今まで、マツバがエンジュを長期に離れたことがあっただろうか。
ポケモンリーグからの呼び出しだとかで、数日留守にすることはあったけれど、月単位で離れるなんてことは、少なくとも私の記憶の中では無かったはずだ。
パシオという人工の島で行われる催し?に参加すると、マツバがエンジュを出てから1ヶ月以上は経つ。
聞くところによると、隣町やその隣町のジムリーダーも参加するとのことで、いまジョウト中のジムはリーダー不在の状態だそうだ。
ジムのリーダーが不在だからとジョウト中のジムを長期間閉める訳にもいかないため、ジム所属のジムトレーナーさんが、ポケモンリーグの指導協力の元、代行で運営している状態だ。
そしてマツバの帰りを待つわたしは、その協力で今日も事務作業。ダジャレじゃないよ。
「この1週間のジムの修繕費と、ジムトレーナーさんへの給与、勝利したトレーナーへの賞金、その他食費運営費雑費……」
領収書を片手に、もう片手には計算機とボールペンを持って台帳とにらめっこする生活には、まだまだ慣れそうにない。台帳の前のページを遡れば、綺麗な字が整って並んでいる。ジムリーダーとしてバトルをこなしながら、事務作業もしてそのうえに修行も……同じ時間が流れてるとは思えない。
「どうしても無理だったら、置いておいても大丈夫だからね。」
私の頭を撫でるマツバの、あの困ったような申し訳なさそうな笑顔を思い出す。
マツバの力になりたくて、自分から申し出たんだ。
それに、この作業に慣れたら、マツバがパシオから戻ってきても私が仕事の一部を手伝える。マツバは普段から頑張りすぎだから、浮いた時間でゆっくりして貰いたい。
「…うわ、もうこんな時間」
作業を始めた時はまだ明るかった窓の外が、もうどっぷりと夜に染まっていた。
作業の途中に飲もうと淹れたお茶も、いつのまにか冷え切っている。
今日はこのくらいにして、明日また作業しよう。
冷えたお茶を飲み切って、洗い物を済ませ、ジムの施錠確認もして、家へと歩き始める。
日が暮れると、やっぱり寒いな。明日は羽織れる上着が必要かな…明日の天気と気温を調べるついでに、ポケギアのメールを確認するが、今日はマツバからの連絡は来ていないみたいだ。
マツバからの連絡は、毎日じゃなくて、その日によって返ってきたり、こなかったり。
あんた彼女なんやから、どーんと構えとき!
以前不安になってしまったときに、アカネちゃんに言われた言葉を思い出して、うんうんと頷く。
寂しいといえば嘘になるけど、もう二度と会えないわけじゃ無いし。催しさえ終われば、帰ってくるんだから。
ピロン
「!」
家に着き、玄関の鍵を開けたところで、ポケギアの画面が通知で光る。着信だ。
相手はーー
『もしもし?リゼ』
「はーい、どうしたの?マツバ」
『今大丈夫かい?』
「うん、丁度家着いたとこ」
『それなら良かった。ジムの仕事かな…ありがとうね』
「ううん、気にしないで」
ポケギア越しに響く、愛しい人の声に口角が上がる。単純だなあ。
『あのね、今日電話したのは、……なんて言えばいいかな…その、』
「?」
マツバにしては珍しく、言葉に詰まっているようだった。
荷物を降ろして、マツバに許可を得て手洗いを済ませてから再びポケギアを手に取る。
「ごめん、お待たせ」
『いやいや、……どうしてもキミに最初に報告したくて、…でも、僕もまだ夢じゃないかって思うような出来事でね』
「うん、うん」
声色的にはそんなに悪くなさそうな話題なんだろうけど、なんだろうか。何かいいことあったのかな。催しで良い成績が残せたとか?それとも豪華景品を手に入れた…とか?
