05
渦巻く炎は、山賊の体を瞬く間に飲み込んだ。
不思議なことに、突如生み出された燃え盛る火炎は、風が吹いても揺らぐことなく、他の場所へ燃え移る様子もない。
名前も、一年生も、山賊の片割れさえも、眼前の情景に言葉を失った。
魅入られたように、ただただ炎を眺めることしか出来なかった。

「……ッ、兄貴!!!」

金縛りが解けたのは、始まった時と同じように、突然その火が消えた瞬間だった。
思い出したようにドッと冷や汗が溢れ、心臓が壊れそうな程暴れ回る。
火柱の消失と共に、音を立てて地面に倒れ込んだ山賊は、もはや元が何だったのか分からぬほどーー黒い。
名前は、無我夢中で一年生の元へ這いずり、四人の上に覆い被さった。

「み、見ちゃダメ!!」
「天女様!?」

山賊は、火に焼かれながら少しずつ後退していたらしい。
初めよりも、一年生との距離が開いていたのが幸いした。洞窟の薄暗さも相俟って、彼らの目に、凄惨な光景は映っていないようだった。
ーーそれだけが、唯一の救いだった。

「天女様、大丈夫ですか?」

名前に押し潰された四人は、しかし不平を口にすることなく、こちらを気遣ってくれる。
四人の体温を感じながら、名前は震えた。
おずおずと背中に回される小さな手に、思わず縋りつきたくなる。
しかし、そんな悠長なことをしている暇はなかった。

「なにを……貴様、兄貴に何をした!!」

振り返ると、弟分の山賊が拳銃を構えていた。
いっそ燃え尽きてくれれば良かったのに、この異世界の武器だけは、炎に呑まれず残ったのか。
山賊は、銃口を名前の額に向け、黒い引き金に指をかけた。

「こんな物……使い方なんて、見様見真似でなんとかなるんだ……ッ!よくも、よくも……!!」

山賊は思い切り指先に力を込めるーーが、銃弾が飛び出すことはない。
名前だって、映画で見た程度の知識しか持ち合わせないが、恐らく安全装置が作動しているのだ。
山賊は、何度も何度も引き金に手をかけ、その度に弾かれる指先を恨めしげに睨み、そしてついに、拳銃を地面に叩きつけた。

「ク、クソ!クソ!お前が、お前が全部悪いんだ!」

拳銃を捨て、慣れ親しんだ刀に持ち替えた山賊が、脇目も振らず襲いかかってくる。
再び「わーん!」と叫んだ一年生の上に、名前はもう一度乗り上げた。

「殺してやる!お前ら全員、俺が八つ裂きにしてやる!」
「そ、それは八つ当たりです!天女は悪くない!それで、この子達はもっと悪くない!」
「うるさい!黙れ!死ね!」

鉛色の刃が乱雑に振り下ろされ、耳元で風を切る。
その度に悲鳴をあげる一年生を見て、名前だって叫び出したいと思った。叫んで、暴れて、身も世もなく泣き喚きたいけど、ここでそれをやったら収集がつかなくなるから、年長者として我慢するしかないのだ。

「お、落ち着いて!落ち着いてください!天女を殺しても意味ないんだから、一回落ち着いてよ!あと、一年生の皆さんも天女が何とかするから!頑張って守ってみるから、一回みんな落ち着いてください!」

本当は、一番名前が落ち着いていないのだ。
だって、足元には炭化した亡骸が転がっていて、目の前には刀を持った男がいて、背後には恐慌状態の子供達がいて、おまけにここは異世界!名前の味方なんて一人もいない!
人間が焼け焦げる匂いを、初めて嗅いだ。
人が死にゆく様を、初めて見届けた。
そんな直後に、今度は自分が死にかけている。
これも一つの因果応報なのか?もう、頭がおかしくなりそうだった。

「全部天女のせいにして良いから、せめて後ろの子供達を逃してあげてよ!天女の鼓膜が壊れる前に!」
「ーーよく言った!」

刹那、名前の目の前を、黒い影が矢のように横切った。

「ぎゃあ!」

影の存在を見極める間もなく、山賊が身をのけぞらせ、盛大に倒れる。
刀はいつの間にかその手を離れ、遠い場所で真っ二つに折れていた。

「……七松氏、」

山賊を秒殺した影ーーもとい七松氏は、最後に軽く手を払うと「ん?」と首を傾げ、音もなく振り返った。

「これは手酷くやられたな。すぐに駆け付けてやれなくてすまん!……だが、今回は天女様も悪いんだぞ。私がほんの少し目を離した隙に消えるから。まさか天女様の歳になって、留守番も出来ないとは思わなかったな」

慣れた手つきで一年ろ組の縄を解き、七松氏は少しだけ怖い顔をする。
しかし、自由になった四人が四方八方から抱き着いて来るので、彼は説教を諦め、暫し抱き枕業に従事することとなったのだった。

