〜 19 〜
料理を作り終えてテーブルの上に並べるとフィアナは手伝ってくれたノクティスを席に付かせた。イグニスの料理並み、とはいかないがなかなかのラインナップになった気がする。ノクティスの要望に応えて肉がメインのものになったがそこにはしっかりと野菜が取り込まれていた。向かいに座ったフィアナはスプーンを持って手を合わせる。
「冷めないうちに食べよ!いただきまーす」
「いただきます」
タレを敢えて炒めた肉を白米と一緒に口へ運ぶと食欲を煽る味わいが広がった。青野菜と肉の絶妙にマッチした味のバランスにノクティスは驚いた、といった様子で省くことなく口の中へ運んでいた。
「旨いな」
「自分で作るとまた違うでしょ?」
そうだな、と関心したように言うノクティスを見てフィアナは笑顔になるとノクティスも釣られて笑顔になる。野菜も残さず綺麗に完食してくれたノクティスにフィアナはとっても満足した。
食べ終わって片付けをしているとき。フィアナは食器を洗いながら、ノクティスがテーブルの上やシンクを拭いている姿を見て心の片隅でなんだかカップルみたい、と口元を緩ませた。そのときふとこちらを向いたノクティスが、なにニヤついてんだよ、とフィアナの頭を小突くとフィアナは手元に視線を戻しながらなんでもないと笑う。
「また作ってくれよ」
「うん、一緒に作ろう」
「一緒にか…」
「王子も簡単なものだったら作れるでしょ?」
教えるよ、と言ったフィアナは食器を洗い終えてシンクを拭き終わった台拭きをノクティスから受け取ると水道水で濯いだ。食器用の洗剤で手を洗い、蛇口を捻ってポケットからハンカチを取り出すと、その一連の流れをじっと見つめていたノクティスが口を開く。
「なあ、そろそろその王子って言うのやめねーか?」
「え。なんて呼べばいいの?」
「普通にノクトでいいよ」
「……うーん、でも王子は王子だし。身分の違いとかあるし…」
「ノクト」
有無を言わさずまっすぐに見つめられてフィアナはたじろぐ。持っていたままのハンカチを手で弄びながら一度視線を下げて、それから決心したかのように、しかしゆっくりと視線を上げながらノクティスを見た。
「…ノクト」
その刹那。
目の前にノクティスの顔が視界いっぱいに広がり、それに気付いた頃には唇に柔らかい感触が当たっていた。
驚いて目を見開いたフィアナの視界には瞼を伏せたノクティスが写っている。唇に当たったそれがノクティスの唇だということを理解するのにそう時間はかからなかった。驚いた反動で息を吸ってしまうと、先ほど使ったシャンプーとノクティス自身の香りが鼻を突いて、それに酔いしれてしまったかのようにフィアナはなにも考えられなくなった。
重なっていた唇が離れても、フィアナはノクティスをじっと見つめることしか出来なかった。視線が絡み合っても、恥ずかしいとか、嬉しいとか、そういった感情が湧き上がるわけでもなく、ただただ時が止まってしまったかのように思えてフィアナは不思議な感情に満たされていた。
至近距離にある瞳をぼんやりと見つめているフィアナの肩を、伸ばされたノクティスの手が力強く引き寄せる。それに答えるようにフィアナはノクティスの胸に手を添えながらそっと瞼を伏せた。
再び重ねられた唇は、さきほどのキスよりより少しだけ乱暴になっていた。食べようとしているかのようなその荒々しいキスに、されるがままになっているフィアナの脳裏にふと、ひとりの女性が浮かぶ。
テレビでもよく目にする、人々を星の病から救う女性。それからフィアナはこんな状況下に置かれているのにも関わらず、自分でも信じられないくらい一気に冷静さを取り戻した。
手帳、と聞いた瞬間のノクティスの嬉しそうな横顔が浮かび上がって、胸がぎゅうっと締め付けられるのを感じながら、ノクティスと結ばれるべきはルナフレーナだと悟った。こんなところで自分が相手にしていいわけがない。
「……っ!」
結論が頭の中で出た瞬間、フィアナはノクティスから逃れようと胸を突き飛ばして距離を取った。突き飛ばされたノクティスはシンクに手を突きながら居心地が悪そうにフィアナを見つめている。
「…だめだよ……」
振り絞って出した声は、思った以上に震えていた。瞳が潤み、視界がぼやけ、涙がこぼれ落ちようとした瞬間、フィアナは勢い任せにその場から逃げ出した。リビングを出るときにノクティスが自分の名前を呼んでいたが振り返る気になんてなれず、フィアナは玄関先に置いた荷物を拾い上げながら扉を開けた。
──────
息切れがひどくて、呼吸がしづらい。夕方から振り続けているその豪雨の中で呼吸を整えていると、今立っている場所が少し前にノクティスが助けてくれた土手近くの橋だということに気がついた。増水した河川の流れは普段の静けさの欠片もない、恐怖すら覚える音を立てながら流れている。手すりに近寄ってそこから土手を見つめた。
今思えば、憧れという感情が強すぎて気付いていなかっただけで、あの頃からもう好きになっていたのかもしれない。ノクティスに近付きすぎなければ、ずっと「憧れ」という感情だけで日々を過ごせたかもしれない。「好き」と口に出せば確信に変わってしまいそうで、フィアナはぎゅうっと苦しくなる胸を叩いた。
「……好きになっちゃだめだよ……」
フィアナは自分に言い聞かせるように呟いてから、手すりにうつ伏せた。こんなに苦しい気持ちになるくらいなら、いっそ死にたいとも思った。雨なのか涙なのか、区別のつかない水滴を握り締めていたハンカチで拭きながら、フィアナはどうか雨がかき消してくれますようにと空へ願うと、声をあげて泣いた。
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