05:エスパー野郎



それから、しばらく四人で時間を忘れるように会話楽しんでいた。
他愛のないことから、もちろんバスケットボールの話題まで、こんなにも毎日同じ時間を共有しておきながら、話が全く尽きないというのも不思議なものだ。

ふと時計を確認すると、もうすぐ20時半を回ろうという時刻。
夕食時の来店ピークをやり過ごして、ようやく牧さんが、「そろそろ行くか」と、切り出した。
こんな時刻までこのファミレスに居座ったのは、初めてのことだった。いつもは明るい空の下で見るこの景色を、日がすっかり暮れた暗い空の下で見るのもなんだか新鮮で、同時に私は、とても救われた心持ちがした。


――私は、独りじゃなかった。

彼らにとってしてみれば、一切の理由も告げられず訳も解らない中、目の前で大泣きしたり、目を腫らした姿を見せるマネージャなんて、ただ面倒の対象でしかないだろうに、と思っていた。
なのに、そんな私の為に息を切らして駆け付けてくれるキャプテンと、加えてこうして寄り添って一緒に居てくれようとする部員仲間たちの温かい気持ちが純粋に嬉しくて、数刻前まで人目を憚らず大号泣していたとは自分でも信じられない程、私はすっかり落ち着きを取り戻していた。

確かに、自分の心底に住みついている黒く暗い感情が、完全に拭い去られたというわけではない。きっと家に帰って自室に一人きりになってしまえば、またあれこれと思い出し、悶々と考え込んではしまうだろう。
けれど今、この瞬間、一番つらい時間をたった独りきりで鬱々とやり過ごさなくて良かったのは、紛れもなく彼らのおかげに違いなかった。
現に、私は時間が経つにつれて涙もすっかり引っ込み、彼らの零す会話に耳を傾けながら、素直に笑えるようにもなっていた。

たかが部活。ただ日々のルーティンとしてこなすだけのもの。そんな部活の仲間に、こんなにも心救われることなど今までにはなかったことだ。
鬱陶しいと、面倒だと、そんな風に思うことはあっても、彼らのおかげで、と感謝するようなことは一度もなかったように思う。

そして、一番最初に泣き腫らした原因を問われて以降、最後の最後まで何も言わなかった私に対して、彼らもその場では一切、事の詳細について触れてはこなかった。


店外に設置してある廃れたベンチ。そこへ座って、牧さんがやって来るのを泣きながら待っていた数刻前。
どうして牧さんの電話番号をコールしてしまったのか……それは単純に誰か縋る相手が欲しかったというのもあるかもしれない。
自分の目の届かないところで、健司があんな風に楽しそうにしている姿に嫉妬をしてしまった。
出来ることならば、自分が彼の隣に居れたら良かったのにと、どうしようもないほどの嫉妬心と焦燥感。更に加えて堪らない孤独感に襲われ、無性に寂しくなった。

自分の心の奥底に、何重にも蓋をして隠して見えないようにしていたモノが、その機に顔を覗かせた。
それを直視するのが怖くて、自分でもどうして良いのか解らなくて……。一旦、顔を覗かせて解放されてしまうと、再びその負の感情を自分の奥底へ押しやる力は、私にはきっと持ち合わせていない。手に負えないモンスターのようだ。
だから――助けて欲しかった。誰かに、助けて欲しかった。
けれど、こんな時に助けを求める特別親しい女友達も大しておらず、他人に縋る方法も解らない私が唯一思い浮かんだのが牧さんだった。半ば無意識に近い感覚で、携帯電話を操作する指先が求めたのは、牧さんの連絡先。


そんな牧さんの方へそっと顔を向けると、ふいに絡まる視線。
そして、控えめに少しだけ微笑んだ牧さんのその表情に、「落ち着いて良かった」と、暗にメッセージが込められているような気がして、私は咄嗟に気恥ずかしくて目を伏せてしまった。

いつも素直になれなくて、可愛げのあること一つ言えない私なのに、彼らはこうして私をちゃんと受け入れてくれる。
今まで気が付いていなかっただけで、本当はとても幸せなことなのかもしれない。
どんなにみっともなくても、どんなに失敗しても、ありのままの自分を受け入れて許してくれるなんてこと、そうそうあることじゃない。

