07:落胆の先に



「え?……嘘、でしょ……?今……な、んて?」

「本当、ゴメン!今日、無理そうだ……悪い……」

「な、なんで……?」

電話口で、申し訳なさそうに言う健司の「ごめん」が、頭の中でぐるぐると回る。
一瞬、何を言われているのか解らなかった。
かろうじて返答はできているものの、声は震え、ショックが大き過ぎるせいか言葉がきちんと頭に入ってこない。

――どうして?

「随分と前からクラスの奴らと、学校の行事の決め事で集まる約束してたのをさ、すっかり忘れてて。どう頑張っても抜けられそうにないんだ。映画、今度でも良い?埋め合わせするから」

「……分かっ、た」

「次は絶対な?ごめん」


待ちに待った日曜日。
先日、健司と一緒に映画へ行く約束をしてから、この日をどれほど待ちわびていたか。私は指折り数えながらこの日を迎えていたというのに、蓋を開けてみればこの仕打ちだ。
朝から、何を着て行こうかと悩み、彼と逢ってどんな話をしようかと、あれやこれやと考えを巡らせて、その度に緩む顔を隠しきれないほど凄く幸せで、嬉しい気持ちを噛みしめながらやっとの想いで今日を迎えたと思っていたのに……。結局、楽しみにしていたのは自分だけだったのかと思うと、ひどくがっかりした。
いや、がっかり、なんて簡単な言葉じゃ片付けられないほど悲しくて、健司と通話を終了した後も尚、私は耳に当てた携帯電話を下ろすことが出来ない。
期待からの落胆の振れ幅が大きすぎて、全く心が付いてゆかずに、まさに放心状態だ。

当日にドタキャンなんて、あんまりだ。
なんで?どうして?まさか……今日に限って……。

今回のこの約束は、私にとっては凄く重要で特別なものだった。
なのに――彼に「ごめん」と、しきりに謝られてしまえば、私がいくら心の内であれこれと思うことがあったとしても、了承する他ないじゃないか。

今度って?次っていつ?
拗ねて、駄々をこねて、「嫌だ!どうして私を優先してくれないの?」と、食い下がり困らせれば良かったのだろうか。そうすれば状況は変わっていた?
いや、出来ない。そんなこと言えるはずなんてない。
彼にそんな面倒な私の感情をぶつけることなんて、出来やしない。
私が我慢をすれば良い話。デートなんて、またいつでも出来る。

けれど……でも……どうして、それが今日だったの?
どうしようもない状況の中、頭ではしきりに理性を保とうと、真っ当らしい言葉を並べて無理やり納得しようと試みる。
けれど、上手くいかない。今日ばかりは、どうしても。

私だって、解っている。
どうしようもないことや、事情があることも解ってる。恋人だからという理由で、全てに於いて自分を優先して欲しいだなんて、これっぽちも思っていない。
ただあの日――健司と今日の約束を交わした日。
私の決死の勇気は、伝わらなかった?
私がどんな想いで……。

友達よりも私を大事にして、なんて言うつもりはない。
私の我儘を全て聞き入れろ、と言うつもりもない。
ただ、今日は――今日だけは私の想いを汲んで欲しかった。

こんな風に思うのは、やっぱりダメなのだろうか。
こういう私みたいな女を、世間では“重い女”って言うの?
なんだか、よく分かんなくなってきちゃった。
彼のさっぱりしたところはすごく好きだけど、やっぱりふいに虚しくなる。
私たちが互いに抱く好きの度合いを天秤にかけた時、きっと、私の好きの気持ちの方が明らかに大きいに違いない。そんな現実をまざまざと突き付けられた気がした。
好きな人に同じくらい想って欲しいだなんて、間違ってる?

健司からの断りの電話を受けたのは、私が既に待ち合わせ場所に着いた後のことだった。
唐突に目指す方向を失った私は、迷子になってしまったかのように呆然とするだけ。通話を終えてからも、未だに動き出すことが出来ない。何処に向かって歩き出せば良いのかも解らない。
どこにも吐き出せない感情の渦が胸の内側をぐるぐると駆け巡り、モヤモヤとした気持ち悪さが一向に収まらなくて息苦しさを覚える。
結局考えても考えても、辿り着くのは虚無感と寂しさしかなかった。

気が付くと、必死に耐えていた涙が頬を静かに伝っていた。表情は強張ったまま動かずに、涙だけがしきりにはらはらと流れ出る。
こんな人通りの多い街中で大泣きするなんて、きっと街行く人の好奇の目に晒されているだろうが、そんなことに気を回すほどの余裕は私には一切なかった。