『ああ、説明するよりも見てもらったほうが早いかもしれないなあ』
『でも、本当に良いことなんだ。僕にとっては、本当に…』
『とにかくね、数日以内には帰れそうなんだ。だから、もう少しだけ留守番を頼めるかな?』
あと数日、この寂しい時間に終わりが見えた瞬間に、また自分の口角が上がるのが分かった。マツバにとって良いことが何なのかは分からないけれど、マツバが帰ってきてくれる。その事が私にとってはここ最近での1番良いニュースになった。
「もちろんだよ」
『ありがとう…じゃあそろそろ』
「うん、私もそろそろお風呂入らなきゃ…電話ありがとうね、マツバ」
『いや、こちらこそありがとう。リゼの声を聞けて少し落ち着いたかもしれない。じゃあ…おやすみね』
プツッと通話が切れて、自分以外誰も居ない家に静寂が訪れる。この1ヶ月と少し、寂しさが募ったこの空間も、あともう少しの辛抱らしい。
あと数日。
うーんと伸びをして、いつもより足取り軽くお風呂へと向かった。
マツバからのメールで、今日の夕方には帰れるよと告げられて、その日の事務作業は早めに切り上げた。
家に帰る前にスーパーに寄って、夕飯の材料を購入する。今日は、いつもよりすこし良い食材を買ってみた。
マツバにやっと会える。
思わず駆け出しそうになる気持ちを抑えながら、家まで早足で歩く。
玄関の扉を開けた時に、ふわ、と香るほのかな匂いで、ああ、マツバが帰ってきたんだなとわかった。
「マツバ!」
廊下を駆けて部屋へと向かう。マツバ、やっと会える!
「リゼ、おかえり」
「マツバこそ、おかえ………」
ガサ、と買ってきた食材の入ったビニール袋が床に落ちて音を立てた。あまりの衝撃に思わず落としてしまった。
部屋の奥で、縁側に座るのは、久しぶりにみる恋人。
そして、その後ろ。中庭に居るのはーーー
いつもなら、ゲンガーが悪戯っ子な顔でマツバの隣に居たのに、今日は違う。
マツバの背丈を遥かに超える大きさで、マツバの髪の毛と同じ色の翼を持った、見たことのない鳥ポケモンが、そこには居た。
こちらを見るマツバの表情は、いつも通り穏やかだ。それなのに、心の底から嬉しいんだろうなというのも見て分かるし、どこかホッと安堵しているような、それでいて少し泣きそうな……気もする。
色んな感情が混じっているような彼の表情を見て、察した。
以前マツバが読んでいた古い文献を、私も読んでみようと手に取った時に見た名前。たまにマツバの口からその名前が出てくるから、覚えていた。
勿論、本物なんて見たこともない。その特徴だって覚えてない。容姿も全然知らない。
それでも、そのポケモンが、間違いなく、目の前にいるこの子のことを指しているのだと。
マツバがずっとずっと昔から、ずっと想い焦がれてきた…
「ホウオウって言うんだ、分かるかな」
ああ、マツバの今までの修行が、報われる日が来たんだ。
そう思うのと同時くらいに、目頭が熱くなるのを感じた。そして次第にボヤける視界。ぱちぱちと瞬きをすると、焦点は合うものの、代わりに涙がぽろっと溢れて頬を伝うのが分かった。
「……どうしてリゼが泣いてるんだい」
「だって、マツバの夢が……ずっと、」
「僕もまだ、信じられないけど。…でもようやく、認められたみたいなんだ。」
縁側から引き上げてこちらに近づいてくるマツバ。ふじ色の垂れた目が、いつも以上に優しくて、細くて白くて綺麗な指が、頬の涙をそっとすくってくれた。
「ずっと、隣で応援してくれてありがとうね」
「…ううん、本当に、マツバが頑張ったから…おめでとう」
マツバの夢が叶ったのは、他でもないマツバの血の滲むような努力のおかげだろう。
ふと、中庭からこちらをじっと見つめているホウオウと目があった。
あなたのおかげで、マツバがとても幸せそう。本当にありがとう。
口には出さないけど、気持ちを込めて心で呟くと、伝わったのだろうか。バサリと大きな羽を広げ、応えてくれたように見えた。
