「……それで?どうしたって言うんだ」

案内されたボックス席へ、私と牧さんは向かい合うようにして着席した。少しだけ躊躇いがちに一呼吸置いてから、先に口火を切ったのは牧さんの方だった。
こういう時、回りくどい事を一切言わず、真っ向から接してくるところは牧さんらしい。

「……」

「言いたくないのか?」

「……」

「だんまりか……言わないと解らないぞ、俺は」

自分勝手に電話までかけてしまった上、そのまま私の元まで飛んで来てくれた牧さんに対して申し訳ない気持ちでいっぱいなのに、こうして改まって牧さんと向かい合い、恋人とのあれこれを聞かせることに少し戸惑いを感じていた。
今までにこういう類の相談などを、周りに一切したことがなかったからだ。
自分の我儘や、醜い嫉妬心を話し聞かせるべきかどうか……聞かせるにしても、一体どういう風に伝えるのがベストなのか、あれこれ頭の中で考えているうちに上手い言葉が何も出てこなくなった。

尚も黙り込む私に痺れを切らしたのか、牧さんはふぅ、と小さく溜息を吐いて、更に言葉を続ける。

「さっきは驚いたぞ。電話口でまさかお前が泣いてるなんて思わなくてな。柄にもなく慌てた。その理由が気になると言えば気にはなるが……まぁ、静が言いたくないのならそれで――って、おい」

落ち着いていたはずだった涙が、またじわりと瞼に浮かんできて、みるみるうちに溢れんばかりとなる。
自分でも堪えることが出来なくて、顔が歪み、再び堪らず泣き出してしまった。
牧さんがこんなにもまともなことを言うなんて……そしてこんなにも優しい。
息を切らしながら私の元までやって来たくれた牧さんの思いやりと、温かみのある言葉。今の私にとって、縋るには十分だった。

「うっうっ……牧さんのくせに、牧さんのくせにぃぃ〜!」

「俺のくせにって何だ、それよりも泣くな、静に泣かれると困る。あ〜……どうすりゃいいんだ」

再び泣き出してしまった私を目の当たりにして、牧さんは困ったように苦笑している。
テーブルに設置してあったペーパーナプキンを数枚手に取ると、「綺麗なハンカチなんぞ持ってない」と、私の方へ手を伸ばして差し出した。
そんな不器用さがまた牧さんらしくて、今度は可笑しくなってしまい、少しだけ吹き出し笑いをしてしまうと、「なんだ、泣くか笑うかどっちかにしろ」と、牧さんも呆れたようにそっと微笑んだ。

「しかしなぁ〜……やはりアイツしかいないだろうな」

「アイツ……?」

「捕まるといいんだがな、ちょっと待ってろ」

少しだけ思案した後、牧さんは何を閃いたのかポケットから自分の携帯電話を取り出して、慣れた手つきで操作をし始めた。
そしておもむろに受話口を耳に当てて、誰かに電話をかけているようだ。

私はその様子を初めこそ黙って見守っていたけれど、途中から変な予感がして、胸騒ぎが起こり始める。
牧さんは一体この状況で、誰に電話をかけ始めたのだろうか。目の前のキャプテンの意図が全くと言っていいほど読めない。
牧さんのことだ……また突拍子もないことを思い付いたのには変わりがないのだろうが、私にとってはその電話の向こう側にいる人物が誰なのか、無性に気になって仕方がない。

(ま、まさか……健司じゃないよね……?)

そこを攻められると、もう私は完全に逃げ場と行き場を失う。変な汗がどっと吹き出しそうになるのを必死に理性で堪えて、ドキドキと嫌な心臓の鼓動を感じながら、私は黙って牧さんを見守ることしか出来なかった。

「……あぁ、俺だ、お前、今どこにいる?」

……。

「あー……そうか。今から来れるか?あぁ、一大事だ……そうだ、いつものな」

……。

「なに?……まぁ、いいだろう。仕方ない。とにかくお前は来いな?じゃあな」

相手の声はもちろん私の位置からは聞こえなくて、結局、通話中も牧さんが誰と話していたのか全く解らなかった。
けれど、いつもこんな風に思い付いた時に誰彼構わず電話をかけて呼び出しているんだなと、いつもの牧さんの姿を目の当たりにした気がした。今日はたまたま電話の向こうの相手が私じゃなかった、というだけの話。

(呼び出される方は堪ったもんじゃないんですよ、牧さん……。)

けれど、今回ばかりは私も人のことが言えない。状況は異なるにしても、そんな風にして牧さんを呼び出したのは、紛れもなく私も同じだ。

通話を終わらせて、再び携帯電話をポケットにしまい込んだ牧さんは、何食わぬ顔をしてテーブルに置いてあったコーヒーカップへと手を伸ばす。そのまま、何も言葉を発さずに、ふぅ、と一つ溜息を零した。
その様子に疑問を抱きながら、私はじっと牧さんの方を黙って見つめた。すると、その視線に気が付いた牧さんは、「なんだ?」と、あっけらかんと言い放った。
その様子に溜息を吐くのは、今度は私の番だ。