止めどなく溢れる涙のせいで、せっかくデートの為に少しだけ施したマスカラやリップグロスが流されていく。最悪だ。全部全部、最悪!
こんなことなら、勇気を出すんじゃなかった。
何も言わないで、期待なんかしなきゃ良かった。
自分が抱いた欲のせいで、こんな風になってしまうくらいなら、もういっそ何も求めない方が気が楽じゃないか。

私は重い足を引きずるように、ようやく足を踏み出した。
こんな姿じゃ、もうどこにも行けない。一刻も早く家に帰ろう。
そう思って、数歩歩き出した時――。


「佐藤?」

不意に背後から私の名を呼ぶ声が聞こえて、そっと振り返る。
すると、私服姿の神宗一郎の姿がそこにあった。神は驚いた表情を浮かべて、こちらをじっと見つめている。

「……じ、ん?」

「うっわぁ……ヒドイ顔、どうしたっていうんだよ」

「なによ!ブサイクって言うな!」

「いや、そこまでは言ってないけど」

「……もぉ、ほっといてよ。バイバイ」

今は、神と言い争いをしたい気分には到底なれない。言葉を尽くすのも面倒だし、何より、こんなボロボロになった姿を見られたくない。
よりによって、どうしてこのタイミングで神がそこにいるの?
本当に最悪続きで、自分の不運さをひたすらに呪った。

「待ってよ」

一方的に神の存在を無視して歩き始めると、不意に後ろ手を掴まれた。
クンっと身体が意図せず制止させられ、思わず苛立ちが沸きあがり、眉間に皺が寄ってしまう。そして、神の方へと向き直って正対すると、鬱陶しさを前面に出した口調で怒りの言葉が口から突いて出る。

「ちょっと……!」

「ねぇ、どうしてまた泣いてるわけ?」

「うるさいよ、しつこいな!」

「ねぇ……ひょっとしなくても、佐藤が泣くなんて、原因はやっぱり藤真さんでしょ?」

「……」

「あれ?否定しないの?今日は」

少し意地悪に、からかうような口ぶりでそう言った神へ更に苛立ちを感じる。こんな風に面白がってちょっかいをかけてくるなんて、悪趣味も良いところだ。

なんなの?なんだって言うの!?
そんなに面白い?
私が泣いて苦しんで藻掻く姿を見るのが、そんなに楽しい?
そうやって核心を突いて、私の心をかき乱して……もう放っておいて!

「……だったらなんだって言うの!?神の変態!覗き魔!悪趣味エスパー!どっか行ってよ!」

「どうして?俺が悪いの?……にしても、ふっ、ははっ!随分な言われよう……俺、超能力なんて使えないよ?」

感情に任せただけの投げやりな暴言を受けても、目の前のこの男はほとんど動じず、更には余裕そうに笑みを携えたまま、なんだか可笑しそうに吹き出す始末。
彼の様子を見ながら、なんて自分がちっぽけなのかと情けなくなった。
そんな私へ更に追い打ちをかけるように、神は黙って真っすぐ私を見据えた。有無を言わせないこの瞳の強さを前にすると、いつも吸い込まれそうになる。
それからはもう何も言えなくなってしまって、神の視線に捕らわれてしまうと、魔法がかかったみたいに固まってしまうんだ。
私は、先程吐いてしまった暴言の罪悪感からも目を背けたくなって、彼の視線から逃れる様に、その場にしゃがみ込んで目を伏せた。

「……えぐっ……うっ……だ、だって!いっつも神は私の心の中を盗み見るんだもん!ムカつく!」

「……」

「神が!自分を出せって言ったから!失敗しちゃったじゃん……。私……頑張ったのに……失敗、しちゃったぁ〜……うぅ〜……」

「え?待って、ごめん。話があんまり把握出来ないんだけど……」

「もうっ!こんな時こそ得意のエスパー能力使ってよ!」


完全に八つ当たりだ。
健司と私とのことは、神には一切関係がない。けれどつい、上手くいかなかった事を神のせいにして捲し立ててしまった。
普段は、自分の領域に他人を入り込ませるのを一切良しとしないくせに、自分の都合の悪い時にだけこうして人のせいにして、最低だ。他人に責任を押し付けてもどうにもならないっていうのに。ますます卑怯なこんな自分が嫌いになりそうだ。
私の勝手な言いがかりを受けた神は、困ったように顔をしかめる。
そりゃそうだ。迷惑も甚だしい。
本当に、最低だ……私。

「……ごめん。八つ当たり。ちょっとね……色々と上手くいかなくて。映画……ドタキャンされちゃって。ちょっとへこんでただけ……うん。ごめん……神には関係ないね……ごめん、ひどいこと言って……私、行くね」

