異文化間交流
 未だ止まない雪が闇夜の合間を縫うようにして白銀の大地に降り立つ。それは止まる事なく、規則的に、そして断続的に続いていた。
 白と黒に統一された山中は言葉に出来ない程美しく、時が止まったかのように静寂が辺りを支配していた。
「鬼は〜外ぉ〜」
 だがこの日は異例だった。
 静かな山中の奥から、雪と同じく断続的に人の声が聞こえて来る。どうやらそれはある洞窟の中から聞こえて来ているようだ。
「鬼はー外ー、福はー内ー」
 洞窟に近付いてみると、何やら入口付近で豆を撒き散らしている一人の人物が居た。
 洞窟の中では火が暖かそうに燃えているのだが、彼女は寒空の下で大きな麻袋から豆を取り出しては辺りに撒いていた。しかし、その声には何時ものハリがない。
「鬼はー外ー……、何かなあ、一人で豆まきって切ないなぁ」
 広大な畑に種蒔きをする、と言われても納得してしまいそうな程、巨大な麻袋に入った豆を取り出しながら彼女――セツは少々不満げに呟いた。
 そう言えば、セツと共に旅している筈の狼――イスカの姿が何処にも見えない。洞窟の中にも外にも、イスカの姿は見当たらないのだ。
「カワイコちゃんの雌狼でも見つけたのかね、夜になっても帰って来ない。朝帰りコース入りまーす」
 昼頃に忽然と姿を消した相棒を冷やかしたような発言をしてみるも、反応が何も無い為にどうも面白く無い。むしろ余計に寂しくなった。
 せっかくイスカと節分を存分に楽しもうと思い、コツコツと豆を少しづつ買い溜めたのに、結局一人か。この豆、どうしてくれるんだよ。と今頃雌狼と宜しくしているであろう相棒に向けて毒づいてみるも、やはり寂しさだけが残る。
 それにしてもセツはコツコツ豆を買いすぎだ。その証拠に入口付近を豆だらけにしても、麻袋の豆は半分以上残っている。
「鬼はー外ー」
 とにかくこの豆を何とかしなければ、そう考えたセツはひたすら豆まきを続けるが、何せ量が半端なく多い。これを全て投げ終えた頃には、間違いなく腱鞘炎になっているだろう。
 此処に来て、セツはようやく買いすぎた事に気が付いた。
「鬼はー……、もう鬼も中で良いよ、こうなったら自棄だ! 鬼もー中ー! 全部中ーっ!」
 余りに大量の豆と、何故自分は一人でせっせと豆まきに精を出しているのだろう。段々嫌になってきたセツは「鬼も中ー!」と半ば叫ぶように豆を至るところに投げ始めた。完全に壊れている。
 だが自棄になっただけで大量の豆が無くなる筈も無く、代わりにセツの体力が底を尽きる。
「……も、もうダメだ。豆まきってこんなに疲れたっけ」
 疲れる原因は間違いなく、買いすぎた豆の量にあるのだが、セツはそこに気付いているのかいないのか、おぼつかない足取りで火の側まで寄るとそのまま布団代わりに使用しているローブにくるまった。
 暫く火に当たるだけのつもりだったのだが、炎が揺れる様を見る内に瞼が自然と落ちてくる。
 最初こそは、何度か慌てたように顔を起こしていたセツだが、その回数はすぐに減少して行き、暫く経てば規則正しい寝息が聞こえて来た。

 セツが眠りに着いた後、何やら洞窟の外から雪を踏みしめる音が聞こえてきた。その足音の正体はどうやら単体では無く、複数いるようだった。
 足音は真っ直ぐに豆だらけとなっている洞窟へと近付いて来る。そのただならぬ気配に静かに鳴いていたフクロウが黙り、異様な獣臭が辺りを包み込む。
 明らかに不穏な雰囲気に包まれる洞窟付近。だが、豆を一袋、クサカの頭へとぶち撒いている夢を見ているセツは不穏な雰囲気に気付く事なく、幸せそうな表情を浮かべて眠りこけていたのだった。


「おい、おーい」
 夢の中で二袋目の豆をクサカに投下しようとしていたセツは、突然聞こえて来た声に体をすくませた。だが眠気が強く、起きるまでは至らない。
 すると声の主はセツの体を乱暴に揺すり始める。それも尋常ならぬ力で。おかげでセツの首は今にももげそうな程ぐらんぐらんと激しく揺れ動いた。
 こうなればひとたまりも無いセツは目を擦りながらゆっくりとその漆黒の双眼を開いた。
 てっきり目の前には仏頂面のイスカが居ると思ったのだが、そうとは違う人物が顔を除き込んでおり、セツの頭は思考を一時停止する。
「 ……どうも、こんばんは」
「やっと起きたか、こんばんは」
 どうすれば良いか分からず、とりあえず挨拶をすると、対象者は手を叩きながら挨拶を返してくれた。