こがね色の翼が、闇夜の中で月の光を受けてキラキラと輝くその光景は、今までに見たなかの、なによりも美しくて、きっと一生忘れることはないんだろうなと、確信に近いものを感じた。
新しい未来
22/05/02
22/06/02 修正+投稿
ポケモンリーグからの呼び出しだとかで、数日留守にすることはあったけれど、月単位で離れるなんてことは、少なくとも私の記憶の中では無かったはずだ。
パシオという人工の島で行われる催し?に参加すると、マツバがエンジュを出てから1ヶ月以上は経つ。
聞くところによると、隣町やその隣町のジムリーダーも参加するとのことで、いまジョウト中のジムはリーダー不在の状態だそうだ。
ジムのリーダーが不在だからとジョウト中のジムを長期間閉める訳にもいかないため、ジム所属のジムトレーナーさんが、ポケモンリーグの指導協力の元、代行で運営している状態だ。
そしてマツバの帰りを待つわたしは、その協力で今日も事務作業。ダジャレじゃないよ。
「この1週間のジムの修繕費と、ジムトレーナーさんへの給与、勝利したトレーナーへの賞金、その他食費運営費雑費……」
領収書を片手に、もう片手には計算機とボールペンを持って台帳とにらめっこする生活には、まだまだ慣れそうにない。台帳の前のページを遡れば、綺麗な字が整って並んでいる。ジムリーダーとしてバトルをこなしながら、事務作業もしてそのうえに修行も……同じ時間が流れてるとは思えない。
「どうしても無理だったら、置いておいても大丈夫だからね。」
私の頭を撫でるマツバの、あの困ったような申し訳なさそうな笑顔を思い出す。
マツバの力になりたくて、自分から申し出たんだ。
それに、この作業に慣れたら、マツバがパシオから戻ってきても私が仕事の一部を手伝える。マツバは普段から頑張りすぎだから、浮いた時間でゆっくりして貰いたい。
「…うわ、もうこんな時間」
作業を始めた時はまだ明るかった窓の外が、もうどっぷりと夜に染まっていた。
作業の途中に飲もうと淹れたお茶も、いつのまにか冷え切っている。
今日はこのくらいにして、明日また作業しよう。
冷えたお茶を飲み切って、洗い物を済ませ、ジムの施錠確認もして、家へと歩き始める。
日が暮れると、やっぱり寒いな。明日は羽織れる上着が必要かな…明日の天気と気温を調べるついでに、ポケギアのメールを確認するが、今日はマツバからの連絡は来ていないみたいだ。
マツバからの連絡は、毎日じゃなくて、その日によって返ってきたり、こなかったり。
あんた彼女なんやから、どーんと構えとき!
以前不安になってしまったときに、アカネちゃんに言われた言葉を思い出して、うんうんと頷く。
寂しいといえば嘘になるけど、もう二度と会えないわけじゃ無いし。催しさえ終われば、帰ってくるんだから。
ピロン
「!」
家に着き、玄関の鍵を開けたところで、ポケギアの画面が通知で光る。着信だ。
相手はーー
『もしもし?リゼ』
「はーい、どうしたの?マツバ」
『今大丈夫かい?』
「うん、丁度家着いたとこ」
『それなら良かった。ジムの仕事かな…ありがとうね』
「ううん、気にしないで」
ポケギア越しに響く、愛しい人の声に口角が上がる。単純だなあ。
『あのね、今日電話したのは、……なんて言えばいいかな…その、』
「?」
マツバにしては珍しく、言葉に詰まっているようだった。
荷物を降ろして、マツバに許可を得て手洗いを済ませてから再びポケギアを手に取る。
「ごめん、お待たせ」
『いやいや、……どうしてもキミに最初に報告したくて、…でも、僕もまだ夢じゃないかって思うような出来事でね』
「うん、うん」
声色的にはそんなに悪くなさそうな話題なんだろうけど、なんだろうか。何かいいことあったのかな。催しで良い成績が残せたとか?それとも豪華景品を手に入れた…とか?
