**と夜更かし
「ーーで??僕に何か言うことは?前の傷が完治する前に新しい傷を作ってくるお馬鹿さんは、言うべき言葉さえ咄嗟には思いつかないのかな?それとも、分かっていてあえて言わないのかな?僕伝えたよね、傷に触ってはいけませんって。触るどころか、その上から更に酷い怪我を重ねてくるとは思わないよね?君って破滅願望でもあるの?」
「あ、ありません……」
「じゃあ何?全部偶然ってこと?行く先々で危ない目に遭って酷い怪我を負うのは、全部たまたまで君自身に非はないってことなのかな?」
「あ、あり……ない……いや、あの……えっと、」
「どっち!」
「天女が全て悪いです!!!」

ーー名前は、土下座をしていた。
誰に?って、そりゃあ笑顔で怒り狂う善法寺氏にである。
名前は正直、山賊と対峙した時以上に命の危機を感じていた。

「すみませんすみませんすみません」
「君、すみませんって言えば何でも許されると思ってない?それしか言えないの?恥ずかしくないのかな?」
「すみ……っ、申し訳ございません!」
「そういうことじゃないんだよ。分かっててやってる?僕、君のつまらない言葉遊びに付き合ってあげられるほど暇じゃないんだよ。知ってる?」
「ぎゃふん」

満身創痍の名前が、デジャヴ満載な段取りで保健室に運び込まれたのが一時間前。
ちょうど当番で顔を出していた善法寺氏が、鬼神が如き手捌きで治療し終えたのが30分前。
それから今に至るまで、名前は懇々とお説教されている。

「君はもっと、女の子としての自覚を持つべきだ。毎日毎日酷い傷をこしらえて、故郷の親御さんが見たら何て言うか。僕なら卒倒するところだよ」
「おっしゃる通りでございます……」
「そもそも君は無鉄砲すぎる!君みたいに普通の女の子が、山賊に敵うわけないよね。そんなの少し考えればわかることだよね?自殺したいのは勝手だけど、それならうちの生徒は巻き込まないでくれないかな。君が無茶をやらかすせいで、一年ろ組まで死にかけたんだよ?」
「返す言葉もございません……」
「大体、小平太も小平太だ!君がついていながら、どうして彼女がこんな目に遭うんだい!?君の監督不行届だよ!」
「私ぃ!?」

名前の付き添いで来ていた七松氏にも、不慮の流れ弾が飛んだ。
善法寺氏に強要され、渋々正座する七松氏を横目に、名前は内心ため息を吐く。七松氏には悪いけど助かった……怒られの対象が移った……。

「そこ!まだ話は終わってないよ!!」
「はい!!!」

ーー結局、説教は三時間続いた。

***

その日は大事をとって、保健室に泊まることになった。
いつものくのたま長屋とは違い、周りに人がいないせいだろう。普段より、夜がずっと暗く感じる。
疲れているのに目が冴えて、一向に眠れそうにない。
むしろ、瞼を固く閉じるほどに、脳裏を炎の赤さが過ぎる。

「…………!」

耐えきれず、名前は布団を跳ね除けた。
枕元に置かれた水差しは、とっくに空になっている。

身を起こした途端、激しい胸焼けに襲われた。
全身から匂い立つ醜悪な残り香が、吐き気を後押しする。
思わず噛み締めた奥歯さえも、何だか焦げた肉の味がするようで。
じわりと涙の滲んだ目で、名前は必死に逃げ道を探した。
どうしよう、今すぐ吐きそうだーー。

「……ぅ、」

裸足のまま部屋の外に出る。
えぐみのある胃酸が喉元に込み上げ、もう廁まで走っている時間が無い事を知った。何かないか、何かないか。月光を頼りに周囲を見渡し……そして名前は、たまたま見つけた“それ”目掛けて、一目散に駆けた。

***

「う……うぇ、……ッ」

善法寺氏お手製の薬を山ほど飲んだ影響だろう。涙ながらに吐き出したアレコレは、なんというか……こう……芸術点の高い彩りをしていた。
保健室でやらかさなくて本当に良かった。
こんな前衛芸術テロ、バンクシーだってさすがに許されない。

吐いても吐いても胸のわだかまりが解ける様子はなく、胃が空っぽになるまで戻し続けて、ついに名前は諦めた。
これ以上吐くと、今度は普通に体が危ない。
しかしーー寝所に戻るため、いざ持ち上げようとした頭は、どんなに背筋を駆使しても、その場からぴくりとも動けなかった。
……理由は明白である。
何者かが悪意をもって、上から名前のつむじを押さえつけているのだ。

「だ、」
「何してるの?」

出鼻を挫かれ、名前は息を呑んだ。
名前に被せるように紡がれた、淡白で冷ややかな声ーーそれは紛れもなく、今この瞬間、ダントツ一番出くわすとマズイ人のものだったから。

「あ、あの、ちょーー」
「何をしていたか答えろ」

声をあげるや否や、頭にかかる負荷が更に重力を増した。
首筋に金属の気配を感じ、全身が総毛立つ。
夜気に冷やされて湿った土に、思い切り顔がめり込んだ。
し、死ぬ〜!これはさすがに死んでしまう〜!お助け〜!

