兎と狐の月光祭
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気がつくと、ユタは土の上に横たわっていた。
はっとして飛び起き、自分の身体を見下ろす。
ふさふさとした真っ黒な胸元の毛と、ちょんと投げ出された同色の毛に覆われた手。
ユタはがっかりしてうなだれた。兎になってしまったのは、夢ではなかった。
辺りは薄っすらと明るく、朝が近いことがわかる。月はもう沈んでしまったかもしれない。
もしかして、このまま兎の姿で一生を過ごさなくてはいけないのだろうか。
落ち込むユタの耳に、水の流れる音が聞こえた。どうやら、近くに小川かなにかがあるらしい。
ユタは心を落ち着かせるために、水音に聴覚を傾ける。せせらぎ音に混じって、他の生き物の息づく気配がした。
ユタは頭を上げた。消沈した気持ちとともにたれてしまった耳も、しゃんと立ち上がる。
敵となる動物だろうか? 何者かの気配のする方に、おそるおそる顔を向ける。
ユタより少し離れたところに、大きな赤毛の狐が伏せっていた。
裾がぼろぼろになり泥のはねた女の紅の衣を胴に巻き付け、ごていねいにも衣の中に下着を着ている。ふわふわのしっぽが、ゆったりと揺れている。
炎狐だ、とユタは息を飲んだ。
祀られるべき存在なだけあって、美しい狐だった。朱色の毛並みはぼんやりとした薄紫の世界で淡く輝き、衣の隙間からのぞく四肢はすらりと伸び、脚の付け根にはしなやかな筋肉がついている。
炎狐はユタと目が合うと、にやりと口の端をつり上げた。
笑った。狐のくせに笑った。
どうやら、ユタは炎狐に助けられたらしい。理由はわからないが、とにかく狐に感謝しなくてはいけない。
ユタは兎の口でどうやって「ありがとう」をいおうか、必死に考えた。
そんなユタを尻目に、炎狐は脇に置いた包みをごそごそとあさる。
しばらくして、なにやらずるんとした大きな布を取り出した。それをくわえてそばにやってきたかと思うと、いきなり布をユタの身体にかけてきた。
突然視界が真っ暗になり、ユタは恐怖で混乱する。
小動物の姿になってから大分小心になったような気がするが、元より臆病、というよりは警戒心の強い性格だ。さもなければ、自分のような若造はうまく旅なんてできない。
ユタは必死になって布から逃れようともがくが、布は大きく、中々出口が見えない。
一体、炎狐はなにを考えているのだろうか。
布と格闘していると、突然、ユタは身体が膨張するのを感じた。
煙がわき出るように、自分という存在が大きくなり、拡散されていく。
顔が冷えた外気に触れた。それと同時に、先ほどよりも明るく、青みの引いた世界が現れる。
地面に着いた薄黄の五本の指のある手が、目に入る。人間のものだ。
「戻った……のか?」
ユタは思わず独り言を吐き出していた。のどがふるえ、聞きなれた男の声が出た。
土の上にべったりと座り込むと、炎狐にかけられた布が地面に落ちる。
そんなことはどうでもよくて、ユタは目の前で両手を閉じたり開いたりしてみた。意のままに動く。
ユタの身体は確かに人間のものになっていた。
「ほう、やっぱりあんたも月が沈むと人間に戻るのか」
背後から女の声がした。ふり返ると、村の祠で会った女が、にやにやとしながら衣を直していた。