14:気付いた間違い



熾烈な戦いの末、私たち海南大附属高校は第1位で県予選を通過することが出来た。
今年も決して楽ではない戦いを繰り広げ、その座を手中に収めることが出来た安堵感と、またここから始まる全国での戦いに思いを馳せる。
常勝を掲げる海南大附属高校男子バスケ部は、ここで満足などしていられない。願うは念願の全国制覇。その頂点に立つことを目標に、今まで血反吐を吐く思いで耐えた厳しい練習。
その大舞台こそがまさに本番であり、三年生にとっては集大成とも言える大きな大会だ。

牧紳一が主将を務める今のこのチームで試合に挑めるのは、この夏が最後。
インターハイが終わった後の国体では、もちろん海南メンバーが数人招集されることには間違いないとは思うが、皆が皆、全員揃って参加出来るわけではない。
もっと先の冬のウィンターカップでは、おそらく新チームの体制になっていることだろう。その頃には牧さんも主将の座を退き、キャプテンの任は後輩に任せて、いちプレイヤーとしてチームに参加する意向を既に示していた。昨年の主将もそうだった。
だからこうして怪物と称される牧紳一が率いる海南大附属のチームは、泣いても笑ってもこれで最後だ。


あの予選の日――翔陽高校が敗退してしまった、あの日。
結局、健司とは試合が終わった後に顔を合わせることはなく、二人きりで会話も交わさずじまいだった。試合会場では互いにばたばたと忙しかったとは言え、翔陽チームの姿はあれっきり会場で見かけておらず、私自身も彼を避けてしまっていた部分もある。
正直に言ってしまうと、顔を合わせて何と声をかけて良いのかが解らなかった。私たちの関係性もあの夜から曖昧にしたままだったし、その場で深刻に話し合う勇気は私にはなかった。
二人きりで顔を合わせてしまえば、どうしても避けられない話題。今の私は、健司との関係性を完全に見失っている。

健司のことは好きだ。今でも好き。
付き合っているのか、と問われれば、答えはイエスだ。
けれど、それがなんだというのだろうか。付き合う、って何なんだろう。
自分が相手を好きで、相手も自分を好きで、いわゆる相思相愛だったらそれで良いのだろうか。私はそんなに器用ではないから、あの夜のように拒絶されてしまっては、もうどうしたらいいのか解らなくなってしまっている。
一緒に居たって寂しい。付き合っていたって遠い。
こんな状態のままが、私たちの為に本当に良いことなのかどうか解らない。

けれど、大好きだから。
健司を好いているからこそ、この曖昧な関係をはっきりさせるのが怖い。
逃げている。ずるい。そう言われたとしても、やっぱり私にとって、藤真健司という人は特別だった。
決して別れたいわけじゃない。
嫌気がさすほどの退屈な日々から救い出し、日常を変えてくれたのは、他の誰でもなく藤真健司だ。
私は、彼の手を離すのが怖い。失うのがひどく恐ろしい。
この先どんなことがあろうと、私が抱える健司への想いは揺るぎないほどに特別なものだ。

もし、彼と別れて別々の道を歩むことになったらと想像すると、とてつもなくそわそわと落ち着かない心持ちになってしまう。
それがただの好意から生じるものなのか、はたまた依存なのか。その区別すら、未だつかないでいた。


*


8月初旬に広島で行われる全国大会までの数か月。
その間も部員たちの自主練習にまで付き合って、帰宅するのはいつも日が沈んだ後だった。薄暗い道のりを、いつものように神と二人並んで帰宅することが日常となっている。
学校から駅までは他の部員たちも一緒だが、そこから自宅まではいつも神と私だけ。彼は毎回嫌な顔を一切見せず、律義にも私の家の前までわざわざ自転車を押しながら送ってくれていた。

毎日のことであまりにも申し訳なく思った私は、「毎日大変でしょ?一人でも帰れるから送ってくれなくても平気だよ」と、告げたことがあったが、彼はそれを受け入れてはくれなかった。
「良いんだよ、俺が送りたいんだから送らせてよ」と、取り付く島もなく言い切った。

その時の柔らかくも意志の強い口調と、少し照れたような表情。
彼が発するものに、最近はますます遠慮がなくなったように思う。こんな風に言ってしまうと己惚れのように聞こえるかもしれないが、本当にそう思う。
好意が目に見えて分かる。神が私に向ける全ての言動が、好きだと言われてるようでひどくくすぐったい。そして同時に、その想いを私自身は持て余してしまう。

そんな風な態度を取られても、私には神の好意に応えることは出来なくて、いつもただ黙るしか出来なかった。けれど、嬉しいと感じる自分がそこにはいる。
神の想いを拒絶することも出来ず、ただその居心地の良さに甘えている。
それは、こんな扱いをされることに私自身が慣れていない、というのもまた一つの要因であるかもしれない。どうしたら良いのか、解らない。それでも、やっぱり相手が神だということは大きいのだろう。

