いい加減にしてよ、と言いたくなった。誰にでも優しいグリーン、女の子に囲まれるグリーン、が、嫌でも視界の隅に入る。時折楽しそうな笑い声が響いてきて、いい加減にしてくんないかな、と私はさっきより苛々したトーンで呟いた。(頭の中で、だけど。)別にファンに好かれているのは喜ばしいことなんだと思うし、それを除いてもただの片思い中の幼馴染みである私如きがどうこう言えるものじゃないけど、場所と時を弁えてくれないかな。そう思いながら何度目かの溜め息を飲み込んで私はひたすら手を動かした。ジムに配属されることが決まったグリーンに「お前だと気が楽だわ」と言われて一緒についてきて、ジムのお仕事のアシスタントみたいなことをやっている私。当時は沢山のアシスタント希望者たちにお断りして、私を選んでくれただなんて死ぬほど嬉しかったけど、今思うとなんだか微妙だ。気が楽って良いことなんだろうけど、それってつまり友達止まりってことだよね。バカみたい。わたしだけ特別、なんて。
頭が痛くなってきて私は腕時計を確認した。なんと!もう10時を回ってる!お昼前から取り掛かってこれだ、このペースだと仕事が終わらないかもしれない。
仕方なく私は腰を上げた。ファンの子たちの鋭い視線を受けながら「リーダー」とグリーンに声をかける。もー、何がリーダーよ!トゲトゲウニ頭!とか叫びたいところをぐっと我慢だ。そんなことをファンの前で言った暁には、私の身に危険が迫るに違いない。

「もう10時を回ってます。ファンサービスに熱心なのは宜しいんですが、そろそろ書類の方にも目を通して下さいませんか?」

グリーンは私のとってつけたような堅苦しい言葉に苦い顔をして分かった、と答えた。ここぞとばかりに嫌味全開で言ってやったためか、少し気が晴れる。グリーンがなんだかんだ言って優しいのは知ってるけど、仕事に支障が出るまでっていうのは流石にやりすぎ!そのせいで今日は今までに無い仕事の進みようなのだ、悪い方に。先日どこぞのチャンネルで放送されたジムリーダー特集によってどっとファンが詰め掛け、このところ仕事がたまっていたが、今日は更に記録更新である。
グリーンは当たり障りのない言葉で女の子たちに帰るよう促した。いい加減女の子が出歩いていい時間とは言えないし、彼女たちも今日は満足したのかぱらぱらと踵を返し始めた。また明日も来ますね!という声もとんでいる。明日も!私はげっそりとした。


***


隣の机に腰を下ろしていたグリーンが背伸びをした。かけていた眼鏡を外すと、背もたれに遠慮なく寄りかかる。

「あーっ終わった!」
「お疲れ様、私」
「えっ、俺は」
「私の方が頑張った!」

む、と眉をひそめて言い退けてみせると、グリーンは黙った。反論はないようだ、事実だしね。

「でも、ファンサービスはお疲れ様。よくあんなに笑顔を振りまけるね」
「まあ、慣れてくるしな」
「今の、昔のグリーンだったら俺のカリスマ性をなめるなよ、とかなんとか言うのに」
「馬鹿、昔の話を持ち出すなって!」

さっきまでは文句なしにかっこいいジムリーダーだったグリーンが、一転して慌てるのを見て私は吹き出す。それを言われるといつでも落ち着きがなくなるんだから。きっとファンの子たちは知らない、私だけの特権。
不服気なグリーンに笑いがおさまらず、荷物を片付けたあたりでようやく私の表情筋は普段通りの位置に戻った。ジムは二十四時間空いてるけど、アシスタントの私は毎日家に帰るのだ。

「じゃあ、私は帰るね。おやすみなさい」
「おい、待てよ。送ってく」
「ええ?平気だよ。いつものことでしょ」
「今日は特別遅くなったしな」

有無を言わせないという風で、私は本当にいいの?と聞いた。勿論、と頷くグリーンに心無しか疲れが少し和らいだ気がする。さっきまで最悪な気分だったけど、終わりよければ全てよし?気遣って貰えたのは素直に嬉しかったけれど、口に出すのは止めて感謝するのにとどめておいた。