 ――どういう事?
 口々に「お目覚めか」と言って顔を覗き込んでくる者達を目の当たりしたセツは、目を白黒させながら洞窟内を見渡した。
 自分以外、誰も居なかった筈の洞窟内は今、沢山の人(?)で埋め尽くされていた。そしてその人々は体の色が様々あり、頭に一つ、二つと出っ張りのような物が着いていた。
 その姿は、ノシドで見た絵巻物に載っていた"鬼"と酷似していた。
「いやー、それにしても寒いねー」
 絵巻物に載っていた鬼の記述は、乱暴者で凶悪、凶暴、人を食う等、身の毛のよだつような内容ばかりだった。
 だが、この鬼達はどうだ。酒や食べ物を片手に、笛や太鼓を叩きながら話に花を咲かせている。どう考えても凶暴そうには見えない。
 現に目の前にいる赤鬼は酒を片手に、まるで親しい仲のようにセツへと世間話を持ちかけている。
「そりゃあ樹氷出来る位だからね。ところで、あなた方どちら様?」
 もしかしたらこの人達はカラフルな色をして、被り物をした普通の人間かもしれない。いや、絶対そうだ。でないと文献の内容は嘘っぱちになってしまうじゃないか。
 あくまで文献を信じているセツは鬼っぽい恰好をした人々の返事を、固唾を呑んで待った。
「オイ等? 見ての通り鬼だよ。なぁ、皆」
 だが彼等の答えはセツの期待を見事に裏切った結果となった。赤鬼のフリに「そうだともー!」と酷く陽気な返答を送る鬼達に、セツは肩の力が抜けるのと、自分が信じ続けていた鬼像が崩れるのをしかと感じた。
 だが、楽器の音に合わせて踊ったり、ほろ酔い気分になって談笑している楽しそうな鬼達を見ていると、まぁ良いかという気持ちになる。
「いや、本当に助かったよ」
「ん、何が?」
 黄色い女の鬼から貰った干し肉を口に運ぶセツに向けて、何処からともなくやって来た青鬼が酒を飲みながら口を開く。
 反射的に思わず聞き返してしまったセツを見るに、鬼達に打ち解けつつあるようだ。
「呼んでくれたろ?、鬼も中って。お陰で火に当たれたよ」
「ああ、それか。ドウイタシマシテ」
 鬼達が神妙な顔をしているのを見たセツは、豆にうんざりして言っただけです。とは口が避けても言えないと思い、何故か片言で断る。
 何処か強ばった表情のその先には、血糊が着いた金棒を手入れしている鬼の姿があった。やはり陽気でも鬼のようだ。
「この時期になると、何処もかしこもオイ達に出てけって言って豆をぶつけるんだもんな。なーんもしてないのに、目の敵にされるこっちの身にもなってほしいや」
「本当に、鬼は出て行けって言うけど、私達からすれば人間の心の方がよっぽど怖いってね」
 確かに鬼達の話には一理ある。だが、セツは鬼達の愚痴の内容より、もっと気になる事があった。
 ――いや、おかしいだろ。
 思わず心中で突っ込んでしまうセツの視線の先には、人間に対しての愚痴に花を咲かせている鬼達の姿があった。
 いや、正式に言うと鬼達が回し食べしている袋、豆がある。
 ――もりもり食ってる。
 話に盛り上がる鬼達は麻袋から豆を掬い出しては口に運んでいる。それも、ごく自然な動作で。
 豆をぶつけるのは勘弁してほしい。とため息混じりにぼやきながら、豆をもりもり食べるのは如何なものか。しかも「やっぱり豆は美味い」と言っている。過去に食べた事があるのだろう。
 豆は"魔滅"とも書け、邪気を払うには一番の食材だと聞いていたが、鬼達には何の変化も見られない。
「あ、豆食ったらいかんかったか?」
「とんでもない、むしろ助かるよ」
 セツの視線に気付いた鬼は、てっきり勝手に豆を食べて怒っているのだと考え、少し焦った様子で訪ねてくる。それに対してセツが違うと言うと、鬼は「そうかー」と言ってにんまり笑うと、中断した話を再開した。
 どんちゃん騒ぎをする鬼達を改めて見たセツは、豆が鬼達に何の効果も為さない理由が少し、分かったような気がした。
 干し肉を噛み下し、鬼達が奏でる軽快な音頭と、賑やかな話に好奇心を擽られたセツは身に纏っていたローブを脱ぎ捨て、鬼達の輪に勢い良く加わった。
「鬼の話、もっと聞かせて!」
「良いぞー、何が良いかな」
「あれは? 桃次郎」
「桃野郎の弟の話か……あれはなぁ……」
「おい、人間の娘っ子! はやしに合わせて踊れ!」
 こうして、セツと鬼達の奇妙な異文化間交流は明け方まで続いた。
 鬼の文化、思想、そして彼等の心に触れたセツは伝承を鵜呑みにしてはいけない事、そして先入観だけで相手を分かったような気持ちになってはいけない事を、改めて知ったのだった。

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 翌朝、知らず知らずの内に眠っていたセツがいつの間にか帰って来たイスカの頭突きよって目を覚ますと、洞窟内には鬼達はおろか、騒ぎの後すら残っていなかった。
 何やら不機嫌なイスカに延々と頭突きをされながら、セツは昨日の出来事は夢だったのかと、少し寂しく思った。
「あ」
 だがそんなセツの目があるものを捉える。その瞬間、セツの口からは驚きの声が漏れ、顔には極上の笑みが浮かんだ。
 視線の先にはぺしゃんこになった麻袋がある。それはわざわざ確かめる必要もなく、豆で満たされていた例の袋だと、セツの頭がほぼ直感的に理解する。
 セツが笑みを浮かべたのは何も、夢でなかった事が明らかになったという事だけではない。
 よく見ると麻袋の表面にはやたら大きな字が書きなぐられてあった。それは昨夜、セツが鬼達に教えたノシド文字でこう書かれていた。
『また来年』
 お世辞にも綺麗とは言えないその文字に、セツは再び笑みを浮かべると来年きっと出会えるであろう友人達に向け、小さく呟いた。
「また……来年」
 不機嫌なイスカを宥める中、何処か遠くで、笛と太鼓の音色が聞こえたような気がした。


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