〜 18 〜
大粒の涙を流すユリアを見て仰天している成歩堂。その横を成歩堂の助士が通り過ぎて、ユリアに寄り添った。彼女の名前は、御琴羽寿沙都。背中をさすってくれる寿沙都の手が、とても暖かい。何があったのか、と成歩堂がバンジークスに問いかけるが、バンジークスは黙り込んだまま、目を伏せていた。
「明日の裁判。どうやら…検事は決まったようでございます」
「……そうだろうな」
ユリアに寄り添ったまま、寿沙都はバンジークスを見上げた。バンジークスはその言葉に反応して、伏せていた瞼を上げる。
「誰だろうと、知ったことではないが」
バンジークスは冷たく言い放って、成歩堂たちから目を逸した。検事が誰であれ、《有罪》判決を食らうのは、目に見えている。そう言いたげな様子だった。
「担当検事は……。…亜双義一真です」
うつむきがちに話を聞いていたユリアが、息を飲んで顔を上げた。
「“アソーギ”……だと……」
バンジークスが目に見えてうろたえた。胸元に輝く《検事章》に触れながら、思いつめたような顔をしている。バンジークスは、なにか考え込んだあと、ゆっくりと口を開いた。
「憎むべき“殺人鬼”……その正体は、極東から訪れた留学生。…“アソーギ”……その名前を、私は1日たりとも、忘れたことはない」
「…ど、どういうことですか?クリムト様を殺害した犯人が……カズマさんの、お父様…?」
《プロフェッサー》の正体が日本人だということは知っていたが、その名前までは知らなかった。亜双義玄真。亜双義一真の父親。その恐るべき真実を聞いて、ユリアは動揺を隠しきれない。
「なんという運命だ…」
バンジークスは片手で顔を覆った。尊敬していた玄真に裏切られ、クリムトを失い、信じた者や、正義すらも奪われて、バンジークスは自暴自棄になったそうだ。重い過去を赤裸々に語る、苦しげなバンジークスを見て、ユリアは胸が締め付けられる思いになった。
「……私は、兄の復讐のため……アソーギを裁く法廷に立った。本来、許されることではないが…担当検事に必死で頼み込んだのだ」
(もしかして、カズマさんの言っていた《使命》って……)
“復讐”は“復讐”を呼び、因果は巡る。もし、ヴォルテックスが亜双義の正体を知っていて、バンジークスの傍に置いていたのだとしたら、そこには何か、隠された《真実》があるのだろうか。泣きはらした目をこすって、ユリアは考え込む。
「私にとって日本人が“呪い”であるように、アソーギ・カズマにとって私は……父親の命を奪った《死神》だ。明日の法廷は……彼にとって、この私に対する《復讐》なのだろう」
「そんな……」
ユリア以上に亜双義のことを知っているだろう、成歩堂と寿沙都も、彼の《使命》については知らされていなかったのか、ひどく悲しんでいる様子だった。誰もが口を開かなくなってしまったその空間に、面会時間の終了5分前を知らせるチャイムが鳴り響いた。
「ミスター…ナルホドー」
その沈黙を破ったのは、意外にもバンジークスだった。呼ばれた声に反応して、成歩堂が弾かれるように顔を上げる。
「私は、英国の司法……警察も検事も、弁護士も信用しない。しかし……もちろん、その中には…信頼に値するものもある。互いに法廷に立ち、向き合えばわかる。打算なく、真実を求めるものの“目”だ」
1年前、成歩堂と出会った日から、法廷での闘いは、確実に自分を“変えて”いた。心情を吐露するバンジークスを見て、成歩堂の目が、少しずつ見開かれていく。
「人を“信頼”しなければ、裏切られることはない。…しかし…それは時に、自らを“闇”に閉ざし、動けなくなってしまうことにもなる」
バンジークスはそう言いながら、目を赤くしたままのユリアに顔を向けた。その意図を汲み取ったユリアが、成歩堂と同じように目を見開いた。
「……もしかして…」
バンジークスはうなずいて成歩堂に向き合い、姿勢を正して、鉄格子の向かいにいる“日本人留学生”を見つめた。
「…今、一度。貴公のその“目”を……私は、“信じて”みたい。明日の裁判、我が《弁護》を、願えるだろうか」
成歩堂は驚きに目を見開いた表情から、ゆっくりと目を伏せてうつむき、やがて、自信たっぷりな笑顔をバンジークスに見せた。
「……もちろんです、バンジークス卿。よろこんで!」
「……よろしくお願いする」
「わ、私からも、よろしくお願いします!」
バンジークスは軽く頭を下げ、ユリアは腰を90度曲げるくらいの勢いで成歩堂に頭を下げた。突然手元からいなくなったユリアを見て、寿沙都がしとやかに笑う。それではまた明日、と笑顔で去っていく成歩堂と寿沙都に、ユリアは精一杯「ありがとう」を伝えた。
「ユリア、迷惑をかける」
ユリアはバンジークスを振り返って、嬉しそうな顔をしながら、首を横に振った。必死に訴えかけた言葉が、バンジークスの心に届いた気がした。
「明日までに出来ること、少ないですけど…でも!バロック様のために、《無実》の立証への協力は惜しみません!」
「……信じている」
独房へ見回りに来た看守がユリアを一瞥して、退出を促す。ユリアは慌てた表情をして、バンジークスへ頭を下げ、留置所の入り口を目指して走り出した。明日の法廷、なんとしても負けられない。例え、検事があの亜双義だとしても……譲れない思いがあるのだ。外に出たユリアは新鮮な空気を肺いっぱいに吸って、気合を入れた。
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