太郎と置いてけ堀
 やあ皆さんこんにちは。僕、山田太郎は本日無事退院して家に帰りました。
 家に帰って迎えてくれたのは母のにこやかな笑顔。それが怖すぎて、僕かなりビビっちゃいました。

 ……そして今、僕は釣具一式を持って自転車で一時間位走った所の清流に来ています。入院費高かったから、暫く食事は自分で確保しろだってさ。ワオ、自給自足だネ。マジでこれ何時代? って感じで……、
「やってらんねーーー!」
 あまりの仕打ちに思いの丈を叫ぶと、声に驚いた小鳥達がバタバタと逃げて行く。そして魚も逃げて行く……。
 何してんだ、俺。
 ともかく、気を取り直して竿を握ってもう一度糸を垂らす。ずれてきた麦わら帽子がチクチク痛いが、あえて耐える。釣りとは耐久力が試されるものだ。
 あ、でもやっぱり痛いから直そう。
 ちなみに、千代はと言えば俺の気も知れず楽しそうに水辺で遊んでいる。羨ましい限りで!
「駄目だ、釣れん」
 かれこれ三時間糸を垂らしているのに、ビクとも動かない竿。さすがに痺れが切れたので俺はさっさと荷物をまとめてポイントを変える事にした。
「千代、場所変えるけどお前どうする?」
「何じゃ、釣れんかったのか。私は太郎に着いていくぞ」
「そっか」
 駆け寄ってきた千代の頭を撫でてやると、千代は少し驚いた顔をしたものの直ぐに嬉しそうに笑う。うん、こうしていたら可愛い。
 俺としては幼女の姿よりあのナイスバディな姿になって欲しい。でもあの姿になれば常に意識が一点に集中する気がするから、釣りの最中である今はちょっと無理だ。うん、無理だな。
 千代の頭を撫でながら、次の釣りのポイントを探す。今晩の胃の運命が今この瞬間にかかっているから、真剣に探さないと。出でよ、今岡の霊よ!
「……あっち行くか」
 同年代の釣り名人、今岡を呼び出した気分になりながら俺は千代の頭を撫でる事を止めて歩き始める。
 ちなみに、今岡は死んでいない。ピンピンしていて夏休み日本全国釣祭りなる旅に出掛けている。
 ……夏休みっぽい事をしている友人の姿を想像すると、何か悲しくなってきた。何なの、俺の夏休み何なの。
「……千代?」
 後ろを着いてきていない千代に気付き、振り返る。
 千代は難しい顔をして何やら考えこんでいた。oh! 嫌な予感がするよ!
「まあ良いか。よし、太郎。行くとしよう!」
 しかし、一人勝手に考えこんで一人勝手に納得した千代は俺の手を引いてぐんぐん上流へと向かう。
 何が良いの? ってか何か妥協した臭くないか? 其所んところお兄さんに説明して! そう訴えるも、千代はただ笑うだけだった。
 おいコラ、こちらとら今晩の胃の命運がかかってんだぞ!

 ・

 そして二時間後……
 僕は笑いが止まりませんでした。だってだって、
「大漁じゃーい!」
 次々にかかる魚を前に俺のテンションは上がりっぱなし。魚籠の中はぴちぴちの魚で満たされていた。
 ぴちぴちの女の子に囲まれるのも良いけど、魚に囲まれるのも素敵っす! 何て言ったって色気で腹は膨らまんよ!
「太郎、上機嫌じゃな」
「あたぼうよ! 今晩の夕飯の豪華さを考えりゃ、笑いが止まらんってなもんよ! 見てこの綺麗な腹。艶々プクプクたまんねー! うははははは!」
「はは、お主気色悪いのう」
 ……然り気無く暴言を吐かれた。
 でも今の俺には傷ひとつ付けられん。だって俺はハイテンショーン! 今夜の夕食はハイレベール!
 今岡召喚して本当に良かった。そうだ、夏休み終わったら今岡におっとっとあげよう。
「よし、こんだけありゃ十分だろ。そろそろおいとましましょうかねー」
 魚籠一杯になった魚を眺めながら、俺はいそいそと帰る準備を始めた。
 竿を手際よく仕舞い、餌の封をして魚籠の魚をクーラーボックスに入れる。ちなみに、クーラーボックスには水とブクブクを入れている。ほら、やっぱり新鮮な魚を食べたいしね。
 あとブクブクの正式名称は忘れた。忘れたってか知らない。あの、丸っこいやつの先から空気がブクブク出てるやつ。昔からブクブクとしか呼んでないから他の名前知らないや。
 魚籠の魚をえんやこらとクーラーボックスの中に入れ、中でピチャピチャと跳ねる水を感じながら肩から掛ける。中で水と魚が跳ねているのが良い感じ。
 そんな馬鹿な事を考えている内に、空はいつの間にか橙に染まり、時折カラスが鳴くまでになっていた。

 ――……てけ

 声を掛けられたような気がして振り返る。
 目に入るは茜色の光が降り注ぐ清流。そしてその中で立っている千代。
「何か言った?」
「いや?」
「そっか」
 何も言っていないということなので、クーラーボックスを担ぎ直してまた歩き始める。

 ――……いてけ。
「何か言った?」
「いんや?」
「あらそう」
 また気のせいだったようで、千代は半笑いで断る。
 確かに何か言われたような気がしたんだけどな。あれ、俺疲れてんのかな。

