〜 20 〜
バンジークスの運命を決する、大法廷。英国司法を守るため、《極秘裁判》として開廷し、審理は“非公開”となる。陪審員は選ばれず、傍聴席は司法関係者のみとなった大法廷はいつもの何倍も空気が重い。バンジークスの“秘書”としてユリアは特別に傍聴席に座ることを許され、重圧を感じる法廷に圧倒されていた。検事席に立つは、あの亜双義一真。証言台に立った被告人…バンジークスを尋問する際、まるで人が変わったかのように証言を罵倒し、裁判が進行する中も亜双義は事あるごとに事件の”真相”を《死神》に結びつけ、意地でもバンジークスを《有罪》に仕立て上げようとしていた。その度にユリアは、心臓を鷲掴みにされている気分だった。
審理が続くに連れて、“ヒュー・ブーン”を名乗る男の正体が“エブリデイ・ミテルモン”だと判明。ミテルモンは自分が行っていた事案を全て話し、ミテルモンに対する尋問が終わるかと思った、そのとき。亜双義はミテルモンを《プロフェッサー》に関する人物だと見極め、真実の追求を行った。
今回の事件と関わりはなさそうだが、検事側の尋問に異論はない、と成歩堂がうなずいていた。ミテルモンを尋問していくうちに、ミテルモンは忘れていた記憶を思い出して、悲痛な叫びを上げて倒れた。事件についての審理が続行不可能になり、一時中断となって、明日へ持ち越されてしまった。
(にわかに信じがたいけど、あんなに怖い人だったの……?)
執務室に戻ったユリアは、亜双義が行った数々の“暴挙”を思い出していた。彼のバンジークスに対する態度が“エスポワール”だったときに比べて、まるで別人と思えるくらいに恐ろしいものだったということ。そしてその目は、まさに“復讐者”の目をしていた。ユリアは人はあんなにも変わってしまうのか、と恐怖に震えた。
「……あ、お、お疲れ様です…」
突然開閉した執務室の扉。そこから入ってきた亜双義を見て、ユリアは縮こまりながら、すでに完成している模型に用があるフリをして振り向いた。
「ユリア」
「は、はい!」
恐る恐る振り返って、亜双義を見る。亜双義は寂しそうな顔をして、警戒させないように、ゆっくりとユリアに近付いた。
「……そんなに、怯えないでください。無理な話かもしれませんが…」
「し……、失礼しました…」
そう言われたユリアは、必要以上に警戒しすぎなのかもしれない、と頭の中で考えて、あくまでいつも通りに背筋を伸ばし、亜双義を向いた。安堵した様子の亜双義が、安心してもらおうとして、ユリアの手をとろうとする。が、ユリアは、まるで条件反射をしているかのように体を跳ねさせて、手を胸の前に移動させ、触れられそうだった右手を左手で庇った。
「…あ……」
申し訳なさそうに眉を下げたユリアが、亜双義を上目で見る。亜双義は宙をさまようことになった自身の手を引っ込めて、悲しそうに微笑んだ。
「……やはり、記憶を取り戻さず、貴女と親しい間柄でいた“エスポワール”でいたほうが、よかったのかもしれない……」
「…そ、そんなことないです!…ごめんなさい……」
謝らないでほしい、と亜双義は首を振る。
「貴女にとって、今のオレは“敵”も同然ですから。…オレは、“真実”を知りたいだけなんです。バンジークス卿にも、貴女にも、直接危害を加える気はありません」
頭ではわかっているつもりだが、それでも亜双義のことが怖くなってしまい、未だに直視が出来ない。亜双義がなんとか会話をしようと、必死で話しかける。今目の前にいる亜双義は、“エスポワール”の面影が残っていた。どっちが本性なのだろう、と分かりもしないことを悶々と考えて、ユリアは更に自分の世界へ入り込んでしまう。
「何かオレに、聞きたいことはありますか?」
警戒を続けて怯える姿に胸を痛めつつ、尚も歩み寄ってくれる亜双義にユリアは顔を上げた。
(…聞きたいこと…)
1週間ほど前に、記憶を取り戻した亜双義。それ以降、会話をする機会がなかったのだ。考えてみれば、本当の“彼”のことを全く知らない。少しでも亜双義のことを知ることが出来れば、彼に対する恐怖心が消えるかも知れない。ユリアはそう思って、一番聞きたかったことを聞くため、息を吸った。
「…先程、バロック様が《有罪》だったらどうするのか、と、私に聞きましたよね。……もし、バロック様に《無罪》判決が出たら、……カズマさんは、どうされるのですか?」
ユリアは亜双義をしっかりと見上げて言った。亜双義もまた、ユリアの視線を真摯に受け止めて、真剣な表情になる。ただひたすらに“真実”を知りたいと言ったが、その真実を知ってもなお、バンジークスを許すことが出来るのだろうか。純粋な疑問だった。
「それは……」
亜双義が口を開きかけたとき、執務室の扉が無遠慮にノックされて、ふたりは扉を振り返った。
「……と、すみません。恐らく、オレの友人が訪ねて来ました」
「…退席いたします」
自分の荷物をまとめようとしたユリアを、亜双義が引き止める。この数分で避けられていることを理解した亜双義。“今”の彼女をひとりにしておきたくないと思っていたが、どうやら傍にいるのは難しそうだ、と考えた。それならば、と亜双義はある結論に至った。
「その友人に会わせたいのです。……もっとも、貴女もよく知る人間ですが」
亜双義が扉を開けると、執務室の外から、成歩堂と寿沙都が顔を覗かせた。なぜ、このふたりに会わせたかったのだろう、とユリアは疑問に首をかしげながら、日本語で“再会”を喜び合っている3人を遠巻きに見つめた。
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