「なんだ?じゃなくてね、牧さん」

「……」

「誰を呼び出したか、一言あっても良いんじゃないですか?」

「誰って、アイツしかいないだろう?」

「だから、さっきから!アイツが誰だって話!」

牧さんにとっては“アイツ”で済む話かもしれないけれど、今の私にとっては、その相手次第で死活問題だ。
本当に藤真健司をこの場に呼ばれてしまったなら、もう終わりだ。
仮に対峙してしまえばきっと言い逃れも出来ないし、この泣き腫らした顔を彼に見せるわけにはいかない。
私の必死の形相に若干引き気味の牧さんへと、更に問い詰める。

「なんだ、そんなに必死になることか?」

「なるから、訊いてるんでしょ!」

「まったく、おかしな奴だな」

ふぅ、と呆れたようにまた溜息を一つ零して、牧さんはその人物の名をゆっくりと口にした。

「……神と、おまけの清田だ」

「え?神……?どうして――」

そこまで自分で口にしてから、ハッとした。
そうだった、すっかり失念してしまっていた――困った時の、神宗一郎。
牧さんが、何か困ると直ぐに神に頼る癖があること。

とりあえず、この場にやって来るのが藤真健司ではないことに一旦は安堵したものの、今から神と清田がこの場にやって来るのをどうしたものか……。清田は問題ないとして、察しの良い神の方はどうだろう。
牧さんを相手にするのとは訳が違う。この泣き腫らした真っ赤な顔で、「何でもない」と、事情を説明しないで済むかどうか。
わざわざこのファミレスにまで呼び戻されて、神がそれで納得するはずもない。
本当に面倒なことになった。健司じゃなかったことは良かったが、それにしたって相手が悪い。

「神なら、間違いないだろう?」

「え?」

「泣いている静を前に、俺なんかはどうしてやるのが一番なのかもはっきり言って解らんしな、アイツなら何かしら解決してくれるだろ?」

「こんな時にまで人任せですか、うちのキャプテンは」

「なかなか痛いところを突くな」

「だが、」と前置きをして、牧さんは全く躊躇いもなく言い放った。

「俺たちは同じチームメイトだ。困ってる奴が居たら、最善の方法で助けてやるのが道理だろう?それがマネージャーであっても同じことだ」

「……」

「こういうのは、適材適所が一番だと思わないか?」

やっぱり牧紳一は牧紳一だ。ブレない。
こういう考え方が出来るのも、チームの中では常に人に指示を出す立場にあり、使う能力に長けているからなのだろうか。
それにしても、相変わらず牧さんが神へと寄せる信頼感の強さと言ったら……その揺るぎなさに思わず笑いが零れてしまった。どれだけ神のことが好きなんだ。

「なんだ?」

「ううん、いや〜好きなんだなと思って」

「なに?」

「神のことが」

「そういう言い方するな、誤解を生む」

「けど、本当ですよね?困った時に頼りになる後輩くん」

「それは静も同じだぞ。言ったろ?俺はお前も頼りにしてる。だから、辞めるなどと言うな」

「……」

「何か言え」

「さっき、息を切らして迎えに来てくれた時、なかなか格好良かったですよ」

「はははっ、初めてお前に褒められた気がするな」

笑顔を覗かせる牧さんを前に、こういうところが牧さんの本質なのだと改めて感じた。
面倒なところも多いけれど、彼は彼なりにチームのことを、そして部員のことを考えて最善を尽くそうとしてくれている。
牧さんに対しては私もついつい堪らず、「うざい」なんて言ったりすることもあるけれど、本当はものすごく優しいということを、私はちゃんと知っている。
だから、どんなに面倒でも、どんなに鬱陶しくても、私は牧紳一を嫌いになり切れない。牧さんの底力は、こういうところにある。



「あ!いたいた!牧さーん、静さーん!お疲れっす」

「すみません。遅くなって」

牧さんが電話で呼び出してからしばらくすると、神と清田が店内へと姿を現した。
辺りにひと際明るい清田の声が響き、二人の登場によって一気に場の雰囲気が賑やかになる。

「うるせぇな、声のトーンを下げろ、清田。神だけで良かったんだがな、お前、何故付いて来たんだ」

「牧さぁ〜ん!そりゃないッスよ!」

私と牧さんが向かい合う6人掛けのボックス席に、牧さんの隣に清田、そして私の隣に神が腰を下ろす。

「えぇ?なんでって……!牧さん、どうして俺だけいっつも仲間外れにしようとするんスか!?」

「ああ、うるせぇなぁ」

人一倍大きな声と人一倍大きなリアクションで牧さんに食って掛かる清田。
その様子を横目で厳しく睨みつけながら、牧さんは一層鬱陶しそうに顔を歪ませた。
バスケから離れれば普段は比較的穏やかな牧さんだけれど、清田に対してはいつも毒突く。どうやら、清田のこの振る舞いが気に入らないらしい。
理由を尋ねたことが以前にもあったが、その時から、「ぎゃんぎゃん煩い」と一貫した理由を口にするあたり、牧さんは牧さんなりに譲れない正当な訳があるようだ。

