第2章・1−7 



 午後の授業はつつがなく終わり、特にバイトも部活もやっていない私は、今日もまっすぐ家に帰った。

 家に着くなり制服からキャミソールと膝丈のスカートに着替え、カーディガンを羽織った私は、居間のソファにだらけた姿勢で腰かけていた。
 テストは先週終わったばかりだし、特にやるべきこともないから、読書をしている。
 今日読んでいる小説は、団鬼六の官能小説ではない。近所に住む幼なじみに貸してもらった、ジャック・ケッチャムの『隣の家の少女』だ。
 この小説の内容を一言で説明すると、隣の家に引っ越してきた女の子が虐待される話。結構エロい、というかエグい。
 幼なじみはなんでこの本を貸してくれたのだろう。私に陰惨な気持ちになってほしかったのだろうか。可能性としては十分に考えられる。
 でも、暗いなりにおもしろい話だから、嫌がらせにはなっていないと思う。そもそも、私はあまり小説の内容に影響されたりしないタイプだと、幼なじみならわかっているはず。

 作中のめくるめく暴力描写に、なんとなく頭と目が疲れてきた私は、本を膝の上に置いた。
 上体を軽く起こし、ソファとは反対側の壁ににかかっているアナログ時計を見やる。
 時計の針は、五時半を指し示していた。すっかり夕方だ。窓から薄紫色の空が見えた。
 一般の家庭では、そろそろ夕飯の準備が始まる時刻。けれど、家のなかには私以外にだれもいない。
 父親はタイに単身赴任中。母親も週に二日の仕事中。中三の弟は部活終了後、学校からそのまま塾に行く日だった。
 つまり、家族のなかでヒマなのは私だけ。
 私には嫌がらせ以外に趣味はない。だから、帰宅後は適当な本を読んでいるか、映画を見たりして過ごしている。
 特に目的もなく、時間をつぶすために漫然と読書や映画鑑賞をしているだけだから、まったく実りがない。
 もちろん、青春のムダ遣いをしている自覚はあった。
 バイトでも始めるべきなのかもしれない。お金があれば、おやつも本も服も、好きなだけ買えるし。小道具が必要な、手の込んだ嫌がらせだってできるし。

 私はなんのバイトをしようか考えながら、再びソファに寝っ転がった。
 その瞬間、腹の虫が鳴いた。片手で胃のあたりを押さえてみると、びっくりするくらいぺったんこだった。
 そろそろお腹が減ってきた。でも、母親が帰ってくるのは八時ごろで、まだまだ先だ。夕食ができるのは、九時近くなるはず。
 ……ならば、少しくらいつまみ食いしても問題ないはず。
 私は読みかけの本をソファの上に放り出し、おもむろに立ち上がった。つま先立ちで大きく伸びをすると、背骨がバキバキと破壊的な音を立てた。

 首を回しながら台所に向かおうとしたとき、インターホンが鳴った。
 私は振り返って、背後にあるインターホンの方向を見やる。
 ……だれだろう?
 だいたいの見当はつくけれど。でも、もし宗教の勧誘だったら、全力で居留守を使わなければいけない。
 私は急遽、行き先を居間の入り口に変更した。
 居間のドアの脇に取り付けられた、インターホンの室内モニターを覗いてみる。
 モニターに映っている人物は、片手に大きな紙袋を提げている、私と同じ高校の制服姿の男子高生。
『隣の家の少女』を貸してくれた、幼なじみ兼クラスメイトの小巻陽太郎だ。小さいころからよく家に来るせいか、幼馴染というよりも、兄弟みたいな存在。
 モニターから離れて居間から廊下に出ると、インターホンがもう一度鳴った。
 私は「なにを急いでいるんだろ?」と首を傾げながら、あえてのんびりと玄関に向かった。

「遅いよ」
 私がドアを開けると、陽太郎はいきなり文句をたれた。
 陽太郎の顔を見上げると、陽太郎は生まれつき円い目をぱちくりとさせながら、あきれたように私を見返していた。
「おかえり、陽太郎。私にする? お風呂にする? それとも帰る?」
 私は陽太郎の発言を無視して、いつものようにニヤニヤしながら質問してみた。
「そうだなぁ……」と、陽太郎も日に焼けた顔に、くしゃっと人懐っこい笑みを浮かべた。一気に顔の印象が和らぐ。
 陽太郎は目だけではなく、輪郭や鼻先のラインもやわらかいから、むやみやたらと愛嬌があった。どこかの城戸とは大違いだ。

「笹ちゃん以外の全部……じゃダメ?」
 くたっと小首をかしげながら、陽太郎はひかえめに言葉を返してきた。
 陽太郎のしぐさや顔つきは、高校生の男子にしては妙にかわいらしい。
 けれども、肩や腕にはしっかりと筋肉がついて、城戸よりもだいぶ男らしい体つきをしている。弓道部員だから……というよりも、どうやら筋肉が発達しやすい体質らしい。

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