04:天然ヒーロー



耳に当てた受話口から、発信時特有の電子音が鼓膜まで響く。
こうして自分から牧さんに電話をかけることは極めて稀で、どうしてこんな時にこそ、牧さんへとダイヤルしてしまったのか、自分でもその感情はとても曖昧だった。
泣きながら走ったせいでぼんやりする頭。咄嗟に思い至ったのが牧さんの顔だなんて、つい昨日、激怒した相手とは思えない。
こんなボロボロの時に牧さんに電話をしたとて、きっと何の解決にもならないと解っているのに、どうしてなんだろう――うちのどうしようもない主将に、何かを期待するなんて不毛なのに。


「静か……?どうした?」

聞き慣れた呼び出し音がちょうど3回ループした後、低い声が私の鼓膜を震わせた。
優しくたった一言発しただけで、電話越しの牧さんが明らかに疑問の色を濃くさせながら尋ねてきたのが、はっきりと伝わる。

「ふっ……うぅ〜……ま、牧さ、ん……?」

「……静……お前、泣いてるのか?」

電話が通じてホッとしたせいなのか、牧さんの声が聞こえた瞬間に、また再び涙腺が一気に緩んで止めどなく溢れる涙。
牧さんの名前を呼んだ後には、上手く言葉を後に繋げることが出来なくて、ただ嗚咽を零すのみ。しかし、困惑しきった牧さんを前に、どうにか言葉を紡がなくてはと、しきりに言葉を押し出す。

「ご、ごめんね……牧さん、私……電話しちゃった……ごめん……」

「そんなことは良い。それよりも静、お前、今どこにいる?外か?」

こんな時、彼の少しだけ強引で思い切りの良い物言いが救われる。こちらが何も言わなくても、こうして後輩のことを思い、いざという時に何が最善かを推し量ってくれるのは、彼がやはり大きなチームを背負う大黒柱なのだと実感した。
時に天然面だけを発揮して面倒な時も多いけれど、実際のところは、ただ間抜けで頓珍漢なだけならば海南大附属バスケ部の主将など到底務まらないのも事実だ。


そして、私自身もこんな風に誰かの前で堂々と泣いたのは、ひどく久しぶりだった。子供の頃を除けば初めてのことかもしれない。
それはいつの間にか自分で作り上げたルール。何があっても強い自分でいよう。弱さは人にわざわざ見せるものでもないと、悲しい時や悔しい時はいつも一人でこっそり泣いた。
昨年卒業した先輩マネージャにも私のやる気が薄いことを早々に悟られ、散々絞られたことは記憶に新しい。どんなに厳しく叱られ、理不尽な八つ当たりだと解ってはいても、決して部員たちの前では涙を見せなかった。
しょんぼりとする私を見兼ねて、部員のみんなが、「気にするな」と、声を掛けてくれても、その場では、「大丈夫です」と、笑ってやり過ごした。しかし、本当は家に帰ってから悔しくて何度も密かに泣いた。

特に男の人の前に泣くなんて狡い気がして、それと同時に、「ああ、ほらな。だから女はすぐ泣く」、とバカにされるのも嫌で、常に舐められないように虚勢を張っているのかもしれない。
けれど、自分はそれで良いんだと思っていた。

なのに――今日、初めてそのルールを破ってしまった。
しかも牧さんの前で、だ……。


「いいから、早く言え。どこに居るんだ」

なかなか答えない私に痺れを切らしたのか、先程よりも少し強めの口調で再度問いかける。
その強さに思わず安堵したせいか、私は未だ嗚咽が混じる声で断片的に言葉を紡ぎ始めた。

「う……っ……ファ、ファミレスっ……」

「……いつものか?わかった、すぐ行くから待ってろ」

「ん……っ」

牧さんとの通話を終わらせた後、一気に強張っていた全身の力が抜けた。誰かにこうして頼ったことは初めてで、一切迷いを見せず、「すぐ行く」と言ってくれた彼の言葉が素直にとても嬉しかった。また涙が瞼の裏に溜まっていく感覚が自分でも鮮明に分かる。あれだけ泣きながら走ったのに、未だに止まることなく流れ、鼻もぐずぐずだ。

私はそのまま店舗に併設されている廃れたベンチへと腰を落ち着かせると、先程、街で目にした光景を無意識に思い出していた。
健司の楽しそうな表情が脳裏に焼き付いて離れない。
彼がバスケを何より大事にしていることは解っているし、それを応援しているというのは紛れもなく私の本音。
けれど、心に余裕がないとこうも人は醜く見苦しくなってしまう。
嫉妬や妬み、寂しさ、苦しさ――嫌な負の感情のみが自分の中を支配している。

