太郎と花子さん
 俺の名前は山田太郎。偽名でも源氏名でもない。神様仏様ご先祖様も証明する正真正銘の本名だ。
 公園で苔まみれになっていた石碑を磨いてから、俺は千代と名乗る幼女の霊に付きまとわれる事になった。山田太郎こと俺と訳の分からん幼女、千代との生活を誰か聞いてください。
 ジワジワと相も変わらず蝉が喧しく叫び続ける夏休みの中日、俺は自制服姿で走りなれた道を自転車でかっ飛ばしていた。そう、今日は学生にとっては面倒でたまらない、登校日なのだ。
 しかも最悪な事に俺は寝坊して、遅刻か否かの瀬戸際にあった。理由は昨夜姉ちゃんが目覚まし設定を45分遅らせるという、地味かつ最低な嫌がらせをしてきたからだ。
 ――1、3、5、7、9……
「のう、太郎。そんなに急いで何処に行こうとしとるんじゃ?」
 暑さを牧らわそうと素数を数えていると、それまで大人しく荷台に座っていた千代が肩越しに顔を覗き込む。フェミニストを目指す俺としては直ぐに答えてやりたいが、どうもそんな余裕はない。今答えれば、何となくだが速度が3ノット程落ちそうな気がする。1ノットがどれだけの速さか知らないけど。
 太郎、太郎とやかましい千代を肩に乗せ、俺はひたすらペダルを漕ぐ。漕ぐ。漕ぐ。が、信号に引っ掛かった。信号、空気読め。

「学……校に行……く」
「ガッコー? 何じゃそれは」
「何って、あぁ千代の時代には無かったのか。えーっと、寺子屋?」
「テラコヤ?」
「げ、これも通じねえの? えー何だ、とにかくだな。算術やら文字やらそういうのを学ぶ所」
「ほう、文字をか。ガッコー……、そう言えば何やら聞き覚えがあるな。誰か住んでおると聞いた事が……」
「守衛のおっさんだろ。って言っても俺の学校公立たから誰も住んでないけど……よっ!」
 信号が点滅するのを見計らい、俺はフライングでペダルを漕ぐ。が、自転車で巡回中の警官に見付かり、十分ほど説教を食らう羽目になったのだった。


 キーンコーンカーンコーン
 生徒にとっては開放の音、だが俺にとっては最低の音を耳にしながら、俺は皆と同じように席を立って鞄を持つ。
 あれから二十分ほど遅刻した俺は、担任に散々笑い飛ばされ、クラスの前で遅刻の理由をありのまま喋らされ、挙げ句の果てに便所掃除を押し付けられた。自分が悪いという事は重々承知だ。が、羞恥プレイの後に便所掃除は……酷い。
 おまけに……、
「太ー郎ちゃーん! 羞恥プレイの感想はどうよ? 癖になっちゃいそう?」
「死ネ、岡田」
「うわっ、ヒデェ」
 こういう事があれば、必ず絡んでくる輩がいる。俺の回りの代表は、天パイケメン野郎のこいつ。岡田だ。
 薄と同じ色じゃ。岡田の色素の薄い髪を見て、千代は珍獣を見るかのように目をキラキラさせる。昔は黒髪しかいなかったのだから、岡田の髪色が余程珍しく感じたのだろう。
「うっせバーカ。色素の薄い髪と目に甘いマスク。おまけに誠也っていうイカした名前のお前バーカ。聖星矢って言われて弄られろバーカ」
「何その貶しつつ誉める嫌味」
 純度100%無添加の嫉妬をぶつけると岡田は微妙な笑みを浮かべる。ちなみに千代がお前の肩に乗って探さに顔を覗き込んでいるが、教えてなんかやるもんか。
 鞄を肩に掛け、さっさと歩き出す俺の後を岡田はニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら追いかける。本当に嫌な奴だ。
「怒んなって。お前今から何か用事あんの?」
「便所掃除だよ!」
 しかもそれで微妙に天然だから余計にタチが悪い。ちょっとこいつを無自覚天然嫌味野郎にした奴出てこい。
 悪い悪いと大して悪いと思っていないであろう笑みを浮かべる岡田の肩にパンチを入れ、教室を出た俺は廊下の窓側にもたれ掛かる。時刻は15:40。指定された時間までまだ20分ある。

「で、何だよ。何か言いたい事あるんだろ?」
「いつも良く気が付くねぇ。何個かあるけど……、とりあえず今日は一個だけな」
 滅べチャラ男。脳内でそう呟きながら岡田の言葉の続きを待つ。千代は岡田の整った鼻を興味深そうに摘まんでいる。良いぞもっとやれ。
 一方、岡田は珍しく真剣な表情になり俺の目をじっと見ながら、
「太郎、北館の二階の男子便所には近寄るなよ。掃除をしろと言われても、何とか理由を付けて断れ」
「……何でだよ」
 嫌な予感がする。
 岡田は外見こそイケメンチャラ男だが、何故かオカルトに異様なまでに詳しい。以前、何やら興奮した岡田にオカルトについて延々と語られた事があったが、意味の分からない単語ばかりが出て来て全く分からなかった記憶がある。リンフォンって何だよ。
「出るんだよ。あのトイレ」
「聞こえない聞こえないあーあーあー」
「全部聞こえてるだろ。とにかく出るから、近寄るなよ。友の言葉はちゃんと聞くように。じゃー、俺帰るわ」
 固まる俺を他所に、岡田はニコッと魅惑の笑顔を浮かべるとさっさとその場を去って行く。
 俺から離れてゆく岡田の肩から飛び降りた千代は、気を付けろよとにこやかに手を振る。そこで漸く我に返った俺は去り行く岡田の肩をむんずと掴み、
「待て。一緒に手伝ってやろうとか……」
「無理無理。女のコと約束入ってるから」
 にっこり。爽やかな笑みを浮かべた無自覚天然嫌味イケメン野郎は余計な事を吹き込んだ上に、あっさりと俺を見捨てた。こういう時に何だが、こいつのこんな所を俺は本当に凄いと思う。勿論、悪い意味でだ。
 わなわなと怒りにうち震える俺の耳に、岡田はある事を囁き、そして今度こそ手を振って去って行った。
 部活の掛け声と蝉の鳴き声が響き渡る、夕方の校舎。千代を肩に乗せた俺はポツリと呟いた。
「くたばれ天パ」

