13:物語る視線



――とうとう始まった。一年のうちで最も白熱するこの時期が……。

真剣勝負の世界。泣いても笑っても結果が全て。一度きり。
全国を目指す各高校がこの大会に全てを賭けて、血反吐を吐くような厳しい練習にも耐え、部内での競争を勝ち抜き、自分自身を超えて更に高みを目指す。
傍でサポートをするだけの私ですら、まさに身震いがする思いだ。

昨年初めて、海南大附属男子バスケ部のマネージャーとしてチームに属し、共に公式戦へ参加した。
その時にはまだ、うちの部が高校バスケ界の中でどういった位置付けにあるのかということを、私は知らなかった。今考えれば、無知とは恐ろしい。

昨年のことだ。
会場入りの数時間前に、学校の体育館で簡単なウォーミングアップを済ませた後、部員全員で電車を乗り継いで試合会場へ向かう時のこと。最寄りの駅の改札付近で集合していた時から、明らかにいつもと違っていた。その異様な雰囲気に戸惑ったのを今でもよく覚えている。

普段、通学している時はそんなことなど全くないのに、駅を行き交う人たちに向けられる期待を込めた眼差しが、やけに落ち着かず、それは子供から年配の大人までが同じ。中には、「今年も頑張って来いよ!期待してるからな」と、わざわざ声をかけてくれる人までいる始末。
地元の期待を一気に背負い、海南大附属男子バスケ部が当然のように全国で活躍するチームであるということを誰一人として疑っていない。その期待の高さと、自分が属しているチームがそれほどまでだったという事実に、私は完全に呑まれてしまい、鳥肌が治まらなかった。
バスケについてほぼほぼ無知な私ですら、それがとてつもなく凄いことだというのを理解するには、十分過ぎる出来事だった。

しかし、それは本年度も同じこと。
今年は私自身もその公式戦に参加するのは2度目。先輩マネージャーが卒業し、今回は全てのマネージャー業を自分一人で担い、全うしなければならない。
さすがにやる気がないだとか、面倒だとかは言っていられなくて、この真剣勝負のために部員たちが今まで歯を食いしばって厳しい練習を乗り越えてきたのだと思うと、不思議と私自身の身も引き締まる思いだった。

それも、ここ最近は特にそんな風に強く思うようになってきている。
彼らと共に過ごせば過ごすほど、段々と自分の居場所はここなのだと……そんな風に思う。
つらい時に支えてもらった恩を返すようなそんな気持ち。仲間意識という中に、いつの間にか私自身も少しずつ浸潤していったようなそんな感覚。

選手である彼らに賭ける思いは、私も地元の人たちと似たようなものだ。同じコートに立って試合をすることは出来ないけれど、彼らの為に自分が出来ることはしっかりとこなしたいと思うし、彼らがコートの中でのことに集中し心置きなく戦い抜けるよう、私もこの試合に向けて万全の準備をしてきたつもりだ。


インターハイ神奈川予選の初戦。
海南大附属は例年の如く、今年もシード校。そして翔陽も……。
きっと今年も、海南と翔陽が最終的に激しい戦いを繰り広げるに違いないのだろう。
主将の藤真健司が率いる翔陽高校。監督が不在という境遇にも関わらず、翔陽男子バスケ部の強さは相変わらずだった。
あれは、昨年の5月頃だったと思う。訳あって翔陽の監督が不在になるらしいという情報を耳にした誰もが、危惧していたこと――ひょっとしたら翔陽もここまでかと思った人は、おそらく一人や二人だけじゃないはずだ。
高校バスケにおいて、監督の存在はかなり大きい。その監督の手腕によってチームの良し悪しが決まると言っても過言ではなく、それは我が高の高頭監督を見ていてもすぐに解る。選手が監督の采配を信じ、指示に従う。ごくごく自然で当然のことだ。

