06:小さな偶然と勇気



「おはよー」

今日もまた、私の一日が始まる。
ルーティンと化した挨拶の言葉を吐きながら、自分の教室の入り口から足を踏み入れると、その付近に居たクラスメイトの一人が、「おはよ!静ちゃん」と、同じような挨拶を返してくれる。
相変わらず変わり映えのしない私の学校生活は、いつもこの教室で始まり、あの体育館で終わるんだ。
心の中で溜息を小さく零しながら、私は挨拶を返してくれたクラスメイトに形だけの笑みを向けて自分の席へと歩を進めた。
その際に辺りを少しだけ見回してみて、まだ彼が教室内に姿を見せていないことに、ホッと胸を撫で下ろす。
彼、とはもちろん、昨夜、険悪な雰囲気になった神宗一郎のことだ。

今朝、ベッドの上で目を覚まして、まず一番始めに思ったこと――それは神と顔を合わせることが億劫だということだった。
昨日の今日でどんな風に顔を合わせて、何を話すのか……私はただただ気まずさを感じていた。あんな風にズバズバと物を言われて腹立たしく思った感情は、一晩眠ると嘘のようにさっぱり引いていて、逆にどうしたものかと自分でも戸惑ってしまう。

朝練の為、出欠確認ギリギリにいつも教室内へ入って来る神とは、席がかなり離れていることだけが幸いだった。
このまま距離を取り続けて、部活が始まるまでは出来るだけ接しないようにしよう。避けるなんて、なんて子供じみたことをするのかと自分でも呆れるが、神を相手にするのは何とも分が悪い。
何はともあれ、とにかく今は触れずにそっとしておいて欲しい、というのが私の正直な気持ちだった。


「座れ〜。出欠とるぞ〜」

しばらくすると、始業のチャイムの音と共に担任教諭が気怠そうな声と共に教室へと入室してきた。
その先生の背後から、ほぼ同時に姿を見せた神が視界に入り、心臓がザワッとひと撫でされた感覚に陥る。
クラスの女の子の色めき立った声色で掛ける挨拶にも、上手く爽やかに対応している神を見て、大した玉だなと心の中で悪態を吐いてやる。
神の、あの爽やかな微笑みの中に隠し持っている鋭く尖った部分を、この教室内にいる人間のうち、何人がそれに気付いているのだろうか。

神がそれを装っている自覚があるのかないのか、私には解らない。けれど、頭の良い彼には上手く自分を演出することなんて、きっと造作もないことなのだろう。
本能的に、何をどう立ち回れば事が潤滑に回るということを、ちゃんと解っているはずだ。
本当に食えない奴!


クラス全員が席に着席したのを見計らって、教壇の真ん中に立った担任教諭がおもむろに声を張り上げる。

「よし!おはよう。みんな来てるか?今日の1限目のロングホームルームなんだがな、席替えするぞ」

突然の通告により、教室内が一気にざわっと沸き立つ。
「やったぜ!この席ともおさらばだ!」と、教壇真ん前、一番前の席ではしゃぐ男子が居たり、「ええ!?せっかく隣の席だったのにぃ〜!」と、仲の良い子と離れてしまうのを憂いている女子が居たり、反応は人によってまちまちだが、とにかく席替えはクラスの一大イベントだということがよく分かる。

そんな一喜一憂するクラスメイトたちの反応を、私はただ一人どこか冷めた目でそれを眺めていた。座る席なんてどうでもいい。誰が隣になろうと、どの位置に移動しようと、私にとってはそれは些細な違いでしかなく、退屈な毎日に変化をもたらしてくれるようなものには、到底なり得るとは思えなかった。
席順の位置だけで、私の平凡な毎日が変わることはない。

席替えの発表から、終始賑やかしい教室内。
担任が作成してきた、四つ折りの小さな紙の中に数字が書かれただけの簡易的なくじを、生徒たちが順番に一人ずつ教壇前で引いてゆく。
引き当てたくじの番号と、黒板に表記してある座席表を各々が照らし合わせて、各自その場所へ移動するというシステムだ。

自分の番が回ってきて、私は特に迷うこともせず目の前のくじを一つ指でつまみ上げ、中を開いた。
そこに書かれていたのは14の数字。
黒板の座席表の中の14番を探し出すと、どうやら私の席は廊下側から2列目、一番後ろの席のようだ。
しかも一番廊下側の隣の席は、星マークが付いている。それが何を意味するのか……空席か何かだろうか。

(一番後ろかぁ……黒板見えにくかったら嫌だな……)