***


とっ、と足が地面につく感覚がして息を付く。私の後に続いて降り立ったグリーンが軽いお礼の言葉と共にピジョットをボールに戻した。

「有り難う」
「おう」

普段は夜道を歩くものだから、一瞬で過ぎ去っていく帰路を上から眺めるというのは不思議な体験だった。うーん、空を飛べば行き来も楽ちんだ。私もバッジ集めの旅に出ようかな。

「なあ、ナマエ」
「なに?」
「お前、明日からジムの仕事休んだら?」
「え!なんで!」

鳥ポケモンならやっぱりピジョットか、なんて考えていたから私は突然の言葉に吃驚した。仕事を休めばって?なんだかクビになる前振りみたいだ。私、何か失敗でもしたんだろうか。そんなはず。それとも、何だろう、と思考を巡らせて嫌な答えが思いついた。ファンの子が減るから。

「ほら、ファンが来た時さ。お前すごい顔してるから」
「すごい顔!?」

やや苦笑いで頷くグリーンに自分では気付いてなかった、と慌てる。それと同時に、やっぱりファンのことかってじわりと言いようのない悲しみが胸の中で滲んだ。そういうところがまた人気が出るんだな。でも、そりゃあ色んな意味で怒ってはいたけど、表情には出していないつもりだったのに…。そんなにあからさまだった?

「そんなに?」
「悲しい顔してる」

ひかれる程かとおずおずと聞いてみると予想外の言葉が紡がれて私は固まった。悲しい顔?

「なんつーかお前さ、俺がファンといるの嫌なんだろ?」
「え…いや…」

きっぱりすっぱりお仕事だって割り切ってたなら、そんなことないけど、とはっきり言えたんだろう。けれど、確かに思い当たる気持ちがあるせいで結局私の口からは沈黙しか出てこなかった。躊躇う私とグリーンの視線がぱちり、と二人の間であって、時間が止まったような錯覚に陥る。

「お前、俺のこと好きだろ」

別に嫌なわけではない、仕事に支障が出るから、って無難な言い訳をするつもりだったのに、グリーンの方が先に言ってしまった。その上その言葉は見事に図星も図星で、ハンマーみたく私が積み上げた言葉をばらばらと崩す。真っ先に否定すれば良いだけなのにそれは叶わなくて、確実にイエスと言っているのと同じことだった。ダメだ、これはもう修復不可能だ。俺のこと好きだろ、って、自惚れないでよ!と一掃できたら。

「仕事だからしょうがねーけど、そんな顔するナマエは見たくないから」

普段は自信満々なグリーンがいやに所在なさげにしているのが目に入る。ん…?固まったままの私にあー、勘違い?なんてグリーンは視線を逸らした。悪い、忘れてくれ、と続く言葉にえっ!と私は慌てる。
違う。違うの。間違ってないし百パーセント本当なんだけど。…ええい、もう!

「す、好きだよ。ずっと前から!だからグリーンが人気になるのは、嬉しいけど、寂しい…」
「…ばっかだろ、お前、」

勢いに任せてぎゅっと目をつぶりながら言い切った私がそっと瞼をあげると、目の前のグリーンが私にも負けないくらい赤くなっていた。嘘。
初めて見る幼馴染みのそんな表情に驚いていると、ぐいと腕を引かれてつんのめった私の唇を柔らかい感触が受け止める。え。ええ。状況把握にかかった数秒のうちにグリーンはぱっと後ろにひいてしまって、すぐに視界はマサラタウンの長閑な風景に戻った。これ、仕事で疲れて見た夢…じゃないな。発火しそうなくらいに火照る頬は絶対現実だ。
また明日、と言われたけれど、私は熱でも出て寝込んでしまいそうな気がした。




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20130420

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