 ・

 最悪だ。本当に最悪だ。今日は厄日だ間違いない。
 相も変わらずやかましい蝉の大合唱を背に、俺は千代と共に岡田に忠告された北館のトイレの前に立っていた。
 滅多に使用されないこのトイレは当然のように電気がついておらず、そのせいか暗い室内からは妖気のようなものが漂っている気がする。
 あれから職員室に寄った俺は、担任から嫌がらせのように北館二階の男子便所の掃除を命じられた。勿論、俺は断った。これ以上ない程に断った。けれどあの担任はせせら笑うだけで、頑として了承してくれなかった。
 挙げ句の果てに「どうしてそこまで拒否する?」と来たもんだ。お化けが出るから怖いの〜。とは良い年した男が言える訳が無い。言ったらそこで俺の青春終わる。そして俺はここの掃除を任されたのだった。
「千代。何か感じるか?」
「む? そう言えば古い妖の匂いがするの。はて、これは誰のものじゃったか」
 すんなりと肯定され、俺のテンションは一気に暴落。リーマンショックなんて目じゃないゾ! 本当、数あるトイレの中で担任はどうして此処を命じたんだよ。

 ──北館二階の男子便所、花子さんが出るらしいぞ。赤い服来た花子さんが、な。

 思い出したくもない言葉と、今一番ムカつく奴の顔が同時に浮かび、俺は鞄を廊下に叩き付けた。あの天パは何でこうも親切心で嫌がらせをするのか。ちなみに岡田はこっくりさんに教えてもらったらしい。良い年して何やってんのアイツ。そんで花子さん、何で女子便所じゃなくて男子便所に出てんの。
 とにかくさっさと終わらせよう。電気を付けると、チカチカと不安定に点滅した後に漸く明かりが灯る。何とも不気味だ。
 とにかくさっさと終わらせよう。呪文のようにそう呟きながら、便所たわしを手に取って便器を磨く。正直な所、排泄による汚れより埃の方が多い。
「太郎。わしちっと周り見てくるぞ」
「おー」
 生返事で千代を送り出し、次の便器に取り掛かる。とにかくさっさと終わらせよう……って待て。慌てて千代がいた場所を振り返る。が、そこには既に千代の姿は無く、便所のタイルがあるだけだった。
 出ると噂の便所に一人。夕方の出ると噂の便所に一人ぼっち。ヤバい。非常にヤバい。むしろヤヴァい。
 掃除もそこそこに便所を飛び出そうと考えた直後、いきなり蛍光灯の光が消えた。そして同時に背後の個室から異様なまでの寒気が漂って来る。
 恐怖の余り声を出す事も忘れた俺の背後で、ギィと個室の扉が開く音がした。そして意思とは無関係に、俺の体はゆっくりとそちらを向き始める。
 俯きがちな視線に入って来るのは、まだ明るい筈なのに嫌に暗い室内と、便器の奥に佇む女の白く細い足。その足が、ズリズリとすり足で俺の方へ近寄って来る。

 ――天パ様天パ様天パ様! 本当に俺が悪かった。何もしてないけど俺が悪い。だから助けて天パ様!
 岡田の顔を思い浮かべながら、俺はあの腹立つ友人に必死に助けを求めた。けれど、やっぱり現状は何変わらず、いや変わった事と言えば女が俺に近付いただけだった。やっぱり死ね天パ。

「おお、お花ではないか。久方ぶりじゃの、元気しておったか?」
「……千代ちゃん?」
 緊張感を裂いて、千代の暢気な声がした。それと共に涼やかな声が千代の名を呼ぶ。
 何やら知り合いらしい千代とお花とやらはキャッキャとはしゃぎながら、久方ぶりの再開に喜び合う。それにより、俺の存在は空気以下になった。
「あのー、知り合い?」
 それでもやっぱり顔を上げるのが怖くて、俯きながら二人の関係を尋ねると、千代から「そうじゃ」と何ともまぁ短い返事が来た。
 何だか拍子抜けして、何だそりゃと床に座り込むと太郎さんと涼やかな声に名を呼ばれた。つられて顔を上げた俺はハッと息を呑んだ。
「怖がらせてしまってごめんなさい。私、花子って言います。よろしくお願いしますね」
 目の前にあったのは良い感じにはだけた赤い着物を身に纏う、長い髪をした清楚な女性。しかも、ボイン。トイレの花子さんは二十歳は過ぎているであろう、綺麗なお姉さんであった。
 何故トイレの花子ちゃんではなく、花子さんなのか。その謎が、解けたような気がした。


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