「相変わらずだね」

「これも一種の愛情表現でしょ?」

「そんな訳あるか!変なことを言うな。うるせぇ奴は早く店の外へ摘み出せ」

「あの……俺そろそろ本気でへこむんスけど」


こんなやりとりも、いつもの海南大附属バスケ部の日常だ。
清田は牧さんが自分にだけ見せる扱いに少し項垂れるも、全く本気になどしていないし、神はどこか他人事で然程関心も無し、牧さんはこんな風に清田を邪険にする言葉を吐き捨てるものの、部活の練習中は他の誰よりも一番気にかけて可愛がっている後輩だ。
全てが信頼関係で繋がっている。厳しい練習と重責を共に背負う仲間だからこそ、こうして学年を超えても共に過ごせる一体感。
私は彼らと共に時間を過ごしながら、単純に凄いな、といつも思っていた。こんな風に自分が彼らに対して愛情深く接することが出来ているのか、私には自信がない。
なんとなく毎日の業務をこなすように練習に参加しているだけで、部活に対して高い志があるわけでもない。
そんな私は、どこか彼らに気後れしている。牧さんは先程、マネージャーも仲間だと、そんな風に言ってくれたけれど、その溝は自分自身では埋められているとは思えなかった。


それからまたしばらくの間、懲りずに清田が牧さん絡み倒しているのをそっと黙って見守りながら楽しんでいると、ふいに真横から、何の前触れもなくそっと問いかけられた。

「ねぇ、佐藤、何かあった?目が少し腫れてるけど」

「えっ……」

私は完全に油断をしていた。
あまりに突然に話を振られたものだから、動揺して上手く切り返すことも出来ぬまま、言葉に詰まってしまう。

さすがだ。
このタイミングでそっと私にだけ聞こえるくらいの声量で囁くように尋ねてくる辺りが、まさに神宗一郎だ。
驚きと共に神が座る左隣へと視線を向けると、じっとこちらを見つめる視線とぶつかった。
逃げ場のない視線。表情はふんわりと微笑んでいるのに、その視線からは逃れられない圧迫感。

そうだ、この目だ。
全てを見透かしてしまいそうなこの視線。目を合わせ続けていると、自分の感情の全てを悟られてしまいそうで、私は咄嗟に黙ったまま俯いた。

「藤真さんに、泣かされた?」

「!」

ほら……こうして核心へと迫って来る。
この場で合流してから、藤真の“ふ”の字すら口に出した覚えもない。
けれど、この男――神宗一郎は鋭い洞察力と勘の良さで、いとも簡単に的を得てしまう。
そのせいで、私の心臓はひたすらにドキドキと変な鼓動を打ち続けていた。不意を突くとは、卑怯だ。

「ううん、そんなんじゃないよ」

「そう?なら良いんだけど」

余裕のない私は、ただそう返すのが精いっぱいだった。
上手く取り繕う言葉が他に見つからなくて、少し声が震えていたかもしれない。
けれど、一方の神はそれ以上深くは追及してこず、あっさりと引いてしまった。しかし、居心地が悪い事には変わりがない。
どうせ、神は気付いているんでしょう?
私が誤魔化して何も言わないだろうことも、本当の原因も全て。

ここに集ったメンバーに、洗いざらい悩み相談や愚痴として吐き出せたらどんなに楽だろうか。
自分の心の内側を吐き出すことに慣れていない私は、どうしても言い出せない。
「今日こんなことがあってね、とても悲しかったんだ、どう思う?」と、そんな風に言えたらどんなに良いだろうか。

泣きながら牧さんへ電話までして呼び出し、そして更に、その牧さんから呼び出され、再び合流を強いられた神と清田。
自分の我儘で迷惑をかけてしまっている自覚は確かにある。なのに、私は彼らに対して甘える方法が今一つ解らないでいた。
自分の感情を押し殺してやり過ごすことの方がよっぽど楽なのだという考え方を、今更変えるのにはそれなりに勇気もいる。
もし、受け入れてもらえなかったら?もし、面倒だと思われたら?
そんな心配をして心苦しくなってしまうくらいならば、何も言わない方がよっぽど良い。
そうだ、私はとても臆病な人間だ。

再びそっと神の方へと視線を向けてみると、彼は相変わらず牧さんと清田のやり取りを穏やかな優しい表情で眺めていた。
――とても愉しそうに……。


(2020.6.14 Revised)



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