兎と狐の月光祭
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 そんな耳に、がさり、と木の葉を踏む音が飛び込んできた。かすかな音ではなく、人間の耳でも十分に聞こえるような大きさだ。
 ならば、近い。ユタはあわてて音のした方に顔を向けた。
 祠の裏の方から、人が出てくるところだった。
 紅地の上質な衣をたくし上げて歩み寄ってくるのは、若い女だ。やせている上に、異様に肌が白く病的だったが、足取りはしっかりとしている。長くて艶のある癖毛が、残りかすのような陽光を浴び、赤く透けていた。
 幻のように現れた女を見つめたまま、ユタは何もできなくなってしまう。
 女の登場には、あまりにも現実感が伴っていなかった。兎の耳にも、彼女の存在は関知できなかったのだ。
 薄く化粧をして美しい衣装をまとうその姿は、一瞬祭りの巫者のようにも見えたが、神秘性にも人間くささにも欠けるような気がした。
 どちらかといえば、物の怪のきな臭さだ。山の狐が、ユタを驚かそうと彼に近い年齢の人間に化けているのかと思った。
 女は顔を上げると、物珍しそうにユタを見た。動物的でやや目尻の上がった両の瞳が、ユタのあちこちを探っている。
 ユタは居心地が悪くなって逃げ出したい気持ちに駆られるが、足が動かない。視線さえもそらせない。
 女はユタの頭についている両耳を見つけると、にやりと笑った。不気味さや邪悪さはない。いたずらを企んでいる子供のような笑みだ。
 丁寧に紅をひかれた唇から、硬質な女声がもれる。
「贄兎にとり憑かれたのか」
「憑かれた……?」
 言葉尻は上げたが、やはり、とユタは思った。
 呪われるのもとり憑かれるのも、どちらも好ましいものではないという点では、似たようなものである。
 耳を隠そうかと思ったが、この女の前ではその必要はなさそうだ。もう確実に見られてしまい、今更隠しても意味はないだろう。
 むしろ、事情を知るには彼女と会話をするしかなさそうだ。ユタは耳を見られる羞恥心を必死に押さえ込み、平静を装う。
 そんなユタの心の内を知っているのか知らぬのか、女は好奇心をむき出しにし、質問を重ねてきた。
「贄兎を食ったのか? うまかったか?」
「……うまかった」
「そうか、やっぱりうまいのか。それはよかった」
 女はおもしろそうに続ける。笑いをこらえているような低い声は、秘密をばらしたくてたまらない様子だった。
「ただ、食った日が悪かったようだ」
 ユタは彼女の希望に沿うよう、首をかしげてみる。
「なぜ、日が悪い?」
「祭りだから」
「何の祭り?」
「月光祭だ。わかりやすくいうと、昔から続く秋祭りの一種だな。年に一度、満月が昇ると村の者は贄兎を狩り、炎狐に捧げる。それから宴会をする」
 贄兎に炎狐。聞きなれない単語だ。
「あんたは旅人だろう? ここは実りが多く客が少ない場所だからな、普段なら大歓迎、ていねいにもてなされただろうに。本当に運が悪いな」
 少しだけ残念そうな顔をしながら、女は細い腕を伸ばしユタの耳に触れた。ひんやりと滑らかで、秋の風のようだった。


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