〜 08 〜
食事を終えたあと、ノクティスの許可を得てベランダに降りたフィアナは眼前に広がるインソムニアの景色の美しさに始終ため息をついていた。
自分の家は繁華街からはずれた場所にあるせいか明かりが見える程度で、ここまで見事なものだとは思ってもみなかった。
明かりのある場所には人がいて皆それぞれに生活をしているのだと思うと、世界の広さに圧倒された気分になった。
(しかもまだ外があるんだもんなあ)
まだ見たことのない外の世界。生きていればいつか見ることが出来るだろうか?と淡い期待を胸に抱いていると、不意にベランダへ通ずる扉の開く音がした。
両手に白く湯気の立つマグカップを持ったノクティスが、肘で器用にドアノブを捻ってベランダに出てくるなり「ん」と言って片方を差し出した。
「ありがとう。ねえ王子、ここの景色すごいね」
「んーまあな」
そう言ってフィアナの隣へ立ったノクティスがフェンスに上半身を預けてマグカップへ口をつけた。両手で包み込むように持ったマグカップの中身を確認すると、ココアと思われる甘い香りがふわりと漂って穏やかな気持ちなった。
ノクティスと同じような体勢をするにはフィアナは少し身長が足りない。ひとくちだけココアを飲んでからマグカップを持った手を放り出す形でフェンスにもたれかかる。
「そうだ。ねえ王子。ずっと気になってたんだけど、なんで私のこと覚えてたの?」
「んあ?なんだ突然」
「ほら、お菓子のお礼言ってくれたとき。プロンプトくんにお菓子渡したとき、王子は私のこと見てなかったじゃん。なのになんで覚えててくれたのかなーって。しかもあそこ暗かったし」
「そりゃあ、常日頃から付きまとってくるしな。他のやつと違って異彩放ってるし、嫌でも覚えるわ」
「い、異彩って…。でも名前は覚えててくれなかったよね」
「興味なかったしな」
ノクティスはまたマグカップに口をつけて遠くを見つめた。時折吹く風が髪を揺らしている。その横顔をじっと見つめていると、視線に気付いたノクティスは居心地が悪そうにフィアナを振り返って、しばらく無言で見つめ合った。
「……なんだよ」
沈黙に耐えられなくなったノクティスが最初に口を開いた。
「興味ないのに顔は覚えるし電話番号は教えるんだ…。王子って実は変わってる?」
「はぁ?」
首をかしげてそう問いかけるフィアナに、ノクティスはマグカップを持ってないほうの手で頭をかいてからひとつため息をついた。フィアナという存在がよく分からなくなる。
抗議の声を上げようとしたところで、ベランダの扉が開いてイグニスが顔を覗かせて「菓子を持ってきたんだが、みんなで食べないか?」と提案を出してきた。
ふたりは二つ返事で賛成すると、イグニスは扉を閉めてキッチンに戻って支度を始めた。
しばらくその姿を見つめているフィアナの頭にポンと手を置く。
「お前、意外と鈍感なんだな」
「……え??」
驚いているフィアナを他所にベランダの扉を開けながら、「早くこねーと全部食っちまうぞ」と言って先に室内へ入った。
テーブルの上にはいつものお菓子が置いてあった。慌てた様子でノクティス隣に座ったフィアナは、瞳を輝かせながらその菓子を凝視している。
「美味しそう〜!イグニスさんってなんでも作れるんですね!」
イグニスは自分用に作ったコーヒーを片手にテーブルへついた。ノクティスは手元に用意されたおてふきで手のひらを拭いてからその菓子を手に取る。
「誰かに食べて貰えるのが嬉しいからな」
「へえ〜…今度教えてもらいたいです!」
「お安い御用だ」
嬉しそうに笑うフィアナにイグニスも自然と頬が緩む。一足先に菓子を口に運んでいたノクティスに、イグニスは感想を求めた。
「ん〜…ちょっとサッパリしすぎてる気がする…」
「そうか…」
菓子を見ながらイグニスは何かブツブツと呟きながら難しい顔をしている。
不思議に思ったフィアナは食べようとしていた手を止めて二人を見た。
「何かワケありのお菓子なんですか?」
「昔、テネブラエにいた頃に食べたお菓子が凄く美味かったとノクトが言っていてな。それを再現したくてたまに作って持ってくるんだ」
一度食べたら完全に再現出来るんだがな、と言ってイグニスは苦笑した。
遠慮せずに食べてくれと言われて口に運び、ひとくちかじりつくと、断面からぎっしりと詰まったフルーツが顔を覗かせた。様々なフルーツの風味と、生地のやさしい甘さが口の中いっぱいに広がって、フィアナは思わず口を開かずに「おいしい!」とイントネーションだけで感想を述べる。イグニスもありがとう、と言ってコーヒーを口に運ぶ。
「そういえば、ノクト。ルナフレーナ様の手帳が届いていたから、部屋に置いておいたぞ」
「おう」
ふと話題に出た、神凪の巫女の名前にフィアナはノクティスの反応を伺う。
どことなく嬉しそうなその横顔に、フィアナは素直に思ったことを口にした。
「王子って巫女様のこと好きなの?」
「は!?」
いきなり何を言い出すんだ、と言わんばかりに驚いた顔をしたノクティスがフィアナを見た。否定をしつつも明らかに動揺しているノクティスがなんだか可笑しくて、少しだけ笑いながら謝罪をする。
「別にそんなんじゃねーよ…」
「バレバレだな」
「ちげーって言ってんだろ!」
照れ隠しなのか、菓子を頬張ってそれをココアで流し込むノクティスを見てイグニスはもっと味わって食えと注意をしている。
そこで初めて、フィアナは胸がチクリと痛んだ気がした。それが何かを知るのはまだ先の話。
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