『ああ、説明するよりも見てもらったほうが早いかもしれないなあ』
『でも、本当に良いことなんだ。僕にとっては、本当に…』
『とにかくね、数日以内には帰れそうなんだ。だから、もう少しだけ留守番を頼めるかな?』
あと数日、この寂しい時間に終わりが見えた瞬間に、また自分の口角が上がるのが分かった。マツバにとって良いことが何なのかは分からないけれど、マツバが帰ってきてくれる。その事が私にとってはここ最近での1番良いニュースになった。
「もちろんだよ」
『ありがとう…じゃあそろそろ』
「うん、私もそろそろお風呂入らなきゃ…電話ありがとうね、マツバ」
『いや、こちらこそありがとう。リゼの声を聞けて少し落ち着いたかもしれない。じゃあ…おやすみね』
プツッと通話が切れて、自分以外誰も居ない家に静寂が訪れる。この1ヶ月と少し、寂しさが募ったこの空間も、あともう少しの辛抱らしい。
あと数日。
うーんと伸びをして、いつもより足取り軽くお風呂へと向かった。
マツバからのメールで、今日の夕方には帰れるよと告げられて、その日の事務作業は早めに切り上げた。
家に帰る前にスーパーに寄って、夕飯の材料を購入する。今日は、いつもよりすこし良い食材を買ってみた。
マツバにやっと会える。
思わず駆け出しそうになる気持ちを抑えながら、家まで早足で歩く。
玄関の扉を開けた時に、ふわ、と香るほのかな匂いで、ああ、マツバが帰ってきたんだなとわかった。
「マツバ!」
廊下を駆けて部屋へと向かう。マツバ、やっと会える!
「リゼ、おかえり」
「マツバこそ、おかえ………」
ガサ、と買ってきた食材の入ったビニール袋が床に落ちて音を立てた。あまりの衝撃に思わず落としてしまった。
部屋の奥で、縁側に座るのは、久しぶりにみる恋人。
そして、その後ろ。中庭に居るのはーーー
いつもなら、ゲンガーが悪戯っ子な顔でマツバの隣に居たのに、今日は違う。
マツバの背丈を遥かに超える大きさで、マツバの髪の毛と同じ色の翼を持った、見たことのない鳥ポケモンが、そこには居た。
こちらを見るマツバの表情は、いつも通り穏やかだ。それなのに、心の底から嬉しいんだろうなというのも見て分かるし、どこかホッと安堵しているような、それでいて少し泣きそうな……気もする。
色んな感情が混じっているような彼の表情を見て、察した。
以前マツバが読んでいた古い文献を、私も読んでみようと手に取った時に見た名前。たまにマツバの口からその名前が出てくるから、覚えていた。
勿論、本物なんて見たこともない。その特徴だって覚えてない。容姿も全然知らない。
それでも、そのポケモンが、間違いなく、目の前にいるこの子のことを指しているのだと。
マツバがずっとずっと昔から、ずっと想い焦がれてきた…
「ホウオウって言うんだ、分かるかな」
ああ、マツバの今までの修行が、報われる日が来たんだ。
そう思うのと同時くらいに、目頭が熱くなるのを感じた。そして次第にボヤける視界。ぱちぱちと瞬きをすると、焦点は合うものの、代わりに涙がぽろっと溢れて頬を伝うのが分かった。
「……どうしてリゼが泣いてるんだい」
「だって、マツバの夢が……ずっと、」
「僕もまだ、信じられないけど。…でもようやく、認められたみたいなんだ。」
縁側から引き上げてこちらに近づいてくるマツバ。ふじ色の垂れた目が、いつも以上に優しくて、細くて白くて綺麗な指が、頬の涙をそっとすくってくれた。
「ずっと、隣で応援してくれてありがとうね」
「…ううん、本当に、マツバが頑張ったから…おめでとう」
マツバの夢が叶ったのは、他でもないマツバの血の滲むような努力のおかげだろう。
ふと、中庭からこちらをじっと見つめているホウオウと目があった。
あなたのおかげで、マツバがとても幸せそう。本当にありがとう。
口には出さないけど、気持ちを込めて心で呟くと、伝わったのだろうか。バサリと大きな羽を広げ、応えてくれたように見えた。
こがね色の翼が、闇夜の中で月の光を受けてキラキラと輝くその光景は、今までに見たなかの、なによりも美しくて、きっと一生忘れることはないんだろうなと、確信に近いものを感じた。
新しい未来
22/05/02
22/06/02 修正+投稿