「……あれ、天女様?」

ジタバタともがき苦しむこと数分。
不意に頭の重みがなくなり、名前の身柄は自由になった。
こいつ、相手が誰かも分からず頭を踏み潰していたのか……。

「こ、こんばんは。綾部少年」
「………………こんばんは」

彼はーー綾部少年は、背筋が凍るほど冷たい目で挨拶を返した。

***

結論から先に述べると、悪いのは全面的に名前である。
何故なら、手頃なエチケット袋を求め、青い顔で東奔西走した名前は、最終的に彼が生み出した不朽の名作ーートシちゃん23号に辿り着いてしまったからだ。
実はこの穴、名前が落ちたあと一度埋めなおされたのだが、その後再び善法寺氏が落下して、今に至るまで入口が開きっぱなしだった。
底が見えないほど深く掘られた空洞は、まさしく名前のアレをソレさせるのにこの上なく相応しい形状で、なんかもう、ただひたすらに「ごめんなさい」としか言えなかった。背に腹は変えられなかったんです。

「どうして吐いていたんですか」

ひたむきに頭を下げる名前に、ふと綾部少年が問いかけた。
……名前は、正直に答えて良いものか考えあぐねる。

「えっと、その、どうやらちょっと夕飯の食べ合わせが悪く、」
「くだらない嘘をついたら穴に落とします」
「すみません冗談です許してください」

能面のような顔で鋤を突き出され、名前は即座に否定した。
それにしても、さっき首筋に感じた金属の感触は、この鋤だったのか。

どうやって誤魔化そうか悩んでいると、顔のすぐ横に気配を感じた。
綾部少年が、真後ろから隣に移動して来たのだ。
正直、怒れる穴掘り小僧に背後を取られ、いつ奈落に突き落とされるかヒヤヒヤしていたので、この位置変更は有り難かった。
綾部少年は、自分の膝を抱えるように座り直し、あざとく首を傾げる。

「天女様って、ゲロ吐くの好きなんですか?」
「可愛い仕草で何てこと言うんですか」

好きなわけないだろ。

「じゃあ何で?」
「……それは、」
「あ。僕が当ててあげます」

名前の言葉をまたしても遮り、綾部少年は身を乗り出した。
ビューラーいらずの上向き睫毛が、鼻先を掠めそうなほど近付く。
びっくりして傾いた名前の背中を、彼は危なげなく抱き止めた。
色素が薄い大きな瞳に、名前の間抜け面が映し出される。
……近距離で視線が交わった瞬間、その瞳孔がカッと開いた。

「天女様、人を殺したんですね?」
「な……んで」
「目を見たら分かります。僕達の中にも、時々そういう目になる生徒がいるんです。分かる人には分かる、人殺しの目」
「…………、」

目を隠さなければ。そう思って、咄嗟に両手を掲げた。
でも、綾部少年の方が一枚上手だった。
顔の横で小さく万歳するように、綾部少年に両手を握られる。
少女然とした可憐な顔立ちに似合わず、存外腕っ節が強い彼には、名前の抵抗なんてあってないようなものだろう。
こちらは手を振り解こうと必死なのに、綾部少年は呑気なもので、優雅に指先同士を絡め始める始末……。恐怖を感じて表情を盗み見れば、目が合うと同時に微笑まれた。背筋が粟立った。瞳孔全開で笑うな。

「隠したいなら、目を閉じたらどうでしょう」
「……この状況で目をつぶるのはどう考えても悪手でしょ」
「へぇ。そういう常識はあるんですね」

スンッと真顔に戻る綾部少年が怖い。
愛する落とし穴でゲロ吐いたことは謝るけど、ここまで脅される謂れはないと思う。もう十分罪は償ったのだ。頼むから釈放してほしい。

「も、もう良いですか?天女そろそろ寝たい。凄い夜だし……」
「夜は忍者のゴールデンタイムなんですけど」
「ところがどっこい、天女は忍者じゃないんですねえ」
「屁理屈」

綾部少年は、分かりやすくむくれた。
屁理屈言ってるのはそっちじゃないのか。

「綾部少年、あなた何がしたいんですか……。全然わかんないよ。天女にどうしてほしいの」

ついに根を上げて尋ねれば、綾部少年は一瞬考え込んだあと、ぽつりと呟いた。

「泣かないかなぁと、思って」
「…………は?」
「このまま眺めてれば、そのうち泣くかもと思ったんです」

わざわざ言い直してくれたところ悪いが、どのみちヤバい。

「なんで、そんな……へ、変態ですか?」
「ん〜」

綾部少年は、そうなるんですかねぇ?と、他人事感を醸し出してくる。
確実にそうなると思います!胸を張って保証すれば、じゃあそれでいいです、と投げやりな返事が返ってきた。変態が開き直ってしまった。変態の開きだ。そんな、アジの開きじゃないんだから……。

「ーー天女様を初めて見た日、天女様、泣いた後でしたよね」
「え、いや、そ……んなことはないが!?」
「くだらない嘘ついたら穴に落としますって、さっき言いませんでしたっけ」
「すみません間違えました泣いてました」
「はいーーだからです」

綾部少年は、名前の目元を指先でなぞる。

「今度は涙の跡じゃなくて、本物が見たいなぁと思ったんです。でも、今日は泣いてくれないみたいなので、もう後日でも良いです。次泣くときは教えてください。暇だったら見に来ます」
「や、ヤバ……」

名前は、自分の体を抱きしめて震えた。
結構本気でドン引いた。

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