 提灯のせいか、怪しい赤色に見える水溜まりでうずくまる私に、もはや別人と化した彩さんは傍らに置いてあった巨大なハサミを手にして私に向ける。
 その顔は、狂喜に満ちていた。
「赤い花。私に永遠の美をもたらす神への供物」
 ハサミの開閉をしながら焦点の合わない目をした彩さんを見、私はようやく女性の忠告が正しかったという事に気付いた。
 あの村の童謡に、花という呼び名。これは花と呼ばれる娘を生け贄として捧げる事を指しているのだ。そして、これが赤花祭と呼ばれる所以は……。
「動かないでね。じっとしていればすぐ終わるから。飾る花は切らなければ……ね」
 ハサミを両手に、彩さんがじわりじわりと近付いて来る。ハサミは確実に私の首に向けられている。
 間違いない。赤い花とは首を切断され、血に濡れた“花”と呼ばれる娘を指すのだ。
 そうと分かれば逃げなければならない。けれどあまりの恐怖に足がすくんで動かない。絶望と恐怖から、無意識に涙が流れた。
「悪く思わないでね。私達、親友でしょ? 村の人達も私が美しくある事を願っているの」
 そう言って彩さん涙を拭った手をハサミに添える。私の首を落とすために。

 ──いざとなればこの言葉を口にしなさい。

 昨夜、彩さんが憎悪する女性に教わった言葉。それは酷く在り来たりで、なぜいざと言う時に口にするのか分からなかった。
 でも、今の私にはそれに賭けるしか無い。彩さんの手は今にもハサミを閉じようとしている。言うならば、今しかない。
「白い蕾」
 掠れた声でそう呟いた途端、勝ち誇った笑みを浮かべていた彩さんの目がカッと見開かれる。
 そして同時に彩さんの向こう側に真っ白な衣服を纏った例の女性が現れた。そして滑るように彩さんの背後に移動する。
 その動作を見て私は分かった。この女性は生きている者では無いという事が。
「待ちわびたぞ……」
 低い、地獄の底から響くような低い声で呟いた女性に、彩さんは髪を振り乱しながら振り向く。
 女性は冷たい表情のまま、彩さんの襟首を掴んで持ち上げた。それを囲むようにして、何処からともなく恨みの表情を浮かべた沢山の女性達の霊が、彩さんを見つめる。
「幾百年も続いた貴様の家系の悪行……。それも今日で終りだ」
 鬼の形相で足掻く彩さんを見下ろしながら、女性は冷たい声で呟いた。
 もはや何が何だか分からずにいる私に気付いたのか、女性は彩さんを持ち上げたまま私の方を向き、
「……この女の家系は若い娘の血を浴びる事で永遠の美を得れるという迷信を信じ込んでいたのだ。……永遠など有りはしないのに」
 憂いを帯びたような目で事の馴れ初めを説明した女性は、気のせいか寂しく見えた。この女性は、霊達はきっと彩さんの先祖に殺されたのだろう。そう思うと、いたたまれない気持ちになった。
「離せぇぇえーっ!」
 女性に掴まれた彩さんが奇声を発して暴れた。もはや、私にはそれが狂った獣にしか見えなかった。
 女性が何か呟き、女性を取り囲んでいた霊が私の目の前に迫る。その霊は何処から取り出したのか、真っ白な蕾を私の胸元に押し付けた。
「おのれっ……、おのれぇえーっ!」
 途端に焼けるような痛みが体に走り、彩さんの恨みの叫びを耳にしながら、私の意識は途絶えた……。

 ・

 次に目覚めた時、私は病院のベッドで横たわっていた。お医者さんによると、国道で倒れていた私を通りすがりのドライバーが保護してくれたらしい。
 不思議な事に、私が倒れていた場所は花村とは程遠い県であった。更に不思議な事に、インターネットで花村と調べてみても、あの村に結び付くものは何一つ出てこなかった。私はインターネットの情報を頼りにあの村にたどり着いた筈なのに。
 私は夢を見ていたのだろうか? もしそうならどれだけ幸せだろうか。
 私はあの村に行って知ってしまった。人間の執着の恐ろしさというものを。
 良く人は言う。一番怖いのは生きている人間だと。だけど私はそれに対して素直に頷けない。何故なら……、

 ──私は貴女を助けた。だから……身体をちょうだいな。

 毎晩眠る度に、白かった服を赤に染め、右手に彩さんの首を持ったあの女性が手招きをしながら近付いて来るのだ。
 あの女性が私の元へ来た時、私はいったい……。
 夢を見る度に濃くなる胸元の蕾の痣を見る度、私は思う。
 この世で一番恐ろしいのは何かに対する強い執着心だと。


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