〜 20 〜
フィアナは家に帰るなり十分に体を拭かずにベッドへ倒れ込んだせいで風邪を引いた。精神を落ち着かせるのはこれしかないと意図的だったものもあるが、思った以上にそれは酷く長引き、1週間は学校へ行けずにいた。
ノクティスは普段通り学校へ通っていたが、分厚い雲のようなものが心を覆い、もやもやとしたものが渦巻いていて、その気持ちは晴れやかなものではなかった。プロンプトはそんなノクティスの様子と長期に渡って欠席するフィアナの関係に何かあったのではないかと心配になるが、話題には出さないでいた。落ち込んでても始まらないよ、と助言のような励ましの言葉をかけるだけのプロンプトに、ノクティスは感謝の言葉を述べた。
フィアナがようやく学校へ通えるようになった頃、心配して家まで駆けつけてくれた友人たちと一緒に登校し、もう授業ついていけないよ、と談笑し合うと心が軽くなった気がした。何日かぶりに見る自分の席へ腰掛けると、斜め前に座っているノクティスと目が合い、フィアナは慌てて視線を落とす。ノクティスは小さくため息をつきながら、フィアナから視線を外した。
そんな状態が続いたまま1ヶ月が過ぎた。
学校から帰宅後、スマホが振動して着信を知らせるとディスプレイに映された「♪」の文字にフィアナは心臓が飛び跳ねる思いで端末を握り締めた。ずっと気まずい雰囲気だった中、ノクティスも何かを伝えたくて電話をしたのだろう。その勇気を踏みにじってはいけない、と意を決したフィアナはそのディスプレイに表示されている電話のマークをタップして耳に当てた。
「あ、あのさ。ちょっと話があんだけど、今から会えねー?」
その言葉に対してフィアナはひとつ頷くと、フィアナのマンションから最寄りの公園で待ってる、と一言だけ伝えたノクティスは通話を切った。通話終了のコールが鳴るスマホから耳を離して、ホームボタンを押すとその手が震えていることに気がついたフィアナは自分の手をぎゅっと握る。なに緊張してるんだろう、と乾いた笑いを零したフィアナは、あらかじめ洗濯してアイロンをかけておいたノクティスから借りた衣類が入った紙袋の存在を思い出し、それを片手に家を出た。
公園に到着するとフィアナはブランコに腰掛けて地面を見つめているノクティスの姿を見つけ、そこへ小走りで駆け寄った。それに気付いたノクティスは腰を上げるとフィアナに歩み寄り、急に呼び出して悪い、と謝罪の言葉を口にする。
「これ、いつ返そうかなって思ってたところだから丁度良かった」
そう言って紙袋を差し出すと、受け取って中身を見たノクティスはわざわざいいのに、と緊張がほぐれたのか少しだけ笑顔になった。そういうわけにもいかないよ、と同じように笑ったフィアナはノクティスの横を通り過ぎて、ノクティスが先ほどまで座っていたものとは別のブランコに座ると、とりあえず座ろう、とノクティスをブランコに誘導した。
紙袋を脇に置いてブランコに座り直したノクティスは遠くで砂遊びをする子どもたちと、それをベンチに座って見守っている母親たちを見ながら、ひとつ息をつく。
「あの、さ…。この前は悪かった。その、いきなり、あんなことして」
お互いに視線を合わせられず足元を見る。フィアナは返事が思いつかないといった様子で制服のスカートの裾を握った。あのときのことを思い出すだけで、恥ずかしさを上回った悲しみが心を覆う。本当は「なんであんなことしたの」と聞きたい気持ちではあったが、ノクティスの気持ちに気付いたフィアナは聞くだけ野暮だと思い、視線だけを上げて口を開いた。
「私のこと好き?」
「え」
ノクティスの視線が自分の顔に向けられているのが気配だけでわかる。私はね、と言葉を続けたフィアナは少しだけ地面を蹴ってブランコを前後させて揺れた。
「好き"だった"よ。でもそれはずっと憧れっていう気持ちだと思ってた」