部活で忙しいんじゃなかったの?
どうして、そんなに楽しそうなの?
どうして女の子と一緒に居るの?
どうして……。

こんな風に考えてしまう自分が無性に嫌いだ。情けない。好いた男一人、信じられなくてどうする。
理性と感情――その狭間で私はまた身動きが取れない。自分がどうしたら良いのか分らなくなる。

(私、最悪じゃん……)

自分の一番嫌いな“面倒くさい奴”に、私自身がなってしまっていることに心底から嫌気が差した。
こんなにも好きなのに……私だけが一人で空回ってややこしくしている。
ボロボロと頬を伝う涙を、声を押し殺して耐えた。制服の袖で手荒く拭うと、擦れて少しだけ痛い。
けれど痛さだけで言えば、私の心の方がはるかに痛かった。


呼び出してしまった牧さんを待っている数分の間に、心身共に少しだけ落ち着いてきたと思ったら、今度は一気にどっと疲労感が全身を襲う。泣くという行為がこんなにもエネルギーを使うものだということも少しだけ忘れていた。なのに大泣きしたせいで、頭だけがやけに冴えてスッキリしていたのには自分でも驚きだ。

今更になって、とても恥ずかしくなってきた。
たったあれだけのことで、こんな風に独占欲と嫉妬心を剥き出しにし、挙句の果てには人前で大泣きをして、うちの部の主将まで呼び出す始末。
これは確実にやってしまったな、と反省せざるを得ない。

人気のほとんどないベンチにぽつんと一人座り込みながら、これからやって来るであろう牧さんに何て説明すれば良いのだろうか。
どうしよう。こんな格好が悪いところなんて見せたくない。この期に及んで、自分のプライドの高さにはほとほと呆れる。

けれどそんな私の為に、こうして今まさにこちらへ向かって来てくれているであろう牧さんを思うと、ただただありがたくて……可愛げのあること一つ言えない、挙句の果てには、先輩に対して偉そうに、「うざい」なんて言ってしまう後輩でごめんなさい。
こんな自分勝手な事情に、不格好に巻き込んでごめんなさい。
気にかけてくれることが嬉しい反面、唐突に沸き起こる牧さんに対しての申し訳なさ。
ベンチで俯くそんな私の頭上に、突然、大きな影が落ちた。


「はぁっ、静……!はぁっ、どう……した――?」

自分の名を呼ばれてハッと顔を上げると、目の前には焦りを隠しきれない様子の牧さんが、軽く息を切らしながらすぐ傍までやって来ていた。
よくよく見ると制服が少し乱れていて、ネクタイも緩み、シャツは両腕とも腕を捲って、そのまま額の汗を腕でそっと押さえた仕草を見せる。
おそらく私の電話を受けて、急いで駆け付けて来てくれたのだろう。

「牧さん……うぅ……ごめんなさい……」

彼がこれ程まで一生懸命に私の元までやって来てくれたのかと思うと、なぜか無性に堪らなくなり、また止まっていた涙が瞼に浮かんで鼻の奥がツンとした。
気を緩ませると、また激しく泣いてしまいそうになるのを必死に堪えなながら、ただただ私は俯いて情けない顔を隠す。

「どうした?何があったんだ。お前がこうして泣くところなんぞ初めて見たぞ」

「ごめ、んね、牧さん……私……」

「いや、それは良い。気にするな。……とりあえずここじゃ何だしな、もう一度入るか?」

牧さんは視線の先を目の前のファミレス店内に向けながら、私に尋ねた。
私はそれにただ無言で頷くと、彼の大きな背に続くようにゆっくりとベンチから腰を上げた。


こうして私と牧さんは、つい先刻、部員たちと訪れて解散したばかりのいつものファミレスへと二人きりで舞い戻ることとなった。
まさかこんなことになるなんて、数時間前には予想すらしていなかったことだった。

店内へと通ずる入り口の扉を抜けると、いつも見慣れたウェイトレスのお姉さんが、「いらっしゃいませ」と近寄ってきた。
彼女は私の泣き腫らした真っ赤なであろう顔を見ると、ほんの少しだけ驚いたようだったけれど、もちろん何も言わずそのまま席へ案内してくれる。
けれど気を利かせて、人通りの少ない静かな隅の席へと案内してくれた。

さすがだな、と感心しながら、私より数歩先行して歩く目の前の大きな背中を見つめながら、この人もこのくらい気配りが上手かったら良いのに……と少し皮肉めいたことを思ってしまう。だが、今日は止めておこう。
泣いている私の為に、わざわざ汗だくになりながら駆けつけてくれた牧さん。
今日ばかりはこの背中が本当に頼もしい。
私にとっては、まさにヒーローのようだ――ありがとう、キャプテン……。


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