ある時から、私の心の中で神宗一郎という人間が占める割合がどんどん増してしまっている自覚は確かにあった。じわじわと侵食していっているような感覚。
同じクラス。隣の席。部活も一緒。帰りも二人きり。
ここ数か月は特に、神と過ごす時間が一番長くなっているように思う。きっとそのせいだ。だから……。


「!」

神と並び歩きながら、突然、右手にはっきりとした違和感を感じた。
あまりにも不意の出来事で、ほぼ反射的に振り払って拒否してしまった。
思わず歩む足を止めてその場に立ち止まり、じっと神の方へ顔を見上げてみると、彼は何食わぬ顔をしてこちらを見下ろしていて、自然と互いに視線が絡まる。

意図的に繋がれた手。触れた掌が熱い。
女性の柔らかいものではなく、線は細めでも節々がしっかり感じられる男の手だった。嫌でも意識させられてしまう。神宗一郎が男だということを。自分に好意を持っている男なのだと――。

あからさまな拒否せいで、ひょっとしたら神が機嫌を損ねてしまったのではないか心配したが、私を見つめる優しい瞳からはその心配はなさそうだと、少しだけ安堵した。
その代わりに、控えめな微笑みを携えた神が、「嫌?」と、私を少しだけ試すかのような口調で尋ねてくる。

「嫌……ではないけど」

「けど?」

「……」


相変わらず神はずるい。そういう訊き方をされてしまえば、もう私には何も言えなくなってしまう。
そのまま黙ったままでいると、再び彼の腕がそっと伸びて私の掌を優しく取った。
もう振り払えない。振り払う口実も封印されてしまった。ただ、彼の掌のぬくもりを直に感じるだけ。
何本も何本もボールをゴールへ放り続けた神の掌。こんな風に感触として感じるのは、初めてだ。その掌から、ドクドクと血流が激しく流れ込むようなそんな気がした。
自分の心臓の鼓動が速さを増し、その拍動の大きさが神にバレてしまうのではないかと心配してしまうほど、分かりやすく動揺してしまう。それに耐えかねて、私は為す術もなくただ俯いた。
地面をじっと見つめながら、ああ、ダメだな、と思った。

これほどまでに取り返しのつかないところまで来てしまっていたのかと、自分で落胆した。
自らの心に蓋をして、見ないふりをしてきた。気付かないふりをして、やり過ごしていた。
けれど、こうしてたった一度手を繋いだだけで堰を切ったように溢れ出した感情を止めることが出来ない。一旦溢れ出したものを食い止める方法を、私は知らない。
表面張力によって保たれていた水が、最後の一滴によって零れ出てしまうのとよく似ている。もう、止められない。

好いた恋人の存在があるにも関わらず、今のこの状況にこれ以上なく浮かれ喜んでいるのは、紛れもなく私だ。
嬉しさと同時に、罪悪感の波も押し寄せた。大きな感情の波動に押しやられてしまいそうで、私はこのまま自分がどうなってしまうのだろうかと不安にも思った。

本当は――もうだいぶ前からダメだったのかもしれない。
神が包み隠さず真っ向から好意を向けてくれるたびに、私は何も言わず神を受け入れてきた。
彼が私に向けて微笑むたびに、どこか安心して、その好意の先に、神が何を求めているのか解っているはずなのに、私はいつも拒否すらしなかった。

友達以上の感情。
今までは恋人である藤真健司にだけ感じていた特別感とは、また少し異なる特別感。

退屈な日常を変えてくれた、藤真健司。
心の隙間を埋めてくれた、神宗一郎。

欲張りなことに、そんな二人共を好いているということなのだろうか。ひょっとしたら、同時に二人の相手に好意を持ってしまうことは世間ではよくあることなのかもしれない。

けれど、ダメだ。
それだと、私はきっとダメになってしまう。

神に手を引かれながら、見慣れた道のりをゆっくりと歩く。彼がこうして私の手を引くたびに、心ごと引き寄せられるような感覚を覚える。健司の元を離れ、少しずつ少しずつ。
だけど、このままこうして流されるだけじゃダメ。
きちんと二人と向き合って、答えを出すって決めたじゃないか。
こうして直に向けられる神の好意にも、曖昧なままになったままの健司との関係性にも、向き合わなくてはならない。
自分の気持ちをきちんと見つめて、本当はどうしたいのか、どうするのが一番良いのか……もう、甘えてなんかいられない。
しきりと心の内側で自分にそう言い聞かせながら、唇をぎゅっと固く結んだ。


神と共に自宅の前へ到着して、別れ際、名残惜しそうにそっと手を離した時の神の表情が印象的だった。
「もう、着いちゃったね」と、少し困ったような、それでいて満たされたような顔。
私からは相変わらず何も言えなかったけれど、神は全てを見越したように、そんな風に黙り込む私の頬をそっとひと撫でして微笑む。
「また明日、学校でね」と言い残し、いつものようにそのまま自転車に跨り背を向けて去っていった。
神の背が見えなくなるまで去り行く姿を見つめながら、このままの状態を終わらせる覚悟を決めた。
丸め込まれるのも、見て見ぬふりをするのも、流されるのも、もう終わりにする。その覚悟を――。