***

七松氏と名前の証言を擦り合わせると、何となく経緯が見えて来た。
どうやら七松氏は、遠見の最中一年は組トリオを発見し、慌てて回収に向かったんだそうな。彼は出立の間際、確かに名前に「そこでジッとしていろ!」と言い残したらしいが、名前にその声は届かなかった。

「ふーん、“隠しの玉”。どうりで全然見つからないわけだ。そこで死んでいる山賊と言い、天女様が来てからおかしなことばかり起きるな」
「て、天女のせいって言いたいんですか……?」
「言いたい!」

ズバッと一刀両断されて、名前は膝をついた。
そんなのってないよ。

「な、七松先輩!天女様は悪い人ではないと思います……!僕達を、頑張って守ろうとしてくれました」

名前が落ち込んでいると、七松氏の腕の中から抗議の声が上がった。
難解な名前の持ち主、二ノ坪怪士丸少年だ。

「そうですよ。僕はもう少しスリルを味わっても良かったですけど、天女様は出来ないなりに、と〜っても頑張ってましたぁ」

反対側の腕にしがみついている鶴町伏木蔵少年も、やや斜め方向から援護射撃をしてくれる。嬉しいけど複雑なのだ。

「あ、ありがとうございます……」

残りの二人もウンウンと頷いてくれるので、名前は素直に礼を言った。
感謝の気持ち、プライスレス。

***

応援の到着を待つ少しの間、七松氏は安全な所で一年生達を休ませ、単身名前の元に戻って来た。
その隙に、名前は焼け焦げた遺体に羽織を被せ、形だけ手を合わせた。

「ーー弔ってやるのか?そんな傷まで負って、酷い目に遭わされたのに殊勝なことだ。さすが天女様と言うべきか。天界の慈悲ってやつ?」

七松氏は、物珍しげな目で名前を眺めた。

「鉢屋や久々知が言っていたことは正しいみたいだなぁ。天女様は、本当に私達とは違う。考え方も、生き方も、善悪の境界も、何もかも。難儀なものだな。死を恐れるなら、目を背ければ良いものを。そんなに震えてまで、清廉である必要はないんじゃないか」
「……っ」

片方の手首を掴まれ、無理やり合掌を解かれる。
思わず仰ぎ見た七松氏は、しかし名前と目を合わせることなく、じっと名前の手の平を見つめていた。
それは確かに、小刻みに震えていたので。

「……これは、ただの自己満足だし」

痛いくらい握られた手首は、名前が一言「離して」と言えば、呆気なく自由になった。
でもその代償に、七松氏の目は、名前を真っ直ぐ捉えるようになる。
ジリジリと低温で焼かれ、少しずつ焦げつくような眼差しだった。
名前は視線のやり場に困り、結局、自分のつま先を睨み付けた。
深く俯いたまま、干からびた声を懸命に絞り出す。

「あの人は……天女のせいで死んだんだと、思います。違うって思いたかったけど、でもたぶん、あれは天女の力です。天女が殺したんです」

頬をなぶる熱風の熱さは、目を閉じただけで鮮明に思い出せる。
ついぞ、男の口から断末魔の悲鳴が響くことはなかったが、炎が唸りを上げる恐ろしい音は、耳の奥に張り付いたまま消えてくれない。
ーー何より、刻一刻と死に近づく人間の臭いが、今なお全身にこびり付いたままなのだ。これが人殺しの臭いなら、名前は一生、死臭を纏ったまま生きることになるのだろうか。五感全てが、彼の死を覚えている。

「でも、あの人を殺したことを、天女は後悔しちゃいけないんです。それを後悔したら、あの人が死んだことで生き残った天女や、一年生の命を、否定することになるから……」

あの時、炎が山賊を焼かなければ、間違いなく死んでいるのは名前達だった。両方が生存する道は、少なくともあの瞬間には存在しなかった。
だから名前に、山賊の死を否定する権利はないのだった。
今こうして生きている自分に安堵する以上、自分が生きるために踏みにじった命があることを、いつまでも忘れてはいけないから。

「ーーでも、誰かが死んだことで万歳三唱して喜べるほど、天女は人でなしになれないんです。綺麗事を言ってないと、落ち着かない。故郷の常識から外れたことはしたくない。ダサいのは分かってるけど、天女はまだ、こっちの世界で生きる覚悟が出来てないんです」

原型を留めぬ遺体を前にして、眉一つ動かさない七松氏が怖かった。
いつかの偽福富屋や、久々知少年に感じた恐怖と同じだ。
その瞬間、彼らは紛れもなく人でなしで、悪事を働く山賊と何ら変わりない、人間を殺す覚悟のある目をしていた。
名前には理解できない、絶対に理解したくない、非情な覚悟だ。

「迷惑をかけて、すみませんでした。助けてくださってありがとうございます」

臆病な名前は、最後まで七松氏の目を見ることが出来なかった。
それでも彼は何も言わず、黙って名前の頭をかき混ぜた。

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