〜 04 〜
それからまた数日が経った。
返却されたテストのうちひとつが、赤点だった。補習を受けていたら、学校外に出る頃にはもう既に日が落ちて暗くなり始めていた。
「ありえない…なんなのあの平均点…。なんで高校生活最初のテストで赤点取ってるの私…」
ぶつぶつと独り言を言いながら、スマホの電源を入れた。同時にメッセージ受信のアラームが鳴って、ホーム画面にメッセージの一部が映される。
「補習がんばれ〜」という友人からの小馬鹿にしたような絵文字付きのメッセージへ適当に返事をしながら、帰路につく。
結局のところ、あの日菓子を渡してからノクティスにもプロンプトにも話しかけることが出来ていない。きっと食べてくれたよね、と自己解決しながら、今日という週末を迎えてしまった。
思い返しながら歩いていると、スマホが鳴った。同じ友人からだ。
「ところでノクティス王子に感想は聞けた?」というメッセージが届いている。ちょうどそのことを考えていた、と返事をすると「聞けてないんだね」と返信があり、息が詰まる。
正直なところ、自分の中では十分な気がしていた。強引とは言えお菓子を受け取ってもらえたし、一方的とは言え色々な話が出来た。そう考えると満足だった。
しかも自分の席はノクティスの姿をいつでも見ることが出来る席だ。席替えでもないかぎり、いや、同じクラスなだけで幸せだと思った。
いつの間にか家の近くまで来たが、このまま家に帰ってもつまらないと思い、夜風に当たりやすい場所へと踵を返した。どうせ今日も両親は夜遅くまで仕事だ。
河川沿いの斜面に立ち、深呼吸をする。遠くに見える王宮に向かってなんとなく一礼をする。それから空を仰ぎ見た。
一見すると綺麗な夜空だが、目を凝らすと膜が張られている。魔法障壁と言われる、外敵から国を守るための結界。レギス陛下には頭が上がらない。
“あれ”がなくなったら、帝国どころか“野獣”と呼ばれる魔物たちや“シガイ”と呼ばれる者たちまで襲ってくるのだろう。
そのレギス陛下の御子息にあたるノクティス王子と同じクラスということは、大変名誉なことに違いない。
「お父さん、お母さん、神様、この世界、この時代に生んでくれて、本当にありがとう」
フィアナは合掌して誰に言うわけでもなく呟いた。その場に腰をおろして再び空を仰ぐ。
たまに車が通る程度、川から少し離れているここでもせせらぎが聞こえてくるくらい、あたりはしんと静まっていた。
夜風が心地よくて、歩き通しで火照った頬にはちょうどいいくらいの冷たさだった。
「おい」
そんな自然を突き破るかのような声音が突然、フィアナの背中に降りかかる。自分が呼ばれたわけではないかもしれない、と思いながらもふっと反射的に声がしたほうへ振り向いた。
街灯のせいで逆光になってて顔はわからないが、背の高い男性がそこに立ってこちらを見ていた。
「は、はい…?誰ですか…?」
どうやら自分を呼ぶ声だったようだ。不審者かもしれない。フィアナは男性の方へ体ごと振り返ると同時に鞄に手をかけた。
男性はフィアナのすぐ近くまでずかずかと降りてくると、腰を折り曲げてその顔を覗き込んだ。
「!?」
咄嗟に後退って立ち上がろうとするが、斜面だということを忘れていたフィアナはバランスを崩してその場に尻餅をつく。
思いもしなかった人物の登場にただひたすら困惑し、喉の奥が詰まったような感覚に襲われて、まるで金魚のように口をぱくぱくとさせている。
「ノク、ノ、ノクティス、王子!?」
「おう、わかったか」
相変わらず逆光になってて分かりにくいが、そこに立っているのは、制服姿のノクティスだった。
「な、な、なんで、こんな場所に!?」
自分の顔がとんでもないスピードで熱を持っていくのがわかる。嫌な汗も大量に吹き出してきて、今すぐにでも逃げ出したい気分になった。
「ん、まぁな。てかお前…」
歯切れの悪いところでノクティスが言葉を止めると、フィアナから視線をそらしつつ、言いにくそうにまごまごと口を動かしながら、再び視線を戻した。
「……その…」
「!!」
ノクティスの視線がフィアナの顔からゆっくりと下りていく。
尻餅をついてそのままの姿勢だったことを思い出してフィアナは咄嗟に起き上がり、不適切なものを見せてしまったことを謝罪しようと思考を巡らせたが、置かれている状況の判断に全て持って行かれていてしまい、頭は真っ白になっていく一方だった。
そんなフィアナをよそに、ノクティスはひとつ咳払いをして斜面に腰を降ろして、川のほうを見た。
「……あのさ」
「は、はい!?」
「んな身構えんなって」
これは本当にあのノクティス王子なのだろうか?あまりにも唐突すぎて、あまりにも距離が近すぎて、未だにこの状況が理解出来ない。
惜しいと言えばここは暗くてノクティス王子の顔が見辛いということだ。もっと明るい場所で黄昏ていればよかった、とひどく後悔した。
「聞いてる?」
「え!?」
急に現実に引き戻されて、でも現実のようには思えない今にフィアナは頭が混乱した。一体どれが現実なのだろうか。
「菓子」
そこで一区切り置いてから、ノクティスは頭をかいて言いにくそうに口の中で声を出した。ひとつひとつの動作がフィアナには輝いて見える。
「美味かった。ありがとな」
食べてもらったんだ、という喜びより先に疑問が浮かんだ。ノクティスが喋り終わったのとほぼ同時にフィアナが口を開く。
「ど、どうしたんですか?なにかあったんですか?」
「は?」
「私にお礼だなんて、ノクティス王子、いつものノクティス王子じゃないみたい…」
「お前な…」
普段のノクティスからは想像も出来ない、あまりの素直さにフィアナは違和感しか抱かなかった。
仏頂面で、話かけてくる女の子なんかみんなそっちのけで、でも何気ない仕草にはどことなく品がある正しく王子様と行った雰囲気を醸し出しているノクティス王子。
そんな人がこんな一般人に話しかけてくるなんて、とフィアナは思考を巡らせていた。
「こういうのにはちゃんと礼を言えって、親父に昔からいやってほど叩き込まれてな。なんか知んねーけど言わなきゃすっきりしねーんだよ」
「わ、すごく“王子”っぽいこと言ってる…」
さすがレギス陛下。と関心していると、ノクティスが不意にこちらを見た。
「ところで、なんでこんなとこにいんだ?」
「よ、夜風に当たりたい気分になって…」
「ふぅん」
それから沈黙が続いた。10秒くらいの沈黙だったが、フィアナにはとても長く感じて居心地が悪くなる。
「そろそろ帰りますね!ノクティス王子も早く帰ったほうがいいんじゃないですかっ?もう暗いですし!!」
「ん、そうだな。送ってくわ」
「えっ!?いや!!私の家、すぐ近くなんで大丈夫です!!」
フィアナの中で、ノクティスが思っていたよりとても優しい人なのではないかと心の片隅で思っていたことが確信的になってきていた。
「んで、どっち?」
「聞いてます!?」
土手からあがって道に出ると、ノクティスはフィアナをはやく上がってこいと言わんばかりに見下ろしていた。
ここはお言葉に甘えよう、と考えながら鞄を手に取って駆け上がった。
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