*cider → おそろい の続き

*暗い話。幸せな話ではありません。
*敵対しているので『美しい刀』と表記しています。ご自由に刀剣を当てはめてお読みください。






頬の傷にそっと触れた。
気持ち悪く柔らかなその感触は期待していたものとは違って、ただあの時の主の旋毛だけが思い出される。

主の頬に伸びる、自分と似た形の、二本の傷。

記憶の奥底で何かがざわりと叫んだ気がした。



「何をしている」

主が住む母家へ繋がる道は、この長い渡り廊下を通るより他になかった。
別のところから行こうとすれば出来そうだが、道なき道をかきわけて窓の方から回るしかない。
そこまでするのはなんとなく違う気がして、俺はふらふらとただなんとなく、渡り廊下へと一歩、足を踏み入れた。

「……いや、別に……、主、を、」

低い声は突然後ろから聞こえて、けれどその声がとんでもない殺気を放っていたから俺は驚くより先に少し身構えて振り向いた。
背後にはいつの間に来たのか、美しい刀が無機質に俺を睨みつけたまま右手で徐に刀を握りしめる。
殺気は勘違いではない。
カチ、と小さく鞘が鳴く音に背筋がぞくりと凍りついた。
俺は慌ててかぶりを振る。

「なんだよ。怖ぇな」

別に、主に少し興味が湧いただけだ。
何故俺を暗い部屋へ引き入れるのか。
何故俺に抱きついて愛おしそうにため息をこぼすのか。
何故泣きそうな顔で俺を見るのか。
何故、俺が顕現した時、あんなにも泣いていたのか。
何故、俺と同じような傷があるのか。

気になっただけだ。
気になってしまっただけ。
主とまともに話した会話が頭から消えないだけ。
あの声とあの顔と、泣きそうな顔に、どうしてだかきりきりと胸が痛むだけ。
何かが、何かは分からないが何かが、俺の中で叫んでいる気がする、それだけだ。
だから会って、また少しでいいから会話をしてみたくなっただけ。

俺のおどけた声音に美しい刀はそれでも睨む視線を逸らさず、むしろ先程よりもあからさまに抜刀の構えをした。
今の俺ではこいつに敵うはずもなく、俺は一歩後ずさってから慌てて両手を上にあげた。

「おい、怖ぇから刀から手を離せよ。別に、主にちょっと用があって、まぁ、大したことじゃねぇんだけど、ただそれだけっつーか、暇だったし、」

俺のしどろもどろの言葉を突然、美しい刀は空気が震えるほどの威圧感で遮った。

「だめだ。お前を主と二人にはさせない。話すことも極力しなくていい。ここから先に進めば斬る。大人しく部屋へ帰れ」

美しい刀は、見たこともないほどの凄みで俺を見据え、ぐっと前屈みになったその姿勢を崩さない。

「……ちょっと話してぇだけ、なのに、か」
「お前は刀だ。斬ることだけが本分だ。主のことなど知らなくていい」

ずく、と頬の傷が疼いた。
丹田の奥の方が気持ち悪く渦巻く。
言いようのない焦燥が喉を破きそうになる。
声にならない声が、ずっと頭に鳴り響いている。

「……怖ぇこって」

俺は美しい刀にそう吐き捨て仕方なく向きを変える。
不満そうに歩く俺をじっと睨みつけるそいつの不気味さが、背中に張り付いているかのように部屋に戻ってからも中々消えてくれなかった。


+++


自分の中に出来てしまった疑問、興味、感情。

同時に巻き起こる言いようのない違和感にもどかしさが募り、けれどどうすることも出来なくて、狭い部屋の真ん中に敷かれた布団に大の字に寝転ぶ。

声にならない何かに「あー!」と力のまま叫ぶと、ふと、柔らかな匂いが鼻先を掠めた。
途端、俺はがばりと体を起こし、開け放したままの部屋の外に目を向ける。


「……しー」

縁側から差し込む大粒の光を一身に受けながら、主は人差し指を口の前に立ててそう言って小さく笑うと、俺の部屋に一歩、足を踏み入れた。
何故、主が。
驚きと興奮で微動だにできずにいる俺に楽しそうな笑顔を向けながら、主は後ろ手で襖を閉めた。
光を浴びていた体がしずしずと闇の中に溶け込む。
暗がりの中、主は徐に投げ出した俺の足先にしゃがみこんで俺の顔を覗き込むように見つめた。


「……あ、んた」

頬を一筋、嫌な汗が伝った。

主に会いに行ったのは確かに自分だが、それをあいつに追い払われて今ここにいるのに。
他の刀は、俺と主が一縷でも繋がることを多分に嫌がっているのは分かっていた。
けれど主は隠れて俺を抱きしめ、俺はそれにとうとう絆され、けれど諦めた矢先に目の前に主がいる。

主は驚きを隠せない俺に心底楽しそうに微笑んだ。

「会いに来てくれた?」
「……いや」
「……追い返されちゃった?」

主は俺の嘘に平気な顔をしてため息をつくと、言葉の出ない俺の顔を暫く見つめたままでいた。
どうやってここまで来たのか。
そんな事も気になって余計に混乱する頭に喉がつかえる。
ごくりと唾を飲み込むと、主がその華奢な腕を俺の方へと伸ばした。

「……ごめんね。混乱させちゃって」

泣きそうな顔が笑顔に歪む。

あぁ、この顔を俺は、どこかで見た事がある。
この声をいつかの昔に聞いた事がある。


『お願いだから、私を』


この顔がいつも悲しそうだったことを覚えている。
この顔をどうにか笑顔にしてやりたいと、願ってしまったことを覚えている。

「……俺は」
「あなたは、あなただよ。……混乱させてごめんね。あの刀と険悪にしちゃってたらごめんね。ごめんね。あなたのこと、……わ、」

主は目に涙を溜め込みながら伸ばした指先で俺の頬の傷を小さく掠めた。
ひどく震えた声がとうとう詰まり、主は一筋、涙を頬に伝わらせた。


……あぁ、こんな泣き顔になんかしたくなかったのに。


俺の声で、俺ではない誰かが呟いた。


「……わ、たし、が、私が、ずっと無理なこと言って、ごめんね。あなたに無理をさせてごめん。あなたを、忘れられなくて、……ごめん、なさい」

暖かな指先が俺の頬の傷を優しくなぞる。
俺の内側を撫でられる感覚。
心地のいい、懐かしささえあるこの感覚。

俺も手を伸ばして主の頬の傷に触れた。
気持ちの悪い渦巻きが、湧き上がる後悔が、触れた先から解れていく。


『お願いだから、私を斬って』


俺は主の願いを叶えてやれなかった。
主が俺にずっと願っていたその言葉さえ、たった二本の頬の傷で誤魔化した。

「……『俺』が、この傷を、つけたのか」

呟いた声に主は小さく首を振った。

「『あなた』は、私を傷つけてない」

ぐ、と指を押し込むと、ぶにぶにとした感触と柔らかな頬が手のひらに吸い付いた。
両手で包み込んでその顔を起こしてやれば、泣きじゃくった顔が懐かしくて愛おしい。
きっと前の俺のせいなのだろうが、それはもうどうしようもない。
俺は俺でしかなく、俺自身がきっと、断ち切れない未練を望んでいた。

「あんたを、傷つけるのも守るのも、俺しか出来ない」

体を起こして頬に触れたままその体に近付く。
覆い被さるように抱きしめると、主は素直に俺の背中に手を回した。

「……早く、ここから、逃げたいよ」

主の言葉に、俺は小さく頷いた。








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