海南にもその情報が飛び込んできた時は、正直なところ、皆が動揺を隠せなかった。
けれど牧さんだけは違って、「藤真がそんなことで沈むタマかよ、あいつはやるぜ?お前ら油断するなよ」と、少しだけ楽しそうに笑っていたのが印象的だった。
その牧さんの予想は見事的中し、翔陽のチーム力は衰えを見せるどころかますます洗練されていったように思う。特に健司たち三年生の代のメンバーたちの団結力がひと際強く、監督と選手を兼ねる健司の試合の采配もまた素晴らしいものだった。


毎年、上位4校による総当たり戦はギャラリーに空席が全く無くなってしまうほどの賑わいを見せるらしい。
私自身は昨年の一度きりしかその光景を目の当たりにしたことはないけれど、確かに多くのギャラリーと大きな声援が会場を包み込んでいた。

ただしそれは、うちの部にとってみればほとんど関係のないこと。目の前の相手に常に勝ち続けること。相手が誰であろうと、その手は緩めず一切の妥協をしない。
『常勝』を掲げた、海南大附属男子バスケの勝利への執着。そのプレッシャーすらも勝ちへの糧へとなる。
特に主将、牧紳一への期待は並大抵のものではないだろう。
だからこそ、だ。
だからこそ、牧さんは誰よりも健司の置かれたシビアな状況をきちんと理解し、推し量ることが出来るのだろう。同じ強豪校の主将という看板を背負っているからこそ――彼らは紛れもなく、同志だ。
属するチームは違えど、学年もポジションも同じ。互いを意識し、そして良きライバル。

そんな海南大附属と翔陽の試合。
誰もが心待ちにしていることは明白だった。私自身も、もちろん例外ではない。
彼らが戦うのを、とても楽しみにしていた。海南のマネージャーである私が、こうして目の前で健司が活躍する姿を直に観れるのは貴重だった。
ライバル校ということもあり、そうそう簡単に練習風景や試合風景を見学することは叶わないからだ。
大好きな人たちが繰り広げる真剣勝負の場に居合わせることが出来る、数少ない機会。私は数日前からそわそわと落ち着かない心持ちだった。

けれど一方で、それだけを純粋に楽しみにもしていられない不安なことが一つ。
健司と直接顔を合わせるのは、あの一件があってから初めてのことだった。

自分の心の内側にずっと秘めていた思いを吐き出し、それを拒絶されたあの夜以来だ。
逃げ帰るように健司の部屋を後にしてから、自分からはもちろん怖くて連絡を取れなかったし、彼の方からも一切の連絡はなかった。
試合前のこの貴重な時間を、私に割くのが惜しかったのか、はたまた、連絡をするに値しなかったのか、それとも気まずいのか、それは私には解らない。
けれど、健司と付き合い始めてからこんなにも長い間、関わりを持たなかったのは初めてのことだった。


*


神奈川県予選の試合日当日。
海南大附属高校男子バスケ部は例年の如く、部員全員が揃って会場入りを果たした。

会場の中に入ると、もう既に多くの学校が自校の名称の入った様々な色のジャージを身に纏い、各々のタイムスケジュールの中で行動をしている。
ミーティングをしている者、アップをしている者、走り込みをする者、ギャラリー席で集い試合を観戦している者。
その群衆の中を、左胸に『K』の文字の入った青と黄色の配色のジャージを着て歩けば、どよめきが起こることは、やはり毎度のことながらも慣れない。
周りの人たちの視線を痛いくらい感じながら、牧さんを先頭に私たちは二階のギャラリー席から会場全体のの様子を見下ろすように確認していた。

「牧」

突然、後方から牧さんの名前を呼びかける男の人の声に、部員たちがほぼ全員反応し振り返る。
すると、目の前にはやたらと背の高い数人のグループ。見慣れた鮮やかな緑色のジャージが視界に入り込んで来た。

(あっ……)

