〜 19 〜
“秘書”として、自分が出来ること。一晩中考えたのだが、最適解は見つからなかった。それというのも、屋敷に帰ってから、使用人たちに質問攻めにあって、自分の考えをまとめる時間がなかったのだ。ユリアは早朝に屋敷を発って、この執務室に来ることで、ようやくひとりになれた。
(ひとり、か…)
ユリアはゆっくりと部屋を見回した。数日前までは、ここにバンジークスがいて、エスポワールがいた。もう随分と遠い昔のことのように思える。“戻ってくる”と言った亜双義は、戻ってこないどころか、一人前の“検事”として“敵対”してしまった。今回の法廷で、もしバンジークスに《有罪》の判決がくだされたとき、彼は“復讐”を終えたことに満足して、検事局を、はたまた、倫敦を去ってしまうのだろうか。《無罪》を勝ち取ったとき、亜双義がこちらに戻ってくる保証はない。それ以前に、行方をくらましてしまう可能性だってある。《有罪》だった場合、上司を失い、《無罪》だった場合、友人を失う。完全に八方塞がりで、ユリアは頭を抱えた。
(とにかく…今の私に出来ることは、これだけかもしれない)
“倫敦万博”の模型を奥の部屋にしまい込んで、ユリアは新しい模型の制作に取り掛かった。事件現場が小部屋で、なおかつ家具という家具が全くないため、素材はあまり必要ない。捜査資料や現場写真を参考に、まずは部屋の壁を作り上げた。次に、小物。最後に、装飾品。適当な色画用紙にアタリ線を引いて、切り取って、組み立てていく。開廷まで残り2時間。十分に間に合うだろう、と時計を振り返ったときだった。
「おはようございます」
執務室の扉が開いて、亜双義が入室してきた。あまりに突然姿を見せるものだから、扉を振り向いたユリアが、あ、と声を上げて、それからどこを見るわけもなく、戸惑いの表情で目を泳がせた。
「お、…おはようございます……」
扉を閉めた亜双義の足音が、真後ろまで近付いてくる。ユリアは体を強張らせて、テーブルに向き直り、製作途中の模型に手をつけた。視界の右端に、亜双義の腕がうつり込む。テーブルに手をついて、ユリアの手元を覗き込んでいるのか、関心するような声が、ほぼ真上から聞こえた。
「今回の事件の?」
「……はい。グレグソン刑事の遺体が…あった場所…」
消え入りそうな声でユリアが言うと、亜双義の腕が視界から消えて、代わりに、椅子を引く音が聞こえた。
「オレにも手伝わせてください」
「え」
有無を言わさず、亜双義がユリアの隣に座る。思わず亜双義を向いたユリアの顔の動きに気付いて、亜双義が目を合わせて、微笑んだ。逃げるように視線を逸らしたユリアが、比較的簡単に作れそうなものを、数少ない家具の中から厳選して、手渡す。
「これ、ついたて、です」
「わかりました」
接着剤を塗る場所や、貼り付ける場所をあらかじめ教えて、ユリアは作り途中だったテーブルの制作に取り掛かった。ついたての板の部分を、しっかりとした立体感で作り上げた亜双義。その足になる部分の紙を山折りにする作業に苦戦して、手袋を外した。
「この目印を先に折って、あとは紙を均等な幅で折ってしまえば、立体を作り上げるのが楽ですよ」
「…なるほど、頭がいいですね」
言われた通りに紙を降り、目印の部分に接着剤を付けて、見事ついたての足が完成した。亜双義は出来上がった足の片方をついたての側面に貼り付けて、これでいいのか、とユリアに見せる。
「完璧です。……粗も見つかりませんね。そしたら、もう片方も同じように……」
亜双義の手元を覗き込んでいたユリアが不意に顔を上げた先。自分が思っていたよりもずっと近くに亜双義の顔があって、ユリアはスッと、バレないように、身を引いた。
「…もう片方出来たら、足の支えも作りましょうか」
「わかりました」
亜双義はユリアの様子を気にしながら、残りの部品を先程と同じように折り曲げた。ユリアに手ほどきを受けながら、ミニチュアのついたては、ようやく形になり始める。
「……今回の事件、ユリアはどう考えているのですか」
突如振られた話題に、ユリアは手を止める。これを聞くために、亜双義は執務室を訪れたのだろう、と容易に想像が出来た。ユリアは、前かがみになっていた体を起こして、膝に手を置いた。
「…バロック様は、無関係です。グレグソン刑事とは昔からの知り合いだったそうですし、殺害するなんて、とても……」
昨晩、成歩堂がバンジークスに見せていた“写真”。クリムトと、若き日のバロック、そしてグレグソンが写っていた。全員が笑顔の、とても素敵な写真だった。
「…ではもし、バンジークス卿が《有罪》だった場合。ユリアは、これからどうするのですか」
「え……」
バンジークスが検事を辞めさせられたとき、自分はどうするのか。考えてもいなかった。バンジークスの仕事をサポートすることが、“生き甲斐”となっているユリア。その終わりが、もしかしたら目前まで来ているということに、今の今まで気がついていなかった。6年間傍にいて、役に立とうと必死になって生きてきた。“秘書”という役割がなくなったら、自分はこれからどうやって生きていくのだろう。
「…そうなったら、ただのメイドとして…バロック様にお仕えします」
「……それも、叶わなかったら?」
ユリアは完全に押し黙った。尊敬する上司の“死”など、まだ考えたくはない。時計の鐘の音が、開廷まで残り1時間を間接的に伝える。
「私は……信じていますから。…バロック様のこと…」
うつむき、目を伏せたユリアの横顔を見て、亜双義は悲しげに眉をひそめた。おぼろげな記憶の中で出来た《目標》。ユリア自身を悲しませずに達成するには、どうしたらいいのだろう。亜双義は外した手袋をはめなおして、静かに席を立った。執務室の扉のノブに手をかけて、そのまま振り向きもせずに、ユリアの背中へ声をかけた。
「今日の法廷、オレが検事として立つ以上、奴は《有罪》として扱う」
当然のことだ。そう理解していても、ユリアの心は悲しみに暮れた。もう、どれだけ願っても、あの日々は戻ってこないのだろう。
「悪いが、容赦はしない。必ず《真相》を明らかにしてみせる」
……貴女のためにも。ユリアに聞こえないくらいの、それこそ、自分に言い聞かせているような声で呟いて、亜双義は執務室をあとにした。残されたユリアは、深く息を吸って、大きなため息を吐く。いつもなら「頑張ってください」とか、「応援してます」と言いながら見送るところだが、今回ばかりは、裁かれる人間の味方でいたかった。
(私は、どうしたらいいのかしら…)
部下としてバンジークスを庇いたい気持ちが圧倒的に大きいはずなのに、亜双義のことが気になって仕方ない。《有罪》でも《無罪》でもない判決があればいいのに、とユリアは悲しげに眉を寄せて、ミニチュアの“ついたて”に触れた。
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