第2章・3−6
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胃が、重い。
立ちあがったら胃袋の底が抜けてしまいそうなくらい、胃の内容物が重い。まるで、胃のレントゲン写真を撮るために、大量のバリウムを飲んだ後のような気分だ。
生クリームの油分で、胃の内部がねとねとのぬるぬるになっているような錯覚にも襲われて、非常に気分が悪い。
口のなかも濃すぎる生クリームの後味で、どこかもったりとしていた。おまけに、紅茶もマフィンも激甘だったから、口内の甘さがまったく引かない。
特にミルクティーは、たっぷりと混ぜこまれた練乳のおかげで、頭が痛くなりそうなほど甘かった。焦がしキャラメルソースが入っていたらしいのに、ほろ苦さのかけらもなかった。
マフィンに練りこまれていた夏みかんの皮の苦さが、唯一の救いだったかもしれない。とはいえ、マフィン自体もかなり甘かったから、マフィン抜きの紅茶だけのほうがありがたかったのだけれど。
これは絶対、嫌がらせだ。
私は確信しながら、テーブルに両手をついてのろのろと立ちあがった。
少しでも身体を揺らすと、胃からなにかが逆流してきそうだった。容量的にはそんなにたくさん食べたわけでもないのに、胃の膨満感がひどい。夕ごはんが食べられるか、不安になるレベル。
家に帰るためにはバスに乗らなくてはいけないのだけれど、車中で吐くかもしれない。
私は片手で胃を押さえながら、伝票を持ってレジに向かった。
会計を担当しているのは、城戸ではなく大学生くらいの女性店員だった。
私は財布から千円札を引っぱりだしながら、肩を落とした。もう一度くらい、バイト中の城戸の姿を見ておきたかったのに。
まあ、生クリームと糖類を大量摂取したせいで気分がよろしくないから、城戸と対峙したところでまともに戦える気はしないのだけれど。次に学校で会ったら、相手が泣くほどいじめてやりたいと思う。
そういえば、そろそろ文化祭だ。もしかしたら、城戸に絡むチャンスかもしれない……。
私はあれこれ雑感を巡らせることで気分の悪さをごまかしながら、喫茶店を後にした。
ウッドデッキを降りてから、店の前で立ち止まり、ガラス越しに店の内部を覗きこもうとする。
煙色のガラス戸の向こうに、城戸の姿は見えない。私が来たせいで、できるかぎりホールに出ないようにしているのだろうか。
店員なんだからちゃんと仕事しろ、そして私にたっぷり顔を見せろ。と思わなくもない。
城戸のあの辛口な嘲笑を見れば、少しは口のなかの甘ったるさがマシになるかもしれないのに。
名残惜しい気持ちを抱えたまま、私はしばらく喫茶店の入り口を見つめていた。
そんな折、ふと、ガラス戸の脇に貼られているA3サイズの紙に気づいた。
でかでかと「アルバイト・パート募集中」と書かれている貼り紙を、私はじっと見あげる。夕勤優先、週三日勤務から、学生・フリーター歓迎、高校生も歓迎、交通費支給……。
私はアルバイト募集の貼り紙から、目をそらせなくなった。
……もしかして、この喫茶店でバイトをすれば、城戸との接点を増やせるのでは?
気づいてしまった瞬間、心臓が大きく高鳴った。
興奮のあまり変な脳内物質が分泌されたのか、急速に胃の膨満感が遠ざかっていく。さっきまで胃が重くてしょうがなかったのに、今は体全体がふわふわと軽かった。
城戸といっしょに、喫茶店でアルバイト。悪くない。むしろ、魅力的。
どうせ私は暇人だ。バイトをしたほうが、有意義に時間がすごせるはず。
私はポケットからケータイを引っぱり出し、貼り紙に書かれた電話番号をメモした。
ホームページのアドレスも記されてるから、家に帰ったらパソコンで店名を検索して、どんな喫茶店なのか研究しよう。
私は全身に奇妙な力がみなぎるのを感じながら、家路についた。