08:軽くなった心



神と一緒に出掛けた帰り道、「ちょっと付き合ってくれない?」、と誘われてやって来たのは、大きな公園内に設置されているバスケットボールのハーフコート。
時刻は夕方に差し掛かり、太陽が少し傾いて空の色がオレンジがかっている。私たち以外にには誰も使用していなくて、日が暮れる時の独特な寂しさを身体で感じながら、コート傍にあるベンチへとそっと腰を下ろした。

神は到着するなり、私を一人その場へ残してどこかへ歩いて行ったと思ったら、手の中にボールを一つ抱えて直ぐに戻ってきた。
何処から持ってきたのかと尋ねてみると、いつでも手ぶらでやって来れるようにすぐ傍の物陰に隠し置いてあると言う。その発言からも、神がこの場所を頻繁に訪れていることが窺えた。

「うちの部員たちは、どうしてこうもバスケが好きかなぁ……」

「ははっ、もう病的だよね、じゃないと海南でわざわざバスケしようなんて思わない」

「ドMなの?」

今までずっと胸の内で思っていたことを神に尋ねてみると、「ふっ、あははは、そうかもね」と、吹き出して大きく笑いながら、流れるような動きでボールをゴールに向かって放った。
それがまた綺麗な放物線を描き、吸い込まれるようにゴールネットを揺らす。こんな冗談を言いながらでも、確実に決めてくる彼のシュートの精度の高さに感心した。

「手伝おうか?」

「じゃあ、ゴール下から落ちたボール、返してくれる?」

「それにしても、こんな休みの日にもシューティングしないと気が済まないの?」

「どうだろ、今は時間稼ぎみたいなものだよ」

「時間稼ぎ?何の?」

神がスリーポイントラインの外から放ったボールを、落下後、ゴールの下で受け取り、また彼の手の中へとパスをして戻す。その一定のリズムの中、こうして会話をしながらでも神は一切ブレない。ボールを手放す瞬間だけは目線は一直線にゴールへと向かい、神経を集中させ、彼だけに分かるリズムと感覚の中で次々とシュートを決めてゆく。

「今日が終わるのがもったいない、って思っただけだよ」

「そんなにもオフが楽しみだったの?」

「そうだね、そういうことにしておこうか」

可笑しそうに一笑する神。
私だって、こうして休みの日にまで神のシューティングに付き合うことになるなんて、思ってもみなかったことだった。こんな風に二人で出掛けるなんて、以ての外だ。
ここ最近は、いつも以上に神と関わって過ごすことが多いような気がして、近々で起こった出来事を私は頭の中で思い返していた。

(本当に、泣いてばっかりだな……。)

その度に、そっと手を差し伸べてくれたのは、紛れもなくバスケットボール部の面々だ。
空気の読めない主将牧さんに、エスパーな神、いつも元気でうるさい清田も、彼らの優しさと思いやりが、哀しみと寂しさの中に沈んで塞ぎ込んでいる私の手を取って、もう一度立ち上がるように引き上げてくれたのは彼らだ。
私は独りじゃなかった。どうしようもなくつらい時に頼れる人たちが、ちゃんと傍にいたんだ。

明らかに彼らに対する思いと距離感に変化が生じてきていた。鬱陶しいとか、面倒だとか、そんな風に思っていたはずなのに、いつの間にか彼らと過ごす時間が、私の中で確かに特別なものになってきていている。
そう思えるようになると、苦手だと思っていた彼らの面倒な部分さえ、不思議と愛おしく思えてくるものなんだな、と私にとってはまた新しい発見だった。気持ち一つでこうも変わるものかと、自分でも驚きだ。


神宗一郎に至って言えば、いつも彼の的を得た発言を認めるのが悔しくて、解りやすく苛立ったり、八つ当たりをしたりもした。
けれど、それはきっと恐れによるもの。彼が言ってることは正しいかもしれない。けれど、それを認めてしまえば、自分の不甲斐ない部分や情けない部分に直面することになる。私はそれを直視するのが、怖かった。今だって怖い。
頭で考えれば考えるほど、上手くいかないことのほうが多くて、このままじゃダメなんじゃないかと不安になる。

けれど、こうして自分に対して真っ向から言葉を投げかけてくれる人が、果たして世の中に何人いるのだろうか。こうして寄り添って、共に居てくれる友達が何人いるだろうか。

友達なんて、別に当たり障りのない関係だけで良いと思っていた。ただの同級生。ただのクラスメイト。ただの先輩、後輩。それだけで良いと思っていたのに、海南バスケ部の仲間たちが、私にとって初めてそれを超えた存在になろうとしている。
それが、なんだかとても気恥ずかしい。同時に彼らの優しさに触れる度に、嬉しくもあるのだけど――それを素直に伝えられない自分は、やっぱり不器用だ。