「……」

しゃがみ込んで目を伏せたまま、私は一気に自分の言いたいことだけを言い放った。神の方を見るのがなんだか怖くて情けなくて、とてもじゃないけど顔を上げる勇気がなかったからだ。
その場を去るタイミングを失っていた私は、「行くね」と言ったのをきっかけに、立ち上がろうと一呼吸吐く。
すると、不意に自分の右手首に触れた温もり。ハッとして思わず顔を上げると、目の前には穏やかな表情をした神の顔。
私が言葉を失ったままでいると、掴まれた右手をゆっくりと引っ張り上げられ、立ち上がるように促された。
それから、神は何も言わずに私の手首を掴んだまま、すたすたと先行して歩き始める。急なことでふらふらと安定しない足取りの私は、否応なしに追随する形となり、戸惑いと驚きが隠せない。


「う、わ!ちょっ!ちょっと!神っ!待って!どこ行くの!?」

「映画……行くんでしょ?」

「は?はぁ?何言って……ちょっと待ってってば!」

「行こうよ。映画」

「えっ!?な、なんで……て言うか、神も用事あったんじゃないの!?」

こうして互いに言葉を交わしている最中も、彼は一向に足の速度を緩めず、少しだけ強引に私を連れて歩き続けている。

何かが、おかしい。直感的にそう思った。
こんな風に他人の意見に一切耳を貸さず、一方的に何かを推し進める神を見たのは初めてだった。
何が彼をそうさせてしまったのか……。
確かにさっき、「映画をドタキャンされた」とは言ったけれど、だからといって、神に連れて行ってもらう義理は一切ないし、もちろん私もそういうつもりで言ったわけでもない。


「映画、行こうよ。楽しいことあるかもしれないし」

「え?」

「……いや、こっちの話。行かない?映画。悪いと思わなくてもいいよ。俺が佐藤と行きたいだけだから。俺に付き合ってよ。しかも、さっきの話だと佐藤がドタキャンされた理由って、俺が原因なところも少なからずあるみたいだし?責任とってあげる」

神は、この時やっと歩いてた足を止めて、私の方へゆっくりと振り返った。
「ね、行かない?」と、優しく微笑みながら尋ねた神の表情が、あまりに柔らかくて思わず息を呑んでしまう。
彼がどうしてこんなにも気にかけてくるのかは、解らない。泣いているチームメイトの為に一肌脱いでくれようとしてくれているのだろうか。それとも、ただの興味本位なのだろうか。神が他人の恋路に興味を示すなんてこと自体がとても意外で、目の前で繰り広げられている彼の行動がにわかに信じられない。

ただ、私はこの時、迂闊にも神宗一郎に頼ってしまいたいと思ってしまった。
虚無感に支配された心を、誰でも良いから埋めて欲しいと――寂しいと感じる心を癒して欲しいと――そんな風に思ってしまった。
神は私に可哀そうだと憐れみや同情を抱いたのかもしれない。それでもいい。一時にしのぎにでも気が紛れるのなら、それでも……。なんて自己的なんだと自分でも呆れるけれど、それでも、私はこうして差し伸べられた手を取らずにはいられなかった。

「……いいの?」

神は、「うん」と、そっと目を細めて微笑んだ。


映画館へと向かう道すがら、そういえば、神とプライベートに二人きりで出掛けたことが今まで一度もないということに気が付いた。
牧さんや清田を含め、みんなで一緒に行動を共にしたり、たまに帰宅が遅くなって家まで送ってもらったり、なんてことは今までも何度かあったけれど、こうして改めて二人きりでどこかに遊びに行くということは初めてだ。
いつもは気が付かなったけれど、今日初めて思ったことがある。

神宗一郎は、極めて紳士だった。
嫌味のない気遣いを、さり気なく実行できる男だ。
痒いところに手が届く、といった感覚に近い。さすがは、エスパー男。他人が何を求めているのかを感知する能力に長けているのだろうか……タイミングを図ったようにさりげなく飲み物を持って来てくれたり、段差の多いところでエスコートしてくれたり。
こういう振る舞いがごく自然に出来るのは、やっぱり性格によるところが大きいのだろうか。

恋人である藤真健司は、基本的にはとても優しい人だけれど、一緒に何かをしようとなった時、どちらかと言うと相手がどうこうというよりは、その中で自分がどう楽しむか、ということの方に重きを置いている気がする。
だから彼は、大変な事や辛い事も自分なりに上手く機転を利かせて、こなしてゆくやり方がとても上手だし、何か面白くて楽しいものを見つけた時にこそ、本領を発揮するようなタイプなのかもしれない。
彼のそういう潔さは見ていて気持ちが良いし、とても眩しくて羨ましい。あらゆる事に前向きな姿勢は、私も大好きな一面だ。
だけど楽しい半面、いつも健司の後を気後れせずに追いかけるのには、それなりに大変な部分があるのもまた事実で……。