反射的に悟り、思わず息を呑む。
恋しくて逢いたくて、でも同じくらい逢いたくなかった愛しい彼の姿。久々に見た顔。大好きな姿。懐かしさすら感じてしまうほどだった。
胸の中がじわっと熱を帯びて、その反動で大きく拍動し、体全体がふわふわと浮足立ってしまうような不思議な感覚がしたと思ったら、一気にどっどっと激しい動悸が始まった。
ひたすらに熱い。動揺が隠せない。

「あぁ、藤真か。どうだ、調子は」

落ち着いた低めの牧さんの声をすぐ傍で聞きながら、私は顔を上げることが出来なかった。身体が強張り、その場から一歩も動けないままだ。

「お前らは今、着いたのか?調子?そんなもん、良いに決まってるだろ」

「あぁ、それは良かった。お前らの試合の方が先だな、藤真。その絶好調とやらを、しっかり見学させてもらうとするか」

「ははっ、言ってろ。余裕なのも今のうちだけだぜ?牧。俺らはちょうど今、アップ済ませてきた。これからコートに降りるところだ」

楽しそうに言葉を交わす二人とは対照的に、私はこの場にどんな顔をして立っていたら居たら良いのかが分からず、この空間の中でたった一人だけ気まずい思いをしながらも、そこから離れられない。


解っていた。当然、解っていたんだよ。
こうして顔を合わせなくてはいけないということは、解っていた。頭では解っていたはずなのに、いざ、実際に健司を目の前にしてしまうと余裕がなくなってしまう。
案の定、彼を直視することが出来なくて、私は牧さんの大きな背中に身を隠すように黙ったままやり過ごすことを選んだ。
今はまだ、健司と直接対峙する余裕がない。愛おしい声で名を呼ばれれば、堪らず泣きだしてしまうかもしれない。既に目頭がほんの少し、熱かった。
そうやってやり過ごそうと、そう思っていたのに――。


「静」

事はそう思い通りにはいかないものだ。
不意に聞き慣れた優しく愛おしい声が鼓膜を震わせる。同時に、自分自身の身もびくりと小さく跳ね上がった。
名前を呼ばれても尚、返事がうまく出来なくて、私は何とも言えない微妙な笑みを浮かべることしか出来なかった。

けれど、そんなことにはお構いなしに、健司はひょいっと顔を覗かせるようにして、牧さんの後ろに隠れていた私を覗き込む仕草をしてみせた。そこには、いつもと変わらない笑顔。大きな手が伸びてきて、私の頭頂部を揺さぶり置くように優しく撫でると、「そんなとこに隠れてんなよ」と、そっと笑った。
その屈託のない笑顔。私はその笑顔が大好きだ。恋人である自分にだけ向けられる特別なものだと思えば思うほど、より愛おしくなって、より大好きになった。
私たちの関係が以前に比べてぎくしゃくしていようと、その笑顔はずっと変わらない。胸が締め付けられる想いがして、泣きそうになった。
私はただ俯き、誤魔化すように返事をするのが精いっぱいだ。

「元気だったか?久しぶり」

「あ、うん、元気元気。健司は?」

「良いよ、調子は良い」

「そっか。試合……頑張ってね」

「静も観てろな?俺らの試合」

「あ、うん」

歯切れのない返答。単調で続かない会話。
きっと健司はいつも通りのはずなのに、いつもと違うのは私の心。
大好きな声、表情、仕草、振る舞い……何もかもが私の大好きな健司なのに。
「静」と、私の名を呼ぶ声もいつもと変わらないのに。

傍から見ると解らない微細なものかもしれないけれど、それでも、きっと健司には解っていたはずだ。
私の様子がぎこちなく、壁を作り、無意識に拒絶してしまっている事を……。
だけど、彼は何食わぬ顔でいつも通りに私へ接してくれた。
その器用さが羨ましくもあるけど、本音のところで健司がどういった心境でそう振舞っているのかは解らない。それが余計に戸惑いを生んでしまう。
私は彼のように器用ではないから、同じような真似は出来ない。もっと上手く立ち回れたら良いのにと思うのに、大好きだからこそ無下には出来なくて、感情を激しく揺さぶられてしまう。
私はあの夜、健司に拒絶されたことをいつまでも引きずっていた。