私はつい先程まで座っていた席の荷物をさっと片付けて、番号が示す一番後ろの席へと移動し始めた。すると、辿り着かないうちに気付いてしまう。星のマークが付いてあった席に、神宗一郎が堂々と陣取っている姿を――。
神は一向にその場から動く様子を見せずに、ただ、クラスメイトたちが続々とくじを引き、移動してゆく様を眺めていた。
私が14番の席から少し離れた場所で立ち固まっていると、ふとこちらを向いた神と目が合ってしまった。最悪だ。

「あ、ひょっとして、佐藤が隣?」

「神、そこなの?席」

「うん。俺、ここが定位置なんだ。ほら。背が高いから。特別待遇。俺の後ろになっちゃった人が可哀そうでしょ?」

「へぇ、そうだっけ?」

やはり神が隣の席になってしまったのはどうやら揺るがない事実のようで、私は不本意ながらも腹を括った。
抱えていた荷物を神の隣の席へそっと下ろすと、そのまま黙々と教科書の類を机の中へとしまい始める。
その様子を、神は自分の机に頬杖をつきながら、そっと見つめているようだった。

「ははっ、ほんっと他人に興味なさそうだよね、佐藤って」

「……なにが?」

どこか愉快そうに私へ尋ねる神に対して、素っ気ない態度を全く隠そうともせず言い放った。
神がどうしてそんなに愉しそうなのか問い詰める気にもなれずに、それ以上は黙ったまま机上の整理を続ける。

確かに、他人に興味はない。それは本当のことだった。
他の人なんてどうだっていい。
私は神みたいに爽やかな笑顔を向けて周りに好感を得るタイプでもないし、そもそもそんな面倒なことをしながら群れ合いたいとも思わない。
私は――私の大事だと思う人にだけ必要とされれば、それだけで良い。
それが誰かなんて明白だ。私が唯一想っている相手は、ただ一人だけ。


・・・・ブーッ・・・ブーッ・・・

黙って黙々と手を動かしている最中に、突然、スカートのポケット内に忍ばせておいた携帯電話のバイブレーションが激しく2度震えた。メールの通知だ。
私はこっそりとポケットから携帯電話を取り出して、新着メールを開く操作を行う。するとディスプレイに表示された差出人の名前に、心臓が大きく跳ね上がった。心拍数がドキドキと加速して、その鼓動の強さに胸が痛いと感じるほど高揚してしまう。

私をこんな風にさせるのは一人しかいない。私にとっての唯一無二の相手――そう、差出人は藤真健司だった。
もうずっと待ち焦がれていた、愛しい恋人からのメール。
そのメールを微かに震える指で開いてみる。

今日の夜、時間空いた。来る?

相変わらず単調でシンプルなメール文。
だけどそのたった一文が、これ以上ないくらいに私の心を満たしてくれた。
健司じゃなきゃだめだ。彼じゃなきゃ、このカラカラに乾き切った私の心が潤いを取り戻すことなんて出来やしない。
私は数分と置かず、急いで健司へのメールに返信をする。返信する内容なんて決まりきっていた。

行く!部活終わったらまた連絡するね

私のメールの文章も健司に負けじと端的でシンプル。けれど、それは裏を返せば余裕の無さの表れ。
彼から久しぶりの連絡がとても嬉しかったし、待ちに待ったこの時。
例えるならば、目の前のぶら下がった人参を必死に追いかける馬のような、そんな状況と酷似している。
良いんだ、馬でも。彼に逢えるならば、もうなんだって良い。
あまりにも現金な自分の感情に、なんだか可笑しくなってフッと笑いが口を吐いて出てしまった。

我ながら単純だなと思う。
先程までどうでも良いと、投げやりになっていた日常が、健司の連絡を境に凄く晴れやかなものに見える。モノクロだった世界に、初めて色が付いて見えるようなそんな感覚だ。

「やけに嬉しそうだね」

唐突に真隣から、そう問われた。
そっと視線と移すと、神が不思議そうに私の方をじっと見つめている。

「あ、うん。まぁね」

「へぇ……さっきまでと全然違う顔するんだ……面白いね」

「え?」

「いや、何でもない。やっぱり佐藤は笑ってた方が良いよ」

「なにそれ」

思わず神の言葉に動揺してしまった私は一瞬固まって、言葉の意図を探るように彼の顔を見つめた。けれど、神はにこにこと笑みを携えたまま、何も言わない。
それがなんだか急に居心地が悪く感じられて、その動揺を隠すように、私は握り占めていた携帯電話を急いでスカートのポケットへと仕舞いこんだ。
彼は未だに私の方へと視線を向けているのが雰囲気で解ったけれど、私はそれに気が付かない振りをしてやり過ごす。


(――なに?今の……なんだったの?)

急に恥ずかしくなった。
神の言葉を受けて、私は神の方を見ていられなくなってしまった。
神の言葉に。視線に。すべてを見透かされてしまいそう。私の心ごと全てを――。
何もかも神に悟られてしまいそうで、恥ずかしくて怖くなった。

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