だからなのか、神とこうして一緒に居ると、凄く新鮮だった。
何をするにも、何処に行くにも、周りをよく見ていつも一足先に動いてくれる。そういう扱いに慣れていない私にとっては少々くすぐったいと感じてしまう程に。
気を張らなくて良いせいか、不思議なほどにとても落ち着いた時間を過ごすことが出来ていた。
なるほど、神がモテるのにも妙に納得した


映画を観終えて、互いに感想を言い合いながら一息つこうという話になり、どこか腰を落ち着けて話せる場所を探し求めて街を散策している最中、可愛い輸入雑貨のお店が視界へ飛び込んできた。
雑貨が好きな私は一気に興味をそそられ、思わずそのお店の入り口から店内を覗き見る。

「入る?」

「良い?雑貨、好きなんだ」

「いいよ、一緒に見よう」

店内を夢中で見て回る私の背後を、ゆっくりとついて歩く神。
はしゃぐ私に、「ははっ、本当に好きなんだね」と、一笑しながら尋ねてくる。

「神は、こういうお店には来ない?」

「そうだね、男一人ではなかなか入らないかな。今日は佐藤も一緒だから、新鮮だよ」

「だったら良かった……あっ!」

私は思わず店の一角に目を奪われた。そこにはたくさんのハンドメイドの携帯ストラップが展示されていて、カラフルな色と装飾の可愛さに思わず声が漏れる。

「これ、いいな〜!ハンドメイドで一点ものだ〜!」

「携帯ストラップ?可愛いね」

「こういう可愛い小物を持つと、テンションあがらない?」

「いや、俺は普段、カラフルなものはあんまり持たないかな」

「そっか。ん〜迷うな〜!一つ買って帰ろうかな」

「何色が気になる?」

真剣に棚を見つめる私の真横、至近距離で神も同じように身を屈ませて、並んでいる携帯ストラップへと注視した。

「この赤か、この黄色か……青も捨てがたい」

「俺だったら、黒か、もしくはこっちの茶色かな」

「え〜?守りに入ったね」

「ははっ、そう?」

神は少し考えを巡らせた後、そっと黒色のストラップを手に取って、「うん、俺はこれに決めた、佐藤は?決まった?」と、私の顔を覗き見て、尋ねた。
まさかそういう展開になると思っていなかった私は、思わず驚いて声が上擦ってしまう。

「えっ、神も買うの?」

「うん、記念に」

「記念?何の?」

「佐藤と一緒に出掛けて少し仲良くなれた、っていう記念……かな」

「なにそれ……」

「で?何色にするの?」

不覚にも、どきりと心臓が跳ね上がってしまう。
こんな風に自分の好きなものを誰かと共有すること、ましてやお揃いで何かを手に入れるなんてことは一度も経験したことがなくて、素直に嬉しかった。なんだか自分自身が認められたような気がして、胸の内側が熱くなる。

「え、っと……赤、にしようかな」

「了解、これ?」

神が指を差した、すぐ目の前にあった赤色のストラップ。
その存在を確認すると、静かに頷いた。
すると、神は指で赤色のそれをそっと掬い上げると、先に持っていた黒色のと一緒に持ち去った。
向かう先は会計レジ。ハッとして神を呼び止めるが、彼は一向に歩みを止めない。

「あっ!ちょっと!待って!良いよ、自分で!」

「あはは、いいよ」

「いや、でも!そこまでしてもらうのは……」

「気にしなくて良いって言ったろ?今日は俺が無理やり佐藤を連れ出したんだ。お詫びとして受け取ってよ」

「でも……」

「こんな時はありがとう、って受け取ってくれる方が嬉しいんだけどな」

そこまで言われてしまえば、私にはもう何も言えない。
なんだか申し訳なさを感じながら、私は神の背を見つめていた。
会計を終えた神に、「ありがとう」と礼を述べると、彼は優しく微笑んで、「どういたしまして、はい」と、私の手のひらの上へ、購入したストラップの小さな包みをそっと乗せた。

その重さを噛みしめる。
自分の以外の誰かにプレゼントされたという重さを。お揃いだという重さを。
思わずドキドキと心臓の鼓動が早くなる。
こういうことに慣れていない私は、やっぱりなんだか気恥ずかしくて、一瞬どうしていいのか解らなくなった。
隣で神が自分用に購入した黒いストラップを鞄にしまうのを見届けてから、私も同じようにそっと鞄の中へ、赤色のそれをしまい込んだ。私の抱える複雑な感情と一緒に……。


――そんな場面を。
少し離れた場所から、まさか彼が目撃していたなんて、夢にも思わなかった。
私がそれを知るのは、もう少し後の話。

(2020.7.5 Revised)




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