「じゃあ、俺らは行くな」

「おお、頑張れよ」

「誰に言ってんだよ、最終的に勝つのは俺らだからな。首洗って待っとけ」

私たちが簡単な会話を済ませた後、再び牧さんへ視線を移した健司は、そう言って挑発的な態度を露わにした。それに対して、牧さんもふっと一笑して嬉しそうに応える。

そのままその場を離れるだろうと思っていたのに、健司が一瞬だけ視線を少し泳がせたと思ったら、じっと一点を強い眼差しのまま見つめた。
その視線の先がどうしても気になってしまい、私は健司の視線を追うようにそっと目の先を移動させてみると、そこには神宗一郎が立っていた。
神もまた健司の鋭い視線に気が付いて、怯むことなく真っ向から対峙している。

一瞬の沈黙。互いに目を逸らさない。時間にしてほんの僅か数秒間のことだったはずなのに、やたらと長く長く感じられた。
何を言うわけでもなく、ただ何かを見定めるかのように静かにじっと視線を合わせただけ。けれど決して穏やかなものではなかったのは明らかだった。
その様子を私はざわざわと落ち着かないまま、黙って見届けていた。
健司の視線の先が神であったことが、やけに引っかかった。しかし、私にそれを確かめる術も勇気も持ち合わせてはいない。健司が何を考えているのかが、やっぱり私には解らない。好きな相手なのに、解らないことだらけだ。

それから、その一瞬の厳しい沈黙を破ったのは、健司の余所行きの笑みだった。
神から視線を外して、そのまま何も言わずに私たち海南メンバーの後ろをぞろぞろと通り過ぎていく。
翔陽の緑色のジャージが階段の奥へと消えて行って初めて、私はふっと身体のこわばりが抜けた。思っていた以上に張り詰めていたようだ。

健司と顔を合わせることは予め解ってはいたことだし、もっと上手くやれると思ってたのに、全然ダメだった。
結局、私はずっと藤真健司に心を捕らわれている。自分でもどうしようもないほどに。
吹っ切ることも出来なくて、諦めることも出来なくて。このまま捕らわれ続けて何になるのかと自分でも呆れるけれど、彼のことを考えない日などない。

(次に顔を合わせた時は、どうすれば良いんだろう……)

先のことを心配していると、ふと上方から視線を感じた。
そっと見上げてみると、そこには神が私を静かに見下ろす視線。
神は何も言葉には出さないままこちらを見下ろしているけれど、きっと全て解っているのだろう。察しが良い神のことだ。先ほどの私たちのやり取りも、しっかりと見ていたに違いない。

それにしても、なぜ健司は神へ厳しい視線を向けていた?
あの視線に込められているものは、一体なんなのだろう。普段から健司と神に接点や関わりがあるとは思えない。健司と神の対峙した姿。あれは明らかに好意的なものではなかった。
けれど、やはりその真意は解らないまま。


それから翔陽高校の初戦の後。
翔陽と海南が顔を合わせて談笑するなんてことは、その会場では二度と訪れなかった。
翔陽高校は、対戦した湘北高校に僅差で敗れてしまったのだ。健司たち翔陽高校が上位四校に名を
連ねることはなくなってしまった。
この夏、海南大附属高校と翔陽高校がコート上で対戦することは叶わなくなってしまった。

勝敗が決まった時、私は涙が止まらなかった。
ギャラリー席で観戦していた海南のメンバーたちも皆、言葉を失い、特に牧さんは厳しい表情をしていた。
うちの部の誰もが藤真健司率いる今年の翔陽高校と、戦ってみたかった。
海南大附属高校にとっても、翔陽高校は間違いなく特別な存在だったのだ。他とは一線を画する存在。自他ともにライバルと認め合える存在。

真剣勝負の世界は厳しく容赦がない。それを改めて肝に銘じ、私たちはその場から、なかなか動けずにいた。


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