〜 09 〜
その日の夜はイグニスが送っていってくれるとのことで、お言葉に甘えてその車の助手席に座る。無駄なものが一切置かれておらず、ホコリのひとつも見つからないその綺麗な車内はイグニスの几帳面さをよく表していた。土足で上がってもいいのか戸惑っていたフィアナにイグニスはそこまで気を使わないでくれ、と笑いながら車のエンジンを入れる。
静かな音を立てて車が動き出し、地下駐車場を滑るように抜けて公道へ出るとヘッドライトが暗い夜道を照らした。
「フィアナさんは学校でノクトと知り合ったのか?」
「あぁまあ…知り合ったというか、私が一方的に知ろうとしただけというか…」
「そうだったか。あの日、ノクトが俺に電話をして警察と救急車の手配を頼んできたということは…」
「本人からは聞いてないですけど、やっぱりそうだったんですね」
安全第一で常に前方を見て運転しながら、やはり話していなかったか、と呟くイグニスの横顔を見てフィアナはノクティスのことをよく理解しているんだな、と少しだけ羨ましく思ったが口には出さないでいた。
「一件不真面目そうに見えるやつだが、根は優しくて他人のことを考えられる奴だ。これからも仲良くしてやって欲しい」
「私でよければ!」
前向きな姿勢を見せればイグニスは少しだけ安心した様子を見せた。まるでノクティスを弟、あるいは実の我が子のように見守るイグニスにフィアナはふと疑問に思ったことを口にする。
「あの、失礼を承知で聞きたいんですが、イグニスさんっておいくつですか?」
「俺か?今年で17だ」
「じゅっ…!?」
思わず大声を上げてしまいそうになる口元を慌てて押さえながら、運転に集中するイグニスの横顔を身を乗り出して覗き込んだ。失礼だがどう見ても10代には見えないその顔立ちと風格に唖然とした。しかし嘘を言っているようにも見えない。
刺さるような視線を受けてイグニスは少しだけ眉をひそめた。
「年齢を言うと必ずと言っていいほど驚かれるのだが、そんなに老けて見えるのだろうか…」
「老けてるというより、すごく大人っぽくて落ち着いてるから…。てっきり20代だと思っていました」
「フィアナさんは年相応といった感じだな」
赤信号で停車すると、目の前を待機していた車が左右に行き交っていった。ここを右折してください、と支持するとイグニスは了承してウィンカーを灯す。
それからしばらく沈黙が続いたが、それを破ったのはふと思い出したような声を上げるイグニスだった。
「そういえば、この間ノクトが持ってきた菓子…アップルパイだったか、作ってくれたのはフィアナさんで間違いないか?」
「はい、そうですが…」
「俺も食べたんだ。美味しかった、ありがとう」
「いいえ、とんでもないです!」
いつの日だったか、ノクティスたちに押し付けた手作りのアップルパイが、あんなに素晴らしい料理を作ることの出来るイグニスの口に入っていたことを今初めて知ってなんだか嬉し恥ずかしくなる。小分けにして焼いていて正解だったようだ。
他愛のない話を続けていると車はあっという間にマンションの目の前まで来ていた。
何から何まで本当にありがとうございます、とお礼を述べるとイグニスは大したことじゃない、と首を振った。
「でもなんでここまでしてくれるんですか?私が王子を助けたからそのお礼に、とかならまだ分かりますけど、私が王子に助けられてるし…なにもしてませんよ?」
「ふっ、さあな。それは直接本人に聞いたほうがいいんじゃないか?」
「……?」
意味深に笑うイグニスを見てフィアナは眉をハの字にしながら首を捻っていると、車が停車した。マンションの入口がもうすぐそこにある。
お礼を言ってから車を降りると、車をUターンをさせてフィアナの近くまで来たイグニスが窓を開けて顔を出した。
「フィアナさんは、ノクトのことが好きか?」
「えっ!?そ、それはどういう…?」
同級生としてか、それとも一人の男の人としてか、どちらの意味でも取れるその質問にフィアナは内心ドギマギしながら慌ててその答えを探した。
イグニスはそんなフィアナの様子を見て首を横に振る。
「……いや、すまない。俺が聞くことじゃなかったな。また機会があれば料理を振舞おう」
「あ…ありがとうございます!そのときは私も何か持っていきますね」
「楽しみにしている」
挨拶をして手を振るとイグニスは手を上げて挨拶し返してくれた。車が去っていった方向を見ながらフィアナは呆然としたままその場に立ち尽くした。
「王子のことが好き…?」
言葉にすると疑問は確信に変わった…気がした。憧れだとしか思っていなかったその感情はいつしか恋心に変わっていたのだろうか。
いや、そんなことはあってはならない。相手は王族、自分はただの一般人だ。
それにノクティスには神凪の巫女、ルナフレーナがいる。あの様子からするとノクティスとルナフレーナの仲はかなりいいものだと、考えなくても理解できた。
自分が入り込む余地はこれっぽっちも用意されていない。
この憧れの気持ちが恋心に変わるなんてことはありえない、あってはならない、と自分の中で結論を出した。
「そもそも王子が相手してくれなさそう…」
ぼそり、とそう呟くと案外現実味を帯びているなと思えた。目の前にそびえるマンションのまだ明かりのついていない自分の部屋の窓を見て、色々考える前に寝てしまおうと入口の自動ドアに向かって歩みを進めた。
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