*


入浴を済ませ、自室のベッドの上へ身体を横たえながら携帯電話へと手を伸ばした。
堂々とぶら下がっている神とお揃いで購入したストラップが目の前で揺れているのをしばらく眺めた後、そっと指を伸ばして括り付けられた結び目を丁寧に解く。
このストラップが持つ重い意味。これを再び取り付ける時は、神の想いを全て受け入れられた時だ。
今の私にはそんなことも軽々しくしてはいけないし、そうする資格もない。

けれど、これを二人で買った時は本当に嬉しかった。
寂しさのどん底にいた私を救い出してくれたのは、神以外には居ない。あの時、彼が傍にいてくれたからこそ、今の私が居る。そのことは紛れもなく真実で、今の私にとってこの上なく大切な出来事だ。
だからこそ、大事にしなくてはいけない。自分の想いも彼の想いも大事にしなくてはいけなくて、きちんと向き合う為にも一度リセットすることを決めた。

取り外したストラップをそっと机の引き出しにしまい込むと、次にメールの作成。
ボタン操作で藤真健司のアドレスを呼び出し、ディスプレイにメール作成の画面を呼び出す。
少し前までは、こうして自分から改まって彼に連絡を入れることも極めて少なかったように思う。私にとっては健司が全てで、彼に嫌われることが一番怖かった。重い女だと愛想を尽かされて手を離されるのが怖くて何も出来なかった。
けど、もう変わらなくてはいけない。今、ここで私が変わらないと、何にもならない。私が動き始めなくちゃ、先に進むことも出来ない。

そう決心したはずなのに、やっぱりあの夜のように彼に拒絶されるのはひどく怖い。
携帯電話を持つ手がほんの少しだけ強張ってしまう。
緊張から心拍数が上がり、僅かに震える指先でボタンを押し始め、メールの文章を綴った。

久しぶり。元気?会って話がしたいんだけど、時間取れる?

いつものようにたった数文字の簡素的な文章。ディスプレイに表示された送信完了という文字を見届けてから、一気に脱力した。
良いんだ、これで。私たちらしいじゃないか。
今まで付き合ってきて、メールのやり取りすらも数えるほどしかなくて、けれど、それでも繋がっていられることが嬉しかった。呼び出されて、逢って、身体を重ねて、愛されてると実感出来ていた。

しかし、こんな風にたった一通のメールを打って送信するのにこんなに緊張してしまうとは、自分でも驚きが隠せない。今まで付き合ってきて、果たして私たちの中に何が残っているのか……。
逢って何を話すのかは、未だ未定。だけど、自分の気持ちを彼にもう一度きちんと伝えなくてはいけない。けじめとして、私たちの関係性を明らかにする必要からは逃れられない。


メールを送信して数秒後、突然通話着信を知らせる電子音が室内に鳴り響く。びくっと大袈裟に体が跳ね上がり反応してしまった。
急いで発信者を確認してみると、ディスプレイに表示されていたのは藤真健司の文字。
思わず、息を呑んだ。予感はしていたことだが、心構えをするにはあまりにも時間が短か過ぎる。
それでも鳴り響く着信音は止まることはなくて、私はそっと通話ボタンを押して応答した。


「も、もしもし……?」

「あぁ、俺」

「う、うん……」

「静の方からメール来るなんて珍しいと思って……だからちょっと電話してみた。改まってどうした?何かあったのか?」

「ん……」

「……なんだ、電話じゃ言えないことか?」

「ううん、そんな事、ないよ」

「……あ、そ……明日な、俺、夕方からは空いてんだけど」

「明日は……私も夕方までは部活だからそれが終わってからだったら。そんなには遅くならないと思う」

「おぉ、じゃあ終わったら明日こっち来る?来る時また連絡して」

「うん……」

久しぶりに聞いた彼の電話越しの声が耳から離れない。大好きな声。
あの夜の出来事が嘘だったのではないかと思うほど、今までと変わらない態度で優しく話しかけてくれることが嬉しくもあったし、同時に胸がギュッと締め付けられるような苦しさを感じた。
好きなのに……大好きなのに……。

明日の放課後、私は健司を前にして一体どんなことが言えるのだろうか。
今日の部活の帰り道に、神と手を繋いだ時に感じた重い罪悪感と同じものが一気に押し寄せる。
もう、逃げられない。ここまで来てしまったら、もう……。

私は前に進むしかない。
自分できちんと答えを出して、それに向き合うまでは立ち止まらない。
そう必死に自分に言い聞かせて、手に持っていた携帯電話を更に強く握りしめた。


(2020.10.13 Revised)



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