初めてだ。こんなにも男子バスケ部のメンバーの存在が大きく感じられたのも――もっと大事にしたいと思ったのも……。
本当は、こんなにも恵まれていた。それに気が付いた瞬間だった。


「俺と清田は、不本意ながらこっちだ」

ファミレスから歩いて駅前に差し掛かったところで、電車通学組の牧さんと清田とはいつもここで別れる。背を向けて改札口へと歩を進めようとした牧さんを、私は慌てて呼び止めた。

「あっ!あの!……え、っと……皆さん……ありがとうございました……」

「ん?どうした……今日はやけに素直だな」

「ご迷惑をおかけしました……」

「ははっ、今日はなかなか珍しいものが見れた、なぁ、神」

「ふふっ……そうですね」

そんな私たちのやり取りを間近で見ていた清田が、一人きょとんと、「え?静さん、どうしたんすか?」と、あっけらかんと言うものだから、その場で思わず吹き出してしまう。
その様子に、「え〜?なんすかー!」と、一人でぶつぶつ不満そうに言っている清田を他所に、神が改めて解散の口火を切った。

「すっかり遅くなってしまったし、行きましょうか」

「静の事、頼むな、神」

「神さん、送りオオカミってやつにはならないようにしてくださいね」

「あはは!信長、それ意味解ってる?」

「へ?解ってますよ、男は油断するとオオカミになるんすよね?」

「ははっ、まぁ、いいや、説明するのも面倒だし」

「清田、余計なことばかり言ってると置いて行くぞ、じゃあな。明日の朝、遅刻するなよ」

最後まで和気あいあいと会話を楽しんだ後、私と神は改札口へと消えてゆく牧さんと清田の背を見送った。
それから、「さ、俺たちも行こう。送っていくよ」と、神は通学で使用している自転車を両手で押しながら、改めて帰路へと足を向ける。数歩遅れて、私も神の後ろに続いて歩き始めた。

「神、いいよ?いつも送ってもらってばかりで悪いし、途中までで大丈夫」

「いいよ、佐藤は気にしなくて。自転車もあるし、それこそ万が一、佐藤に何かあったら、俺、牧さんにどんな目に遭わされるか……」

「あはは、本当に気を遣わなくても大丈夫なのに……」

私が神の背に向かって告げると、彼はそっと振り返って、「お安い御用です、マネージャー様」と、冗談めかして、ふわりと微笑んだ。

こうして神に自宅まで送ってもらうのは、もう何度目だろう。
今までの度重なるバスケ部ファミレス会合の後は、帰宅時間もそれなりに遅くなることもあってか、必ずと言って良いほど、帰りは神と一緒だった。
学校から自宅までの距離は私よりもは神の方が遠くて、彼はいつも自転車通学。学校から見て帰る方角が同じだと言っても、私と神の家は決してご近所だというわけではない。

それなのに神は、「こんな遅い時間の夜道を、女子高生一人で帰す訳にはいかない」と、毎回律儀に私の自宅まで送ってくれるのが、常となっていた。
優しいのか、真面目なのか……譲らず、「帰り道だから、気にしなくていい」と言われてしまえば、私には断る理由がなくなってしまう。だから、いつもは彼の好意に甘えるつもりで、自宅まで送ってもらうようにしていた。

ただ、今回は訳が違う。
今までは、こうして神と共に帰宅することを苦に思ったことはない。同じ学年でクラスメイトでもあり、同じ部活に属する仲間として、何気なく接するには彼はとても接しやすい相手だと思う。しかし、それは――何も無ければ、の話だ。

今日ばかりは、さすがに気まずい。
その理由――それは、先程のファミレスで私が泣いていた理由を見事に察し、すばりと指摘されてしまったから。
彼の察しの良い洞察力には、ただただ脱帽するばかりで、本当は神通力を持っているのではないかと錯覚してしまう程、神宗一郎の抜け目のなさは秀逸だと、私は常日頃から思っている。