自分でも驚くほど晴れやかな気持ちで言葉を紡いでいると、それとは反対にノクティスはまた視線を落として難しそうな顔をしている。日が落ちて影が出来た公園から親子が退散していく。二人だけになった公園はやたらと広く感じた。
「難しいよね…。でも、結論が出たよ」
揺れていたブランコを止めたフィアナは次の言葉を出そうとする前に、深呼吸をした。ノクティスは顔を少しだけフィアナへ向けて横目でその横顔を見ている。
「やっぱり、立場なんだよ。立場が違いすぎる。どうしてもそれが邪魔するの」
「そんなの…っ」
「関係ないわけない!」
急に声を荒らげたフィアナにノクティスは驚いてわずかながらに目を見開いた。そんなノクティスを他所にフィアナは立ち上がると夕焼けを背負って、少しだけ眩しそうにするノクティスを見つめる。
「王子のその気持ちが"好き"って感情なら、それは私に向けるものじゃないの!」
ルナフレーナの話題が出たときもそうだったが、ノクティスは「好き」という感情がよくわかっていないように思えた。無理もない。きっと初めて「好き」になったのはルナフレーナだと思うから。
「…ごめんね、よくわからないこと言ってるよね。好きっていう感情が知れたなら、それはルナフレーナ様に向けて欲しいの」
「なんだよそれ……」
ノクティスは立ち上がるとフィアナの瞳をしっかりと見てから荒々しくその肩を掴んだ。
「じゃあ!……じゃあ俺の、フィアナが好きって気持ちはどこにぶつければいいんだよ…」
声を荒らげかけて、ノクティスはすぐに落ち着いた声に戻すと苦しそうな辛そうな表情をしてフィアナを見つめる。いきなりルーナに向けろって言われてもわからない、そう言ったノクティスの声はひどく震えていた。
「……知らない」
「は…?」
ノクティスの腕を掴んでフィアナは体から離れさせるとそっとその手を握った。
「フィアナなんて人、知らない。王子は最初からルナフレーナ様が好きだった。違う?」
感情に揺さぶられないよう、落ち着いた声音を出すフィアナだったが、ノクティスからすればただそれは震えているようにしか聞こえない。話の流れ的に、きっと修復は不可能だと感じたノクティスは黙り込んで、繋がれた手をじっと見つめた。それでも答えを待つフィアナの視線にいたたまれなくなったノクティスは今日何度目かわからない小さなため息をつく。
「勝手なことばっかり言いやがって…。自分だけ冷静になったつもりかよ」
「じゃあよく考えてみてよ。王子と私が結ばれたとして、その先はどうなるの?一時の感情に流されていいものじゃないって、王様は言うと思うよ。王子がそれを一番よく知ってるべきだよ」
そこまで一気に言って、フィアナは握っていた手を離す。力なく垂れた腕は冷えた外気によってあっという間に温もりを消し去った。
「ルナフレーナ様を愛してあげて。……私から最初で最後のお願い」
消え入りそうな、しかしちゃんと真の通った声がノクティスの耳に届く。フィアナは地面を見つめたまま肩を震わせていた。泣いているようにも見えたが、見せないようにしているのか顔を上げようとしないフィアナの頭に手を置いた。
「悪かった」
そこでようやく顔を上げたフィアナの瞳には涙が溜まっていた。王子が謝ることじゃない、と首を振るとノクティスはフィアナの頭をポンポンと叩いて、それからブランコの脇に置いた紙袋を拾い上げるとフィアナを振り返った。
「フィアナのおかげで学べたこと、活かすよ。それがフィアナの言う願いなら、尚更な」
「お力になれたなら何よりです」
涙を零しながら笑顔になったフィアナに、ノクティスも少しだけ気持ちが軽くなる。もう暗いし送ってく、と目元を擦るフィアナの背中を押しながら公園を出るとどこからか吹いてきた風がフィアナの目元を乾かした。
明日から普通の同級生としてまたよろしくね、とフィアナが言うと、ノクティスはどこか煮え切らない気持ちがあるのを感じながら、ああ、と返事をした。
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