「ねぇ、佐藤」

「ん?」

「今、何を考えてる?」

ふいに呼ばれ、そんな問いかけをされるものだから、思わず言葉に詰まってしまう。
周りに立ち生える多くの木々の葉が、ザァっと風になびいた。風圧のせいで視界を遮った自分の髪を耳にかけ直しながら、神の方へと視線を向けると、彼はこちらを真っすぐに見据えていた。

「な、に……突然」

「いや、嬉しそうな顔してたから」

「え?そんな顔してた?」

「うん、自分では気が付いてないようだけど、佐藤って普段から結構、感情が顔に出てるよ」

「えっ!?嘘!」

まさか、そんなことを言われるとは思っていなかった私は、動揺が隠せなくて分かりやすく狼狽えてしまう。

「あはは、やっぱり気付いてなかった」

「……最悪!恥ずかしい」

顔から火が出そうだ。まさか、そんな風に思われていただなんて……。
今までの一喜一憂が全て周囲にだだ漏れていたかと思うと、本気でつらい。
これ以上墓穴を掘るのは嫌だと思い、もう何も言うまいとそのまま黙っていると、また再び神の口から新たな問いかけが飛び出した。

「前から訊こうと思ってたんだけど、佐藤は何をしてる時が一番、楽しいの?」

「え?そこ、気になる?」

「ん〜……なんとなくね。いつか訊いてみたいと思ってたんだ」

彼の質問に咄嗟に答えられなくて、頭の中で何と切り返そうか思案する。
自分の中では明確な答えなんて決まりきっていて、瞬時に思い浮かんだのは、紛れもなく藤真健司の顔だった。
今の私にとって、恋人と過ごす時間が一番だ。何を差し置いても。だけど、それをはっきりと口に出すのは、憚られた。
それは、気まずさと恥ずかしさからだ。

この間だってファミレスであんな風にみんなの前で大泣きして、今日だってドタキャンをされて失望して……。そんな情けない自分の姿を周りに露呈しながらも、こうして尚も懲りずに恋愛にしがみついている。
けれど、それを変えられないし、変えるつもりもない。間違いなく私は恋人と一緒に居る時間が何よりも大事だし、つまらない毎日を変えてくれたのは、紛れもなく健司だったから。

自分の思いや感情、プライベートな部分を赤裸々に人へ聞かせることに抵抗のある私は、神には未だに何て答えるべきか解らなくて、狡いと感じながらも私は同じ質問を彼へとぶつけてみた。

「え、神は?神は何をしてる時が一番楽しいの?やっぱりバスケ?」

「俺?ん〜そうだね……特に試合に出てる時かな……けど、」

と、彼は更に続けて、

「もしかしたら、それに匹敵するくらい楽しくて面白いものを、見つけられそうかもしれない」

「ええ?なにそれ?」

「ふふっ、今はまだ秘密」

「ふぅん……」

結局その後は、神が再びその質問の回答を私に迫るようなこともなくて、すっかり薄暗くなった空の下、「そろそろ帰ろうか、送るよ」と、切り出したのは彼のほうだった。


*


私の自宅の前に到着した頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
玄関の前で、今日一日を共に過ごし、家まで送り届けてもらったことへの感謝の言葉を述べると、神は、「うん」と、そっと微笑んだ。

「映画に付き合ってってお願いしたのは、俺の方なんだけどね……ねぇ、佐藤……」

「ん?」

「今日さ、楽しかったよ。少なくとも、俺はとても」

「うん、私も楽しかったよ……あんな風に泣いたところを見せたせいで、気を遣わせてごめん」

そして、一瞬の静寂。
黙り込んだ神を不思議に思った私は、彼の顔をほんの少し覗き見てみると、そっと視線が交わった。神の射貫くような視線に心臓がざわりと音を立てる。真っすぐと見据えてくるその視線から、目を逸らせない。

「もし、また佐藤が大変な時は、俺に言ってよ。牧さんじゃなくて、俺に……」

「え……?」

何を言われたのか、一瞬、解らなかった。
告げられた言葉を、反芻する。言葉の一語一句を噛み砕いて理解しようと思ったが、その言葉に込められている神の意図がどうしても解らなくて、返す言葉が見つけられない。
ただ一つ言えることは、その神の言動によって戸惑いつつも、私は全く嫌だと感じなかったということ。
誰かに真っ向からこんな風に言われたのは、生まれて初めてだ。

けれど、その言葉の真意を、私は神に尋ねられないでいた。
黙ったまま何も言わずに俯く私の頭上から、そっと神の優しい声が降り注ぐ――「また、遊びに行こう」。
ハッとして顔を上げてみると、そこには私を優しく見つめる神がいた。

「じゃあ、俺、行くね」

「あ、うん……送ってくれてありがとう」

「また明日、学校で。おやすみ」

いつもように、自宅の前で去ってゆく神の背を見送る。姿勢が良く、すらりと背の高い後ろ姿を黙って見つめながら、私は自分の頬が火照るのを自覚していた。
多くを語らずに行ってしまった神。完全に、彼の言動に呑まれている。