「……」

「……」

しばらくの沈黙。カラカラと神が押して歩く自転車の車輪の音が、静寂の中、やけに耳に付いた。
どうにか必死に頭の中で話題を探ってみるけれど、上手く切り出せる話もない。
また、彼がこんなにも黙って何も言わないなんてことも珍しかった。こうして二人きりで帰る時、どちらかと言えば神の方から会話を振ってくれることが多いことに、私はこの時、改めて気付かされた。
部活の話。授業の話。テストの話。何てことのない日常会話ですら、今は何も喋る余裕がなくて、気ばかりが焦ってしまう。
それはきっと、相手が神宗一郎だからだ。
私がこの場で取り繕ったような会話をしたところで、結局、それは全て無意味。この気まずい空気からは一切逃れられない。どうせ私が感じている気まずさも、彼には全て筒抜けなのだろう。

そんな沈黙の中、やはり第一声を発したのは神の方だった。

「佐藤さ……あんまり無理しなくて良いんじゃない?」

「……え?無理?なに?……何の話?」

「今日、泣いたんでしょ?牧さんの前で」

「……」

「目、真っ赤だったし。電話口での牧さん口振りからしても、直ぐにわかったよ。何かあったんだなって」

「……」


案の定に、まずい展開だ。予想通り、と言ったところだが……。
しかし、本当に容赦がない。神のこのストレートさに、発言する言葉一つ一つが私の心臓にぐさぐさと刺さる。図星過ぎて、私は全く返す言葉が思い当たらなかった。
心の中では、神がこんな風に出てくることは多少の予想はしていたものの、いざ、神のエスパーの力を目の当たりすると、圧倒的なその言葉の重みに押されて、何も言えなくなってしまう。
口調こそ物腰柔らかいけれど、ここまで見透かされてハッキリと指摘されてしまうと、さすがに逃げ場がなく竦んでしまう。

……どうしよう……何て言って返そうか……。

頭の中で逡巡していると、更に追い打ちをかけるように神の言葉が続く。

「……別に泣いてた理由を無理に聞こうとは思わないけど。佐藤を見てるとさ、独りで無理して頑張って、我慢してる感じがバレバレで。正直痛々しいというか……もっとさ、自分自身を出せば?何をそんなに怖がってる?」

「ね?」と、私の顔を見つめて、余裕のある胡散臭い微笑みを浮かべた神の笑顔が、妙に癪に障った。

ちょっと待って。
何言ってんの?
何言っちゃってんの?
簡単に言わないでよ!!!
沸々と湧き上がる苛立ちに、私の発した言葉にも思わず棘が生じてしまう。

「……あのさ、神に何が解るの?私の気持ちの、一体何が解るって言うの?」

「え?」

「私がどんな想いで……!何があったかも全然知らないくせにっ!勝手なこと言わないでよっ!そんな事……そんな事!簡単に出来てたらこんなに悩んでもないし!苦労もしてないっ!!!」

いくら神がエスパーだからって!神通力の持ち主だからって!無断で人の心の中にずかずかと入り込んでいい理由にはならないはずだ。
彼が私の気持ちをどれ程理解してるのかは知らないけれど、無遠慮にも程がある。

イライラとした感情をどうしても押し止めることが出来なくて、ついつい声を荒げて神に対して言葉を思いのままに投げつけてしまった。
感情的に全てを吐き出してしまってから、ハッと我に返って後、じわじわとほんの少しだけ、後悔の波が押し寄せる。
やってしまった……。
だけどやっぱり、こんなにもカッとしてイライラとしてしまうのは、神の言葉が的を得ていたからだとも思う。
しっかりしろよ、自分のことだろ?って、弱い自分を思いっきり指摘されたみたいな感覚に陥って、悔しかったんだ。


「ははっ、気を悪くした?でも……謝んないよ?俺。このままだと佐藤がしんどいだけでしょ?」

「うるさいよ」

苛立ちから自分の口調が多少きついものになっていることには、自覚していた。
神の指摘は一向に止むことはなく、益々自分が惨めになっていく気がした。段々と胸の中が熱くなって、油断して気を緩ませると、悔しさから涙が出そうだ。