 ――置いてけぇ。
 ……また幻聴だろうな、うん。幻聴じゃなくても良いや。千代だったらもう一度言うなり服の裾を引っ張るなりするだろ。
 そう思った尻から服の裾が引かれた。全く、今まで嘘ばっかり吐きやがって。
「千代……あれ?」
 用件を聞くべく、構ってちゃんかつ嘘つきの千代を見る。が、裾を引っ張っていた筈の千代は先程から一ミリたりとも動いていなかった。
 千代との距離は大体五メートル程。ダルシムやルフィでも無い限り、動かずに俺の裾を引っ張るのは不可能だ。
 じゃあ、一体誰が俺の裾を引いたというのだ。

 考えている内に木々がざわめいて不気味な音がし始めた。実に、嫌な感じがする。
 流れ始めた冷や汗に気付かないフリをして、チラリと千代を見る。千代は良く分からん笑みを浮かべて此方を見ていた。不気味、かなり不気味!
「千代ちゃん……帰らないの?」
「帰るぞ、太郎が帰るのならばな」
「あ、そ……。ついでに聞くけど、此処、俺と千代以外に何かいる?」
「魚や獣等がいるではないか」
 おう、実に意味深で嫌な返しをして来たよ。この幼女。
 そのニヤニヤ顔を止めろ、女の子は愛嬌ある顔が可愛いんだ。おっさんがキャバ嬢を下心満更で見るような、そんなやらしい笑みを浮かべるんじゃない!
 それはともかく、日が暮れる前にとっとと帰ろう。そろそろ俺の体内に封印されしブラックホール(胃)がビッグバンを起こす。

 ――置いてけ。
 走り出そうとすると、今度こそちゃんと声が聞こえた。
 生気の無い低い声。それは確かに、置いてけと言っていた。おい、やっぱりこれオカルト系じゃねーか!
「ち、千代ちゃん……!」
「私は知らんぞ。ただ匂いがしたから立ち止まっていただけじゃ」
 すがる思いで千代に助けを求める。だが返って来たのは、何ともまぁ役に立たず、そして腹の立つ言葉であった。
 お前さ、人が滅茶苦茶ビビってんのに知らんは無いだろ! もっと親身にアドバイスをだな……。
 ――置いてけぇ。
 ギャ! まただよあの声。怖えーよ馬鹿っ!
 ともかく姿が見えないのは不幸中の幸い。だってこれでゾンビみたいのが近付いて来たら、汚い話、俺多分チビってると思う。
 そうとなればまだ姿が見えない内にトンズラぶっこくとしよう!
 ……だがしかし、何故だか体が前に進まない。まるで後ろから引っ張られているかのように……まさか。
 恐る恐る、肩越しに後ろを見る。
 そこにあったのはクーラーボックスを掴む、川の淵から伸びている青白い手。
 俺はゆっくりと顔を前に向けた。
「キャー!」
 一拍置いて、非現実的な現象に対する悲鳴が飛び出た。もう何だ、俺の頭の中はパニックだ!
 しかし一方で考える。俺は何か悪い事をしたのかと。
 俺は何ら変わらない普通の男子高校生で、今日は晩御飯の魚を釣りに来ただけ。別に悪いことなんてしていない。むしろこの飽食の時代に自給自足に挑戦する俺を誉めてくれ。
 そう思うと何か腹が立ってきた。
 なのに何でこんなオカルティックな目に遇わなきゃいけないのか、そして……。

 ――置いてけぇ……。
 またあの声がして、クーラーボックスを引く力が強くなる。それを引金として、俺の怒りは爆発した。
「何が置いてけだ! これは俺の夕飯なんだよ! 人が釣ったもん横取りすんな!」
 ――お、置いてけ……。
「ふざけんな! 化物でも人間でも他人のものを横取りしちゃいけないのは同じだろ! 俺は渡さん、お前になんざ夕飯を渡さんからな!!」
 明らかに戸惑い始めた置いてけ野郎を無視し、力一杯クーラーボックスを引っ張り返す。
 取り返せたと思えたものの、意外に相手もしつこく、クーラーボックスはすんなり此方に戻って来なかった。それが余計に腹立たしかった。
「離せよ! お前魚欲しいなら自分で取れば良いだろ! 他人に頼んなよ、ましてや何の接点もない奴になんかよ! お前友達いないのか!?」
 ――お、おいて……。
 吃りつつも、決して手を離さない置いてけ野郎にいい加減怒った俺は、奴の手を思いっきりツネってやった。
 すると突然の痛みに驚いた置いてけ野郎は直ぐに手を離して水の中に戻って行った。そしてそれっきり、手が伸びて来る事もなかった。
 俺は、見事に勝利と魚を勝ち取ったのだ。
「妖怪相手に喧嘩を売るとはなぁ」
「任せたまえよ」
 呆れたような、驚いたような表情の千代にドヤ顔で答え、クーラーボックスを肩にかけ直して帰路に着く。
 ――おっ、置いてけぇえ……。
 後ろからは力無く呟く置いてけ野郎の声。あれ、あいつ何か泣いてね? 若干涙声なんですけど。
 ――おっおっ、置い……てけぇ……。
 え、何これ。滅茶苦茶嗚咽混じりじゃん。え、これ俺が悪いの? そんな感じなの?

 結局、僕は置いてけ野郎の泣き声に負け、魚を全て川に戻したのでした。
 夕飯は白米だけでした。夜は僕が泣きました。


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