私の腕を強引に引いて映画に付き合ってくれたのも、お揃いの携帯ストラップを手に入れたのも、さっきのあの言葉も――。
私へと向けられる神の気遣いと優しさに触れる度に、今まで自分の中にあった神宗一郎という人物像が揺らぎ始めていた。

他人の中には深く入り込まず、何事も卒なくこなすくせに心があまり見えない。当たり障りのない笑顔の裏側で、本心では何を考えているのか解らない。良くも悪くも人のことには興味がなさそうで、基本的にはドライな奴だとそう思っていた。
なのに、自分に向けられた神の言動が、あまりにもそれからかけ離れているものだから、私はひどく動揺してしまっている。それが友達としてのそれなのか、はたまた――。

(いや、いや、きっとそれはない!)

そこまで考えて、咄嗟に自らの考えを否定した。
さすがに、それはないだろう。
一瞬でも自惚れた自分が恥ずかしくなった。神と私の仲だ、それはきっとない。今までだってそんな素振りはなかったし、自分が神に対して恋愛のそれとして特別視したこともなければ、そんな風に想われる理由もない。

けれど、素直に嬉しかった。

今まで、何をするにも自分が冷めているという自覚は確かにあって、何をしていてもつまらなくて、何をするにも億劫で……。
そんな私が、こうして誰かと楽しい時間を過ごせたことは、紛れもなく大きな変化に違いがない。

確かにタイミングの問題もあっただろう。
健司との関係性の中で、少しずつ生じていた想いの綻びがいつのまにか大きな穴となって、その大きくなり過ぎた穴は自分ではもうどうすることも出来ず、思考と感情のバランスが崩れ、堪え切れなくなった私の心は悲鳴を上げてしまった。
そんな時に、差し伸べられた牧さんや神の温かい手。勇気を出してその手を掴んでみると、私はその時に初めて、自分自身へ向けられる彼らの優しい眼差しに気が付いた。

またそれと同時に、気付いてしまったのは、心の中の嫌な違和感。
直視するのが怖くて、見ないようにしてきた違和感が、急に重く自分へと圧し掛かった。不意に顔を覗かせたモヤモヤとした嫌な影が、彼らの温かさに触れる度に露呈していくようで苦しくなる。

大好きなのに、好きで好きで堪らないのに……。
恋人である健司が、私自身から一番遠い気がした。

どうしてこうなったの?このままでいいの?
私の心が、しきりに自らに問いかけてくる。苦しい。考えれば考えるほどつらくなって、目を背けたくなる。
けれど、もうダメだ。
こうしてはっきりと認識して、気にしてしまってはもう手遅れだった。だから嫌だった。気付かない振りをして、見ない振りをして、自分の中で納得してさえすれば良いと思っていたのに……。


もちろん健司のことは、今でもすごくすごく好きだ。大好きなのには変わりはない。
別れたいだなんて、これっぽっちも思ってない。
でもだからこそ、言葉に出して伝えなきゃいけないこともあるんじゃないのか。
本当はもう、ずっと前から気付いていた。
怖くて怖くて言い出せなかった。

そうだ、私は独りになるのが怖かった。
唯一の拠り所だと思っていた愛しい恋人。その存在を失うことが怖くて怖くて堪らなかった。
でも、そのせいで自分の心に嘘を吐き続け、いつも寂しかった。本当の自分が何処にいるのか解らなくなって、聞き分けの良い風を装っていただけ。
健司に大事にされていないなどとは、決して思っていない。忙しい身なのも理解しているつもりだ。その中で私を気にかけてくれているのも、重々解ってもいる。
けれど――好きでいればいるほど何かが空回りしているようで、自分でもどうしたら良いのか解らなかった。
今こそ、私たちがこれからも良い関係でいる為に踏み出さなければいけない、必要不可欠な一歩なのかもしれない。

――私はもう独りじゃない!

そう思った瞬間、ふっと身体が軽くなった気がした。私の身体に纏わり付いていた、どっしりと重みのある鎧がバラバラと地面に崩れ去るような感覚に陥った。
一気に解放感を感じたせいか、急に涙腺が緩む。決して泣きたいわけでもないのに、涙が溢れて止まらない。

「あはは!なにこれ……意味がわかんない!」

もうすっかり見えなくなった神の姿。
なのに、未だにその場から動かず、彼の去って行った方向を視線で追いかけるように見つめた。
こんな風に思えるようになったのも、神がかけてくれた言葉の影響がとてつもなく絶大だったのは否めない。

やはり、神宗一郎という男はとんでもなく凄い奴なのかもしれない。
彼が居なかったら、こんな感情の変化は起こり得なかったと思う。

(2020.7.12 Revised)




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