〜 21 〜
執務室を訪ねてきた成歩堂と寿沙都が、亜双義と日本語で会話をしている。ところどころの単語だけを聞き取ると、亜双義の“記憶”のことや、亜双義の父親のことを話しているようだった。当然、バンジークスのことも。日本語というものはどうにも語感の起伏が少なくていけない。普通の会話をしているだけのはずなのに、ユリアの耳には亜双義の言葉だけが、バンジークスを卑下しているものとなって届いていた。あまり聞き馴染みのない日本語が飛び交う空間に居て、ひとり、取り残された気分になる。それに気付いた成歩堂がユリアをちらり、と盗み見た。
「なあ、亜双義。……おまえが、バンジークス卿を恨む気持ちは……もちろん、わかる。でもそれは、今回の事件とは……」
「《関係ない》……か?…あの男は《死神》だ。刑事はそのために殺された。オレは、それを《立証》する。どんな手段を使っても、な」
《死神》という単語が、亜双義の口から聞こえて、ユリアはうつむいた。《死神》の正体が、バンジークスではないことが証明されるまで、彼はきっと永遠にバンジークスを疑い、憎むだろう。
「……そうはさせない、亜双義」
寿沙都は、テーブルの前で背中を丸めているユリアを心配そうに見つめている。亜双義も気になって仕方がないのだが、成歩堂が言い放った言葉を聞いて、意識を前に向かせられた気がした。
「……貴様は、それでいい。言うまでもないが、明日は“手加減”はしない」
「わかっている」と成歩堂が言って、それから不意に、亜双義の後ろへ視線を移した。亜双義が一緒になって振り向くと、その先にユリアの作った“模型”が目に入った。
「今回の事件の現場を《再現》したものだ」
「いや、それはわかるけど……毎回作るのか?こんな本格的な代物を……」
“毎回”、“作る”。その単語を理解したユリアが、顔を上げて成歩堂を見た。成歩堂は模型に顔を近付けて、細部までを穴が開くくらいの勢いで見つめていた。
「そうです」
「え。もしかして、ユリアさんが……」
「ユリアさまが、これを!?」
成歩堂のうしろで会話を聞いているだけだった寿沙都が、飛びつくように、成歩堂の言葉を遮って食いついた。寿沙都はそそくさとユリアの近くまで行って、模型とユリアを交互に見つめ、目を輝かせている。
「《再現》することで、見えてくるものがあるのだろう。ちなみに、この“ついたて”はオレが作ったんだぞ」
成歩堂は(こいつ…ちょっと楽しんでないか?)と言いたげな顔をして亜双義を見た。
「すごいです!これは…何で作っているのですか?」
「ほとんど、画用紙で…。重しを入れたりして作っています」
「まあ!大変素晴らしいと存じます!ひとつひとつ、全て手作業なのですか?」
「ええ、ほとんど一から手作業で作っていますね。昔に作ったものから流用したりもするんですが…」
寿沙都は目を輝かせて、あれはこれは、とユリアを質問攻めにしている。答えるたびに、凄い凄いとはしゃぐその無邪気な様子がなんだかおかしくて、ユリアは嬉しそうに笑った。
「…………」
ユリアと寿沙都のやりとりを黙って見ていた亜双義が、一瞬驚いた顔をして、それから微笑んだ。約1週間ぶりに見た彼女の笑顔に、心があたたまる。ユリアをずっと気にかけていた寿沙都も安心したのだろう、一緒になって笑い合っていた。ユリアの笑顔をずっと見ていたい…そんなふうに思ったが、亜双義は視線を外した。自分と目があったら、その笑顔も消えてしまうかもしれない。そう思った。
「…なあ、亜双義」
同じようにふたりを見ていた成歩堂が亜双義に近寄って、声をひそめた。
「ユリアさん、大丈夫なのか?……昨日、バンジークス卿に会いに行ったら、大泣きしてるユリアさんに会って…それから、ずっと気になってたんだ」
「……大泣き?彼女が…?」
本当に言っているのか、と言いたげな亜双義に、成歩堂は首をかしげた。
「そりゃ、尊敬する人になにかあったら泣くだろう」
「…そうだな」
成歩堂が意味深に亜双義を見つめて言った。
あれだけバンジークスに対して、弱みを見せたくないと言っていたユリアが、まさかその本人の前で泣いていたとは。もしバンジークスが《有罪》となったとき、ユリアはどうなってしまうのだろう。《有罪》を立証する立場なのに、亜双義は自分の心が一瞬、揺らいでしまったのを感じた。彼女の涙は、出来ればもう見たくない。しかし、その感情を優先してしまえば、今度は本来の“目的”が潰えかねない。自分はいつからこんなに“わがまま”になったのだろうか、と亜双義は苦笑して、目の前にいる“親友”に目を向けた。
「……成歩堂。“頼み”がある」
亜双義の真剣な顔を見て、成歩堂もつられるように、真剣な表情になった。
prev | next
戻る
×