「牧さんじゃないけどさ、俺にとっても佐藤は大事だよ、チームメイトとして。だからやっぱりつらそうにされるとね、気になっちゃうんだよね」

「……」

「佐藤は牧さんと話してる時くらい自然な方が“らしい”よ。……でしょ?はい、佐藤家、到着」

「……なんなの、神が解らない」

「どういう意味?」

自分の家の前で、神と対峙する。
彼がそのように私に接するのならば、私だってもう遠慮なんかしてやらない。率直に思った言葉をそのまま投げつけてやれ、と自棄に近い感情で口を開く。
すると、私の言葉を受けた神の表情が一瞬、驚いて固まったのが解った。

「はっきり言って、すっごく腹が立った。神の言葉。だけど……意外だね。神も他人に興味あったんだ」

「なにそれ。俺だって自分に関わる人の心配はするよ、多少は、だけど」

神と私の間には、目に見えない攻防戦が繰り広げられるように、ピリピリとした空気が静かに流れる。
これ以上は喧嘩になると悟った私たちは、そのまま互いに口を噤んだ。
その空気感に居た堪れなくなった私は、「送ってくれてありがと!おやすみ!」と、逃げるようにして自宅の敷地内へと足を踏み入れた。
すると背後から、「どういたしまして、また明日」と、そっと投げかけられる神の声。
思わず振り返ってしまうと、神はそっと微笑んで、そのまま何も言わず自転車へと跨って去って行った。

彼が私に向けた笑顔。それはいつも見慣れた一見にして爽やかな笑顔だったけれど、その笑みの裏側で彼がどんなことを思っていたのかは、私には解らない。
だから、神宗一郎という男は苦手なんだ。


*


すっかり夜も更け、シンとした静まり返った自室のベッドの中、今日の出来事を頭の中で思い返していた。なんだかどっと疲れた。
泣きじゃくり、牧さんに助けを求め、そして神の指摘に腹を立てて……。
こんなにも感情的になったことなど、今までなかったかもしれない。冷静に思い返してみると、急に恥ずかしくなってしまうほどだ。
そして、さっきからずっと、帰り際に言われた神の言葉が頭から離れない。


もっとさ、自分自身を出せば?何をそんなに怖がってる?

解ってる!解ってるの!!
私自身が一番、それを痛いほどに自覚してる。
そもそも、それが上手く出来たら何も悩んでなんかいない。
けど、出来ない――私がビビりで臆病者だから。

ただ……怖いの。
好きな相手に嫌われたくなくて。
健司に困った顔をさせたくなくて。
我儘や自分勝手で無理なことは、絶対に言えない。

本音を言い出せばキリがない。
だって、最初から解っていたことなんだ。
藤真健司と付き合うってことは、こういう事。
それを全て納得して、付き合い始めたじゃないか。
そう、納得していた。そのはずだったのに……。
欲というのは、恐ろしい。
幸せだと感じれば感じるほど、もっと欲しいと貪欲になってしまう。

だけど、もし……自分の気持ちや欲望を曝け出して良いのなら、本当はもっともっと逢いたいし、もっともっとデートだってしたい。いつも気兼ねなく一緒に居たいし、彼が少しでも私を優先に思ってくれる時があって欲しいと願ってしまう。

けれど、それは現実的じゃないことくらい、自分でも解ってはいた。
一生懸命頑張っている彼の邪魔になるようなことだけは出来ないし、したくもない。
私の一方的な願望をぶつけて、困らせるわけにはいかない。
大好きな人に重い女だと嫌われるくらいなら、我慢して、抑えるほうが楽。
そう、今まではずっとそう思ってきた。

現実と理想ってこういうことなの?
その狭間で苦しむ私は、独りで永遠に続く螺旋階段を彷徨ってる気分だ。
私は弱い。もっと私が要領も良くて強い人間だったならば、きっとこんな風に悩まずに済むのだろう。

もう今日は疲れた……。
身体的にも精神的にも……。考えることすらも、しんどい。
明日もまた学校だ。
早く眠ってしまおう。だってその方が嫌なことを考えなくて済む。
どんなに考えたって、どんなに悩んだって、明日は必ずやって来るのだから――。


(2020.6.21 Revised)



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